弓矢.02

「――正面のでけえ岩は左上! 抜けたらすぐ右だ! ちいせえ岩がある!」

「りょーっかい!」


 叫ぶようなカタナのナビに、リーゼが応える。深紅の主翼から白雲を発生させながら、クリムゾンアップルは浮遊する巨岩の間を滑るように飛翔する。


 巨岩に機影を投射し、岩壁寸前を舐めるような機動で回避。そのまま反対側に回り込んだクリムゾンアップルの目の前、不意を突くように小型の岩が現れる。

 だが、その岩の存在はすでにカタナが認識している。リーゼはカタナの指示通りに眼前の岩も軽々と躱し、眼下に広がる紺碧の海と、緑に包まれたサラーク島を大きく回り込みながら、岩礁地帯を飛び進む。


「――また来やがった!」


 ブレードを構え、機体後方へと視線を向けるカタナ。彼の周囲に、僅かに緑光が迸る。そしてその更に後方。先程躱したばかりの巨大な岩が、突如として粉々に砕け散り、粉塵の中から出現した巨大な矢がクリムゾンアップルめがけて飛来する。

 その矢の狙いは正確無比。障害物越しにも関わらず、機体の速度、加速、回頭。全てが読み切られている。回避は――不可能。


「おおおっ――らああっ!」


 真鍮管の間に陣取ったカタナが、飛来する矢に漆黒のブレードを叩き付ける。緑光迸るブレードと接触した矢は、常識外れの威力はそのままに方向を変え、気流の渦を伸ばして空の彼方へと消えていく。


「もー! なんで避けられないのっ?」

「いっつつ……し、痺れたぜ」


 加速と共に圧力を増す風圧の中、カタナが呻く。

 僅かとは言え、ミドリムシの力を使用しているにも関わらず、ブレードを持つカタナの手は先程の矢の衝撃によって痺れ、未だに震えている有様だ。常人が生身であの矢を受けたとしたら、それこそ全身を粉々に吹き飛ばされているだろう。


「やるではないかカタナ! それでこそ我がライバルだ!」


 先程クリムゾンアップルが突破した岩壁を越え、ブリューナクが高速で接近。ラジャンはブリューナクのコクピットをクリムゾンアップルの隣につけると、賞賛するようにカタナに言った。


「あんたもやるじゃねえか! ここまでついてくるなんてよ!」

「えーっと……ランタンさん……? あなた、なかなかやるわね!」

「ランタンではない! ラジャンだ!」


 リーゼの盛大な勘違いを、ラジャンは大声で否定する。


「ぷっ――ランタン――あははは!」

「笑うところではないぞ、アニタ!」


 その声と同時。クリムゾンアップルとブリューナクの後方。砕けた岩を押しのけながら黒い船体――ブラックマンデーが出現。その距離は岩礁地帯突入前よりも、明らかに近づいている。第二チェックポイントは通過した。先頭は変わらずクリムゾンアップル。だが、状況は――。


「――あの矢、材質はなんなの? 木じゃないの? 質量とか硬度とか、そういうのもっとちゃんと守りなさいよね!」

「よくわかんねえけど、全部あいつの腕っぽいぜ!力を感じねえ!」


 あまりにも理不尽なカタナのその言葉に、リーゼは大声を上げて不満を表明する。


「なによそれ!? じゃああの人、適応者でもないのにこんなことしてるっていうの?」


 岩礁地帯突入で一息つけるかというリーゼの目論見は、まさかの岩をも砕くベリルの弓術によって、完全に崩れ去っていた。

 更に、ブラックマンデー後方の空域。そこに、スタートから第一チェックポイントで出遅れていた複数の飛空挺の機影が浮かび上がる。


『凄い! 凄すぎる! すっかり大空のゴミ掃除が終わってしまったぁ! これは先頭のチャンピオンは厳しい! ご覧下さい! 出遅れていた第二集団の姿が見えてきました! この状況をどう乗り切るのかぁぁ!』


 先頭を飛行し、障害を回避しながら進むリーゼ達と、ブラックマンデー通過によって、更地と化した空域を悠々と進むその他の機体――。

 当初、カタナのナビと、リーゼの操縦技術で大きなアドバンテージを得たはずのクリムゾンアップル。だが、ここにきてレースは再び振り出しに戻ろうとしていた。


 そして空中の岩礁地帯――その終端がリーゼとカタナの前に現れる。菱形を描いて各頂点に配置された巨大な浮遊岩。それが岩礁終端の目印だ。

 巨大な空中の門めがけ、更に加速するクリムゾンアップル。その僅か後方、スラスターノズルから白色の粒子を放出しながら追いすがるブリューナク。二機の背後には、ブラックマンデーが迫る。


「くそ――っ!」


 大空を切り裂き、未だ止むこと無く飛来するベリルの矢――そして、その矢をブレードで弾き飛ばすカタナ。

 巨大な岩すら一撃で粉砕するベリルの矢を、カタナは10本近く弾き飛ばしている。カタナの革製のグローブが裂け、その裂け目から赤い血が滲む。


「――大丈夫!?」

「ああ、気にすんな! まだまだ余裕だぜ!」


 心配そうに声をかけるリーゼ。だが、カタナは僅かに顔を向けてリーゼに笑い、大丈夫とばかりに手を振って応えた。


「――なんで私の機動が読まれてるの!? それも、あんな正確に――」


 矢の狙いは、あらかじめクリムゾンアップルがそこに来ることがわかっているかのようですらある。リーゼは悔しさに顔をゆがめ、唇を噛んだ。


「俺があいつの弓を吹っ飛ばしてきてやるよ!」

「駄目よ! そんなことしたら、失格になっちゃう!」

「でもよ、あいつらは何度も攻撃してきてるじゃねえか!」


 カタナの提案を即座に却下するリーゼ。カタナは納得いかない様子でブレードを振り回し、憤慨の声を上げた。だが、リーゼもブラックマンデーの行為に、ペナルティが課せられていないことには気付いている。そして、それがなぜなのかも――。


「――いい? カタナ。反則に反則で勝ったって意味ないわ!卑怯者は、真っ正面から叩き潰してこそなんだから!」

「そ、そうなのか!?」

「そうよ!」


 二人はゴーグル越しに目を合わせると、揃って不敵な笑みを浮かべる。リーゼは操縦桿を横倒し、一度機体を海面に対して垂直まで傾けると、そこからループ機動で機首を上げ、一気に上昇を開始した。


「カタナ! あなたにやってもらいたいことがあるんだけど!」

「そりゃあいいけどよ! 反則にはならないのか?」


 カタナは激しい風圧の中で僅かに振り向くと、確認するようにリーゼに尋ねる。


「直接攻撃するわけじゃないから大丈夫! これ以上邪魔できないように、あいつらにはここで沈んでもらうわ!」

「お、おう。わかったぜ!」


 怒りに燃え、物騒な物言いをするリーゼに、カタナは冷や汗を流す。

 そう――かつて93番コロニーで彼女に殺されかけたカタナは知っている。リーゼは、


 カタナは折り畳まれたブレードの機構を作動。延伸させて長剣形態へと組み替える。その漆黒の刀身が、眩く輝く緑光に染まった――。


「――アンネリーゼ、ここで仕掛けるか!」


 クリムゾンアップルの上昇する先には一際巨大な浮遊岩礁――。

 ブリューナク機上のラジャンは、突如として上昇したクリムゾンアップルを見てその思惑を悟る。


「よし、いまこそあの下劣な黒豚に鉄槌を下す時が来た!」


 ラジャンは即座に打って出る。矢の巻き起こす風の流れを切り返して機首を上昇――背面ループ――再度水平状態に復帰。見事なインメルマンターン機動を取り、その黄金の機首をブラックマンデーへと向けるブリューナク。


「いまなら、単独トップに立てますよ?」

「フン! 何度も言わせるな。こんな形での勝利に意味は無い。なにより、奴の妨害がなければ、こうしてアンネリーゼに追いすがることもなかった。これで貸し借り無しとし、改めて残りの周回で抜き返すまで!」


 鼻息も荒く宣言するラジャン。アニタは呆れたように、しかし僅かに笑みを浮かべると、ブリューナクとブラックマンデー、そしてクリムゾンアップルが向かう巨岩との距離を計算する。


「わかりました。レースはまだ35周ありますから。くれぐれも被弾には注意して下さい」

「フフン! 私はラジャン・シン! ユニオンのトップエースである!」


 菱形の巨門を前に、二機の飛空挺は二手に分かれる。

 ブラックマンデー船上のベリルは、自身へと一直線に向かうブリューナクは意に介さず、クリムゾンアップルにのみ照準を合わせる。つがえられた矢は限界まで張り詰め、撃ち放たれる時を待っている。


「貴様、どこの誰だか知らぬが見事な弓の腕! だが、これ以上我が勝利の女神を害することは許さぬ!」


 瞬間――照準を定めたベリルの眼前を濃紺の煙幕が横切り、クリムゾンアップルが視界から消える。ブラックマンデーの周囲で大きく旋回するブリューナク。その後方から二筋の視界妨害用煙幕が、もうもうと尾を引いた。


『あああーーーっと! 突然引き返したブリューナク! なんとブラックマンデーの行く手を煙幕で遮ったあああ! 直接攻撃ではないため失格とはなりませんが、ペナルティは免れません!』

「どうだ! 電磁妨害に六次元送信妨害まで備えた特注の煙幕だ!先程の岩と同じだと思うな!」

「……無駄だ。俺の目は、貴様ら濁った文明人の目とは違う」


 辺り一面を完全に覆い尽くす濃紺の煙幕。しかし、ベリルの目にはそれすらも映らない。彼の瞳が映すのは煙幕の向こう側――そこに存在する一点を射貫き、限界まで引き絞った強弓を撃ち放つ。


「――で、あろうな。どうやっているのかは知らぬが、貴様はアンネリーゼの動きを完全に見切っていた。だが、それ以外はどうかな?」


 煙幕の放出を終え、大きく旋回するブリューナクのコクピットで、不敵に笑うラジャン。


「隊長! 退避、急いで下さい!」 

「よし! 離脱し、次のチェックポイントへと向かうぞ!」


 ラジャンはベリルを一瞥すると、ブラックマンデーから逃げるように高空へと飛翔する。


「――なるほど。してやられたのは、俺だったようだ」


 激しく渦巻く風の先――煙幕の更に先を見据えていたベリルが呟く。

 濃紺の煙幕が晴れ、ベリルの視界が真っ先に捉えたのは――ブラックマンデーめがけて降り注ぐ、粉砕された巨岩のなれの果て。


『なんとこれは! 煙幕で矢の狙いが狂ったか! 砕かれた岩が、ブラックマンデーに向かって落下していくぅぅぅぅ!』

『うおおお! ベリルの旦那! 早く中に入ってくれ! こいつは避けきれねえ!』

『オイオイオイ! なんとかしやがれハゲ! おいベリル! なに熱くなってんだ?根暗が根暗じゃなくなったら、ロクな目にあわねえよ? いまみてえになぁ! ギャハハ!』


 降り注ぐ無数の落石。小さい物ならまだしも、大きなものでは全長数メートルに及ぶ。直撃すれば、いかに戦闘用飛空挺のブラックマンデーとはいえ、大破は免れないだろう。


(あの機体の背に岩礁があることはわかっていた――矢の力は抑えていたはず。つまり、この岩を破壊したのは……)


 映像を見ていた会場の観客達だけでなく、この状況の当事者であるブラックやミストフロアすら、巨岩を破壊したのはベリルの矢だと認識していた。だが、真実は違う。

 ベリルの矢。ブリューナクの煙幕。そして、上昇するクリムゾンアップル。この三者が交差する刹那のタイミング。

 カタナは緑光を灯したブレードで、迫り来る矢を僅かに逸らし、それと同時に超音速の斬撃で、巨岩に幾重もの楔を打ち込んでいた。

 クリムゾンアップルの向こう――丁度、ブラックマンデーの斜め上に位置する巨岩を破壊しないよう、絶妙な加減を加えられていたベリルの矢。だが、カタナが打ち込んだ楔によって脆くなっていた岩の構造は、加減された矢の直撃を受けて崩れ去ったのである。


『先頭を行く二機にあと僅かという所まで迫ったブラックマンデー! しかしご覧下さい! その雄々しい姿が、あっという間に落石に飲み込まれていくううううう!』

『口ばかり大きな馬鹿共が、なんたる様――っととと。これはこれは、彼らに何事もなければ良いのですがねえ? フホホホッ!』


 次々と直撃する無数の岩石。大きく体勢を崩すブラックマンデー。そして、必死に回避行動を取るブラックマンデーの上空、深紅の飛空挺が粉塵の中から姿を現す。


「あーすっきりした! 私達に挑んだ不幸を呪うがいいわ!」 

「ま、まあ、あいつらもこの程度で死んだりはしねえだろ! これに懲りたら、もう悪いことするんじゃねーぞ!」


 そのまま大空を滑るように飛翔して加速するクリムゾンアップル。役目を果たし、じゃれつくように寄り添う緑光と共に座席に戻るカタナ。

 カタナは直下で落石を浴びるブラックマンデーへと目を向けると、船上からこちらを睨むベリルと視線を交え、彼に向かって大きく手を振った。


(次元跳躍は見せないか――相応のリスクがあると見るべきだろうな)


 主翼から火を噴いて降下を開始するブラックマンデー。ベリルは手を振るカタナを見送ると、翡翠色の長髪をなびかせながら、船内へと踵を返した――。


  ◆     ◆     ◆


「シュコー……シュコー……おー、戻ってきたかよ。あのガキはもういいのか? あ、このシュコーってのは、自分で言ってるんで、お構いなく」


 落石を受け、大きく揺れるブラックマンデー。

 赤いランプが明滅し、アラートの音が響く船内通路。激突によって発火したのだろうか、通路の天井付近には黒煙が漂っている。そしてその煙から逃げるように、通路の床に這いつくばったミストフロアが、帰還したベリルに手を振った。 


「ああ――あの程度ならば、特段問題は無い」


 ベリルはキャビン側面に強弓をたてかけると、手慣れた動作で弦を外し、乾いた布きれに油を染みこませ、僅かに軋んだグリップ部分に油を塗り込んでいく。


「そうだろ? 俺とお前のコンビにかかれば、あんなガキ話になんねえよなあ?」

「――気を抜くな。難敵であることに変わりはない。少年の相手は俺がする。お前は、オルガと護衛をやれ」

「任せろ。オルガも会場の馬鹿共も、みんな仲良く空の上の国に送り届けてやるよ。俺、働き者だから。ギャハ!ギャハハ!」


 歪んだ主翼から黒煙を吐き出して降下するブラックマンデー。その上空を、遅れていた第二集団が続々と通過していく。

 レースの勝敗という意味では、絶望的と言ってもいい状況――。

 しかし、ブラックマンデーの機内では、ミストフロアの甲高い笑い声が、止むことなく鳴り響いていた。 

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