Chapter 9

ブラックマンデー.01

 正午を過ぎ、太陽が傾き始める。

 レース開始から数時間が経過。オールセル全土を歓声の渦に巻き込んだユニオンズカップも、いよいよ佳境。


 会場横の切り立った崖沿いには、レースに参加する機体が整備を受ける、ピットガレージが特設されている。

 何機かの飛空挺がコースを外れ、ピットへと緩やかに進入――それとは別に、慌ただしく整備を終えた機体が唸りを上げて飛び立っていく。

 そして、それらピットガレージの一つで、整備を受ける深紅の機体――。

 リーゼとカタナの乗る、クリムゾンアップルである。


  ◆     ◆     ◆


「――もう! 動かないでよ、うまく巻けないじゃない!」

「いてててっ!」


 ガレージ内で滞空するクリムゾンアップル、その後部座席。

 リーゼは真っ赤に染まった布を放り投げると、真新しい包帯を器用にカタナの左手に巻きつけていく。

 レース一周目――ブラックマンデーの攻撃で負傷したカタナの左手。あの交戦のあと、リーゼはピットインの度にこうしてカタナに手当を施していた。


「わりい。でも、こんなのほっとけば治るんじゃねえか?」

「だーめ! すぐ馬鹿なこと言うんだから。傷口が悪くなったらどうするの?」


 リーゼはカタナの手を取って包帯を巻きながら、視線を上げずにそう言った。 


「お互い無茶しないようにって、約束したじゃない。あれからまだ一週間なんですけど?」


 言いながら、カタナにジト目を向けるリーゼ。

 それを聞いたカタナは心底驚いたとばかりに驚愕の表情を浮かべる。


「マジかよ!? とんでもなく昔みたいに感じるぜ……」

「そうよ! ちゃんと約束は守りなさいよね!」


 言い終わり、同時に巻き終えた包帯の端を、リーゼは金属製のクリップでパチンと留める。そしてカタナの左手をしげしげと眺め、納得したように頷いた。


「これでよしっ! と――おば様! こっちは終わったわ!」

「はいよ! こっちももう終わるところさ」 


 ガレージ内で滞空するクリムゾンアップルに、マリは後部から燃料となる海水を注ぎ込み、エンジンノズルの状態をチェック。マリ以外にも、リドル・マイスター社の整備員達が、機体の調整を手際よく行っていく。


「それで、二位との差は?」

「――50ポイント差から変わってないね。あっちにはペナルティもあるし、少しだけど周回でもこっちが上。このままいけば、うちらの勝ちってわけだ」


 カタナの手当を終えたリーゼは、そのまま側に置かれたサンドイッチをおもむろに頬張り、レースの現状を確認しはじめる。

 現在、クリムゾンアップルの周回数は34周。レースは最終盤を迎えていたが、リーゼ達は未だに首位を維持し続けていた。


「あいつらもやるよな――って。このサンドイッチうめえ!」

「でしょ? それ私が作ったのよ。まだレース中だから、食べ過ぎないようにね」


 窮屈な後部座席で、肩を寄せ合って笑うリーゼとカタナ。微笑ましい光景に、マリも思わず笑みを漏らす。だが、状況は予断を許さない。 


「噂をすれば、だね。うちらのピットインを見て、あっちも入ってきたね」


 滞空するクリムゾンアップルの斜め下後方。黄金の飛空挺が滑るように進入――スタッフの待機するガレージ内で停止する。


「整備が万全なら、残り2周であんた達を抜けると思ってるのさ。大した自信だよ。あのユニオンのエースは」

「厄介ね……ここで先に行ってくれても良かったのに……」


 コクピットから身を乗り出してその姿を確認したリーゼは、難しい表情で考え込む。


「別にいいじゃねえか! 俺達もこのまま突っ走ろうぜ!」

「でも、あの人達だって相当のチームよ。きっと何か仕掛けてくると思う――」


 ――リーゼは思考する。ポイントの差は僅かだ。着順で上回られれば、逆転される可能性は十分にある。


(機体性能は向こうが上。腕で負けてるなんてことは絶対に無いけど――)


 リーゼは自らの愛機、クリムゾンアップルに目を落とす。

 クリムゾンアップルの武器は優れた旋回性能と、中・低高度での圧倒的な加速性能だ。だが、軽量な機体構造のため、高速度域での機体制御が難しく、最高速度に劣るという大きな欠点がある。


(この子の弱点は私の操縦で補える。せめて、あと少しだけ速度が出せれば――)

「――そういや、オッサンはいねえのか?」


 考え込むリーゼの横で、カタナが辺りを見回しながらマリに声をかける。


「うん? それはこっちが聞きたいくらいさ! まったく、こんな時にどこほっつき歩いてるんだか!」


 マリは呆れ果てたように声を上げ、手に持った工具をブンブンと振り回す。


「そうなのか? さっき見たときは、すげえ気合の入った顔してたんだけどな」


 カタナは首をかしげると、その時のジークの顔を真似、表情をキリリとさせる。


「いつもそんな顔をしてりゃあ、あの唐変木も少しはマシかもしれないのにねぇ!」


 マリはカタナの顔真似を見て大笑いすると、にっこりと微笑む。


「船のことはあたしらに任せておきな。だから、あんたはリーゼをしっかり守るんだよ。いいね?」

「ああ! 任せとけ!」


 カタナは力強く頷き、マリに向かって拳を突き出す。

 真っ直ぐに自分を見据える蒼い瞳。その瞳に、マリは同じように頷き返し――。


「あーっ! いいこと考えちゃった! これで絶対に勝てるわ!」


  ◆     ◆     ◆


『さああああ! レースもいよいよクライマックス! 激闘を勝ち抜き、ユニオン最速の称号を手にするのは一体誰になるのかっ!? 現在首位はクリムゾンアップル! やはり今年もチャンピオンは強い! だーが! だがだがだが! 勝利に餓えた黄金の獅子王が、かつて無いほどチャンピオンに肉薄しているぞお!』


「「「ワオオオオオオー!」」」


 佳境を迎え、最高潮の盛り上がりを見せるレース会場。巨大モニターに映し出された各チームのポイントと、めまぐるしく入れ替わる順位。

 各機のパイロットがギミックに慣れ、燃料の補給タイミングや機体の耐久性など、様々な要因が複雑に絡み合う終盤戦。会場の観客達はもとより、オールセルに住む殆どの人々が、レースの行方を固唾を飲んで見守っていた。


『オルガ様! 今回のユニオンズカップ。ここまでご覧になって、いかがでしたか?』

『はい!とても凄かったです! 特に一位のアンネリーゼ様! 15歳であんなに自由に空を飛べるなんて、とても立派だと思いますし、とても羨ましいです』


 バンカーからマイクを向けられたオルガは、どこか憧憬を宿した表情で答えた。


『私、このレースが終わったら、彼女と友達になりたいです!』

『おおー! そうです! チャンピオンのアンネリーゼ嬢は若干15歳! それどころか初優勝は13歳です! まさに天才!』


 バンカーはかつてのレースを回想するように目を細め、何度も頷いて笑みを浮かべる。


『今回もレースの優勝者には、ゲストの皆様と直接お会いする権利が与えられます! チャンピオンが優勝すれば、すぐにでも! お話できますよ!』

『素敵! とっても楽しみです!』


 バンカーのその言葉に、オルガは大輪の花のような笑顔を浮かべ、胸の前で両手を合わせて喜びを表した。どうやら彼女は、年若くしてレースのチャンピオンに君臨するリーゼに、興味津々のようだ。


『それはそれは! 大変素晴らしいことです!』


 喜びの声を上げるオルガの横から、割り込むように身を乗り出したのはモローだ。


『ですがねぇ、それはあくまでも優勝したらの話です。まだまだ、レースは最後まで何があるかわかりませんよ?』

『あ、あの――それは、そうですよね』


 モローの汗まみれの顔と、濁った瞳を向けられたオルガは、引きつった笑みを浮かべる。


「……これはこれは、嫌われましたかな?」

「い、いえ――そんなつもりでは――その、お汗が――」


 見れば、いつの間にかモローはダラダラと大量の汗をかいている。本人も先程から何度も厚手の布で拭っているのだが、とても追いついていない。


「これは失礼! オールセルは暑くてかないませんのでねぇ。フホホホ!」


 モローはオルガに小声で謝罪すると、再び席にどっしりと腰掛け、汗を拭った――。 


『さあ! ついに現在一位のチャンピオンが最終ラップ! 第六チェックポイント! 海底洞窟へと突入! そこから僅かに遅れてブリューナクが追撃! 果たして先に大空へと帰還するのは、どちらの船なのかあああああ!』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る