悪徳の街 第十六節

 急いで飛び込んだ狭い部屋の中。ふうふうと、葛城は荒い息を吐きながら銃を構える。声は近い。数はかなり多いようだ。足音からして、十人くらいか。頭の中でそんな計算をしながら、葛城は眉を顰めた。家からMGでも持ってくればよかった、と軽く後悔する。拳銃一挺では、十人を相手するには流石に火力が低すぎる。一応ほかの武器もないではないが、あくまで不意打ち用の暗器が大半だ。正面戦闘で使い勝手の良い代物ではない。


「ちっ」


しかしそうはいっても現実問題拳銃しかないのだ。これで戦うほかに道はない。幸い、弾はまだまだあった。徒手空拳よりは、よほどましだ。足音に気を付けながら、壁に背をくっ付ける。軍用ブーツの物らしき硬質な足音が、リノリウムの床を微かに揺らす。埃くさい空気に、微かに別のにおいが混じりはじめていた。汗と、硝煙の混じった臭い。荒事に長けた人間の臭いだ。葛城は目をつぶり、耳に全神経を集中させた。タイミングを計り、ゆっくりと息を吸い込み、止める。


「ふっ」


ドアに向かって発砲。二発、三発と続ける。


「ぐあッ!?」


悲鳴が聞こえた。ドアを蹴破る。葛城の目に飛び込んできたのは、黒い戦闘服を纏った男たちだ。ドミニクの私兵である。数は三人。少数で分散し、葛城を探していたのだろう。


「くそッ」


突然の奇襲に目を向く黒服たちだったが、流石特殊部隊出身の精鋭である。焦ることなく、手に持ったACRの銃口を葛城に向けた。当然、セレクターはフルオートである。引き金が引かれれば、葛城は即座にミンチと化すだろう。しかしそうはならなかった。葛城は床を蹴って男たちのうちの一人に肉薄し、ACRのハンドガードをむんずと掴む。そのまま銃を引っ張って、体を入れ替えるように男の後ろへとくるりと回った。男はその衝撃で思わず引き金を引いてしまい、銃口からマズルフラッシュが迸る。ちょうどその先には、黒服の同僚がいた。5.56mm弾の嵐がまともに男の身体を捉える。男の身に着けていた防弾セラミック・プレートはライフル弾をストップするだけの性能を備えていたものの、その衝撃までは殺すことができない。プロボクサのパンチに匹敵する衝撃と、そして防弾セラミック・プレートに守られていない部位への銃弾の直撃が、ほぼ同時に男を襲った。


「……ッ!?」


声にならない悲鳴を上げる男の顔面に、さらなる追撃が来た。Cz75の9mmルガー弾だ。軽量な9mm弾とはいえ、ホローポイント弾ともなれば一撃でヒト一人を屠るだけのポテンシャルは十二分に持っている。それが顔面に炸裂したともなれば、男に生き残る未来などあるはずがなかった。眼球から侵入した鉛の塊は、自らの衝撃で潰れつつ被害を加速度的に増加させ脳をズタズタに引き裂いた。当然、即死である。


「ふうううううう……」


葛城に銃を掴まれた男もただでは済まなかった。赤い筋が男ののど元にできている。いつの間にか葛城の左腕にはナイフが握られていた。米軍でも採用されている、M9銃剣だ。ステンレス鋼で構成された強靭な刃で喉を切り裂かれた男は奇妙な音を傷口から立てた後、噴水のように鮮血をまき散らしながら倒れ伏した。慌てたのは最後の一人だ。一瞬のうちに同僚二人が殺害されたのである。


「糞っ」


歯を食いしばりながらACRの引き金を引く。なぜか弾が出ない。違う、引き金を引けていないのだ。男は思わず自分の腕に目をやった。大きな切創ができている。はっと気づくと、数メートルは離れたところにいたはずの葛城が眼前にいた。手には血濡れのM9銃剣が握られている。あれで、自分の右腕の腱を切ったのだ。男がそう理解した時にはもう遅かった。M9銃剣が男の腿を襲う。ガツンという強い衝撃の後、男は足に力が入らなくなりばたりと倒れる羽目になった。今度は足の腱が切られたのだ。


「あ、ああああ……」


悲鳴すら上げることができずに、男は葛城を見上げる。火のついた紙巻き煙草を咥えたその顔には、何の感慨も浮かんではいなかった。そしてまた、銃声が二発鳴り響く。男の胸には、大きな穴が二つ空いていた。死ぬのか。そう思いながら男は、見る見るうちに暗くなっていく視界のなかで絶望する。彼がこと切れるまでにかかった時間は、長くはなかった。


「……」


足元に出来上がった血の海を一瞥することもなく、葛城は無言で歩き始めた。まだ敵はいる。銃声を聞いてすぐにでもここに現れるだろう。その前にもっと有利に戦える場所に移動する必要がある。ペタペタと血の色をした足跡を残しながら進む葛城。目指すはエレベーター前のロビィだ。それなりの広さのあるあそこならば、十全に戦えるだろう。狭い場所では、銃弾の回避などできたものではない。


「ちっ、グレックたちはやられたのか?」


丁度、ロビィで黒服たちの血弾と遭遇した。銃声を聞きつけて集まったらしく、数は七人。各個撃破はさせてくれないかと葛城は舌打ちし、走る。風切り音すら聞こえるほどの速さ。黒服たちはしかし、そんな葛城の速さに対応して見せた。複数のACRの銃口でマズルフラッシュが瞬き、5.56mm弾がリノリウムの床を削る。狙いは正確だった。しかし、正確な射撃は回避も容易だ。葛城は、体をわずかに傾けて銃弾を回避して見せた。そして、お返しとばかりにCz75を黒服に向ける。


「……っく」


だが黒服たちも精鋭、数の優位におごることなくACRのトリガを引きっぱなしにして弾幕を形成した。これでは発砲する余裕などあるはずはない。葛城は思い切って床を蹴り、飛ぶ。そして、滑りやすい床を器用に転がり前転する。激しく動きながらも、葛城のCz75の銃口はぶれることなく男たちのうちの一人を捉えていた。引き金を引く。フルコックされていた撃鉄が落ち、撃針が9mmルガーの雷管を叩く。装薬に点火され、鉛の弾頭が音より早く飛翔した。


「ぐぅ……」


狙いは外れることなく、黒服の腿をホローポイント弾が抉った。銅でコーティングされていない鉛剥き出しの弾頭には、人ひとりを殺傷するには十分すぎるだけの破壊力を持っている。大動脈ごと上腿の肉をごっそりともっていかれ、うめき声と大量の血を垂れ流しながら男は崩れ落ちようとする。そんな彼の心臓に更なる追撃の9mmルガーを見舞いながら、葛城はキッと周囲を見回す。あと六人。危機は去っていない。


「手練れって話は冗談じゃないらしいなァ!」


黒服の一人が叫ぶ。身のこなしや雰囲気からしてこの集団のリーダのようだ。彼はおもむろに銃を捨てると、腿につけたナイフシースから大型ナイフをスラリと引き抜いた。鋼の輝きが、窓から入ってくる赤光を反射してギラリと輝く。


「遊んでやる。ナイフ・ファイトだ。来いよ?」


下卑た笑みを浮かべる掘りの深い顔はしかし、次の瞬間に弾け飛んだ。左右二つの眼に、葛城が銃弾を撃ち込んだのだ。血と脳とわけのわからない汁をぶちまけながら倒れるリーダに、部下たちは殺気立って葛城に銃を向ける。


「ちっ、ジェイムスの遊び好きも困ったもんだぜファッキン!」


一応の仲間意識はある様だったが、リーダの酔狂は黒服の集団に致命的な隙を生んでいた。葛城はもう、手の届くような近くにまで迫っていたのだ。葛城の強烈な膝蹴りが、叫んだ黒服の胸に炸裂する。口から唾液とも血とも思える液体を飛ばしながら空を飛ぶ彼の喉に追撃の9mmルガーが突き刺さった。粘質な音を立てつつ、男だった物体は五メートルほど離れたコンクリート打ちっぱなしの壁に衝突して床にずり落ちる。葛城はそんな男の結末を見届けることもなく、新たな犠牲者へと襲いかかった。フリーな左手で三人目のACRを絡め取り力任せにむしりとる。


「あ……」


間抜けな声を出しながらも男は拳銃を抜いて抵抗しようとするも、もう遅い。蹴った勢いを無理やり力で殺しつつ、左手で抜いた新たなナイフを男の鎖骨のすぐ横に突き立てた。刺突に特化した細長い刀身を持つそのナイフは、筋繊維を容易に貫きながら首の骨に突き刺さる。上手く頸椎に刺さったことによって、男はビクンと体を震わせながら崩れ落ちる。


「チク……ショウがッ!」


味方が射線にいることなどお構いなしにACRを発砲した四人目の判断は悪くはなかったものの、決断が遅すぎた。既に葛城は、右手の拳銃を四人目に向けている。崩れ落ちる死体を蹴り飛ばして火線から逃れつつ、葛城は二度引き金を引いた。


「……」


しかし、一発目は正常に作動したものの二発目の引き金が降り切らない。一発目の薬莢が上手く排出されず、エジェクション・ポートに挟まったのだ。所謂ジャムである。幸いにも一発目は見事に男の口内に侵入、脳幹を粉砕していたため二発目を撃つ必要はなかったものの、これでは次なる発砲ができない。もちろん、手作業でジャムを直す余裕などあるはずもなかった。


「ぐわっ!?」


仕方ないので、葛城は躊躇なくCz75を五人目の顔に投げつけた。拳銃とはいえ、フルスチールのコンバットオートだ。その重量は弾倉の銃弾も含めれば1kgほどはある。そんなものを顔面で受け止めればただで済むはずもなく、黒服は鼻から血を垂れ流しながら後ずさった。ヒスパニック系らしき彼の高い鼻は醜く曲がってしまっている。間違いなく鼻骨を骨折しているだろう。憎しみのこもった眼で葛城を睨む男だったが、葛城は葛城で落ち着き払っていた。ポケットに手を突っ込み、中から金属棒を取り出す。くるりと器用に手の中で回すと、薄いスチールの刃が展開された。所謂バタフライナイフと呼ばれる武器だ。葛城はそれを男に向かって投擲した。狙いたがわずバタフライナイフは男ののど元に突き刺さり、彼は慌てた様子でナイフを抜くが、傷口から鮮血の奔流が迸りバタリと倒れた。死因は失血性ショックであろう。


「化け物め……」


六人目は、葛城から距離を取っていた。拳銃を失った葛城にわざわざ接近戦を挑む必要はないと、Cz75を投げた次の瞬間には駆け出していたのだ。なかなかの判断力であるが、葛城は男に向き直ると左手でベルトのバックルのボタンを押しこんだ。ばね仕掛けでバックルの金属プレートが跳ね上がり、中から銃口が露出する。葛城が素早込もう一度ボタンを押すと、内蔵されていた410番径の散弾が発射された。バック・ショットを全身に受けた男はうめき声を上げるが、重防御の彼にとっては致命傷にはならない。しかし唐突な銃声と予想外の行動は、二人しか残っていない黒服たちに致命的な隙を与えていた。葛城は非防御の箇所に散弾を受けて悶え苦しむ六人目を無視して、銃声によって固まっていた手近な七人目に襲いかかった。右手でM9銃剣を引き抜き七人目の首をさっと斬った。血を吹きだす黒服。


「……ッ!?」


流石に連続した無理のある動きを繰り返していた葛城は、その返り血をもろに顔面で浴びてしまう。血によって視界を遮られた葛城はしかし、慌てることはしなかった。目が見えなくても、音で大体の状況は把握できる。床に落ちた死体の配置を思い出しながら、葛城は走った。目指すは当然、最後の一人。渾身の力を込めて、真っ赤な視界のなかで黒服の首らしき場所に刺突を繰り出す。肉を切り裂く手触りと、ガツンという衝撃が葛城の腕を襲った。生暖かい液体が全身にふりかかる感触がする。上手く最後の一人の頸動脈を切れたらしかった。


「はぁ、はぁ……ゲホッゲホッ!!」


荒い息を吐くと同時に、強い咳が出た。口の中に鉄くさい液体が満ち、限界まで短くなった煙草ごと床に吐きだす。火などとうに返り血で消えていた。


「ふう……はぁ、ゲホッゲホッゲホッ」


咳が止まらなかった。本格的に肺が損傷しているようだった。大けがを負った状態でこのような大立ち回りをしたのだから、体調が悪化するのも当たり前である。全身が重かった。まだ大丈夫、致命傷以外は怪我のうちに入らないと葛城が気合を入れて顔の血をフライトジャケットの袖で拭ったところで、背後に気配を感じた。反射的に振り向き、ナイフを振るう。


「なにいッ!?」


驚愕の声と共に、甲高い音を立ててナイフが砕け散った。銃弾をはじいたのだが、角度が悪かったのだ。流石に、そこまで気にしている余裕がなかった。銃を撃ったのがいつの間にやら現れたケインであることを確認しもせず、葛城は役立たずになったナイフのグリップを投げ捨て足元の死体を持ち上げて走り出した。


「ちいッ!」


ケインが手に持った拳銃で撃つが、防弾セラミック・プレートと死肉の壁を前面に出して葛城は銃弾を防ぐ。それなりに体格の良い成人男性と防具の組み合わせは百キログラム近いにもかかわらず、その速度は尋常なものではない。そして葛城は、その速度と重量を十全に生かしたタックルをケインにかます。当然そんな攻撃を受ければ鍛え上げたケインとてただで済むはずもなく、無様に吹き飛ばされた。葛城は息を止めながら死体を投げ捨て、床を転がるケインに馬乗りになった。既にまともな武器はM60くらいしか残っていないし、ショルダーホルスターに収まったソレを抜く余裕などない。頼りになるのは己の身体だけだ。葛城は渾身の力を込めてケインの首を締め上げた。


「……ッ!?……ッ!!」


怪力の葛城に首を絞められながらも、ケインは葛城の腕を掴んで抵抗する。火事場の馬鹿力と言う奴だろう。尋常な筋力ではなかった。しかし、葛城の手が緩むことはない。筋肉に覆われた精悍な首元を、葛城は遠慮のかけらもなく掴んでいる。指が肉に食い込んでいた。これでは呼吸などできるはずもない。ケインの抵抗はだんだんと弱まって行った。ゆっくりと、だが着実にケインの命の灯は弱くなっていく。やがて、全身の力が抜けてケインは白目をむいた。口元からは舌がだらんと飛び出している。端正で力に満ち溢れていた以前の面影は一切残っていない、醜い死に様である。


「はあ、ゴホッグフッ」


葛城は息を吐きだしながら、血と死体にあふれた床に転がる。既に立ち上がる力さえも残っていなかった。咳にはいつの間にか、湿った音が混じるようになっていた。血の塊が口からあふれ、顔を汚す。腹の銃創も既に傷が開いていた。血がどんどんと抜けていく。同時に、体の末端が冷えていく感覚も、葛城は味わっていた。肺がやられ、内臓がやられ、あちこちの骨も折れている。致命傷と言うには十分すぎる大怪我だった。そんな体で大立ち回りしたのだ。死が葛城を迎えに来るのは必然と言えた。


「く、そ……」


震える手でポケットから煙草を取出し、ジッポで火をつけて口に咥える。しかし、煙を吸うことはできなかった。ぽとりと煙草は床に落ち、血で火が消える。屍山血河の真ん中で、葛城は横たわっていた。そんな状況に、葛城は不思議と安らかさを覚える。


「ああ、こんな……ところで、死ぬのも……悪く、ない」


昏くなっていく視界のなかで、葛城は頬を緩める。心底安心しきったような、穏やかな笑み。しかし、彼はふと顔をしかめる。


「あ……あの女、の……」


正しい殺し方を教える、と言う約束。たわいもない、ただの気まぐれで言った言葉だ。しかし、あそこまで大言壮語するガキには現実を叩きこまねば葛城の気が済まなかった。だが、そんな思いもこれでは達成できそうもない。


「ちっ……心穏やかに、死ぬことも出来やしないのかよ……」


半ば無意識に、葛城は手を伸ばした。死にたくないと、久しぶりに思ってしまった。葛城は、そのことが不愉快でならなかった。だが、それも長くはもたない。糸の切れたマリオネットのように、葛城の腕から力が抜ける。


「葛城さん!」


そんな彼の腕を掴む者がいた。メイド服を着た、憎たらしい小娘の姿が葛城のぼやけた視界のなかに写り込む。


「遅いぞ……」


そう呟いた葛城の顔には、確かに日に皮肉げな笑みが浮かんでいるのだった。

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