久しきヒト 第三節

 シルバーの古ぼけたフォード・クラウンヴィクトリアが真新しい舗装の道路を走る。周囲の車は積荷を満載したトラックやら、タンクローリーが大半であり、乗用車はほとんどいない。それもそのはず、ソルプエルトの第一埠頭は主にタンカーや大型輸送船が出入りする場所なのだ。当然、そのような場所に用がある人間など限られている。葛城はパワーの割に加速の鈍いフォードを乱暴に運転しつつ、煙草を吸っていた。隣にはナインがどっかりと座りこんでいる。そして、後部座席には大柄な黒人男性、ジョック。エレナが久しぶりにソルプエルトに戻ってきたと聞いて葛城の家に訪れたところ、仕事があると聞いてホイホイついてきたのである。


「木偶の坊殿、貴君はどの程度使えるのであります?」


ジョックを誘ったのはナインである。ほぼ初対面の二人だったが、先の事件のあらましを知るナインはジョックのことも大体把握していた。土地勘の無い場所で活動するに当たり、弾除け代わりに頭数を増やすのは悪いことではないと考えているからだ。もちろん、裏切りの気配があれば容赦なく殺すつもりでいる。対するジョックも、新参かつこの土地の人間とはあまりに異なる思考パターンを持っているため、なかなか仕事にありつけないでいた。ナインの提案は渡りに船だったわけだ。


「まあ、それなりだな。そこのキリングマシンには当然劣る。そこのところよろしく頼むぜ」


「数合わせの兵隊なんぞ、自分と味方に弾をぶち込まない程度の能力がありゃ十分であります」


「……はは」


要するに、技量には全く期待していないということだ。卑しくも天下の合衆国海兵隊出身、ジョックも多少は自らの能力に自信を持っている。しかし彼の口から出たのは口汚い罵声などではなく、奥ゆかしい乾いた笑い声であった。口で何を言ったところで、それは詭弁でしかない。戦士が自らの技量をしめそうとするならば、戦場で殊勲を上げる他ないのである。特に、ナインのような野蛮な人間は。高い知能を持つジョックは、そんなことは想像するまでもなく理解している。故に、ただただ笑う。余計な喧嘩をするのは無駄の極み。振りかかる火の粉は払うべきだが、自ら火の粉に近寄るのは愚か者の所業であるからして。


「……」


そんなやりとりを聞いているのかいないのか、葛城はちびた煙草を灰皿に押し付けて消し、ラジオのボリュームを上げた。過激なヘヴィメタル・ロックバンドの騒音染みたシャウトが響き渡る。半開の窓から吹き込む風は湿気と熱を大量に含み、快適とは言い難い。しかしガスの抜け切ったカーエアコンの吐きだす熱風に比べれば幾分ましだった。死んでいる気筒があるのか、エンジンは余裕なさげな音を立てている。ヘヴィメタルの騒がしい演奏と、ぐずつくエンジン音と、潮騒。この三つがまじりあって車内には混然とした空気が流れていた。


「遠いのかい、目的地は」


「……」


「……そ」


葛城は当たり前のように答えない。ジョックは苦笑し、ナインに断って腰の本革製ホルスターからリボルバー拳銃を抜いた。今回彼はライフルを持ち込んでいない。もしもの事態が発生すれば拳銃が頼りだ。S&WのM27、その8インチモデルだ。有名な.44マグナム、M29と同じNフレームを採用したこの銃は、ひどく大きい。彼はサムピースを操作し、シリンダーをスイングアウトした。回転弾倉には、.357マグナム弾が六つ子のように仲良く並んでいる。しっかりとそれを確認したのち、手慣れた手つきでシリンダーを戻した。


「無駄にでかい得物でありますな」


「俺みたいなでかいのがでかい銃を持ってりゃ、威圧感は相当なもんさ。姿で牽制するってのも、バウンサーにとっては重要な仕事だ。そうだろう?」


「ふうン。そんなもんでありますか」


威圧する暇があったら撃ち殺した方が早い……ナインはそう言外に嘯きつつ、視線をフロントガラスに戻した。実際、考え方は間違ってはいない。それはナインも理解していた。しかし、単純にかったるいのである。防御よりも攻撃。事前阻止より先制攻撃。彼女の脳内ドクトリンはそう言う風になっている。


「まあ、三下を脅すためのアクセサリとしては、それなりに使えるんじゃないでありますか? その無用の長物めいた体格と合わせればね」


嘘だ。ナインは、肉薄戦においてウェイトがどれほど有利な要素か知っている。しかしあえて彼女はどうでもよさげにそう言った。ジョックはまるでそれが仕事であるかのようにただ笑うばかりである。

 やがてフォードは大きく揺れながら停止した。エンストを起こしたなとジョックとナインは直感したが、どうも目的地前だったらしく葛城は無言でドアを開け、外に出る。そしてシートの下に隠してあったライフルを取出し、折りたたみストックを展開してからスリングで背中に背負った。そのライフルは、先日使用していたM4A1自動小銃ではない。アメリカ・SIG SAUER社の製造するSIG556クラシックと呼ばれる銃だ。一般的に販売されているタイプと違い、セレクターには三つの目盛が刻まれている。フルオート射撃が可能なのだ。法執行機関向けに製造されたものか、あるいは違法改造の類であろう。先の事件のゴタゴタでM4A1を紛失してしまった葛城は、武器商の老婆ヴェーラに新たな銃の調達を依頼していたのである。その新型銃のボルトを少し引いて、5.56mm弾がきっちり装填されていることを確認する葛城。続いてナインもトランクから大きなライフルケースを取出し背負う。流石に銃を露出させることはしなかった。もっともこれは、彼女の得物が単純に閉所や突発戦闘では扱いにくいものであるからだろう。フル装備めいた彼らの様子にジョックはため息をついて辺りを見回した。


「あそこか?」


ジョックが指差したのは、大きな倉庫であった。かつては到着した船荷を大量に保管していただろうその建物は赤さびがあちこちに浮かび、窓もヒビだらけだ。しかしヒビをテープで補修した跡があり、中では電灯がついているのが真昼間の現時刻でも見て取れた。人がいるのである。しかし、ジョックを無視して葛城が歩き始めた先にあるのは、倉庫の入り口ではない。その前に建てられた真新しいプレハブ建築だ。二階建てで、結構な大きさがある。熱帯の炎球めいた太陽に追い立てられるように、ジョックもそれに続いた。


「いやいや、ようこそお越しくださいました。一人と聞きましたが、三人も来ていただけるとは」


 三人を迎えたのは、眼鏡をかけた矮躯の中年東洋人だった。彼の差し出した名刺には、株式会社エー・エス・ケーの渡辺健二と書かれている。日本の海運会社の、ソルプエルト支部だという。彼はその責任者だ。真新しいエアコンが吐きだす涼しい風邪が、彼の乏しい頭髪を揺らす。丸眼鏡が太陽を反射してギラリと光る。


「失礼ながら、日系の方ですか?」


「そうであります。でも、日本語は得意じゃないそうなので、スペイン語か英語でお願いするであります。自分も日本語はさっぱりでありますし」


葛城の代わりに応えたのはナインである。葛城は渡辺を一瞥もせず、出された茶菓子の羊羹をむしゃむしゃ食べている。あっという間に平らげて、ナインの物にまで手を出した。相当気に入ったらしい。せめてもの償いなのか、彼がポケットから取り出した大量の飴玉がナインの前で山を形成している。ナインは全く気にしない様子で、山の中からオレンジ飴を取出し包装紙を破ってオレンジ色の塊を口に放り込んだ。そして満面の笑みを浮かべ、自らが座った安っぽい合成皮革のソファの表面を撫でる。


「ええ、畏まりました」


渡辺は額に浮かんだ汗をチェックのハンカチでぬぐいつつ頷く。葛城の奇行にも動揺する様子はない。瞳に浮かぶ油断のない鋭い光を小市民めいた愛想笑いで隠しつつ、渡辺はつづける。


「こういったときはまず当たり障りのない話題で場を和ますのが定跡でしょうが、葛城さんは凄腕のスイーパーだと聞いています。冗長な話はお嫌いでしょう」


「まあ」


羊羹を口いっぱいに頬張っているせいで、葛城の声はくぐもっている。ナインは笑いながらジョックの羊羹を許可もなく勝手にとり、葛城に渡した。飴山がさらに成長する。ナインは満面の笑みで、飴山を掴みとって闇色の夏用コートのポケットに突っ込んだ。その様子を見ていた渡辺が部下に何事かを伝えると、その部下は奥に引っ込み何本かの羊羹を包装のついたまま持ってきた。


「お土産にどうぞ」


「有難く」


葛城は受け取ると一本を残して全部ポケットに突っ込み、その一本を銀紙の包装を破いてむしゃむしゃ食べ始めた。渡辺の苦笑が深くなる。


「それで、依頼というのは」


そこで初めて、葛城が自分から口を開いた。半分ほどになった羊羹を丁寧に包み直し、懐に入れる。そして煙草を取り出して渡辺に見せた。渡辺が頷くのを見て、一本取出し手のひらで一周回すと加えて火をつけた。濃厚な紫煙が室内に漂い始める。力なく回転する換気扇が、ゆったりと煙を室外に排出していた。


「ま、良くある話ですよ。この地域を根城にするチンピラ集団が、みかじめ料を要求してきた。あなた方には連中を殲滅していただきたい」


「殲滅? ずいぶんとオーバーキルだな。あんたら、この国に戦争をしにやってきたのかい」


「いえいえとんでもない」


渡辺はにこやかに答えた。物騒な依頼をしていることなど想像もできない、ひどく平和的なえみである。葛城が股に立てかけているSIG556の銃床が床に擦れ、微かな音を立てた。


「わが国には千里の道も一歩から、というコトワザがあります。最初の一歩で、無思慮な小石に躓くわけにはいかないのです。障害はすべて排除する必要がある、ただそれだけですよ」


ただの海運業の窓口というには、あまりに物騒な意見だ。企業と言うより、マフィアのやり口である。ジョックは眉をしかめたが、それ以上の反論はしない。察したのだろう、この企業が真っ当な存在ではないことに。ジャパーニーズ・マフィアの隠れ蓑か、ろくでもない商品を裏で扱う闇企業か。そこまではわからない。そして、詮索する気も起らなかった。好奇心は猫をも殺す。向こうが提示する以上の情報を探ろうとすれば、待っているのはろくでもない未来しかあるまい。長生きをしたければ、見えない所に目を向けるべきではないのである。裏社会になじみの薄いジョックでも、その程度は容易に想像できた。


「それにこれは、あなた方の試金石でもある。腕の良いトラブルバスターとは我々もぜひ懇意にしたい」


「なるほど」


要するに、この街で手足になって働く荒事専門の人材が欲しいということだろう。ますます物騒な話だ。ジョックは太い首をちぢめて見せた。


「敵は」


「え? ……ああはい、こちらに来て日が浅いので、詳しいところまで調査することができませんでしたが、フリークスと名乗っているとかなんとか。規模はわかりませんが、この街を牛耳るポルティージョ・カルテルやOAGといった大組織に比べれば微々たるものなのは確かです」


「フリークス」


葛城はぽつりとつぶやく。覚えのある名前ではない。葛城の頭には、この街の大体の勢力図が入っている。自らの評判を最大限に生かした調査網により、その情報は常に最新のものへと更新されている。そんな葛城の記憶に残っていない組織と言うことはすなわち、どこぞのチンピラどもが勝手に結成している無害なギャング団かなにかに違いない。悪人にとっては地上の楽園であるソルプエルトでは、毎日のようにチンピラが弱小ギャング団を結成し、大組織に鑑みられることなく同様の組織とぶつかって消えていく。その様はまさに夏の夜空を飾る花火であった。日常的な銃撃戦も、大半はこういった組織が主導するものである。


「そいつらを皆殺しにすればいいのか」


「ええ。出来るだけ目立つ方法でお願いします。他の組織からも二度と我々に喧嘩を売ろうとは思われなくなる、そんな殺し方を」


「ン」


煙草を大きく吸って、ゆっくり吐く。葛城は煙が冷房の効いた涼しい室内の空気に消えていく様をぼんやりと見ていた。いつも変わらぬ茫洋とした目つきに変化はない。手持無沙汰な右手が折り紙をしたそうに揺れていた。


「報酬は一人頭、米ドルで二万を予定しています」


「……いい商売だな、ほんとうに」


この街では、殺し屋は実に儲かる仕事だ。無論、腕さえあればの話だ。ただの三下に、弱小とはいえギャング団一つを数人でつぶすような力など無い。そっぽを向いて笑うジョックを無視して、葛城は頷いた


「わかった、やろう」

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