悪徳の街 第十四節

 汚らしい路地を、二人は歩いている。生ごみが散乱し、死体なのか生者なのかいまいちわからないヒトガタのナニカがところどころに落ちた、薄暗い裏路地だ。葛城は迷うこともなく、その迷路めいた道を進んでいく。


「あの」


「なんだ」


黒いコンバットジャケットの襟をなでながら葛城は聞き返す。多少薄汚れてはいるが、傷のある部分はジャケットによって隠れているため、とても重傷を負った人間には見えない。歩き方もスムーズでダメージらしきものは見られなかった。換気口からあの拷問を見ていたエレナはひそかに安堵のため息をつく。


「すみません、その……さっきのあれ、なんですが」


「……」


葛城は答えない。ただただ確かな足取りで、死と腐臭に塗れた路地を進んでいく。


「全部、聞いちゃいました……」


「そうか。あれはあまり口外しない方がいい」


珍しく、葛城は戒めるような声音で言う。あるいは、装備を取り戻した礼なのかもしれなかった。彼自身、エレナがどこでどんな目に合おうが気にしないだろうから。


「……わかってます」


そんなことを伝えたいわけじゃない、とエレナはかぶりを振る。背中に回したビゾンの位置を確かめながら、言った。


「葛城さん、もしかして、人が怖いんですか?」


葛城の歩みがピタリと止まった。音もなく振り向き、エレナを睨む。


「突然、なんだ」


「……わたし、気になるんです。あなたのことが」


エレナの言葉に葛城は眉根にしわを寄せる。何を言ってるんだ、この女は……と言った表情だ。


「はっきりさせておきたいんです。わたし自身、よくわからない感情なんですけれど」


そう前置きをしてから、エレナは語り始めた。葛城はイライラした様子で、腰の銃を撫ではじめる。


「初めて会った時もそうですけど、葛城さん、よく武器を触ってますよね」


「……」


葛城は答えない。エレナの目を見るでもなく、ぼんやりとした目で空に目をやった。既に太陽は天中を過ぎ、夕方へ刻一刻と近づいている。ツェツィが潜んでいるのは街外れの廃墟街だ。昨日、一応潜伏場所に使えるをそれとなく伝えておいて正解だったと葛城は思う。だが、ツェツィの手勢がどの程度いるかわからないが出来るだけ早く駆けつけないと不味いということは確かだ。味方のふりをしていたドミニクは、きっとツェツィ側の戦力を把握しているだろう。ならば、それを超える戦力を動員しているに違いない。そんなことを思案しながら、葛城は咥えた煙草の灰を路面に落とす。


「もしくは、折り紙を折っているか。……近くに人がいると、落ち着かないから武器を触り、体……指を動かしている。そんな気がするんです」


「それで?」


葛城は先を促す。ドミニクを片付けることを後回しにしても、この女の言葉を聞いておかなければならない。場合によっては殺すべきだ。彼の本能がそう言っていた。音が出ないように気を付けて、エレナに気付かれないようこっそりとCz75のセイフティを外した。初弾は装填済みで、撃鉄もフルコック状態。葛城の腕ならば、一秒もかからずにこの女を物言わぬ屍に仕立てることができるだろう。


「落ち着かないのはなんでか、考えてみたんです。それで、あの銀髪の人とのやりとりを見てて、なんとなくわかった……ような気がします」


「ふん」


あの会話から何を見出したというのか。葛城はあの拷問と尋問の最中では一貫して自分の本音を出していないと自負していたし、実際拷問されるときに備えた訓練も、実際の拷問も一度ならず受けているのだ。あの程度のことで自分をさらけ出すようなヤワな鍛え方はしていない。


「人が怖いから、近くに他人がいると不安になる。不安になるから、落ち着かないし……目を合わせない」


「……ッ」


葛城の目つきがさらに鋭くなった。確かに。葛城は他人と目を合わせることを嫌がるし、意図的に目を合わせるときは大抵威圧目的だ。まさか、この頭の足りなさそうな女がそこまで見ているとは、と葛城は口をへの字に曲げる。


「わたしの考え、的外れですか?」


「さあな」


否定も肯定もしない。どちらの返答をしても、追い詰められそうな気がした。まるで猟犬だと、葛城は思った。狙った獲物は絶対に逃さない、しつこく、陰湿で、タチの悪い優秀な猟犬。性癖だけではなく、能力まで人を追い詰めることに向いているらしい。いやな女だと、葛城は首を振った。確かに、葛城には対人恐怖症のケがあったのだ。


「ふうん」


そういってこちらを見るエレナの目には、葛城よりも上位に立っている優越感のようなものが感じられた。それはもしかしたらただの被害妄想なのかもしれない。しかし、葛城は確かにそう感じたのだ。いやな女だ、葛城は銃のグリップに手をかけた。殺すか? そう自問する。しかし、ここで撃ったら負けた気がする。こいつに勝つには、殺すのでは駄目だ。……葛城は珍しく、迷っていた。普段ならば、躊躇の暇すらなく心臓に弾丸を撃ち込んで終わらせているはずだ。しかし、現に彼はこうして殺すか否か悩んでいる。これではエレナの術中に嵌まっているのとなんら変わりはしない。葛城もそのことには気づいており、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「これは完全に私の想像なのですが、葛城さんは、自分たちがやったことと同じことを収容所でやられたんじゃありませんか」


紫煙がゆらゆらとよどんだ空気とともに上昇し、消えていく。いつしか、葛城の表情は消えていた。いつもの不機嫌顔ですらない、完全に真っ白な表情。無言で煙草の先端を微かに揺らし、先を促す。


「それで、何もかもが怖くなった。痛くて苦しいことを平気でやってくる人間も、そしてそれと全く同じことをしていた自分自身も」


「……だからなんだってんだ」


口調が、崩れた。荒々しい粗野な口調。いつもの抜身のナイフのような鋭い声ではない。いびつで重苦しい、鈍器のような声音。これが彼の本性だと、エレナは直感的に理解していた。こうなればもう、人の形をした猛獣のようなものだ。対応を間違えれば間違いなく死ぬことになる。それを理解していながらも、エレナは話をやめない。


「葛城さんの間違っているところは、すべての人間が同じように悪魔のような存在であると勘違いしているということです」


煙草の灰がポロリと崩れて地面に落ちた。すっかり短くなってしまったそれを投げ捨てて踏みつけると、葛城は新たな煙草に火をつける。平静なのか、怒っているのか、あるいは焦っているのか……表情や態度から読み取ることは一切できない。普段の不機嫌な態度や感情表現も、きっと彼にとっては自分を守る仮面の一部なのだろう。


「偉そうにしやがって」


そんな中で、声だけは凍土のような怒りを孕んでいた。冷たく殺意のこもった声に、思わずエレナの身体が震えた。後ずさりしそうになる足を精神力で無理やりとどめつつ、エレナは葛城に対峙していた。既にツェツィやドミニクのことは葛城の頭からふっとんでいる。当然だろう、彼にとっては明らかにこちらの方が優先順位が高い。たかだかさっさと片付けておかないと面倒程度の認識であるドミニクと、精神的にこちらを打倒しようとしているエレナでは危機度が違いすぎる。葛城はエレナの翡翠のような瞳を睨みつけた。


「偉そう?」


エレナは内心焦りながらも、本心を外に出すことはない。引いたら、喰われる。それは葛城とエレナ、双方が確信していた。これは命を賭けた殺し合いだ。一歩でもエレナが下がれば、即座に葛城の銃が何よりも確実な死をエレナに届けるだろう。この場においては、命など羽毛屑ほどの重みも持っていない。だが、もとより命など惜しくはなかった。信念を曲げるくらいなら、死んだ方がましだ。エレナは、自分を変えたかった。人を傷つけることに快楽を覚え、情欲に流されてしまう自分を。


「ええ、そうですね。。でも、正しいことを言っていると、私は信じています」


これはその最初の一歩だった。葛城と言う男は、エレナの鏡写しのような存在だ。恐怖から武器を振るい、必殺を旨とする。消極的な理由で戦い、積極的に人を殺す人間だ。そんな彼と共に歩めば、自分の性癖もきっと改善するに違いない。根拠のない屁理屈に突き動かされてエレナはしゃべり続けた。彼女自身も改善の見込みのない自らの本能に、もはやどうしていいのかわからなかったのだ。溺れる者が藁をもつかむように、エレナは葛城を縋っていたのである。


「正しいか正しくないかなんて重要な事じゃない」


飢えた大型肉食獣のような目つきをしながら、葛城は唸り声のような口調で言う。


「敵を殺す。それ以上に重要なことなんて、世の中に存在しちゃあいないんだ」


つぎはぎだらけの手をCz75のグリップに添えている。エレナは、葛城の過去を詳しくは知らない。ケインが語っていることを、換気口の中でこっそり聞いた以上の知識はないのだ。そんなエレナにも、確かに葛城の言葉が一つの真実であることは理解できた。少なくとも彼にとっては、敵を殺すことが最重要の行動理念なのだ。殺さなくては、生きていくことができない。きっと彼は、呼吸をするのと同じ感覚で人を殺せる人間なのだ。それくらい自然に殺人を犯せるようにならなければ、生きてはいけなかったのだろう。しかし


「それは偏ったものの見方です。少なくとも、私は人を殺す以上に大切なことを知っています」


「よく言う。薄汚いニンゲンの分際で、神様みたいなことを言いだす気か?」


人間に許された物言いではない、と葛城は煙の混じった息を吐く。殺しよりも大事なことなど存在しないのだ。存在しないものをあると言えるのは、この世のモノではないモノ、つまり神様だけだ。葛城はそう思っていた。だが、神様なんてものは存在しない。しないのだ。だからこそ、葛城は猛烈に腹が立っていた。この詐欺師め。心の中でそう吐き捨てる。


「世界は優しさで出来ている。人の本質は善だ。愛があれば何でも乗り越えられる。希望を捨てるな。正義は必ず勝つ。……耳が腐りそうなくらい甘ったるい言葉だ。そんな嘘っぱちを口にするニンゲンなんぞ、死に絶えればいいんだ」


絶望と言うにはあまりにも純粋で、諦観と言うにはあまりにも苛烈な物言いだった。


「嫌いだ。ニンゲンなんて大っ嫌いだ。正義を口にしながらやっていることは同族殺しに過ぎない。平和で温かい世界に暮らしてる奴らの足元には、無数の俺たちの死体が転がってる。連中はそれに気付きさえもしないんだ。そんな連中のために殺して、殺されて、肥溜め以下の場所に落ちていくのなんて御免だ。全部全部殺して、自分たちがどれほど罪深い生き物なのか実感させてやる。絶対に許してやるもんか」


葛城はそうまくしたてる。何かに追い詰められているような声音だった。煙草の煙を肺いっぱいに吸い込み、ゆっくりと吐き出す。葛城は自分がヒートアップしていることに気付いていた。殺し合いをしているときはどんな状況でも冷静を保つ自信が葛城にはあった。しかし、彼にとって口での戦いは専門外だった。どう行動していいのかがわからないのだ。単純な敵ならば、撃ち殺してやればいい。味方であっても、目障りなら消してしまえばいいのだ。しかし、エレナのような下衆に何もかもわかったような物言いをされれば、流石に腹が立つ。口で勝負を挑んでくるなら正面から叩き潰し、そのうえで殺す。葛城はそう自分に言い聞かせた。


「じゃあなんで無差別テロを起こさないんですか? あなたほどの戦闘力なら、いくらでもやりようはあるでしょう」


「STF時代に、国を敵に回すことの厄介さは身に染みて理解した。国を敵に回さず、なおかつより多くのニンゲンを殺すには、今の状態が一番だ」


煙草の先端を軽く振りながら葛城は言う。犯罪者を殺している分には国は文句を言ってこない。いくらでも殺せるのだ。確かに、下手なテロを起こして鎮圧されるよりは確実な手段だろう。


「嘘だ!」


しかし、エレナはそれを真っ向から否定する。敬語の仮面すら捨て去り、短く断定したその声に葛城の方がびくりと震えた。煙草の灰が崩れ、地面にぱさりと落ちる。


「あなたはただ人が怖くて引きこもってるだけなんだ。威勢のいいことを言って、やっていることは犯罪者の使いッ走り。少しやってることがショボすぎやしません?」


「……」


エレナに言い返すことは、葛城には出来なかった。依頼があれば敵を殺して、それ以外の時には家で本を読んでいるか折り紙を折っている。そんな生活に、より多くのニンゲンを殺せる、なんて要素は欠片もない。爆弾でも自作していた方が建設的だろう。少なくとも、葛城が普段行っている単なるトレーニングよりは、大量殺人をする前準備としてはふさわしいだろう。


「人と関わるのが怖くて、立ち止まっている。臆病者の、人間にもなれない哀れなケモノ。それがあなたです」


「違うッ! おれはニンゲンだッ!」


自分はニンゲンである。これは、葛城のもっとも譲れない主張だった。薄汚く卑怯な、世界最悪の生物のうちの一匹。何をしようがされようが自分も同じ穴のムジナだと、彼は自覚していた。葛城にとっては、赤ん坊も老人も、貧乏人も金持ちも一切合財何の例外もなく人間なのだ。ニンゲンは怖いもの。自分自身も他人にとっては全く同じ恐怖を振りまく存在でしかないことを、葛城は知っているのだ。


「いいえ、あなたはケモノです。ケモノなんですよ……」


だが、それを理解しながらもエレナは否定した。彼女にとって、葛城は人間ではなかったのだ。彼女の言う人間とは即ち、慈愛を持ち、他人に優しくできる心の強い人物のことだ。それ以外は、人語を解せるケモノにすぎないとエレナは考えていた。だからこそ、葛城の言葉を否定するのだ。


「人間は、もっと優しくて、温かくて、心が強い人のことを言うんです。あなたみたいに粗暴で、冷たくて、心が弱い生き物は人間とは言いません」


「ニンゲンはもともとそう言うもんだろうが。優しさや温かさなんて、余裕のある金持ちの物だ。余裕が無くなれば誰だってそうなる」


「いいえ、あなたが本物を知らないだけです」


「知るか、そんなこと」


葛城は荒々しく煙草を地面に投げ捨て、また新たな煙草を取り出たそうとして突然止まった。紙箱にはもう煙草が残っていなかったのだ。今日何本目の煙草なのか、葛城本人にもよくわからない。仕方なしに新しい紙箱を取出し、包装のビニルを荒々しく破り捨てて新品のシガーをひっぱり出して火をつける。両切りのラッキーストライクの、濃厚な煙を味わうこともなく葛城は吸っては吐き吸っては吐きを繰り返した。相当、腹が立っているのだろう。しかし、ゲホゲホと咳をしてまともに煙を吸うことができない。肺がやられているな、と葛城の一番冷静な部分が囁いていた。


「知らないことは、罪です。どんな奴にだって、更生の余地はある」


エレナはそんな葛城をじっと睨んでいた。体の不調もあって葛城は本来のキレを発揮できないでいる。千載一遇のチャンスだとエレナは思っていた。彼を説得するには、今しかないと。


「好き勝手言いやがって、手前に何がわかる」


冷笑まじりの声で葛城は言う。


「何もわからんさ。お前なんぞにおれの何がわかるって言うんだ。鬱陶しい」


「理解されようともせず、言っていい言葉じゃないですよ」


「ッ!?」


葛城は反射的にエレナに銃を向けた。そう、反射的にだ。葛城は銃を抜くべきだと判断した時にしか、銃を抜かない。にもかかわらず、今は何も考えずに銃を抜いてしまった。冷静さを明らかに欠いていると葛城の理性が警告していたが、憤怒の濁流を前にそんなちっぽけな警告など何の意味もなさない。


「誰が理解してくれって言った、ええッ!?」


「何がわかるなんて言っておいて、ずいぶんと勝手な言いぐさですね、ガキかあなたはッ!」


それに呼応するかのようにエレナも声を荒上げた。年は倍近く違う、身長も文字通り大人と子供の差がある二人は、本気で言い合いを始めていた。


「ふざけんじゃねえ、ぶっ殺すぞ」


葛城が凄むと、エレナは自分の心臓に向けられたその銃を掴み、自らの胸に押し当てた。そして威嚇するかのように歯をむき出して葛城の顔に近づける。


「撃ちたければ、撃てばいい」


「……」


そうだ、その通りだ。葛城は内心頷く。自分の傷が洒落にならないレベルであることは葛城もよくわかっていた。こんなめんどくさい女はさっさと殺して、病院にでも行った方がいい。流石に自分で処置できる怪我ではないのだ。葛城は引き金に力を籠めようとする。だが、引き金は動かない。いや、動かないのは葛城の指だ。


「なにしてるんですか、撃たないんですかっ!?」


「……」


やはり、引き金は動かない。葛城は臍を噛んだ。


「撃て、臆病者っ! 撃てッ!」


「ち……くしょうッ!」


エレナが叫ぶ。葛城は凄まじい形相を浮かべながらエレナの手を振り払い、地面に銃口を向けて引き金を引く。何度も何度も引く。銃声が幾度も響き、やがてスライドが解放された状態で止まった。弾が切れたのだ。高速連射で銃口と排莢口から白煙を立ち上らせるCz75を力いっぱい握る葛城は、絞り出すような声で言った。


「殺しちまったら、手前に負けたみたいじゃねえか!」


悔しげな、憎々しげな表情だった。親の仇でも見るかのような形相で、葛城はエレナを睨む。


「手前なんぞに負けたなんて認められるか。おれを誰だと思ってるんだっ、天下のSTFの隊員だぞ! 手前如きに負けたら、STFの名前に傷がつく!」


既に名誉など無く、政府関係者などの一部のもの以外から忘れさられてしまっている元所属部隊の名前を叫びながら葛城は唸った。たとえ周囲から忘却され、あるいは憎悪されている者たちの集団であっても、葛城にとっては家族のようなものだった。そんな彼の名前に泥を塗ることは、葛城には容認できなかった。戦略的撤退ではない。ここでエレナを撃ってしまえば、完全な敗北になってしまう。それだけは嫌だった。こんな小娘ごときに負けることだけは、葛城の矜持が許さなかったのだ。


「糞が、ああ糞ッタレ、死ね、今すぐ自殺しろ。おれの目の前からさっさと失せろカス女」


品のない単語で罵倒する葛城を、エレナはやや落ち着いた目で見ていた。葛城の目が、どこかすっきりした物に代わっていたからだ。自分をだまし、心を精神力で押さえつけた日常は相当鬱屈がたまるものだったに違いない。本気で怒って、子供のような口げんかをする。そんなことでも、葛城には良い気晴らしになっていたのだ。彼の心の闇は深い。今のエレナでは、彼と本当の意味で分かり合うことなどできないだろう。それでも、こうやって一歩一歩近づいていけば、必ず彼の心を晴らすことができるだろう。そうすることで、エレナ自身も成長していけるのではないかと、願望じみたことを彼女は考えていた。


「何笑ってやがるんだ、ああ腹が立つ」


知らず知らずのうちにエレナはほほ笑んでいたらしい。葛城に指摘され、慌てて顔を抑えて取り繕った。そんな彼女を奇妙な目つきで見ていた葛城だったが、ふと頭を抱える。そう、今は本来このようなくだらない言い合いに費やしている時間など無いのだ。ドミニクの私兵はこうしている間にもツェツィのもとへ迫っているはずだ。もしかしたら、もう手遅れかもしれない。早いところあの男を殺さねば、としばし機能を停止していた葛城の理性が囁いた。


「三秒待て」


だが、冷静さを失った今行動を起こしてもろくな結果にはならないだろう。戦闘に感情など不要だ、と言うのが葛城の持論だった。機械のように正確に、敵を殺す。それこそが葛城の戦闘の真骨頂ともいえる。だから葛城はぎゅっと左腕を握りしめ、全神経をそこへ集中させる。そしてきっかり三秒後、ふっと力を抜いた。既に葛城の目は平時の色に戻っている。例の茫洋とした目つきでエレナを見、氷の刃めいた声で言った。


「行くぞ」


短く、説明不足なほどに単純な言葉。だが、エレナはそれだけで今がどんな状況なのか思い出した。顔を真っ青にして、懐から懐中時計を取り出した。かなりの時間がたってしまっている。


「……急がないと」


「ン」


葛城は頷きながらホールドオープンしたCz75に新たな弾倉を挿入し、スライドストップを降ろした。軽い金属音が鳴り、初弾が装填される。サムセイフティをかけてホルスターに銃を戻しつつ、言った。


「コトが終わったら真っ当なヒトの殺し方を教えてやる」


「えっ」


「お前の殺し方は不快だ。矯正してやる」


それだけ言って歩を進め始める葛城に、エレナはぱっと表情を明るくして大きく元気な声で返事をする。


「はいッ!」

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