Chapter 8

弓矢

 ブラックマンデーの巨体が青空を高速で横切り、掠めた雲を散り散りにする。

 黒い船体の各部から長い水蒸気の尾を引いて、ブラックマンデーは先頭を行くクリムゾンアップルに狙いを定める。


 青い海を渡る潮風に煽られ、小刻みに揺れるブラックマンデーの船上。翡翠色の長髪をなびかせて立つベリル。そしてその手に持つ、身の丈ほどもある巨大な弓――。

 その弓は、まるでベリルの意を受けて自在に強度を変化させているかのように、柔軟に、力強くしなった。


(――みんな怖がってただろ。もっと怖がらせてどうすんだよ?――)


 ベリルの脳裏に、先日の食堂における、カタナとの邂逅が思い起こされる。

 あの騒ぎで垣間見たカタナの人間性。ベリル個人の感覚で言うのならば、彼にとってカタナは必ずしも敵対者とは言い難い。だが――。


(お前は俺達の行いを看過しないだろう。ならば、先手は取らせてもらう)


 限界まで引き絞られ、張り詰める弓。

 狙いを定めるベリルの視線の先、深紅の飛空挺――クリムゾンアップル。そして、その後部座席に座るカタナ。

 カタナは漆黒のブレードを腰のホルスターから取り外すと、激しい風圧に身を晒し、帽子を抑えながら背後のブラックマンデーへと向き直った。すでに、カタナの持つブレードに緑色に輝く幾何学模様が浮かび上がっている。


「――まずは、その力の実態を暴く。見せてみろ。少年」


 呟きと共に、ついにベリルの矢が放たれる、正にその瞬間――。


「――アンネリイイイイイゼエエエエエ!」


 裂ぱくの叫びと共に、その空域に突入してきた黄金の飛空艇ブリューナク。ブリューナクはブラックマンデーなど眼中に無いとばかりに過ぎ去ると、クリムゾンアップルの後方にぴったりと張り付く。


「待たせたなアンネリーゼ! そしてカタナよ! 過去のレースではここまで接近することすらできなかったが、今年は違う! こうして我が声が届く距離まで――」

「来たぜ!」


 高らかに叫ぶラジャンの声。その声を遮るカタナ。同時に、ほぼ垂直にその主翼を傾け回頭するクリムゾンアップル。逃がさんとばかりにその機動に追随するブリューナクだったが、突如として発生した突風に機動を乱され体勢を大きく崩す。


「――アニタ! いまのはなんだ! なにが飛んできたっ!」

「弓矢です! 攻撃者はブラックマンデー! 付随する乱気流の影響で、揚力と推力共に低下。注意して下さい!」

「弓矢だと……? 馬鹿にしているのか!」


 リーゼへの呼びかけを邪魔され、ラジャンの表情がみるみるうちに憤怒に染まる。荒れ狂う気流のうねりの中、ラジャンは上下動を繰り返すブリューナクの制御を即座に取り戻すと、エンジン出力を解放――ノズルから白麗の粒子を輝かせながら、深紅の機体に追いすがる。


『あああーーーっと! ミストフロアチーム! これはいけません! 明らかに武器を使用しての妨害行為だぁぁぁ!』


 空と海――二つの青の狭間を、二機の飛空挺が白線を交差させて天に昇る。

 ベリルは割り込んできたブリューナクには目もくれず、二の矢・三の矢をクリムゾンアップルめがけ放ち続ける。その威力と速度は共に、常人の領域を遥かに超えた、神域の弓術だ。


「あいつの弓矢、とんでもねえな!」

「なんなのよ一体! 面倒ね!」


 研ぎ澄まされた狙いと共に放たれるベリルの矢。リーゼは機体を左右交互に蛇行させ、シザース機動で回避――そしてシザースの終わり際、ベリルの偏差射撃を読み切ったリーゼは、急加速して更に鋭角に上昇――二人の眼下に、サラーク島の全景が広がる。


「おのれえええ! なぜアンネリーゼばかり狙う!」


 言いながら、なんとかクリムゾンアップルの後方に張り付くブリューナク。ラジャンほどの腕を持つパイロットですら、この乱れた渦の中では耐え凌ぐことしか出来ない。


「――ブラックマンデーの妨害行為によって、クリムゾンアップルは加速しかねています。第二チェックポイントは難所の一つ。抜くならいまです」

「ふざけるな! 私はこのような勝利など望んでいない! ブラックマンデー……誇り高き決闘を汚した罪、必ず償わせてくれる!」


 ベリルの矢が発生させる気流の渦。そのうねりは尋常ではない。視界に広がる青空とは裏腹に、怒れる龍の顎すら思わせる不可視の旋風が、二機の行く手を遮っていく。


『チャンピオンを襲う予想外の攻撃っ! しかし先頭は変わらずクリムゾンアップル! そこから機体4つ分の距離! 黄金の獅子ブリューナクだ!だがその背後から黒い船体が迫っているぞおおっ! ブラックマンデー! 弓による射撃行為については現在審議中です! 報告をお待ち下さい!』


 激しい先頭争いに白熱する会場の観客達。このような行いを目の当たりにしても、観客達の歓声が止むことは無い。彼らはこのレースに公平性など求めてはいない。

 一定間隔で放たれるベリルの矢。凌ぐクリムゾンアップル。妨害を受けつつも必死に上昇を続けてきたリーゼの目に、空に浮かぶ巨岩が飛び込んでくる。


「あれだ! あの空に浮いてる岩がチェックポイントだぜ!」


 手元に掴んだ地図を見ながらカタナが叫ぶ。


「やっと第二チェックポイントね。あそこなら、少しはブラックマンデーも大人しくなるかしら?」

「さあな! でもあいつら、なんで俺達ばっかり狙うんだ?」 

「そんなの私に聞かないでよ!」


 カタナと会話しつつも、リーゼは機体を横倒して矢を回避。上昇軌道を維持しつつ、きりもみになりながら無数の岩が浮かぶエリアへと機首を向けた。

 第二チェックポイントは、人工的に作られた空中の岩礁地帯。コース取りのミスが即激突に繋がる、ユニオンズカップ随一の難所である。


「――カタナ! この矢、なんとかできそう?」

「矢はいける! 風は無理!」


 前方の岩礁地帯へと目を向けたまま、リーゼが尋ねる。カタナはぶんぶんとブレードを振り回して応え、再び矢をつがえるベリルを睨み付けた。


「――わかった! 風は私に任せて! カタナは矢をお願い!」


 岩礁地帯への進入を阻む、矢によって生み出された気流の大渦――。

 当然、風も、大気の流れも、どちらも人間の目で捉えられるものではない。

 だが、リーゼは『それ』がはっきりと見えているかのように、大きな瞳に挑戦的な光を湛え、笑った。


「この風はやべえ! 船がばらばらになるぞ!」

「大丈夫。解析は――終わったわ!」


 気流の渦に飲み込まれるクリムゾンアップル。リーゼは大きく暴れる操縦桿を引き絞り、ペダルを踏みこんで更に加速――のたうつ風に寄り添うように錐もみにループ――白煙の尾を青空に引き伸ばし、美しい弧を描きながら、浮遊する岩礁地帯へと突入する――。


「なんという機動だ――」


 ラジャンは、クリムゾンアップルの描いた軌跡に見惚れたように溜息をつく。


「感心してる場合ですか……どうします? 行きますか、下がりますか?」

「――愚問だ。ゆくぞアニタ! 風の道は、アンネリーゼが示した!」

「了解――では加速のタイミングはこちらで取ります。3・2・1――どうぞ!」


 たったいま目にしたリーゼの機動――。

 それは、荒れ狂う暴風を完璧に支配した王者の道。だが、ユニオンの撃墜王ラジャン・シンは、僅かな逡巡ののち、クリムゾンアップルが行った機動とほぼ寸分違わぬ流れで大気の渦へと突入。荒れ狂う風に機体制御を乱しつつも、見事岩礁地帯への突入を成功させる。


『ヒュー! お見事!』

『ヒュー! じゃねえよタコ! このボロ船はもっとスピード出せねえのか? アホほど離されたら妨害もクソもねえんだぞコラ!』

『黙ってろクソ霧野郎! ベリルの旦那ァ! あの先頭のパイロットは化けもんだ! こりゃあ、そう何度もチャンスは回ってきませんぜ!』

「――わかっている。速度を上げて、そのまま飛べ――まっすぐにな」


 浮遊する岩礁地帯へと紛れ、視界から消えるクリムゾンアップルとブリューナク。だが、ベリルは構わず機上に備えられた矢を取ると、二機が消えた先をじっと睨み続けていた――。


  ◆     ◆     ◆


『先ほどのブラックマンデーによる妨害行為! 反則となれば大きなペナルティが課されます! 審判の皆様! 判定はいかにっ?』


 司会進行を行うバンカー・ビューイングが、声高に判定を促す。

 豪奢な長机とソファに腰かけた五人の審判団達は、さも悩ましいとばかりに眉間に皺を寄せながら、お互いに顔を見合わせると、一斉に白い旗を持つ手を上げた。ブラックマンデーの行為は反則にはあたらない――満場一致の白判定である。


『おおおーーーっと! 判定は白! ブラックマンデーの先程の行為は反則ではありません! ではここで、審判団から解説が入ります!』

『えー、先ほどブラックマンデーから発射されました矢ですが――映像の解析の結果、別の機体を狙ったものではなく、その横を飛んでいた、鳩を狙った物であると確認されました。鳩がエンジンに巻き込まれれば、重大な事故が発生するところです。となれば、彼らの行動は決して妨害などではなく、むしろフェアプレーの手本のような行動であります。あー、えー、これを鑑みまして、ミストフロアと愉快な仲間達チームには、審判団から特別点として30ポイントが加算されます。はい』


 淡々と行われる審判団からの発表に、怪訝な様子でざわつく観客達。

 観客達が目にしていたモニター映像に、果たして鳩などいただろうか。

 当然――居ない。


『あーっと! 皆さん落ち着いて! いやしかし、これは私としても驚きの裁定です! ゲストのお二人は、この判定どう思われますか?』

『フッホホホ! 私も彼らが突然矢を放ったときには驚きました! ですが、まさか彼らにそのような素晴らしい考えがあったとは! 我がチームながら、彼らの高潔さには涙を禁じえません! フホッ!フッホホホホ!』

『私――てっきりあの黒い船は、赤い船を攻撃しようとしたのかと……でも、鳩さんを狙っていたんですね……あの、その――鳩さんは無事なのでしょうか……私、心配ですっ!』


「「「ワオオオオオオオ! オルガ様ァァァァ!」」」


 にわかに不満の声が優勢となりつつあった会場内。しかし、モローはともかくとして、オルガの若干場違いな――しかし可憐に映る反応に、会場は一斉にオルガコールに包まれる。審判団の裁定への不信などどこ吹く風だ。


 オルガへの歓声に沸く会場内を見ていたモローは、片手で口元を隠しながら、その裏でほくそ笑む――。


(……もちろん審判団は一人残らず買収済み! 娯楽・享楽・快楽。そして金! オールセルの人間は、本当に御しやすい! 愚か愚か愚か! 馬鹿ばかり! さあ、あとはせいぜい暴れて下さいねえ、クランの皆さん?)


  ◆     ◆     ◆


(――やれやれ。ま、そうでしょうね)


 オルガコールに沸く会場の観客席。その光景を、カーヤは冷めた目で眺める。


(いまが楽しければ……資産が増えればそれでいい……全く、どうかしてる)

「良かった――二人とも、大丈夫みたい」

「そうですね……あの二人、特にカタナは心配でしたけど……」


 カーヤの内心――。

 目の前の観客達の姿によって、急速に膨れ上がる暗い感情。

 隣に座るサツキの声に、カーヤは我に返ったように気の抜けた返事をする。


「――どうしたの? カーヤくん」

「あ――すみません。ちょっと、考え事をしてて――」


 カーヤは取り繕うような笑顔をサツキに向け、改めて現在の状況を確認し始める。


  ◆     ◆     ◆


 昨日、カンパニーからクランのテロ計画についての連絡を受けたあと、カーヤは真っ先にモローの近辺情報を調査した。


 カジノ建設にあたり、住民達を蹴散らした不気味な男――。

 その男がモローとなんらかの形で繋がっていることは、前後の状況から見ても間違いないだろう。むしろ、あからさま過ぎて不気味に感じる程だ。


 ユニオンによる安全統治が行き届いたオールセルにおいては、いかに異能の力を持つ適応者といえども、無闇に力を振るえばたちまちユニオンによって討伐され、罪に問われる運命だ。

 もしモローが個人的な目的のためにあの適応者を利用し、管理しているのであれば、あれほどまでに派手な動きをさせることは、決して許さなかっただろう。


(ユニオンから討伐されることを恐れていない――その男が本当の狂人か――もしくは、モローよりも大きな後ろ盾があるか――)


 カーヤの読みはどちらも正しい。

 事実、ミストフロアにはクランという強力な後ろ盾が有り、なおかつ、自らの力に絶対の自負を持つ狂人なのだから。

 これら数々の情報は、カーヤにクランとモローの繋がりを確信させ、同時に彼の策謀に対する対抗の策を準備させる論拠ともなっていた。


「――サツキさん。ちょっと飲み物を買ってきます。サツキさんは、何か飲みますか?」

「飲み物?あ、でも……私も、カーヤくんと一緒に行っちゃだめ?」

「あっと――そうですよね。わかりました、一緒に行きましょう」


 その返答に、カーヤはすぐに隣に座るサツキに手を差し出した。


「なんだか、カーヤくんって凄く大人っぽいよね――私も、早く大人になれたらいいのに」


 なにやら案内に手慣れた様子のカーヤに対し、少しだけ納得のいかない顔を浮かべるサツキ。


「そうですか? そんなに早く大人になったって、いいことなんてありませんよ――ま、個人的には、背の高さだけはなんとかしたいところですけど」

「あは! でも、私よりカーヤ君の方が少しだけおっきいよ?」


 カーヤは冗談めかして言うと、肩をすくめて自分の頭の上で手を切る。サツキに対して何か思うところがあるのか、どうやら彼なりに気を利かせているようだ。


 会場の屋外通路へ出ると、二人はすぐ側の露天で果実の飲み物を二つ頼み、露天の横に設けられた木陰のテーブルに席を取った。


「――わあ、とってもおいしい! カーヤくんは、このジュース飲んだことあるの?」


 口いっぱいに広がるさわやかな酸味と、スッキリとした甘み。

 氷の下に閉ざされたコロニーで生まれ育ったサツキにとって、陽の光をたっぷりと浴びたその味は、感動に値するものであった。


「これは、ランブータンという果物を砕いて絞ったものですね。僕も飲むのは初めてですけど、オールセルの特産品として有名なんですよ」

「カーヤくんって何でも知ってて、博士みたい!」


 にこやかな笑顔で飲み口に口をつけるサツキ。微笑ましいサツキのその様子を見て、カーヤも思わず笑みを漏らした。


(――僕の役目は、サツキさんを守ること。この僕の忠告を無視して、馬鹿騒ぎを続ける人達はどうなってもいいけど――彼女だけは、絶対に守らないと)


 内心でそう誓い、カーヤは胸ポケットから金色の懐中時計を取り出す。

 そして熱心に竜頭を操作し始めるのであった――。

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