悪徳の街 第八節

埃くさいベッドの中で、エレナは目を覚ました。まだ周囲は暗い。月の淡い光が、室内をぼんやり照らしている。エレナが動くたびに、埃が舞い散るのが見て取れ彼女は眉を顰めた。まるで廃屋の一室のような有様だが、これでも立派に人の住む家だ。どうも葛城は、リビング以外の部屋は一切使っていないらしい。エレナは目をこすりながら床に足をつけ、ベッドに座った。枕元に置いていたスマートフォンを起動し時間を確認する。午前三時だった。早めに就寝したため、眠気はない。スマートフォンを枕元に戻し、ベッドサイドテーブルの上の愛銃、コルトM1903自動拳銃を手に取った。小型とはいえ現代のポリマー製オートマチック・ピストルよりも幾分重いそれのスライドを引き、薬室に.32ACP弾が装填されていることを確認した。


「よし」


ゆっくりと頷き、セイフティをかけなおして右足のレッグホルスターに銃を収める。ぼんやりとした月光が、キャミソールに包まれた彼女の薄い体を照らしている。着ていたメイド服は、壁のハンガーにかかっていた。それを手に取り、手早く身にまとっていく。飾りの少ないヴィクトリアン・メイド型のそれは、動きやすく着心地もよかった。服をしっかり着ると、リボンで髪をサイドテールに結ぶ。鏡が無いので少々不安だったが、それでも何とか彼女は自らの金糸のような髪を結び、外出できる程度に整える。ヘッドドレスも忘れずにかぶり、最後に小さな肩掛け鞄にスマートフォンを突っ込んでたすき掛けにして、用意は完了。


「おはようございます」


小さな寝室から出て、エレナはリビングに向かった。既に葛城は起床していたようで、拳銃を手に部屋の真ん中に立っていた。どうも、抜き撃ちの訓練をしていたらしい。


「……」


葛城はエレナを一瞥するも何も言わず、銃をヒップホルスターに戻した。途中の動作が見えないほどの速さだ。そして再び、銃を抜いて構える。やはり途中の動作は視認さえできない。エレナは思わず感嘆の声を上げた。これほど見事な抜き撃ちはなかなか見ることができないだろう。銃を抜き、そしてホルスターに戻すたびに小さくない風切り音が聞こえるほどだ。数分ほどそうやって訓練を続けていた葛城だったが、やがて満足したのか壁にかかっているフライトジャケットをコンバットグローブに包まれた手で掴み、羽織った。


「おい」


「あっ、なんでしょう」


葛城が棚の中から何かを取り出してエレナに投げ渡した。トランシーバとヘッドセットだ。


「付けておけ」


「ありがとうございます」


戦闘中にわざわざ携帯で連絡をとるのは難しいだろう。エレナは素直に感謝しながらそれらのセットを装着した。少し大きいが、許容の範囲内だ。葛城は自分も同じものをつけ、ジョック用と思わしきもうひとセット分のインカムをひっつかんで歩き始めた。鉄パイプ製の簡素なガンラックからM4A1自動小銃を取って、背負いひもでたすき掛けにする。そのまま出口に向かおうとして、彼はふと振り返った。


「ショルダーアームは」


「すみません、ありません」


まさか積極的な襲撃を行うことなど考えていなかったエレナは自動小銃や短機関銃を持ち込んでいなかった。拳銃の貧弱な火力では、彼の足を引っ張りかねない。そのことに思い至ったエレナは眉根を寄せた。


「使え」


葛城が投げてよこしたのは、ロシア製のサブマシンガンだった。エレナはこの銃の名前を知っていた。PP-19だとかビゾンだとか言われている銃だ。形状から見て大容量のスパイラルマガジンを装備するタイプではなく通常のボックスマガジンを装着するモデルのようだ。それから葛城は空マガジンをいくつかと、9mm弾が入った箱をいくつも手渡す。ビゾンはスリングで背負うとして、マガジンと弾丸はなかなかの重さだ。エレナは必死にそれらを落とさないようバランスをとった。最後に小さなマガジンローダーを弾薬箱の上に乗せて葛城は外へ出た。待つつもりはないようだ。マガジンへの装填は車内でやれ、ということだろう。エレナはあわてて彼を追いかけた。


「むー……」


 エレナは空マガジンへ9mmルガー弾を詰め込みながら唸っていた。補助器具のマガジンローダーを使って装填しているものの、揺れる車内ではなかなか上手くいかない。それでも。これが最後のマガジンだとエレナは奮闘していた。葛城はそんな彼女を一瞥もしない。まるで義務のように紫煙を燻らせながら、ぼんやりと運転している。まだ深夜ともいえる時間だ。流石にこんな時間に営業している店もほとんどなく、街は真っ暗で閑散としている。LED化されてないハロゲンランプが路を頼りなく照らしている。街頭はことごとく壊れているか電球が切れているようで、光っているものは一本もない。


「よし、できた」


装填済みのマガジンを鞄にしまいながらエレナはにっこり笑う。残った弾丸はしっかりと箱に戻して、足元に置いた。相変わらず車はガタガタと揺れ続けている。非常に乗り心地

の悪い車だった。尾行を避けるためか、わざわざ遠回りのルートを通っているようだ。それが余計に、この不快な乗車時間を長引かせている。


「……」


やがて車は怪しげな音を立てて停車した。とうとう壊れたのかとエレナは慌てたが、どうも違うようだ。場所は例の店の前である。葛城が自分の意志で止めたのだ。彼の態度から見るに、この程度の異音は日常茶飯事らしい。何年点検していないのか、想像したくもないとエレナは思った。


「よう、ぴったりだな」


ジョックが車に入ってきた。後部座席に腰を下ろし、丁寧にドアを閉める。彼もライフルを持ってきていた。黒く、長大な自動小銃だ。上部には低倍率スコープらしきものが取り付けられている。


「おはようございます。これ、どうぞ」


エレナはあいさつしつつ葛城から預かっていたインカムを渡した。ジョックは礼を言いながらそれを装着した。エレナとは逆に、すこし小さいようだ。しかし規格外に大きい彼はそんなことには慣れているのか気にする様子はない。


「見たことないタイプだな。ロシア製か? これ」


「知らない」


「おいおい、メーカーも見ずに買ったのかよ……」


葛城は返事をしない。ジョックもそんな彼の反応にもなれたようで、相対的に小さく見えるヘッドセットを弄りながら言った。


「ま、使い方はさして変わらないだろ」


やがて上手くいったのか、ジョックの呟く声が彼らのヘッドセットから聞こえるようになった。本来は遠くの人間と会話するための機器なので、至近距離で話しているときに声が二重に聞こえることにエレナは違和感を感じつつも苦笑を浮かべた。


「アーロン通りはここからすぐ近くだ。しっかり用意しておけ」


「あいよ。俺は外で待機してりゃいいのか?」


「そうだ」


ジョックは微妙な表情だった。運が良ければ、大した労力もかけずに大金を入手できる。しかし意外と真面目な正確な彼には、危険を他人に押し付けることには抵抗感があった。だが、対する葛城は何の問題もない、といった表情だった。


「まあ確かにバックアップも重要な仕事なのはわかるぜ? でもなあ……」


「……」


「……はいはい、わかったよ。敵っぽいのが来たら足止めして連絡すりゃいいんだろ?」


スッと葛城の目つきが細くなったのを見たジョックがため息まじりに言った。葛城はそれでよし、とばかりに運転に集中する。エレナは、ギスギスした空気にため息をつくしかなかった。


「ここだ」


 次に車が止まったのは高給そうな住宅の立ち並ぶ閑静な通りだった。葛城はスマートフォンに目を落として、ルパードから送られてきたゴドーの家の外観を確認する。窓を開けてあたりを確認すると、それらしい家があった。白くて大きな家で、広大な庭が付いているのが少々離れたここからでもよくわかった。玄関には、上り始めた太陽の光に照らされた歩哨らしき男が二人立っている。ただ、早朝と言うことで気が緩んでいるのか、二人とも椅子に座って寝こけているようだった。


「同時にあの連中を殺す。お前は手前のをやれ」


「了解だ」


エンジンを止めながら言う葛城にジョックは深く頷き、ドアを開けて外に出た。早朝の清廉な空気が心地よかったが、これから鉄火場に踏み込むとあって彼はそんなものは全く気にしていない。対する葛城は、煙草を路上に捨てると右足で火を踏み消し、M4を構えた。同じようにジョックも構える。微妙に異なってはいるが、二人とも同じような構え方だった。


「行くぞ」


葛城は呼吸を軽く止め、引き金を引いた。軽い銃声が二重に響き渡り、同時に軽微な反動が彼の肩を襲う。葛城はその反動を事前に予想して照準調整を行っていたらしく、そのまま二発目を発砲する。5.56mmフルメタル・ジャケット弾は超音速で歩哨に迫り心臓を貫いた。二発目も同じように心臓に着弾する・壊れた蛇口のように大量の血を体外に流してしまった歩哨は、声を上げる余裕もなくショック症状を起こし絶命した。ジョックの放った弾丸も同様に別の歩哨の腹を貫いた。しかしこちらは、即死には至らない。


「走れ」


葛城が短くエレナに命令し、自分もゴドーの屋敷の玄関に向かって走り出した。もちろん、エレナもそれに追従する。


「……」


葛城は声にならない悲鳴を上げてのた打ち回る歩哨を一瞥し、その心臓に一発5.56mm弾を叩きこんでから屋敷の玄関を見やった。大きいとはいえ所詮は末端幹部の家。一枚扉の平凡な玄関だ。彼は右手でCz75を抜くと素早く二連射、扉の蝶番を撃ちぬく。そのまま力いっぱい玄関を蹴り開け、内部に突入する。


「カチコミかッ!?」


エントランスでたむろしていた男が叫ぶが、その胸に5.56mm大の穴を開けて即座に沈黙する。硝煙に曇った金色の薬莢がリノリウムの床に落ち、カランカランとむなしい音を響かせる。エントランスに居たのは三人。もう一人の男も即座に胸を撃ち抜かれて倒れ伏した。恐ろしく正確で素早い射撃だ。最後の一人は拳銃を抜いて応戦しようとするも、32ACP弾に腕を撃たれて銃を落としてしまう。正確に肩関節を撃ち抜かれていた。エレナだ。長銃身の精度をうまく利用し、そのまま左手の肩関節、そして両足の股関節を容赦なく撃つ。


「あああああああああああ!!」


一瞬にして四肢を奪われた男はこの世の者とも思えない悲鳴を上げて床をのた打ち回ったが、すぐに沈黙する。葛城が胸を撃ったのだ。


「ばかな殺し方はするな」


「こっ、殺してません!」


「あれじゃ苦しむだけ苦しんでじきに死ぬ」


それだけ言うと葛城は階段を指差す。


「ゴドーの寝室は二階だ。逃げられる前に殺すぞ」


「……はい」


話し合う余地はないとばかりの態度の葛城にエレナは仕方なく頷く。葛城は葛城で、そんなエレナにいっぺんの興味もないような態度で煙草をポケットから取出し、火をつけて咥えた。そのままスタスタと階段を上がっていく。不用心に見えるが、視線は一時も同じ場所を見てはいない。全周囲に警戒をしているようだった。もちろんそれは、エレナがカバーしている部分も、である。全く信頼されていないことをまざまざと見せつけられたエレナはため息をついてビゾンを握りなおした。


「糞がッ、敵なのか!?」


急いで出てきたらしい男がライフルを抱えて現れるも、葛城は相手に銃を構える余裕さえ与えずに打ち倒す。エレナに手を出す暇はない。


「好き勝手しやがってこの野郎……!」


階段を上りきったところで新たに三人の男たちが居た。手に持ったライフルやサブマシンガンを撃ちまくり、弾幕を張る。高低差を生かして頭を下げれば弾丸にあたることはないが、多少の心得はある様で交互にリロードを行い弾幕を絶やさないようにしている。階段の奥にある壁が弾薬のフルコースで見る見るうちに穴だらけになって行き、立派な窓に成長していった。それでも彼らは射撃をやめない。パラパラと降り注ぐ建材のかけらが葛城の肩にかかったが、彼は顔色も表情も一切変化させていない。


「へへ、隠れるばかりじゃじり貧だぜお客人よォ!」


有利な状況になっているのがうれしいのか、男の一人が興奮した声でそう言い、ベルトにひっかけていた何かを手に取る。手榴弾だ。


「ほらよっ!」


黒く丸い手榴弾は葛城たちのもとにコロコロと転がってきた。エレナが声にならない悲鳴を上げつつ逃げようとするも、葛城は冷静だった。


「……」


「なッ……!?」


無言で手榴弾を拾い、投げ返す。男たちは逃げようとしたが、時すでに遅し。作動していた信管が内蔵された爆薬を作動させて、硬い金属の外殻を弾けさせた。鋭い金属片と爆風は狭い廊下に固まっていた男たちを皆殺しにするには十分な威力である。体のあちこちに金属片を受けて血まみれで倒れ伏す男たち。一方至近距離でそんな爆発に合ったエレナもただでは済まない。少なくない威力の衝撃波に頭をシェイクされ、彼女は思わずふらついてしまう。しかし、葛城は平素と変わらぬ様子だった。


「うう……葛城さん、平気なんですか?」


「慣れてる」


短くそう言って、葛城は階段を上り始めた。屋内で手榴弾が爆発した影響は凄まじく、床は無事なものの爆心地近くの壁材はあらかた吹き飛んでしまっている。もともと広く作られていることもあって凄まじい開放感あふれる空間が出来上がっていた。しかし、人肉の焦げる臭いがあたりに充満しており、気分爽快とはいかない。少し気分が悪くなって、エレナは顔をしかめた。そんなエレナを一顧だにすることなく、葛城はつかつかとしたいに歩み寄り、物言わぬ屍と化した男の身体に触れた。血とその他の体液が入り混じった液体が彼の手袋に付着する。


「……」


そのまま葛城は、生き残った壁にその血で何かを書き始めた。『To shine in the firmament of heaven』聖書の一節だ。この殺しが葛城の手によるものというサインのようなもので、彼はこの街に来た時から可能な限りこの習慣を実行するようにしている。エレナはとんでもないものを見るような目で葛城を眺めていた。


「ああああああっ!?」


 そんななか、一室から全裸の女が奇声を上げながら飛び出してきた。葛城の指が自動小銃の引き金を引き、銃声が二度響く。女は胸に銃創を開けて倒れ伏した。女の出てきた部屋のドアを葛城は鋭くにらむ。おそらく彼女は、銃声と爆発音に耐えきれなくなって飛び出してきたのだろう。葛城は女の死体を足でどけ、銃口をすっと部屋に差し込んでから覗きこむ。


「くそっ、見つかったか」


中には数名の全裸の女性と、バスローブをまとった中年の白人男性の姿があった。この男がゴドーだろう。大きなベッドが置かれた寝室のような部屋だ。状況から見て、昨夜よろしくヤった後に就寝し、葛城たちの襲撃で目を覚まして息をひそめていたに違いない。


「ゴドー以外は殺しておこう」


「えっ……あっはい」


そう言うなり葛城が小銃を構え、エレナがそれに続く。直後、複数の銃声が響き渡った。葛城の放った弾丸はまるでそうなると最初から決まっていたように標的の心臓をえぐり、エレナの弾丸はやはり四肢の関節を砕いていた。豪華だが、どこか統一感に欠ける成金趣味丸出しの部屋に悲鳴がこだました。エレナに撃たれた娼婦は凄まじい形相を浮かべ地獄の亡者のような叫び声をあげている。反面、葛城の撃った連中は静かなものだった。


「……」


心持ち不快そうな様子で葛城は銃口をまだかろうじて生きている女に向ける。そして銃声。だが、それは葛城の銃が発したものではない。


「……」


跳弾らしきものが廊下の壁を抉った。葛城はまだかすかに震えるナイフを鞘に戻しながら首を横に向ける。そう、彼は銃弾をナイフで弾いたのだ。


「奇襲にこうも対応するとは……ッ!」


発砲したのは、廊下の突き当たりのドアから体を出した銀髪の男だった。葛城はその男を一瞥すると、ライフルを向ける。男は憎々しげな、それでいて余裕を持った表情で部屋に引っ込んでいった。誘っているのだ。葛城は無表情でライフルをそちらに向けて走り出す。ゴドーは無視だった。


「ええ……」


彼のことはエレナに任せた、と言うことだろう。彼女は困惑の表情を浮かべていた。勝手なことをして失敗すれば、葛城に何をされるか分かったものではない。仕方なく現状維持に努めようと、エレナはゴドーに銃口を向けた。


「と、とりあえず動かないでくださいね」

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