Chapter 4

エルフ

「ねえ――カタナって、なんで何もしないの?」

「んんん? いきなりなんだよ?」


 オレンジ色の室内灯に照らされたリーゼが、水の入ったグラスをテーブルに置いてカタナに尋ねる。

 時刻は夕食時。先程まで美しい夕焼けを映し出していた海面も、いまは陸地に設置された街灯の明かりを、ゆらゆらと反射するだけとなっていた。


 砂浜に設けられた、店舗の半分が海に突き出した形状の食堂。

 穏やかな波の音に、型の古い音響機器から流れる落ち着いた音楽――。

 落ち着いた食事の時間を求める観光客には、ぴったりの店である。


「――ミドリムシの力で、好き勝手しようとか思ったりしないのってこと」

 

 リーゼは自分用のホワイトシチューを平らげ、丁寧にテーブルサイドに置いてから、カタナの方を向いて言った。

 彼らはいま、少し早めの夕食の真っ最中だ。本来であれば、再会を祝してリドル夫妻と食卓を囲むところだが、リドル夫妻は総力を挙げてクリムゾンアップルの整備を行っている。夫妻の邪魔になるわけにもいかないため、彼らはリーゼの案内で、この食堂へとやってきたのである。


「そんなこと言われてもな。なにすりゃいいんだ?」

「そう言われると、私も困るけど――」

「だろー?」


 そう言うカタナの両手にはこんがりと焼けた骨付き肉だ。

 カタナから逆に尋ねられ、リーゼは困ったように考え込んでしまう。


「そうね……カタナは、何かしたいこととかないの?」

 

 リーゼは水の入ったグラスに口を付けると、カタナに尋ねる。 


「そりゃああるぜ! うまいもん食って、色んなとこ行って、そんで寝る!」

「わたしも!」

「ちょ、ちょっと! 私が聞いてるのは、そういうことじゃなくて――」


 当然ながら、リーゼがカタナに尋ねているのはそういうことではない。

 ミドリムシの力を使えば、カタナはユニオンの第一使徒・極光のメダリオンにすら拮抗する強力な超越者である。

 その力を自らの欲望や野望のために使えば、それこそユニオンのような国を作ることも、傍若無人に思うがままの行動をすることもできたはずだ。


「――無駄ですよリーゼさん。そういう話は、僕が何度もしてますから」


 そこに、先程まで沈黙を守っていたカーヤが呆れたように口を開く。


「そういえば――カーヤくんは、ずっとカタナさんと一緒だったって――」

「はい。ずっとと言っても、まだ一年しか経っていませんけどね」

「カーヤにはいつも助けてもらってるんだぜ! なっ?」


 そう言って笑うカタナ。だがカーヤは、首にかけたナプキンを丁寧に取り外し、大げさに嘆息してみせる。


「リーゼさんも気付いているんじゃないですか? カタナはこんな性格だから、ミドリムシを使いこなせるんですよ」

「あ、やっぱりそうなの? ミドリムシとカタナの考え方が、似てるっていう――」


 空腹を満たしたリーゼは、すっかり研究モードのようだ。

 リーゼにとって、ミドリムシの話は、いくら聞いても聞き足りないほどに興味をそそられる分野なのだろう。


「あいつらはさ、好きなとこにいたいんだ。そこらへんの石ころを大切にしてるやつだっているし、でっかい雲をおいかけてるやつもいる。そんでもって、どこにでもいるんだぜ」

「そうなんだ? じゃあもしかして、私の周りにも、見えないだけでちゃんといてくれたりするの?」


 リーゼは期待するようにカタナの側へ身を乗り出す。

 その様子を見て、彼女の隣に座るサツキがくすりと微笑んだ。


「いるさ! ただ、そういうミドリムシは俺にも見えねえから、たぶんだけどな」

「なら、ミドリムシが私を助けてくれたこともあったのかな?」

「ああ! きっとな!」


 カタナは自分へと向けられるリーゼの瞳に笑みを浮かべ、そう答えた――。


 人も、草木も、鉱物に至るまで――。

 この世界を構成するあらゆる存在にミドリムシは宿る。 

 気まぐれで臆病。普段は何も考えていないように見えて、実はただひたすらに大切なものをじっと見守っている――。

 まるで、おとぎ話に出てくる妖精のような存在。

 それがミドリムシ――カタナの友。


 カタナはミドリムシについて、そう説明してくれた。


「――そう聞くとミドリムシって、結構のんびりしてるのね」

「私も、お友達になりたいなぁ――」


 カタナの話に、サツキは羨ましいとばかりに口を開いた。

 リーゼも初めてミドリムシの話を聞いた時には、カタナだけしか感知できないなんて不公平だ!と憤慨したものだ。無論、リーゼはいまでもミドリムシの感知を諦めてはいないのだが――。


「でも例えば、何かあったときに備えて、普段からもっとミドリムシを集めとこうって思ったりはしないの?」


 木製のテーブルに身を乗り出したまま、リーゼはカタナの蒼い瞳を覗き込む。

 93番コロニーの戦いで殆どのミドリムシを失ったにも関わらず、あれ以降カタナは全くミドリムシを集めようとしない。自らの力が、ミドリムシの総量に比例しているにも関わらず――である。


「できるけど、俺はあんまりしたくねぇんだ。理由もないのにとりあえず一緒に来てくれ! なんて、頼めねえよ」


 カタナはさも当たり前のことのように答える。だが、リーゼにとってその答えは予想外であったらしい。


「そ、そういうものなの? もっとこう、変な価値観で対話してるのかと思ってたんだけど、意外と普通なのね……」

「――積極的に彼らを使うつもりも、招聘するつもりもない――僕も初めの頃は、彼らの力をもっと有意義に使うようカタナに何度も言いましたけど。最近は諦めました」

「え?」


 不意に口を開いたカーヤの言葉に、リーゼはサツキの母――アマネ博士から聞いたニンジャという存在の話を思い出す。カーヤは、カタナからニンジャについて聞いているのだろうか?


「どうして、そう思うの?」


 そう――かつて、ミドリムシを使えるのはカタナだけではなかった。まさに、先程リーゼがカタナに言ったように、その力で『好き勝手』していた者達は存在した。


「ミドリムシの力は強すぎるんですよ。はっきり言ってカタナは馬鹿ですけど――その力で悪いことはしなさそうですから」

「――そうかも!」

「なっ!? 俺は馬鹿じゃねえ! 馬鹿って言う奴が馬鹿なんだぜ!」


 ――リーゼの知るもう一人の超越者。極光のメダリオン。

 彼は、とても同じ人間とは思えない程の恐怖と絶望を周囲にまき散らしていた。超越者という存在が持てる力の全てを破壊へと注ぎ込めば、皆あのようになるのだろうか。

 世界でも希な存在である超越者は除くとしても、それなりに存在する適応者や、強大な権力者。そういった力を持つ者達の横暴を、リーゼは何度となく見聞きしてきた。なるほど。確かにカタナならば、そんな力の使い方はしないだろう。


「とはいえ、調子に乗らないで下さいよ! カタナがもっとミドリムシを積極的に集めてくれれば、あなたを心配する僕の心労は、遙かに少なくて済むんですからね!」

「そ、それは、俺も悪いと思ってるぜ……でも、馬鹿は酷いだろ!」


 腕組みをして眉間に皺を寄せるカーヤと、まるで子供のように反論するカタナ。見た目はカーヤの方があきらかに子供だが、これでは立場が完全に逆である。


「カーヤくん、カタナさんのパパみたい!」


 目の前の二人の様子に、リーゼとサツキも揃って笑った。


「くっそー! バカにしやがって!」

「ごめんごめん! 馬鹿にして笑ったんじゃないの。ミドリムシの話、とっても面白かった! また今度、色々教えてね!」


 リーゼはそう言って、拗ねたようにそっぽを向くカタナを見て微笑んだ。


(――でも、サツキのことが落ち着いたら、やっぱりカタナともさよならなのよね……って、あれ?)


 カタナとの別れ――。


(なんか……凄く寂しいかも……)


 その事実は、リーゼの心に予想外の困惑をもたらしていた――。 

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