Chapter 7
号砲
大空を進む、大小様々な飛空挺の編隊。
レースに参加する各飛空挺のスラスターノズルは何も放出していない。
皆一様にエンジンの出力を抑え、横一列になって青い空を滑るように進んでいく。
彼らが目指しているのは、レース開始地点。空中に設けられたチェックリングだ。
すでに、パイロット達の目は空中に浮かぶ二つのスタートフラッグと、その間に大きく口を開けて彼らを待ち受ける、大きな光の輪を捉えていた。
リングを潜るまではエンジンの出力を上げることが禁止されている。
無論、速度を出せないからといって無為に飛んでいるわけではない。スタートを待つこのタイミング。すでに彼らの位置取り争いは始まっている。
「……アニタよ、今回のコースどう見る?」
眩いばかりに太陽の光を反射し、空を切り裂くように進む黄金の飛空挺。
大きく開いたキャノピーから顔を覗かせると、飛空挺のパイロットであるラジャン・シンは、後部座席のナビに向かって尋ねる。
「……最も大きな変更点は、海底の洞窟にチェックポイントがあることです。幅は狭く、腕のないパイロットがこのエリアでオーバーテイクを狙うのは自殺行為。まあ、隊長なら問題ないでしょう」
ラジャンのその問いかけに、アニタと呼ばれたそのナビはどこか無愛想に答えた。
「なんだ? 薔薇係を頼んだこと、まだ怒っているのか? 何度も言うが、あの薔薇は私の存在をアンネリーゼに印象づけるための、最も効果的な方法なのだ! わかってくれ!」
「……完全に忘れられてた人が言う台詞ですか……」
そうこうしている間に、目指すリングはぐんぐんと近づいていく。
ラジャンも編隊の外側から他の飛空挺との距離を詰め、自らに少しでも有利な位置取りを確保する。
「リングまでの距離、2000を切りました。エンジン出力上昇、開始します」
「よし。編隊も程よく固まっているな。この状態から抜け出せる腕を持つのは、私とアンネリーゼのみ……今年こそ私が勝利し、彼女を我が手に!」
飛空挺の編隊は、リング直前に設けられた加速を許可するラインを通り過ぎる。
編隊を構成する各機のエンジンが、唸りを上げて一斉に出力上昇を開始する。
その編隊の中にあって、気合いと共に飛空挺の操縦桿を握りしめ、スタートリングへと目を向けるラジャン。だが、そこに至り彼はとんでもないことに気付く。
「クリムゾンアップルが、いない?」
スタートリングを目の前にした間隙――。
ラジャンは、自らが最大のライバルとしてマークする深紅の機体が、いつのまにか編隊から姿を消していることに気がついた。
驚愕と共に見開かれた目で、コクピットから視認可能な前後左右に目をこらすラジャン。だが、その方角のいずれにもクリムゾンアップルは見当たらない。
「――どこだ!? アンネリーゼはどこに行った!?」
「――高速で急降下する反応を確認! 上です!」
叫ぶようなアニタの声。
ラジャンはアニタの声に反応し、上空へと目を向けた。
青く広がる空に、一点だけ、白いもやのような雲がかかる。
その白い雲をバックに、まっすぐにこちらへ迫る黒い影――。
自由落下する位置エネルギーだけを利用し、すでにトップスピード間際まで加速している深紅の飛空挺――。
現チャンピオン。アンネリーゼ・ロッテの駆る、クリムゾンアップル――。
「わっはー! それじゃ、先行くわねー!」
正にいまから加速せんとする他の飛空挺の眼前を、弾丸のような速度で深紅の機影が掠める。リーゼの駆るクリムゾンアップルは、そのまま鋭角にスタートリングを通過。通過と同時に後部スラスターに炎輪が発生。一気に加速。
鋭角なリングへの進入角を滑るような機動で補正すると、深紅の機体は青空と青い海の間に白煙の尾を引きながら、一瞬で圧倒的トップに躍り出る。
『な、なんだこれはああ!? クリムゾンアップル、圧倒的首位! って、おい! フラッグ、フラッグ早く振れ! ユニオンズカップ、チャンピオンの圧倒的首位でスタートだぁぁぁ!』
レースの模様を中継する大型モニターに、バンカー・ビューイングの叩き付けられるような絶叫が轟く。同時に巨大なフラッグが大空を舞踊り、レース開始の号砲が何度も打ち鳴らされた。
ユニオンズカップのスタートは、横並びとなった編隊の先頭がリングを通過した瞬間が合図である。編隊から離れ、超加速してリングへと進入したリーゼの作戦は、レースの審判団も全く予想していなかった。
一瞬にして空中に浮かぶ豆粒となるクリムゾンアップル。
その後方では、遅れを取った残りの飛空挺達が団子状態となって続々とスタートリングを通過する。
『なんということでしょう! 確かにスタート前の速度制限はありません! チャンピオンのこの作戦、ゲストの皆さんはどう思われますか? まずは本レースのスポンサーでもある、モローズホテル&カジノの支配人、ブルマン・モロー氏!』
バンカーの紹介と共に大型モニターが切り替わり、でっぷりと太った黒いタキシードの男が大写しになる。モローの姿に観客達からブーイングの嵐が巻き起こった。
『フッホホホ! こんにちは、みなさん! ブルマン・モローです。いやぁ、流石はチャンピオンのアンネリーゼ嬢。ルールの盲点をついた、見事な作戦……と、言いたいところですが! チャンピオンがあのような姑息なことをしては示しがつきませんよ! これは、あとで大きく減点対象となるのでは!? フホッ!フホホホ!』
「「ブーブーブーブー!」」
画面の中のモローは、いかにも苦心しているという表情で、リーゼのスタートに対して意義を唱えた。再び巻き起こる大ブーイング。
『減点ですか? これはまた手厳しい意見です! では、もう一人のスペシャルゲスト! オルガ様! オルガ様はいまのスタート、いかがでしたか?』
『は、はい! あの、あまり詳しくないので良くわからなかったのですけれど……なぜ、あの赤い飛空挺だけ、あんなにスピードを出せていたのでしょう?』
マイクを向けられたオルガは、若干緊張した様子で逆に尋ねる。
画面に映った彼女の姿に、モローの時とは打って変わって大歓声が巻き起こる。
『なるほど! では、それについて解説しましょう! まずは――』
オルガからの質問を受けたバンカーは、得意げな表情で背後からフリップボードを取り出すと、オルガや観衆に対し丁寧に、わかりやすくいまの状況を説明していく。
そもそも、空中での機動は位置エネルギーと揚力の兼ね合いとなる。簡単に言えば、高いところから落下すれば、当然その物体の速度は増す。ということだ。
自転車レースで例えるならば、スタートリングを通過するまでの参加者達は、自転車のペダルを漕ぐことを禁止されていたに等しい。
だが、ペダルを漕ぎさえしなければ、速度を上げようと構わないのではないか。そう考えたリーゼは、エンジンを使わずに速度を上げる方法として、高空からの自由落下という機動を行ったのである。
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