悪徳の街 第十節

 ジョックは物陰に隠れていた。誰に強制されたわけでもない、自分から隠れていた。家と家の間の狭い空間に潜み、しきりにあたりをきょろきょろ見回している。葛城たちがゴドー邸に突入して十数分、かれは全身に緊張感をみなぎらせあたりを監視していた。


「派手にやりやがるなあ」


ゴドー邸からは凄まじい銃撃音が盛んに聞こえてくる。通信は一切入っていないため、彼は心配顔だった。葛城は殺したって死なないだろうし仮に死んでも悪人だ。なんの良心も傷まない。しかしエレナは別だ。あのような幼気な少女が無残に殺されることは、彼の正義が許さない。だがしかし、持ち場を捨ててエレナを助けに行けば、敵の増援が来たときに挟撃されることになる。その危険性は彼もよくわかっていた。


「くそ、落ち着かねえ」


コンクリートで舗装された地面を、硬い半長靴の靴底で荒々しくたたく。銃撃戦が始まって数分で周囲の民家からは次々と人が飛び出していき、あっという間にこの場所は無人地帯になった。避難をする動きも手慣れたものだ。何度目かわからないため息をジョックはついていた。


「俺、なんだこんな所にいるんだろうか」


ジョックは元米国海兵隊の隊員である。しかも、士官だった。生まれこそ貧しいが、一流大学であるコロンビア大学を次席で卒業し、アメリカンフットボールではスター選手として活躍していた。そして軍に入り、無事士官として着任して戦地へと赴いた。非の打ちどころのないエリート人生だ。それがなぜこんな掃き溜めの様なところにいるかと言えば、彼が上官に反抗したことが原因だった。女がらみの喧嘩で、彼が中隊長をぶん殴ったのである。もちろんそのまま不名誉除隊だ。周囲からの視線が凄まじく痛かった。故郷にもいられなくなり、仕方なくいろいろな仕事を渡り歩いているうちにこんなところに流れ着いてしまった。非の打ちどころのない転落人生である。


「はあ……」


ため息をつきながら銃床を撫でた。このM16自動ライフルは軍人時代からの彼の愛銃である。もちろん現役時代とは同種の別の銃だが、その重さと手触りはかつての愛銃となんら違いはない。


「銃声が止まったな」


気付けば、既に発砲音は聞こえなくなっていた。戦闘は終わったのだろうか。通信を入れようかと思ったが、やめた。戦闘が終わったのではなく、こう着状態に陥っているとしたら、通信を入れれば邪魔になるかもしれない。彼は当初の予定通り見張りにのみ注力することにした。さして時間は立っていないだろうに、ずいぶん長いことこうして見張りを続けているような気がする。彼は都市戦の訓練も実戦も経験済みだが、しかしこれほどまで治安が悪い街で、また味方が信頼できない状況での戦闘などさすがに経験がない。緊張するのも仕方のない話だ。大粒の汗が顔から垂れ、地面を濡らした。早朝とはいえ赤道付近、気温は十二分に高い。実戦を想定して厚着をしてきたのが間違いのもとだったのだ。

 ガラスの割れる音が鳴り響いた。ジョックはライフルの銃口と視界をリンクさせつつあたりを見回す。特に何も無いようだった。運悪く、ケインが飛び出した窓はジョックのいる場所とは正反対の位置にあったのだ。


「……」


無言で警戒を続ける。煙草を吸いたくなったが、ジョックは我慢した。まだ路地の中は薄暗い。下手に火を使うと目立ってしまうのだ。それは避けたかった。仕方なく無言でポケットからガムを取出し、口に放り込む。顎を使って爽やかな味のガムをかむと、いくばくか心が落ち着いてきたようだった。真剣な瞳でジョックは見張りを続ける。

 やがて、狭い眼前の道路に複数の車が走ってきて停車した。えらく乱暴な運転だ。ジョックは顔をしかめてその車の一台に狙いを定める。案の定、中から出てきたのは銃を構えた人相の悪い男たちだ。これはもう、ゴドーの味方と思って間違いないだろう。車からわらわらと降りてくる男たちの中でも一際偉そうな男にジョックは狙いを定めた。低倍率スコープの十字のレティクルの真ん中に男の腹を捉える。幸い、隠れているだけあって男たちはジョックの姿を発見していないらしかった。だがしかし、数だけはやたらといる。二十人強、といったところだ。流石にこれは一人ではどうにもならない。銃声が聞こえなくなってしばらくたっている。コトがすでに終わっていることを願いつつ、ジョックはインカムのスイッチを入れた。


「おい聞こえるか! 敵の増援だ。二十以上は居る! 俺だけじゃ抑えるどころか障害物にもなりゃしねえ、早く来てくれ、コトはまだ終わってないのか!?」


 数分後。ジョックと男たちの銃撃戦のさなか、道路の真ん中に真っ黒いナニカが舞い降りる。コンクリートを靴底でたたく重い音が住宅街に響き渡った。葛城だ。葛城が二階の窓から飛び降りてきたのだ。手にはライフルが構えられている。


「なっ」


物陰に隠れたジョックに自動ライフルでフルオート射撃をみまっていた男の一人が驚愕の表情で振り向く。彼らにとっては運悪く、完全に後ろを取られた形だった。


「……」


葛城はちらりと自分の車に目をやった。無事だ。この男たちを放っておいて車で逃走すればさっさと逃げ切ることができるだろう。それが賢い選択だ。


「……」


しかし彼は戦闘を選んだ。マズルフラッシュが瞬き、銃声がこだまする。白煙を上げる銃口をまた別の敵に向けながら、葛城は遮蔽物となる路上駐車の車の物陰に走った。胸を撃ち抜かれた相手がばたりと路上に倒れ、赤い水たまりを作る。


「来たか! おい、どうだった!?」


葛城の耳のインカムがそうがなり立てる。耳障りな音を立てて、葛城の隠れる車が蜂の巣になって行った。車などライフル弾の射撃の前には大した障害物にはならないのだ。葛城は応射しつつ新たな遮蔽物のもとに向かう。ランダムに加減速と方向転換をしながら走るその独特の移動法に、敵は命中弾を出すことができない。それどころか、葛城が応射するたびに一人、また一人と犠牲者が増えていく。


「問題ない、手筈通りだ」


口元のマイクにそう吹き込みつつ葛城は新たな敵にライフルの銃口を向けた。発射炎。地面に斃れた死体に新たな仲間が加わる。弾幕など無駄の極みと言わんばかりの精密射撃のオンパレードだった。その様子を見ていたジョックはおもわず口笛を吹いた。


「過剰なまでに頼もしいな」


半ばあきれ顔のジョックは、彼への火線が減少したスキに口内のガムを吐きだし、物陰から飛び出した。


「悪くない」


アクロバティックな動きで弾丸を回避する葛城に盛んに発砲していた一人にライフルを向けた。反動とフリンチングを計算に入れて照準を修正し、引き金を引く。撃針が雷管を叩き、ガンパウダーに点火された5.56mm弾が銃身内で超音速まで加速されて銃口から飛び出す。その反動でボルトが後退し、新たな弾丸が装填されると同時に空っぽになった薬莢が排莢口から排出される。硝煙で曇った真鍮の円筒がコンクリートを叩いて涼やかな音を立てた。撃ち出された弾丸は狙い通りの敵へと命中する。腹に弾丸を受けたその男は、血を吐きながら片膝をつく。


「……」


続けてもう一発。今度の弾頭は男ののど元を抉った。スプリンクラーのように血を吹きだした男はそのまま絶命する。洗練された射撃だった。


「お嬢さんが見当たらないぞ、まさかお前」


「だ、だいじょうぶです、生きてますよッ」


ジョックの問いに、ゴドー邸の玄関から飛び出してきたエレナが答えた。流石に葛城よろしくダイナミックアプローチをする豪胆さは持ち合わせていなかったのだ。


「そりゃよかったが……何があったんだよその格好」


物陰でエレナと合流すると、ジョックはエレナの姿を見ながらそう言った。彼女は血と、そして葛城に頭からぶっかけられた水でとてつもなく汚れていた。幸い、水で流されたおかげでおもらしの件については外見上も臭い的にもわからなくなっている。人並みの羞恥心を持っているエレナはこれ幸いとその事実をなかったものとして扱うことにした。


「ちょっと中で頭に血が上りすぎちゃいまして……葛城さんに頭を冷やせって」


「なんてことしやがるあの男」


事情を知らないジョックはそう言って憤慨する。嘘は言っていないものの事実とはかけ離れた想像をしているだろうジョックに内心謝りつつ、エレナは自分の腹に手を当ててさすった。葛城に蹴飛ばされたそこは今もじくじくと痛み、ひどい吐き気が彼女を襲っている。とはいえ、ただそれだけだ。鍛え上げられた成人男性に本気で腹を蹴り飛ばされたとなれば、いくら多少鍛えているとはいえエレナのような華奢な少女では、致命傷を負ってもおかしくない。にも拘わらず彼女がこの程度のダメージで済んでいるのは、葛城が多少手心を加えたからに他ならなかった。


「……」


あの生死をかけた問答の中で得た一方的な共感。そして手加減されていたという事実。痛みだけが原因ではない温かさを体に感じたエレナは、頬が何故か熱くなっていた。


「すげぇな、オイ……もこの仕事、あいつだけでいいんじゃないか……」


だが、そんなジョックの言葉でエレナは我に返る。ジョックの視線の先には、ナイフを敵の胸に突き刺す葛城の姿があった。心臓がある部位……ではない。彼の狙いは心臓の上にある鎖骨下動脈だ。脳や腕に新鮮な血液を供給するための重要な大動脈に傷をつけられた男は、顔を文字通り真っ青にしながら倒れる。脳に供給される血液が減少し、一気に全身の力が抜けたのだ。恐ろしいまでの手際だった。彼はしかしそんなことには興味がないのか、血に塗れたナイフを腰の鞘に納めてライフルの銃口を、ずいぶんと元の数より少なくなってしまった男たちに向ける。


「なっ……ああクソッタレがッ!」


 みるみるうちに数を減らされた男たち。残っているのは、たった一人だ。当たり前だがその男は、明らかに動揺しているようだった。対する葛城は、見るからに落ち着いた様子だ。エレナと話していた時よりも、とても安らかな表情をしている。哀れにも彼らは、ストレス解消のはけ口にされていた。狩るものと狩られるものの差は明確であった。数で圧倒してたはずの男たちはしかし、いまではたった一人の哀れな小物を残して壊滅している。そして最後の一人が同じ道をたどるのも時間の問題だった。


「なあおい、頼むよ、助けてくれよ……俺が死んじまったら、妹が、妹に薬を持って行ける人間が居なくなっちまう。なあ頼むよ、なあッ!」


男の声には熱意がこもっていた。自分の命がもう長くないから……ではない。確かにその男からは、妹を思う気持ちが感じられた。こんな街で学のない人間が稼ごうと思えば、当然それは非合法なモノが一番手っ取り早い。マフィアの構成員だからとういって、根っからの悪人とは限らないのだ。この程度のことはよくある話だった。


「妹が、居るのか」


葛城が聞く。男は激しく頷きながら答えた。


「ああ、病気なんだ……大事な妹だ、ヤブの闇医者なんかに任せられねえ……ちくしょう、アップタウンのあの気取ったクソ医者め、足元を見やがって」


理不尽な状況に、男は怒りの矛先を関係のない医者に向けることで精神の均衡を保とうとしているようだった.怒りに震える声でそう言いながら街路樹を殴る。そうして葛城の前に出てくると、跪いて頭を地面にこすり付けた。


「頼む、頼むよ、お願いだから殺さないでくれ……ッ!」


「なるほど」


僧とだけ言って、葛城はライフルの銃口を男に向けて発砲した。当然、狙いは心臓。二発の弾丸が彼の命の象徴を穿ち、苦しむ間もなく彼を昇天せしめた。


「一人殺せば二人死ぬのか。一石二鳥だ」


嫌に晴れ晴れとした声でそう言い、M4A1の弾倉を交換して背中に背負う。そして、煙草を取り出して火をつけた。これで最後の煙草だったのか、空箱を路上に捨てる。そんな様子をあっけにとられたような表情で見ていた二人だったが、突然エレナのスマートフォンが震動し始める。慌てて取ると、ツェツィからの着信だった。


「おいエレナ」


「は、はい、なんでしょう」


ツェツィの声には珍しく焦燥が浮かんでいた。そんな主人の様子に、エレナも眉を顰める。


「ユリウスが殺された」


噛みしめるような声で、ツェツィは新たな犠牲者が出たことを告げたのであった。

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