悪徳の街 第十一節

「来たか」


 不機嫌そうな顔でツェツィが言った。アップタウンの中心街にある、高級マンションの一室での話だ。この街でも最も家賃が高いであろうこのマンションの丸々一フロア全部を借り切った贅沢な場所である。当然、置かれた調度品も最高級のモノ。ゴドー邸と違い調和を重視した内装はとても趣味が良いものだった。そんな中、大きなガラス窓から降り注ぐ陽光を浴びて仁王立ちの姿勢を崩さないツェツィは、実にイライラとした表情をしている。いや、それだけではない。足で厚い絨毯の敷かれた床をパタパタと叩き、全身で不機嫌さをアピールしている。


「ユリウスが殺されたと聞いたが」


ツェツィのそんな様子にエレナとジョックは部屋に通されてからこちら、声をかけられずにいた。しかし葛城はずけずけとした物言いで核心をいきなりついた。ツェツィは葛城の言葉に頷き、大仰にため息をつく。


「ああ。今朝、自室で胸を撃たれているのが発見された。.22口径拳銃で心臓と頭に二発ずつ、だ。プロの手口だな」


「.22口径か」


実用拳銃に使用される弾丸の中でも.22口径は最も小さい口径と言える。当然威力は低いが、それを補って余りある利点があった。発砲音の小ささだ。減音器を銃口に取り付ければ、ほぼ無音で使用することができる。.22LR弾の入手のしやすさもあって、暗殺にはぴったりである。


「内部犯か外部犯かわからないのか?」


ジョックの問いにツェツィは眉根を寄せる。


「わからん。わかってもどうしようもない、と思う」


「どっちでもおかしくないし、どっちでも大差ないということか。厄介だな」


どこに敵が潜んでいるかわからない上に、そいつを捕まえてもトカゲのしっぽよろしく切り離されて黒幕にはたどり着けない仕組みになっている、ということだ。


「一応、証拠らしいものは見つけたのですが……」


そう言ってエレナが差し出したのは、ゴドー邸で発見した書類だった。ツェツィはそれを受け取ったは良いものの検分はせず、胡乱げな目つきでエレナを眺める。当然だ。生乾きになった彼女は血だの硝煙だの乾きかけの衣服の臭いだの、さまざまな悪臭を放っている。先ほどからちらちらとエレナの様子をうかがっていたツェツィだったが、とうとう我慢できなくなったらしく口を出した。


「いったい、何があったんだ」


「ええと……その、いろいろです。後ほど報告書を出しますから……」


「……まあいい、シャワーを浴びて着替えてこい」


「ありがとうございます……」


 そう言ってエレナはツェツィと葛城に一礼して去って行った。地味に無視されたジョックはどこか悲しそうな様子だったが、もちろんツェツィと葛城はそんなことは一顧だにしない。ツェツィは、椅子に座ってエレナから受け取った書類に目を通し始める。ジョックは所在なさげに葛城の方に目をやったが、こちらはこちらで何を考えているのかさっぱりわからない瞳で折り紙を折りはじめていた。紙が折れる音と、誰かが身じろぎする音のみが室内を支配している。誰もしゃべらない。ジョックは窓の外に目をやった。無機質なビル街と、遠くに見える古くて混沌としたダウンタウン。同じ名前を冠する街にもかかわらず、まるで見えない壁があるようにはっきりと別の場所であるのが見て取れた。


「……」


ツェツィの方を窺う。彼女は真剣な瞳で書類に見入っていた。金持ちの偉そうなお嬢様。ジョックにとってツェツィはそう言う印象だった。そして今、彼女は兄弟たちを次々殺され、自らも命を狙われているという。見た目は違っても、内実アップタウンもダウンタウンもそう変わらないのかもしれない。ふと、ジョックの頭にそんな考えが浮かぶ。誰かの利害のために命を狙われる。なるほど、確かに異常な状況だ。ソルプエルトならではだ……。


「いや……」


そこまで考えたところで、ジョックは静かに首を振った。そんなもの、世界のどこでだって起こりうることだ。異常な状況を、街にせいにしてもしょうがない。


「なるほどな」


 しばしの時を置き、ツェツィが書類を机に投げ出してそう言った。すっとその整った鼻梁を揉み、目頭をこする。彼女も少し、疲れているようだ。


「この印はアルトゥルのモノで間違いないだろう」


「ああ、お嬢さんも言ってたな。アルトゥルってのは、あんたんとこの兄弟の次男だったか?」


「そうだ、次兄のアルトゥルだ」


頷くツェツィ。


「おもに海運部門で音頭を取っている。海運部門と言えば、うちじゃ新興ながら稼ぎ頭だ。伝統的に塩山・鉱山部門の影響力が強い本社のやり方を嫌ってもいる」


「動機はあるってことか」


「その通りだ」


そう言った後、ツェツィは一拍おいてつづける。疲れ切った、年に似合わない老人のような声音で。


「だが、兄弟で殺しあう動機なんてものは、みんな持っている。私でさえな」


自嘲するかのような雰囲気だった。兄弟で殺しあう理由が普通に存在する世界。ジョックには、それがどのようなものかはさっぱりわからなかった。貧乏な家庭の一人息子として育った彼には、あまりにも遠すぎる世界だ。しかし、理解はできなくても想像することはできる。


「嫌な……世界だな」


「ああ。面倒なことにな。ただバルコヴァー家の娘として生まれただけで、望んでもいない政争に巻き込まれる。そして、そんな状況に適応してしまった自分がここにいるんだ……」


ひどく昏い瞳でツェツィはぼやく。彼女にも、人には言えない苦労があるのだろう。貧乏なりの苦労をしてきたジョックには、彼女に欠けるべき言葉が見つからなかった。ただ道場とも羨望ともつかない表情で、ぼんやりと視線を彷徨わせている。広い応接間だったが、ジョックは不思議と息苦しさを感じていた。


「まあなんにせよ」


重苦しい空気を払うかのようにツェツィが言う。


「残る兄弟はアルトゥルと私だけだ。自分が殺される前になんとかしなくてはな」


「どうするんだ?」


黙っていた葛城が聞く。いつもの不機嫌顔だ。


「実は、アルトゥルについては私も調べていた。もうすぐ結果が……」


「お嬢様」


 ツェツィが何か言いかけたところで、室内に男が一人入ってきた。黒いスーツの東洋系の男だ。葛城とジョックは、彼のスーツの腋が不自然に膨らんでいることを見て取っていた。葛城の手がすっとホルスターに伸びる。それを見たツェツィが、ため息まじりに制止する。


「味方だ、撃つなよ」


葛城の手が元の位置に戻る。反射的にジャケットの中に手を突っ込んでいた東洋人の男は、それを見てふっと肩の力を抜く。


「わたしの護衛の楊雷奮だ。……どうした?」


短く彼を紹介してから、ツェツィは楊に目を向ける。鋭いが、どこか倦んだような瞳だった。だいたい、用事の検討はついているのかもしれない。


「ドミニク様から面会の申し出がありました。お通ししますか?」


「来たか」


当然のような表情を浮かべてツェツィは頷く。恋人が来ているという割には、えらく醒めた態度だった。


「通せ」


「は」


深く一礼し、楊は部屋を去る。ジョックは思わず葛城の方を見た。彼女の含みのある態度に、この男がどういう反応をするか少し気になったのだ。しかし、彼は常と変らぬ表情で折り紙を再開していた。足元にはすでに、いくつかの完成した作品が落ちている。実に興味のなさそうな態度だった。


「一応、な」


注目を集めるためか手をひとつ叩いてからツェツィが言い始めた。二人の視線が彼女に集まる。ツェツィは、葛城とジョックを交互に見ながら話す。まるで二人の表情や態度を確かめるかのような目つきだった。


「ドミニクの方にも調査を頼んでおいたのさ。もちろん、アルトゥルのな」


先ほどの話の続き、と言うわけだろう。ドミニクの訪問はなかなかタイミングが良かったのかもしれない。


「ただの連絡なら携帯でもメールでも使えばいい。わざわざここまで足を運んだということは、何か掴んだということだろう」


「その通りです、お嬢様」


葛城とジョックに向けられていたはずの言葉に返す声があった。ドミニクだ。彼は自然な足取りで三人のもとに近づき、当然のようにツェツィの隣に座った。彼を案内してきた楊はドアの前で待機しているようだ。その手がいつでもジャケットの中に手を突っ込めるような位置にあることを、葛城はひそかに見ていた。


「一歩遅くなってしまいましたが、確かに奴の尻尾を掴むことができました」


「ユリウスの方はどうなんだ?」


彼はユリウスの秘書だ。そのユリウスが死んだ今、ドミニクがこうしてツェツィのもとに足を運ぶ余裕があるのか、といった風にツェツィが聞く。まるで、責めるかのような口調だった。


「先手を取られ、みすみす義兄様を殺されてしまったのは、完全に私の失態です」


しかし、とドミニクはつづけた。まるで舞台俳優のような大仰な手振りだった。そんな彼に、ツェツィとジョックはひそかに目を細くする。ただ葛城だけが、黙々と折り紙を折り続けていた。ドミニクが入室してからこちら、彼は何の反応を示していない。静かに折り紙を作っては、完成品を床に落として新しい作品に取り掛かっている。ドミニクは逆にそんな葛城の様子を怖がっているようだった。当然だ。大の大人の男、それも目つきが最悪に悪いいかにもなやくざ者が黙々と折り紙を折っていれば誰だって薄気味悪く感じる。だからドミニクは、ツェツィとジョックの視線の変化に気付くことができなかった。


「しかし、これで事件は終わりです。これをご覧ください」


ドミニクがバッグに入っていたファイルから取り出したのは、一枚の書類だった。


「ほう。これは……」


ニヤリと口元にだけ笑みを浮かべながらツェツィが言う。その書類は、何かの指令書だった。殺せだの、報酬は百万ドルだの、なにやら物騒な文面が踊っている。そして、最後の署名欄には確かにアルトゥルの名前が署名されていた。ツェツィにはその筆跡に見覚えがあった。たしかに、次兄のアルトゥルのものだ。


「ふふっ……ふふふふ……」


形だけの笑いが、次第ににやにやとした嫌らしい本気の笑いに変化していく。やがて大笑いし始めたツェツィはバシバシとドミニクの肩を叩きながら言った。実に上機嫌そうな様子だ。しかし、目は一切笑っていない。


「よくやった、よくやったよお前は。これでこのくだらない騒ぎをお終いにできる」


「ええもちろんです、お嬢様。アルトゥルを捕まえ、しかるべき罰を与えねば」


「当然だドミニク。それは当然のことだ。……これを見ろ」


ツェツィが指し示したのは、エレナが持ってきた例の書類だ。ドミニクは頷いて、それを掴み、読み始める。じきに彼の顔が驚愕の色をしめし始めた。


「これはこれは……なんとタイミングがいい」


「ああ、最高のタイミングだった」


笑顔で頷くツェツィにドミニクは追従笑いを浮かべる。折り紙が床に落ちる乾いた音が微かに部屋に響いた。空虚な沈黙が広がる。かさかさと音を立てながら、葛城が新たな作品の製作に取り掛かり始めた。


「アルトゥルの所に行って、奴を拘束してくれないか?」


ツェツィが葛城を見ながら言う。しかし、葛城の反応は冷淡そのものだった。


「おれが行く必要はあるのか?」


「威圧と言う面では、必要十分の効果があると思うが?」


「……結局、おれをどう動かしたいんだ」


「なに?」


片眉を跳ね上げるツェツィに、葛城は折り紙をポケットにしまいながら答える。例の茫洋とした、真っ黒な目でエレナの瞳を睨みつける。いや、睨む意図はないのかもしれないが、もともとの目つきの悪さからツェツィは睨まれたように感じていた。


「殺すべきか、殺さざるべきか、それが問題だ」


「なるほど」


にやりとツェツィは笑った。確かにその方が楽かもしれない。そういう風にとれる笑いだった。


「慢心は人間の最大の敵だ。そうだろう?」


「シェイクスピアか」


ジョックが笑った。なるほど、この非文化的な日系人にも教養はあるらしい。ずいぶんと失礼な理由でジョックは笑っていた。


「まだ自体は予断を許さない。まだ貴様の働くべき場所はある……気がする」


「分かった」


「よし。貴様は……」


ツェツィは頷いてから、ちらとジョックに目をやる。彼も彼で、優秀な人材だ。どう動かすのが一番効率的か。数秒考えたのち、ツェツィは結論を出した。


「コトが終わるまでは私の護衛を頼む」


「任せておけ」


頷きあう二人。ドミニクはそんな二人に焦れたような表情で言った。


「急いでアルトゥルの所に行きましょう。見張りによれば、いまだアルトゥルは家から出ていないようです。私が案内しましょう」


「ああ」


葛城はそう言って立ち上がり、部屋を出て行く。作り上げた数々の折り紙は床に落ちたままだった。ジョックはそのうちの一つを拾い上げ、眺める。


「もったいないな、なんだか」


「完成品には価値を見出していないんだろうさ」


やる気なさげな瞳でツェツィがそう言う。彼女の手には、スマートフォンが握られていた。


「さて、こちらも動くことにするか」

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