エルフ.02

 ――夜も更け、店内は食事から談笑の場へと移行しつつある。

 特製の果実酒と軽快な音楽が、フェスティバルで訪れた大勢の客達を否応なしに盛り上げていく。

 その喧噪を中、ウェイターに会計を済ませ、食堂をあとにしようとするリーゼ達。だが、その時である――。


「てめえ! せっかくの俺の酒を台無しにしやがったな!」


 突然、店内にいくつものガラスが割れる音と怒声が響いた。店内の視線が一斉に音の場所へと集まる。


「す、すみません……! お金は、お支払いします。許していただけませんか」

「金で俺達の盛り上がりが買えるか? ムードっつーもんがあるんだよ!わかってんのか? アァ?」


 散乱するグラスと、アルコールで水浸しになったフロア。

 そしてその前で地面に両膝をついて倒れる老紳士と、紳士の背を支えて謝罪する老婦人。二人の周囲を囲み、口々に怒声を浴びせるユニオンの士官達の姿――。

 彼らの数は五人。軍属らしく、皆一様に鍛えられた屈強な体つきをしている。暴れられれば相当に厄介であろう。

 彼らは遠目から見てもわかるほどに酔いが回っているようだ。二人の謝罪も耳に入っているのかどうか――。

 少なくとも、彼らの怒りが簡単に収まることはなさそうに見える。


「お、お客様! 店内での騒動はご遠慮くださ――あああ!」

「邪魔だ! ひっこんでろ!」


 すぐにウェイターが士官達をなだめようと割って入るが、哀れにも彼は大柄な士官に首根っこを捕まれると、ゴミくずを捨てるかのように空いたテーブルへと放り投げられてしまう。

 飛散する食器と丸テーブル。ここに至り、他の客達もさすがに身の危険を感じたのだろう。家族連れなどは我先にと席を立ち始めてしまう。


「こわい……」

「なによあれ? 止めた方がよさそうかな」


 リーゼの服の裾をぎゅっとつかみ、隠れるサツキ。

 同時に、リーゼも腰のホルスターに手をかけるようとする――だが、リーゼがホルスター内のガンバンジーに触れるよりも早く、その騒ぎに介入した者がいた。


「なんだぁ!? てめえ!」

「……」


 腰まで届きそうな美しい翡翠色の髪。特徴的な長く尖った耳。そしてその背に背負った巨大な弓――。

 その長身の男は、たったいまウェイターを軽々と投げ飛ばした大柄な男の手首を掴み、厳然と周囲の士官達を見回した。その瞳は、氷の刃のように鋭く、冷たい。


「エルフ――ですね。僕もこの目で見るのは初めてです」

「――それって、本に出てくる――」


 その様子を遠巻きに眺めながら、カーヤが小声で呟く。

 カーヤのその言葉に、サツキは驚いたように尋ねた。


「はい。僕も聞いた話なので、本当かはわかりませんけど――彼らエルフは、自然に順応することで全球凍結を生き延びた人々と言われています。噂では、ほんの少しの水と、陽の光さえあれば生きていけるそうですよ」

「そうなんだ……本当にお話の中に来たみたい……」


 サツキは思わず開いた口に両手を当てて驚嘆の声を上げる。

 だが、その光景に釘付けになっているのは彼女だけではない。

 周囲で状況の推移を見守る客達もまた、丸太ほどもある二の腕を持つユニオンの士官を、その細身の男が苦もなく押しとどめる光景に、完全に目を奪われていた――。


「お、おま――! おまえっ……! なにしやがる!?」

「……クズが」

「あ、あがががが!」


 エルフが僅かに腕に力を込める。男が地面に膝を折り、腰をのけぞらせながら激痛の叫び声を上げる――にわかには信じがたい光景だ。

 そして、周囲で呆気にとられる残りの士官達が反応するよりも早く、エルフは押さえつけた腕をさらに強く捻りあげる。大柄な士官の骨がきしむ。鍛え上げた自慢の腕を軽々と捻られた士官は、最早苦悶の声すら上げることができない。


「やばいな――」

「え?」


 カタナの声――リーゼは反射的にうしろを振り向く。そこにカタナの姿はない。


「――やめとけよ。それ以上やったら折れちまう」

「……」 


 次にカタナの声がしたのは食堂の中央――。

 腕を限界付近までまでねじられて悶絶するユニオン士官。カタナは、士官の腕を捻り上げるエルフの肩に手を置いて、彼を制止していた。その言葉に、ゆっくりと振り向くエルフ。鋭い瞳が、カタナの蒼い目を射貫く。


「――カタナ!? いつの間に――って、そっか」


 一旦は驚いたものの、カタナの持つ次元跳躍に思い当たり納得するリーゼ。

 その彼女の目の前を、微弱に輝く緑光の粒子がカタナの元へと飛んでいく――。

 この程度の短距離跳躍であれば、ミドリムシ喪失のリスクは少ないということだろう。


「あががっ――! あがっ!」

「次元跳躍か……」


 エルフはカタナの方を向くと、僅かに驚きの表情を浮かべて呟くと、士官を掴んでいた手を解放した。

 その様子を確認したカタナは、エルフの肩から手を離し、笑った。


「……甘いな」

「――て、てめえら! ふざけやがって!」


 エルフはカタナに対して促すように、ユニオン士官達へと視線を向ける。

 そしてその視線の先――先程まで腕を捻られていた士官は立ち上がり様、怒声とともに腰から延伸式のサーベルを抜き放つ。他の四人の士官も、怒りに燃える仲間の姿を見てあとに引けなくなったのか、次々に二人に向かってサーベルを構えた。

 店内の光を鈍く反射する刀身――それを見た客達から悲鳴が上がる。


「ちょ、待てよ! 俺はあんたらを助けてやったんだぞ!?」

「――クズは、人語を解さない」


 カタナは未だに腰を抜かして床に座り込んでいる老夫妻を見る。

 二人は両手を合わせ、地面に額をこすりつけて必死に祈りを捧げているようだ。乱闘ともなれば、二人が巻き込まれてしまう可能性も高いだろう。


「右も左も金持ちだらけで、苛ついてたところだ……! まとめてサンドバッグになってもらうぜ! 俺達の気が済む頃には、死んでるかもしれねえがなあ!」

「カタナ! 私も手伝う!」


 その様子に、リーゼは今度こそ腰のホルスターに手をかけ、食堂の中央へと駆け出そうとする。だが、今度はカーヤの小さな手がリーゼを止めた。


「なんで止めるの!?」

「待ってください! カタナなら大丈夫ですよ。まあ、リーゼさんがどうしてもあれに混ざりたいというなのなら、止めはしませんけど」


 サーベルを構えた士官達はじりじりと間合いを詰める。先程の例もある。彼らは明らかにエルフの予想外の力を警戒している。エルフは彼らの警戒を感じ取ると、目を閉じ、呆れたように嘆息する。そして、腰から異様な形のクロスボウを取り出し、構えた。


「なっ!?」

「――そこで死ね」


 青ざめる士官達。エルフはその言葉と同時に、何の躊躇もなくクロスボウのトリガーを引く。


 サーベルを構えたまま、死の恐怖に凍り付くユニオン士官。

 弦の跳ねる音とともに聞こえる風切り音――。

 次に聞こえるのは当然、強力無比なクォレルに撃ち抜かれた士官の悲痛な叫び声――ではなく、いくつかの物体が、少し離れた水面に次々と落下していく水没音。


「――お、溺れる!? 俺は泳げねえんだあ!」

「なんでいきなり海に!?」


 たったいままで、遠巻きに見つめる大勢の人々の前にいた筈のユニオン士官達。だが彼らの姿は忽然と食堂内から姿を消す。

 人々が訝しげに見つめる中、先程の士官達の叫び声が食堂のテラス横に広がる海から響き渡る。ざわざわと、店内の人々がテラス際に集まる。その視線の先で、士官達が方々の体で浜に上がり、夜の街へと逃げ出していくのが見えた。


「……」


 エルフは、感情の読み取れない表情で自身のクロスボウを見る。12本の弾倉に、クォレルは11本。


「ほら、返すぜ!」


 笑みを浮かべながらエルフの横を通り過ぎるカタナ。カタナはすれ違いざま、エルフに向かって彼のクォレルを投げ渡した。

 エルフは放り投げられたクォレルを掴み取ると、目を僅かに細め、老夫妻を助け起こすカタナの背に目を向ける。エルフの瞳は、カタナの周囲で僅かに灯る緑色の光をはっきりと捉えていた。


「それが――お前のやり方か」

「みんな怖がってただろ。もっと怖がらせてどうすんだよ?」


 助け起こされ、カタナに何度も感謝する老夫妻。カタナは二人に笑みを向けていくらか会話すると、今度は散乱した机の裏に飛ばされてしまったウェイターの方へと向かう。


「カタナ! 大丈夫だった?」

「なあリーゼ! 悪いけど、片付け手伝ってくれよ!」

「片付けって……? ここ片付けるの? 私達が?」


 カタナはウェイターを助け起こすために身を屈めながら、駆け寄ってきたリーゼ達に声をかける。カーヤはカタナのその言葉に、顔を左右に振って嘆息した。


「ああ。ここの飯うまかったし、みんなも逃げちまったし、それくらいしてやろうぜ!」

「――私、カタナのお手伝い、する!」

「ちょ、ちょっと! ――もう、しょうがないわね!」


 カタナに向かって駆け寄るサツキに、困惑した声を上げるリーゼ。

 納得いかないという表情をしつつも、リーゼもまたその輪に加わった。


「またこのパターンですか……」

「みんなありがとな! 助かるぜ!」


 最後にカーヤが加わり、カタナ達は全員で片付けを始める。

 そこに、助けられた老夫妻とウェイターが加わり。やがてそれを見ていた他の客の中からも、一人、また一人と手伝う者達が出始めていく――。


 ――当然、先程の騒ぎによって、店内の客は相当に減ってしまった。だが、再び流れ始めた軽快な音楽とともに、賑やかな雰囲気が少しずつ取り戻されていくのであった――。


  ◆     ◆     ◆


「……」


 誰も居ないカウンターに代金を置くと、エルフは一度だけ、人々とともに店内を片付けるカタナを見た。そしてそのエルフ――ベリルは店の門をくぐって夜の闇に消える。


「――俺をほったらかしにして、一人でお食事ですかぁ? おいしかったですかぁ? あ、俺? 俺はそこの焼き鳥屋で焼き鳥食べた。一人で」


 闇の中から、ベリルにかけられる声――。

 紫髪に特徴的なマスク――ミストフロアである。


「――なぜ、俺の場所がわかった」

「根暗様の場所は当然暗い場所。もしくは、もっと暗い場所! どっちにもいなけりゃ、海か森。ギャハッ」


 ふらふらと、痩せた体を左右に振って闇から現れたミストフロアを一瞥すると、ベリルは歩みを進める。向かう先は海岸沿いの岩礁地帯だ。


「あの店、ずいぶん騒がしかったじゃねえか――何人殺した?」

「……」

「あ? 殺してねえのか? 悪いもんでも食ったか?」


 無言のベリル。ミストフロアは驚いたように声を上げる。


「……この街に、所属不明の超越者がいる。蒼髪の少年――カタナと呼ばれていた」


 歩みを進めるベリルの背後。左右に大きく揺れながら話すミストフロア。その全ての話を無視すると、ベリルはたったいま食堂で会ったカタナについて話し始める。


「それマジか? こんなクソ狭い場所に超越者が二人もいるわけ? あー、終わったわー。ここマジで終わったわー。ご愁傷様だな。ナムナム」

「あのカタナという少年――おそらく、超越者としても上位の使い手。もしあの少年が介入すれば、俺達の計画遂行は難しくなるだろうな」


 岩礁地帯の奥、ひび割れた崖のさらに奥――。

 岩と岩の隙間の中に、迷彩塗装を施された黒い飛空挺が現れる。その場所では何人かの作業員が整備を行っており、作業員達はベリルとミストフロアの姿に驚くこともなく、作業を継続する。


「それがどうした?上 だろうが下だろうが関係ねえ。邪魔すれば消す。それに、だ――」


 ミストフロアはその飛空挺の船底をこんこんとノックし、耳を当てて返事を待つそぶりをしたあと、マスクの下で邪悪な笑みを浮かべる。


「俺様の力と、てめえの予知。この組み合わせに勝てる奴。いるか? いねえよなぁ? 俺達は無敵だ。だろ? ベリル」


 星の光すら届かぬ岩と岩の裂け目。薄暗い中に灯るいくつかの照明の中。

 爛々と輝く二つの目が、不気味に光っていた――。

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