久しきヒト 第四節

 埠頭周辺は広大な倉庫や工場などが立ち並び、それでいて人通りはきわめて少ない。人の入れ替わりの激しいソルプエルトのこと、廃棄された倉庫などいくらでもある。必然的に、埠頭はダウンタウンの中でも特に治安の悪い地域である。ただの一般人がうろつきでもすれば、十分もしない間にチンピラの洗礼に会う。観光客のジェイナス・アナグラムとリンナ・バールマンもそんな哀れな被害者の一例であった。


「ようよう、兄ちゃんいいことやってんじゃないの」


「な、なんですか」


ソルプエルトのアップタウンは、治安も良く景観も良好だ。近年富裕層の間では、リゾート地としても注目されている。だが、旅行代理店やガイドは事前に必ず『埠頭やダウンタウンに近づいてはいけない』とノコノコやってきた観光客に警告する。だが、親切心からの言葉であっても、怖いもの知らずの若者は無視してしまうこともよくある。


「ちょっと俺らいま金がなくてさあ、貸してくんねえ?」


「あとそのダッチワイフも貸してくれや! ギャハハハ!」


薄汚れた青いジャケットを身に着けた男の言葉に、黒服サングラスの男が手に持ったS&Wの違法コピーらしきリボルバーを揺らしながら追従する。カップルは建物と建物の間にある薄暗い路地に連れ込まれ、チンピラ三人に包囲されていた。近くで鉄くずを積んだ貨物船が積み下ろし作業をしているため、凄まじい騒音が響いている。いくら騒いだところで誰かが気付くことはないだろう。たとえ銃声が鳴っても、である。


「だ、誰がダッチワイフよ!」


憤慨するリンナであったが、左手でジェイナスのシャツをぎゅっと握っている。婚前旅行にソルプエルトに訪れ、美しいビーチや華美なカジノを楽しんでいた時間も今は昔の話である。二人の顔に浮かんでいる表情は恐怖一色だ。それなりに裕福な家庭に育った二人に、このような粗野な男たちに銃を突きつけられるような経験など今まで無かった。


「すまねえすまねえ、あんまり不細工なもんで勘違いしちまったぜ」


「顔見なけりゃ穴はあるんだ、似たようなもんだろ」


「違いない!」


下卑た笑みを浮かべるチンピラ二人にリンナは顔を蒼白にして後ずさる。罵倒されることよりも、この異常な状況の方がよほど彼女の精神に負担をかけていた。一方のジェイナスは、これまた水死体のような顔色で、チンピラたちの最後の一人を見つめていた。赤い上着姿の男は、熱っぽい視線をジェイナスの股間に向けている。


「良い身体してんじゃーん。股間の方はどうだぁ? ええ、ガキみたいに小っちゃいのか? 意外とでかいのか? どっちも大好物だぜ?」


赤服はゲイであった。


「俺らはオンナ、こいつはオトコ。そういう役割分担ができてんだ。まあ諦めな? 金出して、それから俺らをしっかり楽しませりゃあ命はとらねえからよぉ」


黒服の言葉に手下二人は頷いて見せ、持った武器を鳴らして威圧した。工作精度ガバガバの密造品なため、動かすたびにカチャカチャと異音がする。カップルはさらに後ずさり、そして背中に壁が当たって止まった。コンクリート製の倉庫の壁はとても上部層であり、破って逃げるなどと言う芸当はできないだろう。逃げ場など無い。ジェイナスは苦渋に満ちた表情を浮かべ、肩にかけた小さなバッグに手を突っ込む。


「おぉッ!?」


 それとほぼ同時に、鈍い銃声が響き黒服が奇声を上げた。尋常な声ではない。悲鳴とも違う。大量の空気が喉に流れ込んで発生したような、何の感情も伴っていない声。そして、ゆっくりと地面に倒れる。黒服の首は半分肉が抉り取られ、壊れた水道管めいて血を流し続けている。続いて鋭い銃声が二発。青ジャケットの胸に大穴があく。


「なん……」


それが青ジャケットの最後の言葉だった。口と鼻と胸の穴から血を垂れ流しつつ、青ジャケットはゆっくりと倒れる。潮の臭いが漂う裏路地に、鉄の臭いが広がり始める。一瞬遅れて、赤服が銃声のした方向へ振り向いた。彼が見たものは、バカみたいな速度で自分の顔に近づいてくるコンバットグローブに包まれた拳であった。悪魔的な威力を秘めたストレート・パンチが赤服の顔面に炸裂し、180cm近い長身を5mも吹き飛ばした。コンクリートの地面に折れた幾本かの歯が叩きつけられる。拳の主、葛城は地面に転がる赤服を更に蹴り飛ばしてうつ伏せにさせると、無言でその背中に座り込む。


「なっ……ッ!?」


カップルはそのあまりの早業に呆気にとられていたが、新たな足音にはっとした様子でそちらに目をやった。そこにいたのはナインだ。潮風に夏用コートの裾をはためかせながら、手に持った拳銃をジェイナスらに向けている。.45口径の銃口が奈落を思わせる昏さを湛えて二人を睨みつけた。


「あ、あなたは……?」


ナインは答えない。真っ暗い……そう、銃口と同じような色をした瞳で、無感情にジェイナスを見ている。白手袋に包まれた細い人差し指が微かに動く。シングル・アクション状態のトリガは無慈悲なまでに鋭敏だ。リングハンマーが死神の大鎌めいて落ち、必殺の.45ACP弾のプライマーを発火させる。パワー自慢の.45口径ホローポイントは、この哀れな観光客をモノ言わぬ死体に変えるのには十分すぎる威力だった。そして、リンナも婚約者がこの世で最も無意味な物体に変貌したことを実感する間もなく、同様の運命をたどる。鈍い銃声が、やけに遠くまで響き渡った。


「放せコラ……放せコラ! なんだ手前ら!」


ナインが葛城の方に目をやると、彼は後ろ手に拘束した赤服の両親指を結束バンドでつなぎ合わせたところだった。更に念を入れて、葛城はポケットから出した瞬間接着剤を赤服の掌にぶちまけ、閉じさせた。これでこの男は自己意志で手を開くことすらできない。空になったチューブを投げ捨て、拘束された赤服を肩に担ぎあげる葛城。そして、手早く地面の血に指で触れ倉庫の壁に聖書の一節を書く。そして死体を隠すこともせず歩き始めたナインに続いてさっさとこの場を去った。二分にも満たないあっという間の出来事であった。

 気絶していた赤服が覚醒したのは、それから数時間後のことであった。目を開いたが、目隠しをされているらしく何も見えない。しかも、鎖で天井に繋がれているらしく宙吊り状態だった。ねっとりとした蒸し暑く、それでいてすえた臭いのする滞留した空気が赤服の肺を襲う。全身はびっしょり濡れていた。水をぶっかけられたらしい。水が硬い地面に滴り落ちる硬質な音が響いていた。


「な、なんだ……」


赤服は極度の混乱状態であった。当然である。唐突に襲われ、目を覚ました場所は尋常ではない。日に焼けた顔を真っ青にして無意味にあたりを見回す赤服を、葛城とナインが無感情な目で見ていた。そしておもむろにナインが電動ドリルを取出し、トリガ型のスイッチを押す。金属質な音がコンクリート打ちっぱなしの室内に響き渡る。ここは、葛城の家の地下室だった。


「なんだなんだなんだなんだ!?」


不安感をかきたてるモータ音に狼狽える赤服。ナインは無言で暴れる彼の足を掴み、脛にドリルを突き立てた。


「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


ハイス鋼製の本来ならば鉄に穴を開けるためのドリルが容赦なく肉を抉り、骨を穿つ。赤服は獣じみた悲鳴を上げつつ暴れまわった。しかし、見た目と異なり怪力のナインは彼の足をしっかりとつかみ、逃さない。さらに葛城が目の粗い紙やすりを持って近づき、例の赤い服をはぎ取られて露わになった貧弱な胸板を削り始めた。皮膚がこそぎ落とされ。赤い筋肉が大気にさらされる。深層の痛みと表層の痛みを同時に味合わされた赤服はのども張り裂けんばかりの悲鳴を上げ、暴れまわる。冷や汗が滝のように流レ、失禁によって股間が見る見るうちに濡れて行った。しかし、二人は止まらない。まるで最初からそうプログラムされている機械のような冷徹さで、脛に幾多もの穴を開け、そして皮膚を研磨し続けた。悲鳴は次第に小さくなり、抵抗もゆるくなる。しばし無言の時間が流れ、やがて彼は気絶した。


「……」


葛城が部屋の隅の蛇口からバケツに水をくみ、紙袋に入った白い粉をひと掴み取って水に溶かす。紙袋には食塩と書かれていた。濃厚な塩水と化したバケツの水を、容赦なく赤服の傷ついた身体にぶっかける葛城。塩分があちこち削られた彼の皮膚を犯し激烈な痛みを発生させる。


「あががががああああああああ!!」


悲鳴を上げて再度覚醒。足元にたまっていた尿や血や汗の混ざった汚らしい液体を、水が押し流していく。コンクリート製の床は微妙に傾斜しており、部屋の隅の排水溝へと汚水を誘導する仕組みだった。


「お目覚めでありますか?」


そこでやっと、ナインが男の目隠しをはぎ取った。


「な、なんだようお前ら、なんなんだよ……」


嗚咽まじりに赤服はいった。顔は涙や鼻水でめちゃくちゃに汚れている。大の男が本気で泣いていた。葛城はそれを見て侮蔑の目を向けるでもなく、ラッキーストライクを一本取出して火をつけた。裸電球に弱々しく照らされた紫煙が、排気口に向かってゆっくり流れていく。


「フリークスを知っているか」


「フ、フリークス?」


困惑の表情を浮かべる赤服に、葛城は無感情に頷いた。いつものような目つきと表情と態度であり、一切の変化は見られない。この異常な空間が日常の延長線でしかないような泰然自若さである。勿論、ナインもそれは変わらない。ナインや普段の葛城に向けるモノと全く変わらぬニヤニヤ笑いを浮かべて男を見ている。


「知っていることを洗いざらいしゃべれば、貴様はこのまま楽に死ねる。言わなければ、さっきのがブルジュ・アル・アラブのホテルマンより丁寧な扱いだったということを教えてやる」


そう言って葛城は脅した。しかしその声は平坦そのもの。脅迫しているような響きはない。それが却って、男の恐怖心をあおった。これ以上の苦痛が存在するという事実を、驚くほど容易に受け入れてしまったのだ。無論、これはブラフなどではない。葛城もナインも、男がだんまりを決め込むようならありとあらゆる手段を使って彼にこの世に生れ出たことを後悔させてやるつもりだった。百を超える数の人間をバラした経験のある二人は、どうすれば人が苦しむのか、どうすれば殺さずに拷問を継続できるのかをよく理解していたのである。そして幸いなことに、赤服は葛城の"忠告"に従った。


「フリークスは新参のギャ、ギャング団……です。お……私たち、ブルースタルと抗争中……です」


「ふむ」


ナインが頷きつつ葛城を見た。葛城は煙草を吸いつつ、ぼんやりと哀れな男を眺めている。血まみれの紙やすりは床に落ち、新たな紙やすりを手に取る様子はないし、あらたな道具を取り出す様子もない。ナインは再び深く頷いた。十中八九、これは嘘ではないだろう。


「根城は?」


打擲するような、傷を撫でまわすようなナインの声に赤服はびくりと震える。血走った目に浮かぶのは怯えの色ばかり浮かんでいる。


「第一埠頭のアバンチャーチって廃工場に……や、奴ら、負けたギャング団の構成員を吸収して、びっくりするくらいの速さで大きくなってるんです。OAGに認めてもらうとかなんとか言ってました」


「ふうン」


その規模拡大を支える資金源として、エー・エス・ケーに毒牙を伸ばしたのだろう。渡辺が送ってきた資料に掛かれていたその要求額は、みかじめの相場から大きく逸脱した額である。渡辺らが最初からこのような強硬策に出たのも、このあたりが影響しているのかもしれない。葛城もナインも、渡辺の言葉が全て真実だとは欠片も思っていない。連中には、おそらく裏の顔がある。


「アバンチャーチでありますな。で、規模は?」


「三十か、四十にたりない位……ひっく、だと思います」


男の言葉にはしゃっくりがまじり始めた。ナインは形の良い顎に指を添え、考え込む。この国の弱小ギャングの事情には詳しくないナインだったが、四十近い構成員を抱えているというのはなかなか聞いたことがない。当然あちこちに支部を持つ大マフィアには劣るが。排気口に消えていくラッキーストライクの煙を目で追いつつ、さらなる質問をする


「バックに何らかの組織がついている、なんてことは?」


「わ、わかりま、せん……」


「そうか」


頷く葛城は排水口に向かって短くなった煙草を投げ捨て、腰のシースからナイフを抜いた。ガーバー・ガーディアンⅡ。針のように細長い、刺突に特化した両刃のナイフだ。彼は順手に保持したその物騒なナイフを赤服の眼窩に突き入れた。眼球を田楽刺しにし、鋭い刃は脳にまで到達する。そして葛城がグリップをぐりぐりと動かすと、脳を撹拌された赤服は即死した。一瞬の出来事だ、痛みを感じる暇もなかっただろう。宣言通り、葛城は苦痛を感じさせることなく男を楽にしてやったのである。いろいろな液体の入り混じった汚物まみれの刃を部屋の隅に積まれていた紙ウエスでふき取ってから葛城はガーディアンⅡをシースに戻す。


「これ、どうするでありますか?」


 四肢はくっついているもののなかなかに無残な状態にある赤服の死体を指差してナインが言った。熱帯のことである。死体など、数時間もすれば腐りはじめる。家の地下室などに置いておけば、処理は大変なことになる。


「死体袋に入れて、そこらに捨てておけば問題ないだろう」


「アイ、アイ」


新たな煙草に火をつけつつ投げやりに言う葛城に、ナインはこれまた投げやりに頷いて見せた。


「そういえば、デカブツの成果はどうでありましょうな?」


「どうでもいい。なければもう一人二人捕まえてくればいいだけだ」


「ま、そうでありますな」


とにかく今は、死体の処理をせねばならない。ナインは山積みにされている死体袋からちょうどよさそうなものを見繕ってひっぱり出す。葛城は煙草片手に赤服の腕を拘束していた鎖の鍵を開けた。鈍く粘液質な音を立てて哀れな哀れな死体は床に落ちる。まるで糸の切れた操り人形だ。


「そうだ、見せしめにしろってクライントが言ってたでありますし、広場にでも晒しておきましょうか」


「こいつはクライアントとは無関係だが」


「自分、ゴミの分別はしない主義ですので。ゴミの種類の違いなど判らないであります」


「……ッ」


にやにや笑いを浮かべたナインの言葉に、葛城の頬が一瞬緩んだ。それを見たナインの笑みがさらに深くなる。和やかな雰囲気の中、二人はテキパキと死体を片付け、地下室を清掃していく。汚いのは平気であるが、汚物を放置すれば次に使うときに不便する。そう、ここは葛城が誘拐してきた人間を拷問するために使っている部屋なのである。


「……」


そんななか、突然葛城のスマホが震動し始めた。彼の右手が反射的に腰のCz75に伸び、左手でゆっくり電話を取る。


「葛城か? フリークスの構成員と接触できた。今ブラムってバーで一緒に飲んでる」


「ン」


それは、葛城たちとは別口で情報収集をしていたジョックからのものだった。葛城は一言だけ返事すると、そのまま電話を切る。ブラムならば、葛城も知っている場所だ。今すぐ向かって対象を捕まえ、拷問にかける必要がある。まだ話すことがあるのか再びジョックから電話がかかってきたが、葛城は無視した。


「いくぞ」

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