Chapter 7

超越者

「えっ?」

「――なんとかなったな」


 リーゼの素っ頓狂な声が、静寂の支配する薄暗い通路に響く。 


「どうして私、こんなところに?」


 そう言うと、リーゼは慌てて周囲の状況を確認する。コクピット内のコンソールを操作。前面のメインモニターと、左右の小型モニターに周辺の光景を映し出される。

 薄暗い金属の壁面に、一定間隔で光るオレンジ色の光。天井は高く、全長7メートルのヒンメルすら悠々と通行出来そうだ。天板や壁面には、いくつもの用途不明のパイプや制御盤が設置されており、この通路自体がなんらかの施設内部であることを伺わせた。


「ここ……どこなの?」

「コロニーの中さ」


 不安気に口を開いたリーゼの耳に、カタナの声が届いた。


「ここまで来れば、暫くはユニオンも追ってこれねえはずだ」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 中って……だって私達、さっきまで外に居たじゃない!」

 

 気の抜けたカタナの声は外からだ。リーゼはおもむろにヒンメルのコクピットハッチを解放すると、カタナを探してヒンメルの外に出る。ヒンメルの外は気温が低く、リーゼの息が白く染まる。その外気の冷たさは、ここが明らかに先程とは違う場所であることを、実感としてリーゼに教えていた。


「なによこれ!? さむっ!」

「ははっ、大丈夫か?」


 ヒンメルの頭頂部に座り、リーゼに笑顔を向けるカタナ。


「も、もう……本当にびっくりしたんだから!」


 リーゼは笑顔のカタナを見て安堵の表情を浮かべたが、すぐに先程までの自分の慌て様を思い出し、少しむくれ顔をして視線を外す。


「ちゃんと説明してよ。何がどうなってるの?」

「俺が跳ばしたんだ。あのままじゃ見つかってたしな」

「跳ばした?」


 カタナのその言葉に、リーゼはにわかに身を乗り出す。


「ああ、ミドリムシに頼んで、俺とヒンメルをリーゼごと別の次元に逃がしたんだ。んで、ここで元の場所に戻した」

「別の次元って――それ、次元跳躍じゃない!?」


 リーゼはヒンメルのコクピットハッチの上で、驚きの声を上げる。


「こいつらのおかげさ。俺はなんもやってねえよ」


 カタナは言うと、自身の手のひらを見つめる。その手に光る緑光は、先程ミサイルを迎撃した時に比べ、明らかに弱々しい。だがリーゼの思考は、カタナが次元跳躍を行ったという事実で一杯になっていた。


「生身で別次元に行けるなんて……それじゃあ、カタナって……」


 リーゼがさらにカタナの側に身を乗り出して言う。だがその時、ヒンメルの足元から、聞き覚えのない女性の声がかけられた。


「――待ってたわ、カタナ。百年ぶりかしら?」


  ◆     ◆     ◆


「以上。適応者三名。目標発見には至りませんでした」

「……」


 ユニオン艦隊ブリッジ。淡々と手元のボードを見ながら報告を行う副官。早めの昼食を取っていたキアランは眉間に皺を寄せ、黙ってゆで玉子を咀嚼する。


『提督ゥ! 俺はまだなんも燃やしてねえ!』

『人を寒空の下に出しておいて、すぐに戻ってこいなんて。どういうことですの?』


 目の前のモニター越し。先程帰還したばかりの適応者達が、キアランに不満の声を上げる。


「説明はのちほど行う。三人ともご苦労だった。いまはゆっくり休んでくれ」

『そりゃあないぜえ! 提督ゥ!』

『私にも言えないようなことですの? 納得いきませんわ』


 尚も食い下がろうとする二人に、黙っていた一人が言う。


『提督の配慮だ。従う他あるまい……提督、心遣い感謝する』


 男はそう言って一度礼をすると、繋がっていた通信は唐突に切断された。


「――いかがいたしますか? 提督」

「先遣隊からのデータでは、次元跳躍の痕跡は確認できなかったのか?」


 モニターから目線を外し、再度昼食にとりかかるキアラン。その顔に浮かぶ表情は険しい。


「はい。ですが、次元跳躍の痕跡を確認することは非常に難しく、先遣隊との戦闘で、ニンジャが実際に次元跳躍を行ったのかどうかは、現時点では不明です」


 副官は手元のボードを確認しつつ、再度キアランへの報告を行う。


「また、先遣隊所属士官二百三十六名の救助、全て完了しました。死者、行方不明者共に無し……ですが……」

「どうした?」

「いえ……。救助された士官から、不可解な報告が上がっているようなので……」


 言い淀む副官。彼にしては珍しい反応に、キアランは食事の手を止め、副官へと視線を向ける。


「不可解だと?」

「はい。先遣隊所属の士官は、ニンジャによって一次的救助を受けたと証言しています。ニンジャの使う緑色の発光体が、自分達を守ったと……」

「なるほど――」


 その報告に、キアランは瞳を閉じて僅かに思考を巡らす。


「気紛れか。それとも不殺主義者か……どちらにしろその証言が真実ならば、こちらとしてはやりやすくなる」

「闘いながら人員を救助する余裕があったとなれば、随分と舐められたものです」

「フン。たとえ奴が不殺主義者の善人だろうと、我々がやることは変わらん。まあ、あとで裁判を受ける権利くらいはくれてやってもいいかもな」


 そう言って、キアランは僅かに笑った。 


「だが、あの三人が痕跡すら発見できなかったこと。そして先遣隊の証言。忌々しいが、奴が『超越者』である可能性は高い、か」


 キアランのその言葉に、副官は小さく呟く。


「これは、いよいよ厄介ですな――」


 副官のその言葉には、明らかな畏怖の感情が混ざっていた――。


  ◆     ◆     ◆


 超越者――。

 それは、適応者でも不可能な、別次元領域で生存可能な力を持つ者の総称だ。

 別次元と三次元を自由に行き来することが出来る超越者は、その力で瞬間移動じみた芸当――次元跳躍を行うことが出来る。一瞬で次元を行き来する超越者の猛威に対して、三次元上でしか存在できない者達は対抗する術を持たない。超越者とは、文字通り別格の存在なのである。


「――奴が超越者であることは、ほぼ間違いない」


 キアランはトーストを食べ終えると、口を開く。


「だが、奴はあの三人との戦闘を回避した。先遣隊との戦闘では、難なく六人の適応者を倒しているにも関わらず、な」

「つまり、ニンジャの超越者としての力にも、やはり限りはあると。そういうことですな」


 続けて話す副官の言葉に頷くと、キアランはグラスの水を飲み干す。


「超越者の力の源泉や原理は千差万別だ。中には我らの盟父のように、無限とも思える力を持つ存在もいるが――少なくとも奴はそうではないのだろう」


 そこまで言って、キアランはなにか逡巡するような表情を見せる。いや――逡巡など、本来はしていられる場面ではなかった。相手が超越者であるのならば、彼らユニオン艦隊が取れる戦術は最早僅かしかない。あとは――その手を選択するか否か。それだけだった。


「やむを得ん……猊下の居室に向かう」

「よろしいのですか?」


 キアランは一瞬の逡巡ののち、目を見開いて立ち上がる。副官はその言葉に、再度の確認を行った。


「相手が超越者である以上、我が方で対抗できるのは猊下だけだ。幸い、我々の対ドローン戦術もほぼ同時に発動できる。ここで一気に攻勢をかける」 


 キアランはそう言うと、指揮を副官に任せブリッジを退室する。


(先程の猊下の様子……出来れば、我々だけで方をつけたかったがな)


 メダリオンの居室へと向かう通路を進みながら、キアランの脳裏に昨日のメダリオンの様子が想起される。


(超越者か……全く、理不尽極まりない存在だ)


 これほどの大艦隊を率いながら、たった一人の超越者に対抗する手段が殆ど無いという現実に、キアランは自身の無力を嘆く。


(だが、先遣隊の報告が真実ならば、ニンジャが神子に危害を加える可能性は低い――か?)


 しかし、キアランは一度脳裏によぎったその可能性をすぐさま排除する。


(――そんな馬鹿げた話にまで縋るとは、いよいよ俺も焼きが回ったものだ)


 そう。例えそうであっても、与えられた勅命は最善手で遂行しなくてはならない。言い聞かせるように反芻すると、キアランはメダリオンの元へと急いだ。

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