Chapter 4

 深く暗く。吸い込まれそうな程の闇を湛えた波一つ無い水面。目的に向かい、夜の海を進む船が一隻――。


「――それで、私はおじいちゃんにこう言ったの。その理論じゃ絶対に宇宙には行けないわよ、ってね!」    


 闇の中、不気味に浮かび上がる墓標のような廃ビル群。そしてそれをゆっくりと迂回していくクレーン船。操舵室で舵を切るのはリーゼだ。彼女は仄暗いブルーライトに照らされながら、片手で舵を、もう片方の手で大げさに手を振りながら、楽しげに何事かを話している。


「これであなたにもわかったでしょ? この空の彼方に広がる宇宙が、どれだけロマンと謎に満ちた場所なのか!」


 そう言うとリーゼは、らんらんと輝く瞳で足元を覗きこんだ。だが――リーゼのその視線の先。丁度一人分の空間が空いた操舵輪の根本には、薄手の毛布に包まってすやすやと眠るカタナの姿が――。


「なんでっ! 寝てるのよっ! ぜんっぜん! 聞いてないじゃない!」

「いてっ! ――な、なにすんだよ!」


 安らかなカタナの寝顔に憤慨したリーゼは、ゲシゲシと容赦なく革製のブーツのつま先でカタナを小突く。カタナはリーゼの足蹴を必死で防ぎながら飛び起きた。


「あれ? ドリルや火炎放射器は駄目でも、私のキックは通用するのね?これは興味深いわ……!」

「なわけあるか! 俺が死ぬようなことじゃねえから、ほっとかれてるだけだよ!」

「ふーん、そういうものなの?」


 不思議そうな顔を浮かべ、確認とばかりに足蹴りを繰り返すリーゼ。逆に言えば、最初の夜にカタナがリーゼから受けた詳細不明の仕打ちの数々は、ミドリムシ達がカタナの身に死の危険を感じたということであり、やはり洒落にならない。


「あなたが人の話を聞いてないのがいけないのよ!」

「眠いんだからしょうがねえだろ! 昨日寝れなかったのは誰のせいだと思ってんだ!」


 しばし言い合いつつも、カタナは気が済んだように再びもそもそと操舵輪の下に潜り込んでいく。ふくれ顔のリーゼも気を取り直し、しっかりと船の舵を握りしめ――なんと再び宇宙について話し始める。


「いい? 今度は寝たら駄目だからね!」

「続くのかよ!?」


 今は夜明け前――。

 リーゼがカタナを拾ってから丸一日が経過。もう暫くすれば、東の空に朝の光が差し始めるだろう。


「でも、ここまで大きい建物、他の場所じゃなかなか見られないわよね」


 リーゼは操舵室に備え付けられた旧式のレーダーで、周囲の障害物を確認しながら慎重に舵を切っていく。その途中で次々と眼前に現れる巨大な廃ビル群。それらを見上げると、リーゼは思わず感嘆の声を上げた。


 遥か昔。全球凍結前夜――。

 ある一人の天才が生み出した画期的な新理論。その理論は、それまでその存在すら知られていなかった未知の領域へのアプローチを、実証可能な技術として確立させた。

 限られたエネルギーや食料しか無かったはずのコロニーで、人類が五百年もの間生き永らえることが出来たのも、その理論の功績によるところが大きい。だが、人類は生き残ることと引き替えに、生存に必要な知識以外の多くの財産を失ってしまった。


 作れるものと作れないもの。

 増えたものと減ったもの。

 常識と非常識。


 旧時代と比べ、あらゆるモノが歪な凹凸を成している。それが、今の人類の現状だった――。


「もっともっと色んな物をこの目で見てみたいけど、私の一番のおすすめはやっぱり宇宙ね! 宇宙ほどわくわくする場所は、他に無いもの!」


 再び大きくなり始めた身振り手振りを交えてリーゼが意気込む。どうやら彼女は、その宇宙というものに随分ご執心な様子だ。

 カタナは今度こそ、真剣な顔でリーゼの話を聞いていた。無論、その内容を理解できているかどうかは別として。


「でも、なんでリーゼはその宇宙ってとこに行きたいんだ? いまの話じゃ、宇宙ってのは広すぎてなんもないんだろ?」


 リーゼの必死の説明が功を奏したのか、カタナが不思議そうにリーゼに尋ねる。


「別に、何かがあるから宇宙に行きたいってわけじゃないわ。私は机上の理論だけじゃ満足できないの。自分の目で見てみたいのよ!」

「なるほどなぁ。なんかそう言われると、俺も見てみたくなってきた!」

「そうでしょ!」


 リーゼは得意気な顔で頷く。そして少し寂しそうな笑みを浮かべ、正面の闇を見据えた。


「私のお父さんも、お母さんも、お祖父ちゃんも……みんな、私なら絶対に宇宙に行けるって、いつも言ってた」

「へー、賑やかそうでいいな」


 カタナは、素直に思ったことを口にしただけだ。だがリーゼは、寂しそうな笑みのまま、ゆっくりと続けた。


「でも、みんな私が宇宙に行く前にに死んじゃった――今は、私だけ――」

「……そうなのか」


 その話に、カタナはそれだけ言って、思わず押し黙る。リーゼのその言葉と表情からは、その別れがあまり好ましいものでは無かったことが伝わってきたからだ。


「ううん。気にしないで。今はもう大丈夫。だって、みんなが教えてくれたことは私が受け継いでるもの」


 リーゼはそう言うと、殊更明るい調子で話を続けた。


「私の家族は凄い変人だって言われてたのよ。宇宙なんて行ったって、何の役にも立たないって。でも、そんなことない。私が絶対にそれを証明してみせるわ!」

「ああ。リーゼならきっとできるさ!」


 カタナはリーゼに向かって屈託のない笑みを浮かべ、そう言った。

 ――今のリーゼが持っている技術・知識・資材では、彼女の夢である宇宙到達を成し遂げることは出来ない。何もかも足りない。故に、彼女は全てを求める。例えそれによって、どのような危険と遭遇しようとも構わない。彼女にとっては宇宙への夢を追い続ける『今』こそが全てであり、生きる意味であったのだから――。


 ――そして、その今である。 

 リーゼとカタナを乗せて進むクレーン船は、大きく93番コロニーを迂回。丁度コロニー中央の塔を挟むようにして、ユニオン艦隊とドローンが戦闘を継続する地帯とは反対の方角から塔へと迫っていた。


 93番コロニーの中央にそびえ立つ、見上げるほどの高さの建造物――それが『塔』だ。いま、その塔の周辺空域では幾つもの閃光が灯っている。塔に近づけば近づくほど大きくなる爆発や砲撃の音――。それらの音が、ユニオンとドローンの戦闘が継続中であることを伝えていた。


「カタナ。あのドローン達、おかしいと思わない?」

「どこがだよ?」


 リーゼが宇宙の魅力について、その一割程を語り終えた頃。闇の中を見据えていた彼女は、不意に足元のカタナに声をかけた。

 ちなみに、カタナが先程からリーゼの足元にいるのは、ユニオン艦隊にカタナを発見されないためだ。艦隊がカタナを敵と認識している以上、見つかればこの船ごと即攻撃の憂き目に合うのは目に見えている。


「数が多過ぎる――ドローンを動かすエネルギーには目を瞑るとしても、あれだけの数を揃えるための資材、一体どこから手に入れてるの?」


 操舵室に取り付けられた、壊れかけの暗視望遠鏡を覗き込みながらリーゼが言う。このコロニーが噂通りの超技術を保有していたとすれば、ドローンのエネルギーはリーゼも知らないなんらかの方法で賄えるかもしれない。だが、建造や修復に必要な資材はそうはいかない。どこからか調達する必要があるはずで、当然その量も膨大になる。


「あれは――直してるんだ。すげぇ速さで」


 言っておいてなんだが、リーゼは自分の問いに対する答えを求めてカタナに尋ねたわけではない。だが、意外にもカタナは彼女に答えを説明し始める。


「直すって……壊れたドローンを?全部?」


 そんな馬鹿な。大体なんでカタナがそんなこと――だが、リーゼはそこまで考えて何事かに思い当たる。


「直すっていうか、戻すだったかな。あのコロニーで作ってる物は、なんでも元に戻せるんだ。なんかして」

「カタナ――その話、あなたにお願いした人から聞いたんでしょ?」

「おー! よくわかったな!」


 足元から顔を覗かせて、笑みを浮かべるカタナ。


「やっぱり――それで、なんかして戻すって、なによ?」


 リーゼは頭を振って嘆息する。いい加減彼女も慣れてきていたが、カタナの説明はどれもこれもよくわからない。きっと、元から説明をするのは苦手なのだろう。


「たしか。時間を遡るとか言ってたような――」


 だが、思い出すように言ったカタナの次の言葉は、リーゼを驚愕させる。彼女はにわかに表情を変えると、思わずカタナに聞き返した。


「時間を遡るって……そう言ってたの? あなたに頼んだ人が?」

「ああ。よく覚えてねえんだけど、たぶんな」


 カタナははっきりとそう答えた。そしてその答えに、リーゼは自分の胸の鼓動が早まるのを自覚する。もしその話が事実だとすれば、なるほど、それは確かに途轍もない技術だ。リーゼにも、体感時間をコントロールする技術ならば心当たりがある。だが、対象の固有時間を操作するとなると話は別だ。


「それはとても興味深いわね……他に聞いてることってないの?」


 リーゼは足元を覗き込んで尋ねる。


「いや、技術とかの話はそれくらいかなぁ?」

「そっか――残念」


 もしカタナの話の通りにドローンの固有時間が過去に――つまり、破壊される以前に何度でも遡れるとすれば、ユニオンは無限に復活するドローンを相手に、無駄に戦力を消耗していることになる。当然、単純な大戦力だけでは突破するのは難しいだろう。


「ただまあ、あいつらも結構やるからな。そろそろなんとかするんじゃねえか?」

「そりゃあ、あなたをまんまと撃ち落とした相手だものね?」

「う、うるせー! 次やったら俺が勝つ!」


 からかうようなリーゼの言葉に、憤慨して拳をぶんぶんと振り回すカタナ。だが実際のところ、カタナは艦隊の指揮官が侮れない人物であると痛感していた。

 通常の兵器群では到底太刀打ち出来ないであろうドローンの群れ。その大軍勢を前にしても、あの指揮官はすぐに打開策を見つけ出す。カタナは、そう確信していた――。


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