悪徳の街 第十二節

 ビル街の風景が窓の外を流れていく。長大なビル、若い街路樹。さまざまな人種の通行人……。葛城はぼんやりとした瞳でそれらを眺め続けている。彼が乗っているのはいつものクラウンビクトリア……ではない。メルセデス・ベンツ製の高級なセダン・タイプだ。もちろん葛城の車ではない。ハンドルを握っているのは、見知らぬ黒服の男だ。助手席に座っているのがドミニク。そして、葛城は後部座席に一人座っていた。いつもの不機嫌顔で窓の外をずっと眺め続けている。


「アルトゥルの確保はそれほど苦労はしないかと思われます」


「警察に任せればいいんじゃないか」


「それができれば苦労しませんよ」


ドミニクの言葉に、葛城は投げやりに答えた。ドミニクは笑いながら、そんな葛城の言葉を否定する。何を当たり前のことを、と小ばかにしているような響きの声。


「ご存じでしょうが、既に警察は奴に買収されています」


「らしいな」


至極どうでも良さそうな態度の葛城。それに対し苦笑を深めるドミニク。そんな彼らを乗せて、ベンツは順調に街を走り続けた。アスファルトで綺麗に舗装された道。摩天楼のようなビル群。十年前にはこの国には存在しなかったものだ、と葛城は考える。彼は、日本人移民の夫妻から生まれた日系人だ。だから日本などいったこともないし、生まれも育ちもこの国だ。あまりに短期間での急激な経済成長に、かれはどこか取り残されているように感じていた。少なくとも、彼にとってのこの国は、今でも泥と塵に塗れた極貧国のままだ。


「ですから、我々で奴を確保し、証拠と共に警察に突き出してやるのですよ。そうすれば、流石に言い逃れできませんからね」


「そうか」


窓の外を眺めたまま、葛城は短く答える。長時間煙草が吸えていない。彼にとってはアルトゥルやら汚職警察やらのことよりも、それが重要な懸念材料だった。煙草が吸えないと、どうも落着けないし、イライラしてくるのだ。典型的なニコチン依存症の症状だった。しかし、そんな実体はおくびにも出さず、葛城は気だるげな様子を崩さない。


「この不愉快な事件もこれでやっとおしまいかと思うと、せいせいしますよ」


「へえ」


ドミニクはやけに多弁だった。身振り手振りを交え、助手席から身を乗り出して熱弁をふるう。そのたびに品の良いコロンの匂いが葛城の鼻をくすぐった。鉄火場の後と言うこともあり、硝煙と血肉の臭いを漂わせている葛城とは大違いだった。


「……」


 ベンツはゆっくりと進んでいく。居つくかの道路を通り、細い路地も進み、やがてアップタウンのはずれの郊外に出た。ビル街は遠く、近くにダウンタウンの時計塔が見える。しかし、ダウンタウンかといえばそうではない。どちらかと言えば、港に近い場所だろう。人気はないが、無数の海鳥が空を飛んでいた。使われていないオンボロの倉庫の前に車が停まる。


「さて、着きましたよ」


ドミニクはにやりと笑ってから、車外に出る。運転手が懐から銃をだし、葛城に向けた。


「両手を上げて外に出ろ」


「……」


葛城は無言で外に出た。手は上げない。周囲を見回すと、わらわらと武装した男たちがどこからか現れ、葛城たちを……いや、葛城を囲んでいる。


「手を上げろと言っている!」


運転手が語気を強めて言った。手に持った自動拳銃を葛城の胸に照準を合わせながら、運転席から素早く外に出て葛城の後ろに回る。葛城はそんな運転手をちらりと一瞥すると、ゆっくり懐に手を伸ばした。


「チッ!」


運転手が引き金を引こうとする。だが、その行為が遂げられることはなかった。


「ぐあああッ……!」


葛城が後ろを思いっきり蹴ったのだ。むこう脛に強い衝撃が走り、運転手は地面を転がって悶絶する羽目になる。


「煙草だ。落ちつけ」


運転手が取り落とした拳銃を踏みながら、葛城はそう言う。手に持っているのはラッキーストライクの両切りだ。彼はそれを手の中で一回転させると、ジッポで火をつけゆっくりと煙を吸い込んだ。


「ほう、流石の余裕だ」


ドミニクはそんな彼に、鼻で笑いながら言った。馬鹿にしたような声音だ。


「元反政府軍特殊部隊の経歴は伊達ではないようですね、葛城圭……いえ、栂辰己さん」


「またか」


煙を吐きだしながら葛城は言い捨てた。いい加減うんざりしたような様子だ。


「ゴドーの所にいた奴の飼い主か?」


「ええ、まあそんなところです」


頷くドミニクはどこか得意げだった。彼は無駄に大仰な様子で肩をすくめ、続ける。葛城は煙草を吸いながら、ドミニクなど眼中にないような風にあたりを見回す。アサルトライフルで武装した男たちが十数人。動きから見て、それなり以上の訓練を受けた連中だろう。数ばかりいた、あのゴドー邸で戦った連中とは雰囲気があまりに違った。相当の手練れのようだった。ドミニクが金に飽かせてどこかから引き抜いてきたのだろう。


「私も命は惜しいのでね、それなりの調査と対処はさせていただきました。何せ、ソルプエルトのブギーマンといえば他国にすら知れ渡った危険人物ですからね」


「用件だけ話せ」


短くそれだけ言って、葛城は煙草の煙を吸い込む。泰然自若とした落ち着いた態度だった。まるでこの程度の状況ではピンチのうちに入らないとでも言っているかのようだ。


「まったく、貧乏人はせっかちでいけない。もっと心に余裕を持つべきです」


彼は余計なことを付け加えてからではないと肝心なことを話せないタチなのかそう言ってから、ニヤリとわらって続ける。


「まあ既に察しているでしょうが、この件の首謀者は私です。アルトゥルも調子が悪くて籠っているというのは嘘で、既に拘束済み。あとは罪をかぶせて投獄するだけという状況です」


「だから本題に入れと言っている」


「まったく……」


心底馬鹿にした様子でドミニクは葛城を眺める。煙草の煙が拡散しながら流れて行った。地上の剣呑さとは裏腹に、空ではカモメが呑気に飛んでいた。


「まあ、月並みな要求ですが、武装解除をお願いします」


「……」


葛城は無言で腰と腋のホルスターから銃を取出し、地面に置いた。自動小銃を構えた男たちをゆっくりと見回し、腰の二本のナイフとポケットから出したバタフライナイフも地面に落とす。葛城を囲む男たちに、隙らしきものはなかった。そのうち一人が葛城に近づき、地面の武器を回収する。


「ジャケットも脱いでもらいましょうか。中に何を隠し持っているのかわかったもんじゃない」


「面倒な連中だ」


葛城はそう言ってジャケットを脱ぎ捨てる。重い音がして、ジャケットは地面に落ちた。男はそれも回収して、後ろに下がっていく。


「では、貴方には退場していただきましょう。何、すぐには殺しません。あなたのネームバリューは使い道がありますからね……」


そう言って、ドミニクは男たちに指示を出して葛城に手錠を嵌めさせる。葛城はそれには抵抗しなかった。ただ、時計塔の方を一瞥し、鼻を鳴らす。


「ふん……」

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