悪徳の街 第十七節

「……」


水面に浮き上がるような感覚。薄い眠気の帷が晴れるように、頭の中がすっきりしていく。葛城はゆっくりと目を開けた。真っ白い光が睡魔の暗闇に慣れた目を刺し、彼は不快げに眼を細める。そしてそのまま素早く腰に手を当てたが、目的の物はそこにはなく、手はあえなく空を切った。見れば、いつものズボンではなく綿で出来た肌触りの良いズボンを履いており、ホルスターやポーチ類はすべてなくなっていた。


「ちっ……」


舌打ちをしながら周囲に目を向ける。味気ない真っ白な部屋だ。葛城はそんな部屋の真ん中に鎮座した、これまた白い簡素なベッドに横たわっていた。ベッドサイドの台に目をやると、愛用のCz75B自動拳銃が置かれている。その隣には、9mmルガー弾の物らしき銃弾のパッケージが置かれていた。葛城はとりあえず身を起こし、Cz75を手に取る。軽い。マガジンキャッチを押して弾倉を出してみると、中身は空っぽだった。葛城はとりあえず空マガジンを置いて、銃を検分する。いつも使っている、あのCz75に相違はないようだ。前回かなり荒い使い方をしたにもかかわらず、しっかりと手入れされていつでも撃てる状態になっている。最後に顔面に向かってぶん投げたためか、あちこちのパーツが新品に交換されていた。きっと、フレームやら何やらが歪んで使い物にならなくなっていただろうに、良くもここまで復旧したと葛城は感嘆する。誰が気を利かせたかはわからないが、都合のいい状態には変わりない。


「……」


無言で銃弾の紙箱を手に取る。中身は、普段使っているHP弾ではなく表面を銅でコーティングしたFMJ弾だった。対人殺傷力が低いのが気に入らないが、贅沢は言っていられない。葛城は慣れた手つきで弾倉に9mmルガー弾を詰める。マガジンローダーなどの補助具を使わずに弾倉に銃弾を込めるにはなかなかの筋力が必要なのだが、葛城は軽々とそれを行っていた。その数、十六発。すべて詰め終わると、葛城は一度弾倉をCz75に挿入してスライドを引き、そのままサムセイフティを上げてコック&ロック状態にする。そして再び弾倉を抜いて薬室に送り込んだ一発分の9mmルガーを弾倉に入れ、またCz75に入れた。


「おや、目が覚めたようですね」


 そんな葛城に、声をかける者が居た。白衣を着た、神経質そうな白人男性だ。開けっ放しになったドアから、早足で入ってくる。


「ゲドーか」


彼は、葛城の顔見知りの医師だった。名をヤーヒム・ゲドーと言う。この男の顔を見て、葛城はだいたいのことを察した。おそらく、ここはアップタウンの中央病院の一室だろう。大怪我を負って倒れた葛城を、エレナか誰かが運び込んだに違いない。


「二度とこの病院の敷居は踏ませないと言ったはずなのですが、恥ずかしげもなく運び込まれてきてびっくりしましたよ」


敵意と侮蔑にまみれた声。ゲドーは心底馬鹿にしたような声音と口調で言った。喧嘩を売っているようだが、葛城はこれが彼の平常運転だと知っていた。この男は、どんな患者を相手にしてもこの調子なのである。


「どうなんだ、おれの身体は」


だから葛城は、全く気にすることなく聞いた。腹やら胸やら、あちらこちらが尋常ではない痛みを発している。痛みに強い葛城だからこそこんなにもリラックスした態度を取れるのだ。凡人ならば、叫んで悶え苦しむような激痛だった。少なくとも、数日で治りそうにはない。


「内臓破裂、肺損傷、あちこちの骨折……まあ普通の医師なら死んでたでしょうね」


鼻を鳴らしながらゲドーは言う。しかし、その顔には笑みが浮かんでいた。自信にあふれた、それでいて皮肉そうな奇妙な表情。


「ワタシにとっては軽傷の範疇ですが」


凄まじく傲慢な言葉だ。だがしかし、確かにこの男の医術の腕は一世紀に一人の天才といわれる程のものだった。ただの大言壮語では、ない。葛城はそれを身を持って体験したことがあった。だから、彼の言うことに文句を言うことはない。


「どのくらいで動けるようになる」


「ま、人間と言うよりゴキブリに近いあなたならば一か月もすれば元気になるでしょう。そのあたりは保証しますよ。でも、それまでは安静です。もし抵抗するようなら拘束させてもらいますが?」


「わかった」


やるとなれば、この男は必ずやる。患者の治療の為なら、ゲドーは何でもするのだ。それが患者の嫌がることであっても、だ。もちろん遵法意識などあるはずもない。仕方なしに葛城は頷いた。


「あなたが起きたら話があるという人が沢山いるようです。小一時間すれば、騒がしくなるでしょうね。それまで休んでおくことをお勧めしますよ」


フレームレスの眼鏡の位置を直しながら、ゲドーは言った。ひどく面倒くさそうな様子だった。多分、治療以外のことに時間を浪費するのが嫌でたまらないのだろう。どうせ連絡するのは看護師にでも任せるだろうに、と葛城は内心ぼやく。もっとも、その話がある人とやらと話すのが面倒くさいのは葛城も同じだったが。


「ン」


それだけ言って、葛城は目を閉じた。手にはしっかりと銃が握られている。そんな様子をゲドーは一瞥すると、何も言わずに早足に部屋から出て行くのだった。


「……」


 それから約一時間後。葛城は先ほどと全く同じ格好で横たわっていた。目は閉じられている。寝ているのか、起きているのか、外見では全くわからない。しかし、遠くから聞こえてくる足音に、ふと目を開けて手の中のCz75のセイフティを解除する。いつでも撃てるようにと裸足のまま床に足を降ろしたところで、複数の人間が部屋に入ってきた。


「おや、なかなか元気そうじゃないか」


そう言って皮肉げな笑みを浮かべるのは、ツェツィだった。後ろにはエレナと楊、そして見慣れない黒ずくめが居る。


「ン」


興味もなさそうにそれだけ言う葛城。しかし、その視線は黒ずくめに釘付けだった。見覚えのない奴だったが、葛城はこの人物が誰なのか大体見当がついていた。しかし、ツェツィはそんなことはお構いなしに話を続ける。


「おかげさまで、事態は大方終息したよ。社の方は大わらわだがね」


「へえ」


「ふふ、興味はなさそうだな」


「ン」


事件の経過など、葛城にはどうでもいいことだった。向後の憂いを断って、金がもらえる。ただそれだけだ。その後ツェツィらがどうなろうが知ったことではないし、裏で何が行われようが葛城の関知することではない。


「それで、だ」


気を取り直したように、ツェツィが言う。


「私の大切な使用人が、突然暇をくれと言いだしたんだ。心当たりはあるか?」


「ある」


エレナを見やりながら笑うツェツィに、葛城は嫌そうに頷く。もちろん、殺し方を教える云々のアレだろう。エレナが恐縮しきった表情でぺこぺこと頭を下げていた。


「す、すみません、お嬢様」


「ま、私は自主性を尊重するタチだ。止めはしないよ」


「ありがとうございます……」


ぷいとそっぽを向くツェツィの顔には笑みが浮かんでいる。この偉そうな女にはさっぱり似あわない、優しげな笑顔だった。そんなツェツィに、エレナは照れたように顔を赤くして頬を掻く。


「満足できるほど成長したら、また戻ってくるといい。それまで、その服は預けておくよ」


「……ッ!」


はっとした表情でエレナは顔を上げる。その目には光るものが浮かんでいた。涙を乱暴に拭い、エレナは満面の笑みを浮かべる。


「かしこまりました、お嬢様」


そんなやりとりを葛城は見もせず、やはり黒ずくめをじーっと見ていた。そんな様子を見て、ツェツィは首をかしげる。


「知り合いか?」


「まあ、そんなものであります」


答えたのは葛城ではなく、黒ずくめだった。葛城と大して変わらないような長身の人物だったが、声は多少ハスキィながら女の物だ。その奇妙奇天烈な口調にもやはり、葛城は覚えがあった。


「少々、旧交を温めたいので席を外していただいてもよろしいでありますか? クライアント殿。他人の耳に入れるわけにはいかない話になりそうでありますし」


「……なるほど、わかった。下のロビィで待っていよう。行くぞ楊、エレナ」


いやに聞き分けがいいのは、だいたいどういう状況なのか察しているからであろう。ツェツィは二人を連れ立って、部屋から出て行った。ドア越しにエレナがぺこりと頭を下げたが、葛城は無視した。


「栂軍曹、お久しぶりであります」


 黒い夏用コートの裾を翻して、その女は一礼した。葛城はふうと息を吐きながら、銃にセイフティをかけてベッドに置く。


「葛城圭だ。久しぶりだな、チータ」


「ナイン・フレッチャー。今はそう言う名前であります」


そう言って差し出された白手袋に包まれた手を、葛城は躊躇なく握る。女のもととは思えない、固く大きなゴツゴツした手だ。懐かしい感触だと、葛城は口角をあげる。この女は、その昔葛城の部下だった。今は亡きSTF隊員の一人、それが彼女である。生きているとは、葛城も思っていなかった。STF残党の最後の"作戦"の真っ最中に離れ離れになってそれっきりだったのだ。それが、こうして葛城と同じように顔と名前を変えながらも生き残っていた。そのことに奇妙な感覚を覚えつつも、葛城は穏やかな表情でベッドの横を指差す。


「では、失礼するであります」


ナインはニンマリと歯をむき出しにして笑い、背中にかけてあったライフルケースを壁に立てかけてベッドに座った。頭にかぶった真っ黒いソフト帽をそっと脱ぎ、両手で弄ぶ。唯一、真っ黒いおかっぱ頭は昔となんら変わっていなかった。


「しかし生きてたとはな。お互い、運がない」


「死にぞこないとはこのことでありましょうな。恥ずかしながら、生き残ってしまいました」


それは俺も同じだと、葛城は静かに言う。死ぬつもりが何の因果か生き残り、この戦後を生きている。死ぬための作戦だったのに、これではお笑いだとナインは哀しそうな笑みを浮かべた。しばし、重い沈黙が病室を支配する。それは葛城としても嫌な空気だと感じたのか、珍しく葛城の方から話を振った。


「今までどこにいたんだ?」


「国外で仕事でありますよ。この国に帰ってきたのは、釈放されてからは初めてのことであります」


「国外?」


葛城は眉を顰める。ほとぼりが冷めるまで国外逃走、というわけではないだろう。


「四課か」


「ご明察。どうやら共通の飼い主だったみたいでありますな」


国家公安局情報部第四課。この国の諜報機関だ。葛城に時折後ろ暗い仕事を押し付けるのも彼らである。要するに、四課に尻尾を振って葛城は生き延びたのである。どうやら、それはナインも同じだったようだ。


「ふん」


不愉快そうに葛城は鼻を鳴らす。四課の連中は嫌いだった。まあ、葛城にとってほとんどの人間は嫌いの部類に入っているのだが、四課は格別である。陰湿で、悪知恵が働き、身の程をわきまえている。最悪な相手と言っても良かった。


「ま、軍曹殿のご想像通りの仕事をやって、やっと帰国と相成ったわけでありますな」


そんな様子を見て苦笑しながらナインは続ける。葛城と全く同じ感情をナインもまた抱いていたので、彼の気分はよくわかっていた。


「これから、どうするんだ」


「適当に仕事をしながら待機、と言われたであります。待機場所にこの街を指定されたでありますから、おそらく……」


「おれと合流しろ、ということか」


手のひらの上で踊らされているようだった。まあ、それは別に葛城も気にならなかった。そんなことは慣れたものである。


「でしょうな。申し訳ありませんが、軍曹殿の家に居候させていただきたい」


「ン。わかった」


そこでふと、葛城の脳裏にひらめくものがあった。ナインが居るなら、エレナの相手を押し付けることができる。訓練をやるのは別にいいのだが、あの鬱陶しい性格はどうも葛城は苦手だった。幸いにもナインは、性格はよろしくないものの多弁である。話しかけられても、すべてナインに丸投げすればいい。そんな理不尽なことを考えつつ、葛城は頷く。


「しかし、まさか一瞬でばれるとは思わなかったでありますよ。流石軍曹殿だ」


「なにがだ」


苦笑いするナインに葛城が首をかしげる。


「初日でありますよ。あのレストランで軍曹殿、ずっと自分の方をみていたでありましょう?」


「ああ」


なるほど、と葛城は頷く。ナインはツェツィの護衛として、ダウンタウン中心街の時計塔に潜み狙撃体制にあった。それを見抜かれたことに、ナインは驚いているのだ。


「まあ、慣れだ」


「毎回軍曹殿はそれでありますなあ」


苦笑いの色を深めるナイン。帰国して最初の仕事が、ツェツィの護衛だった。誰からもばれないように、遠距離からいつでも彼女らを援護できるようにナインは動いていたのだ。ドミニクを殺害したのも、彼女である。


「……自分、そろそろ宿に戻るであります」


ひとしきり感心していたナインであったが、ふと葛城の顔色が悪くなっていることに気付き立ち上がった。手当されたとはいえ、すこし前まで半死人だったのだ。調子がいい筈がない。


「ン」


去っていくナインを見やりながら、葛城はふと考え込む。全治一か月。自主訓練すらできないのは辛いが、読書の時間が増えたと思えばまあ問題ない。珍しく葛城は未来に思いをはせていた。

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