ブラックマンデー.03

 彼方まで広がる青空の下、うっそうと生い茂る密林にぽっかりと大口を開ける巨大な洞穴。その漆黒の闇の中から、爆音と烈風を伴って二機の飛空挺が飛び出す。


 僅かだが先を行くのは深紅の機体――クリムゾンアップル。そこから機体一隻分を置いて黄金の機体――ブリューナク。

 長い長い海底洞窟を抜け、再び地上へと姿を現した二機の飛空挺に、オールセル全土から歓声が降り注ぐ。


『やはり今年の優勝はこの二機に絞られたああああ! 最強無敵のチャンピオンに、ユニオンの撃墜王が迫る! 果たして獅子の牙はチャンピオンを捉えるのかっ? それとも、深紅の天才少女が前人未踏の記録を打ち立てるのかああああああ!』


 クリムゾンアップルとブリューナク。互いの機体から放出される褐色の粒子。

 真鍮管から響く内燃音の周波数が上がり、高く鋭く研ぎ澄まされていく。

 高速で後方へと流れる紺碧の海と空。二機の主翼は凄まじい風圧に小刻みに震え、大気を切り裂いて白煙の尾を伸ばす。


「――カタナ、本当に大丈夫なのっ!?」

「ちょっと焦げただけだ! 気にすんな!」


 クリムゾンアップルが弱点とする高速度域。

 制御困難になりつつある操縦桿を両手で握りしめながらリーゼが叫ぶ。カタナは延伸したブレードを折り畳んでホルスターへと戻すと、炭化したジャケットを片手で払いながら後部座席へと潜り込んだ。


「ごめん――守ってくれて、ありがと」


 リーゼは振り向かず、前だけを見据えて呟く。


 先程のミストフロアの炎。回避が間に合わないと見たカタナは、炎が機体を飲み込む寸前に次元跳躍――クリムゾンアップルの前に飛び出すと、緑光を纏った自分自身を盾にして機体への盾としていた。


「なるほど……いいバディだ。アンネリーゼがナビを任せただけはある」


 ブリューナクのコクピット。息つく暇も無いデッドヒートの最中、ラジャンは不意に笑みを浮かべる。その表情には、ここまで戦った自らへの自負と、好敵手への敬意がはっきりと見て取れた。


「隊長らしくも無い。終わる前から降参ですか?」 

「馬鹿を言え! 確かにあの二人は良いバディだ。だが、最高では無い。そうだな?」


 ラジャンのその問いに対し、アニタもまた、光学ゴーグルの下で不敵な笑みを浮かべた。


「――ええ。それは私達です」

「その通りだ!」


 ラジャンの宣言と同時、ブリューナクのノズルから放出される粒子の勢いが激しさを増す。クリムゾンアップルより速度性能に優れるブリューナクとはいえ、これほどの速度を制御下に置くには、絶対的な操縦技術が要求される。

「最後の直線です。残り5000。気流に注意。少しでも煽られれば吹っ飛びますよ」

「わかっている! 直線は我々の領域! アンネリーゼよ、ここで決着をつける!」


 全ての視界が一瞬で後方へと流れる。二機の前方。光り輝く巨大なチェッカーフラッグと、大歓声に包まれる特設会場が視界に収まる。


「いまだ! リーゼ!」

「了解!」


 ぐんぐんと距離を詰めにかかるブリューナク。二機は殆ど横並び、いまにもブリューナクが先頭に立とうかというその瞬間――クリムゾンアップルの主翼に取り付けられていた、二つの増設タンクが切り離されて海に落下する。


『な、なんということでしょう! 気付きませんでしたが、チャンピオンはドロップタンクを装備していたようです! ここでパージしたと言うことは、少しでも機体を軽くしようということでしょうか? しかしなぜここまで外さなかったのか――ああああああ!』

「ば、馬鹿な……なぜ抜けぬ!」


 ブリューナクのコクピットで困惑に目を見開くラジャン。ドロップタンクのパージは彼も確認している。


 不可解――。


 ドロップタンク――つまり通常とは別の追加燃料だ。この最終局面――少しでも機体重量を軽量化して臨む場面で装備するようなものではない。しかも、その余分な重量を最後の直線まで外さずに――。

 戦術ミスか? 悪あがきか? ラジャン、そしてアニタすらも、クリムゾンアップルの意図を計れずにいた。だが――。


「明らかに速度が増した! 普段のクリムゾンアップルよりも速いではないか!」

「えーっと、ラジャンさん。でいいのよね? さっきは間違ってごめんなさい」


 一旦は縮めた距離が、再び離されていく。必死の形相で出力を上げ続けるラジャンに、リーゼの声が届く。


「もう大丈夫。あなたの名前、今度はちゃんと覚えれたと思うから。じゃあね!」

「待ってくれアンネリーゼ! 私は――っ!」


 眼下で巻き起こる歓声。二機の飛空挺が特設会場上空を通過――そして、振り下ろされるチェッカーフラッグ。


『決まったアアアアアアアアアアア! 優勝はクリムゾンアップル! アンネリーゼ・ロッテ! 前人未踏! 大会史上初の三大会連続優勝達成だあああああああ!』


 会場で沸きに沸く観客達の目の前を二機の飛空挺が通過。凄まじい爆音。その爆音すらかき消す程の大歓声がオールセルを覆い尽くす。果てなく広がる青空に向かい、無数の花火が打ち上げられ、一斉に紙吹雪が舞い落ちる。


「なぜだ……なぜ……」


 会場上空。巡航速度へと落ち着いたブリューナクのコクピットで、ラジャンはゴーグルを外すことも忘れ、呆然と呟く。


「――先程、クリムゾンアップルがパージしたドロップタンクですが……こちらで捉えることのできた僅かなデータによると、あれの重量がかなりのものだった可能性が推測できます」


 後部座席のデータ端末を引き出し、解析結果に目を通しながらアニタが言う。


「あのタンクには燃料がほぼ満タン――少なくとも半分は残っていたと思われます」

「――なんだと? そんな状態で速度を保っていたというのか?」


 ラジャンは言葉通り、信じられないとばかりに疑問を呈する。ドロップタンクにまだ燃料が大量に残っていたとすれば、その分クリムゾンアップルは最後の2周、余分な重量を積んで飛んでいたことになる。いかなリーゼといえども、その状態でブリューナクと競り合うことは難しかったはずだ。


「わかりません――あとで直接本人に聞いてみて下さい。そうすれば、次はきっと勝てますよ」

「次、か――そうだな」


 アニタの言葉に、ラジャンは静かに頷いて笑った――。


  ◆     ◆     ◆


「やったなリーゼ!」

「ありがとカタナ! でも急いでガレージに戻らなきゃ。チャンピオンがガス欠で墜落なんて、かっこわるいもんね」


 クリムゾンアップルの後部座席から、カタナが身を乗り出して声を上げる。

 打ち上げられた紙吹雪が機体の周囲を舞い踊り、青い空に祝福の花を咲かせた。


「作戦もばっちりだったし、本当にすげえぜ!」


 悠々と、滑るようにガレージへと旋回するクリムゾンアップル。

 カタナは周囲を飛ぶ紙吹雪を見て笑みをこぼし、眼下の会場に向かって何度も大きく手を振っている。


「うん。ちょっとした賭けだったけど、うまくいって良かった!」


 リーゼはコクピットの計器類に目を向ける。表示されている残り燃料はゼロ――ラスト2周。その時のクリムゾンアップルに、燃料は積まれていなかった。

 ドロップタンクからエンジンへの燃料供給はある程度コントロール出来る。リーゼはそれを利用して、常に機体側の燃料タンクを空の状態に保ち続けていた。

 そして、最後の競り合いの時点で残っていた燃料全てをタンクごとパージ。燃料ゼロという、常識では考えられない方法で速度を稼ぎ、勝利したのである。


「カタナには、いっぱい助けてもらっちゃった――本当にありがと!」

「俺も楽しかった! ありがとな!」


 二人はお互いに対してガッツポーズをして見せる。チャンピオンを讃える歓声は、暫く止みそうに無かった――。


  ◆     ◆     ◆


『さあ! 優勝は三年連続となるクリムゾンアップル! 二位はブリューナクで確定! しかしまだまだレースは継続しています! 三位以下、熾烈な上位争いを制するのは誰か!』

『凄いです! 本当に一度も順位を落とさないで優勝してしまうなんて!』


 クリムゾンアップルの優勝に沸く会場。バンカーの実況に、隣のオルガは興奮した様子で歓声を上げる。だが、現在オルガの隣には誰もいない。ただ無人となった椅子があるだけだ。


 その席の主であるモローは、先程所用を理由に退席。

 ほんの、数分前のことである。


『おっと! 次の船が見えてきた! あれは現在最下位に沈むブラックマンデー! 皆様! どうか彼らにも盛大な拍手をお送り下さい!』


 ぷすぷすと黒煙を上げ、危うい機動で飛び続けるブラックマンデー。

 観客席からはその姿を笑う者も、けなす者も、励まし、声援を送る者もいる。誰しもその黒い船が、そのままレースを継続すると思っていた。だが――。


『ん――? なにやら様子が――? これは、あ、あああああ! ぶ、ブラックマンデーが、こちらに向かってくる! お客様! 危ない! 危ない! に、げ―――』


 会場中に響き渡る不快なノイズ。

 陽光が巨大な黒い船体に遮られ、辺りが闇に染まる。暗くなったと観客達が認識した次の瞬間には、立っていられないほどの衝撃と風圧が観客達を襲い、辺り一面、全てが闇に染まった。


 ――ブラックマンデーが、会場に突っ込んだのである。

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