霧.02
「アーアー。さすがユニオンの女神サマはやることがくせえな。イラつくぜ」
折れた会場の支柱。そこに座る、異様なマスクを身につけた短髪痩身痩躯の男。
「ま、そんなに人助けが好きなら、俺がいまからいい場所につれてってやるよ。そこなら好きなだけ人助けできるぜ。アノヨってトコなんだけど、ご存じ?」
――ミストフロア。
その姿を視認した四人は、すぐさまそれぞれの能力を発動。
ミストフロアに最も近い位置にいた士官の両腕から、一億度に達するプラズマの火球が発生――暴発。
自らの火球が突然目の前で爆発した士官は、咄嗟に頭部を庇ったものの、灼熱のプラズマによって全身を焼かれ、白煙と黒煙を吹き出しながら無残に地面を転がった。
「いやあああああ!」
「ギャハハハハ。テメーのマッチで燃えてたら世話ねーな。アノヨ行きツアー、お一人様ご案内だ」
会場に響くオルガの悲鳴。そしてミストフロアの笑い声。
だが、丁度オルガ達とミストフロアの居る位置の中間に位置していた士官は、仲間の衝撃的な末路にも表情一つ変えず、指先をミストフロアめがけて突き出す。
瞬間、指先に閃光が迸り、敵対者を貫く光の矢が撃ち放たれる。が、その光線はミストフロアには届かない――どころか、放たれた光線はなんと士官の周囲で乱反射――その体に一瞬で数百もの風穴を開ける。
「さすが光。お速いご退場で」
「貴様……っ!」
全身に穿たれた穴から白煙の筋を引き、二人目の士官が地面に倒れる。
その光景に激昂した三人目の士官は、瞬時に自身の肉体構造を組み替え、全身の骨格を入れ替えてバネのようにしなると、およそ生物の限界を遙かに超える速度でミストフロアへと肉薄――できない。
「この能力は、一体……!?」
まるで不可視の糸に阻まれたかのように、弾丸のような跳躍は空中で『何か』に絡め取られ、重力に逆らって天高くへと昇っていく。
「エレベーター。アノヨまで飛べる特注だ。酸素が無くなる前に、テメーが超越者にパワーアップできりゃあ、死なねえんじゃねえの?」
ミストフロアは手の平を水平に額へと当て、上昇する士官に向かって歓声を上げる。マスクの下に覗く瞳は煌々と輝き、その表情は実に楽しげに歪んでいる。
「飛空挺の墜落も、お前達の仕掛けというわけか。何が望みだ」
バンカーを床に横たえ、オルガを背後に庇うようにして隊長格の男が口を開く。先に動いた仲間達の敗北。男は思考を巡らせ、そのからくりを計ろうとする。
「アー、望み? そんなもんねえな」
ミストフロアは腰掛けていた支柱から、緩慢な動作でステージへと降り立つ。両手には何も持たず、首をかしげて男とオルガを眺めている。
「まー、強いて言うなら――楽しく暮らす。馬鹿やって、笑い転げて暮らす」
「そ、そんな……! それなら、こんなことをしなくてもいいじゃないですか!」
マスクに手を当て、考え込むような仕草で自らの望みを語るミストフロア。
なんともありふれた彼の望みに、オルガは思わず口を挟む。ミストフロアはオルガの問いを受け、小さく顔を縦に振って楽しげな声を上げた。
「んなことねえよ? 俺様の楽しい楽しい人生設計には、てめえら邪魔なんだわ」
見開かれるミストフロアの両目。その黒い瞳の奥が紫紺の輝きを放つ。同時に周囲に濃い霧のようなものが立ちこめ、辺りの視界を奪い取っていく。
「ま、さっさと死んで、俺様のビューティフルライフの肥やしになってくれ」
霧の向こうに消えていくミストフロア。
が、オルガの前に立つ隊長格の男が両手を周囲に広げると、周囲の霧はみるみるうちにその腕の周辺に吸い寄せられ消滅していく。
一度は消えたミストフロアの姿が、僅かにずれた場所に浮かび上がる。霧の向こうで、ミストフロアの狼狽する声が響いた。
「オイオイオイ。どうなってやがる?」
「狂人め――禍根はここで断たせてもらう」
もうもうと会場全体を覆い尽くした霧のほぼ全てが吸い込まれ、消滅。視界が開け、眼前にはミストフロア。隊長格の男は全ての霧を吸い尽くすと、その腕を今度はミストフロアへと向ける。
「耳障りな声も、次元の彼方へ飛ばされれば静かになるだろう。消え去るがいい」
「――消えるのは、お前だ」
意識の間隙――。
当事者たる隊長格の男にも、何が起こったのか理解出来ていなかった。
ミストフロアは正面、動いていない。
驚愕に見開かれた隊長格の男の目。彼の左胸からは赤い血をまとわりつかせた鋭利な刃物が突き出していた。背後には、翡翠色の髪を持つエルフ――ベリルだ。
「ユニオン所属――上級士官、ロウ・エンバス。適応者。両腕を中心にして、別次元へのゲートを作り、あらゆるものを転移・放逐する能力……」
「チャン・フォルン、粒子加速。シン・タナカ、光子操作。ブリッツ・クロウア、身体構築――使徒以外のやつらの情報なんざ、筒抜けなんだよ」
隊長格の男――上級士官、ロウ・エンバスの体から、刃物がゆっくりと引き抜かれる。鮮血が吹き出し、重々しい音とともに、ロウの体が地面に倒れる。
「あ……ああ……!」
血のいくつかがオルガの美しい顔に当たり、その白い肌にゆっくりと紅の筋を引く。あまりの光景に、オルガはガタガタと震え、横たわるバンカーの側にへたり込んでしまう。
「俺達のバトルじゃ、能力が割れてるってのは不利なんてもんじゃねー。こんだけわかってりゃ、いくらでも完封できるってワケ。しかも、俺様チョーつええし」
オルガの後方にベリルが立つ。前方のミストフロアも気の抜けた表情で腕を頭のうしろに回し、のらりくらりと歩み寄ってくる。
「どうして……どうしてこんな酷いことが出来るんですか……? 貴方たちの狙いは私なのでしょう? どうして他の人まで……!」
地面に手をついてうなだれたオルガが、その瞳に涙を浮かべて二人に叫ぶ。その声には、強い憤りと悲しみが籠められていた。
「手段などどうでもいい――お前達に殺された、我が同胞の憎悪。その憎悪がお前達を殺す。ただ、それだけだ」
「ギャハハ。コイツが居たのは1078番コロニーだぜ? 使徒サマならその意味、わかんダロ?」
「四桁……ナンバーの、コロニー出身……」
その事実に、オルガは息をすることすら忘れ、血にぬれた刃を持つベリルに目を向ける。彼女の瞳に浮かぶのは、悲しみと――深い同情――。
「ホレ。話し合いはムダってのが理解できたら、そろそろサヨナラするか?でも使徒サマだからなー。きっと凄い超パワー持ってるんだろうなー。やべー、やべー」
嘲るような声で笑うミストフロア。オルガは動かない。諦めたように頭を垂れ、地面に置いた両手を力なく握る。
オルガのその様子に、ミストフロアは喜悦の笑みを浮かべると、ベリルに向かって目配せする。
「――死ね。そして、自分達の犯した罪を、永遠に悔やみ続けろ」
振り下ろされる凶刃。その切っ先がオルガの白いうなじへと吸い込まれ――。
◆ ◆ ◆
「待ちやがれええええ!」
会場に響く絶叫。止まる刃。声の主は――上空。
厚手のフライトジャケットを空中で脱ぎ捨て、そのまま一直線に急降下する蒼髪の少年――カタナ。
「アー?」
「――来たか。だが遅い」
ベリルはカタナの姿を一瞥。その距離から介入は間に合わぬと判断すると、今度こそ、血塗られた刃をオルガへと突き立てようとする。が、そこにはオルガも、バンカーも、ロウの姿すらなかった。
「ハ? 誰もいねーぞ?」
何が起こったのか、ミストフロアはキョロキョロと辺りを見回す。ベリルは何も言わずに短剣を握り直すと、軽快な音とともに会場に着地したカタナへと向き直る。カタナは両脇にバンカーとロウ。背中にはオルガ。そして肩には、先程ミストフロアによって上空に放逐されたユニオン士官、ブリッツがしがみついている。
「え? あ、あの――私、どうして?」
「お、オルガ様! ご無事だったんですね!」
「よっし! あとは俺がやるから、あんたらはこいつらのこと、見てやってくれ!」
炎から離れた瓦礫の横。そこに四人を抱えたま着地したカタナは、既に意識を失っている二人を下ろすと、オルガとブリッツに声を掛けた。
「ちっ、ひでえことしやがる――」
周囲の惨状を見渡し、カタナが呟く。
オルガはカタナの背から降りると、すぐさまロウとバンカーの側に駆け寄る。ロウは既に呼吸をしていない。即死か、もし生きていたとしても、すぐに処置を施さねば長くは保たない。そしてそれは、先行してミストフロアと相対した他二人も同様だろう。
「あ、ありがとうございます――あの、貴方は一体――」
「俺はカタナだ! よろしくな!」
名前を尋ねるオルガに、カタナはその視線を前に向けたまま答える。
オルガはカタナの背に黙礼すると、ブリッツと共に手近な二人の手当を始めた。
「次元跳躍……相当な射程と精度だ。なぜレース中に使わなかった?」
「俺じゃあんなでかいもん跳ばしたりできねえからに決まってんだろ!」
ベリルは腰のホルスターから、改造を施された十二連装クロスボウを取り出す。
カタナは背後の四人を庇うように漆黒のブレードを逆手に構える。その刀身に、緑光のラインが奔った。
「こいつバカか? てめーでベラベラ喋りやがってよ。こりゃ楽勝だな」
「――油断するなと言っている」
ベリルの隣に並び立つミストフロア。その瞳に紫紺の輝きが宿る。周囲の大気が濃度を増し、光が歪む。
「お前あれだろ? さっきの赤い船に乗ってたガキの片割れだ。随分と俺様のことをコケにしてくれたよなぁ?」
霧――白い霧が、ゆらゆらとカタナの周囲まで包み込んでいく。その霧は丁度カタナの腰の辺りまでで滞留。会場からステージのあるエリアまでを、すっぽりと覆い隠した。
「お前、俺様のコロスリストに入ってっから。大人しくここで死んどけよ。なぁ?」
ミストフロアはそう言うと、身につけた特殊マスクの機構を作動させる。
「なるほど、そういうやつか――つまんねえな」
ミストフロアの言葉と態度。それを受けたカタナは、特に興味も無いという風に応える。
そして二人の間。長身のエルフがカタナの前に立ちはだかる。
ベリルの左手には銀色の短剣。右手にはクロスボウ。二つの得物を肩幅ほどに広げ、翡翠色の髪を持つエルフは、射貫くような視線でカタナを見据えた。
「どうせ帰れって言っても帰らねえんだろ? なら、ぶっ飛ばすぜ!」
「やってみろ……出来るものならな」
クロスボウの照準が、カタナを捉える。
距離を詰めるべく、ブレードを構え踏み込むカタナ。
トリガーが引かれ、鋭い風切り音が会場に響く。
緑光に輝くブレードが、半円の軌跡を描いた――。
◆ ◆ ◆
「――まったく! 一体なにが起こってるんだい!?」
「急いでおば様!」
会場横。断崖絶壁のピットガレージ。マリは大声で悪態をつくと、クリムゾンアップルの燃料タンクにホースを接続。急ピッチで燃料を注ぎ込む。ガレージ内の周囲でも、いたる所で怒号や確認の叫び声が聞こえてくる。先程の爆発で、オールセルは大混乱に陥っていた。
「ブラックマンデーがクランなら、なんでレースに参加できたんだい! 身元調査はやってたはずだよ!」
忙しなく他の作業員達に指示を飛ばし、着々とクリムゾンアップルの再整備を行うマリ。マリの口にした疑問はもっともだ。だが――。
「そんなの決まってるじゃない! モローが手引きしたに決まってるわ!」
「そりゃあ、普通に考えればそうだろうけど……いくらなんでもあからさますぎないかねぇ?」
モローはブラックマンデーのスポンサーだ。そのブラックマンデーがあのような暴挙に出たことは、オールセル中に中継されていた。
もしブラックマンデーがクランとは無関係だったとしても、あれだけの事故を引き起こしたモローの状況は、相当に悪化したはずである。
そんなことを、あの利に聡い男がするだろうか――。
「とにかく、何が起きても動けるようにしておかないと――カタナが言ってたの。まだ何か来るって――」
「カタナ? あの子、そんなことが――」
そのリーゼの呟きに、マリが驚きの声を上げようとした――その時。
「――なに?」
コクピットから身を乗り出し、リーゼが空を見上げる。
青く輝く海と、果てなく広がる青い空。
二つの青。その中のある一点。
ポツリ――と、沸き出すように現れた黒い染み――。
その黒染みは数秒の間に巨大な黒雲の体を成すと、オールセルの島々を覆い尽くすかのように陽の光を遮り、辺り一面に薄暗い影を落とす。
「なんだい? ありゃあ――」
「――見て!」
リーゼが叫び、黒雲を指さす。
墜落事故の発生で、恐慌状態に陥っていた225番コロニーの悲鳴が、ピタリと止まる。
まるでなんらかの生物のように、天上でゆっくりとのたうつ漆黒の濃淡。
息を飲み、上空の黒雲を見つめる大勢の人々。
「クランの戦闘艇……! なんて数なの……!?」
それは、クランのシンボルをマークした無数の飛空挺――。
オールセルを覆い尽くす、百を超える戦闘艇の襲来であった。
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