Chapter 10

 ――閃光。そして爆音。

 青空に大きく白煙の弧を描き、ガレージへと帰還しようとしていたリーゼ達の眼下で、それは起こった。


「あいつら――落ちたのか?」

「ううん……落ちたんじゃない。狙って落としたのよ!」


 コクピットから身を乗り出し、黒煙と粉塵に覆われた会場に目を向けるリーゼとカタナ。会場の出入り口では大勢の人が逃げ惑い、悲鳴と怒号が飛び交う地獄絵図と化していた。


「カーヤが言ってたテロって、きっとこれのことよね――って、サツキ!」


 レース開始前。会場でリーゼ達を応援すると言っていた二人――。

 二人のその言葉を思い出したリーゼは、即座にクリムゾンアップルの機首を黒煙渦巻く会場へ向けようとする。


「待てよリーゼ! これ以上は無理だ! 燃料がねえ!」

「わかってるわよ! でも、あそこには二人がいるのよ? 早く助けに行かなきゃ!」


 リーゼは焦りと憤りの籠もった表情で、制止するカタナを振り返る。

 だがそこでリーゼが見たものは、空になった後部座席。そして、クリムゾンアップルの主翼に屈み込み、立ち上る黒煙の先をまっすぐに見据えるカタナの姿だった。


「心配すんな――あそこには、俺が行く!」

「え――?」


 瞬間――カタナは重力に身を任せ、高度数百メートルを飛ぶ飛空挺から一切の躊躇無く飛び降りる。一瞬の出来事。リーゼは思わずカタナに向かって手を伸ばす。だが、当然その手は届かない。


「なんでいつも一人で行っちゃうの!?」


 みるみるうちに小さくなっていくカタナ。カタナは落下しながらリーゼに振り返ると、力をこめた拳を突き出して叫んだ。


「リーゼは空を頼む! まだなんか来るぜ!」

「空……? あ、ちょっと! 待ってよカタナー!」


 リーゼの叫びも空しく、カタナの姿は吹き上がる黒煙に紛れていく。見えなくなる直前、黒煙の向こう側で、僅かに緑光が迸るのが見えた気がした。


(何か来るって……もしかして、あれで終わりじゃないの?)


 機首を傾け、黒煙を避けてガレージへと急ぐクリムゾンアップル。その下には、阿鼻叫喚の渦に包まれたレース会場――。


「絶対に許せない……倍返しどころじゃ済ませないわよ……!」


 一人になった飛空挺。リーゼは言うと、強い力で操縦桿を握りしめた――。


  ◆     ◆     ◆


 ユニオンズカップ特設会場――。


 ゲスト達が座る中央のステージめがけ、一直線に突っ込んだブラックマンデー。

 無残にひしゃげた飛空挺の残骸からは、いまも激しい火の手が上がっている。観客席の壁面は崩れ、傷ついた人々のうめき声や、苦痛の声が各所から響く。

 ブラックマンデー墜落の威力は、観客席とゲスト席の間に設けられていた次元断層の防御壁を容易に貫通。その衝撃に観客席の人々は倒れ、為す術無く吹き飛ばされていた。

 混乱の中、幸運にも動くことの出来た観客達の多くは、我先にと会場から逃げ出していく。ここに残っているのは、傷つき、逃げることのできない者達と、災禍の中央にいたスタッフ。そして、このイベントの主賓。ユニオン第七使徒・最愛のオルガ――。


「オルガ様。お怪我は?」


 ステージ横。崩落した瓦礫の下で男が口を開く。男が身につける外套の下では、小さく体を屈めたオルガが庇われていた。


「ありがとうございます。皆さんこそ、お怪我はありませんか?」


 オルガは僅かに頭を上げ、周囲を固める四人の護衛達に声を掛ける。

 護衛達は油断なく周囲を警戒。彼らの周辺領域が、異様な放電や空気の対流を見せ始める。

 オルガの護衛である彼らは、皆強力な多次元認識能力を持つ『適応者』であり、ユニオンに確固たる忠誠を誓う精鋭達だ。

 この墜落が単なる事故では無いことは、彼らも既に感づいている。


「我らのことなら、ご心配には及びません。さあ、急ぎここを離れましょう」


 隊長格の男は片膝をつき、オルガに対して恭しく頭を下げる。だが、オルガは――。


「――私は、怪我をした人達を助けます」

「オルガ様?」


 オルガは立ち上がると、小走りで火の手が迫る瓦礫の一つへと駆け寄る。煤のついたドレスの裾を引き裂いて屈み込むと、瓦礫の側で気を失っていた男を救い出す。


「う、うう……」

「バンカーさん! しっかりしてください。立てますか?」


 オルガに助け起こされた男――レース司会者のバンカー・ビューイングは、頭部から血を流してはいたものの、数センチの差で瓦礫の下敷きになることを免れていた。


「オルガ様! 彼らの救助は、オールセルの者達に任せれば宜しい!」

「っ――嫌です!」


 バンカーの服を掴み、懸命に炎から遠ざけようとするオルガ。彼女はバンカーを掴みながら、固い決意の光が宿る瞳を護衛達に向けた。

 すると、隊長格の男は何も言わずにオルガの横へ進み出る。そして彼女を制し、バンカーを片手で持ち上げると、もう片方の手を炎へとかざし、その炎を一瞬で消滅させる。


「助かりました……わがままを言って、ごめんなさい」

「――オルガ様の御心のままに」


 会場に渦巻く炎は激しさを増している。いかに彼らが適応者とは言え、急がねば多くの命が失われるだろう。

 隊長格の男はバンカーを肩に担ぎながら、残る三人に観客達の救助指示を与える。

 だが、彼らが崩壊しつつある会場の方々へと向かおうとしたその時――。

 彼らの頭上から、甲高い声が響き渡った。

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