悪徳の街 第七節

夕焼けに染まった街を葛城のクラウンビクトリアが走っていた。歴史と混沌が融合した奇妙な街は、真っ赤な太陽に照らされてまるで燃えているかのような様子だった。車が走る道も、何百年も前に作られた石畳の道であり、あちこちがデコボコしている。そんな悪路を十年以上前の中古車が走って大丈夫なはずもなく、へたったサスペンションでは吸収しきれない激しい揺れが車内を襲っている。もっとも、持ち主である葛城はさして気にしてはいないようだったが。


「ああクソ、ろくでもない一日だった」


大きなため息をつきつつ言ったのはジョックだった。発言とは裏腹に、顔には余裕のある笑みが浮かんでいる。外見通り程度のタフネスさを持ち合わせているようだった。


「腹減らねえか? ちょっと早いが飯にしようぜ、親睦を深めるためにもな」


「ああ、良いですね。私もお腹がペコペコです」


昼からこちら動きっぱなしで、大したものも食べることができなかったエレナが表情を緩ませて言う。左手でお腹をさすりつつ、葛城の方に目をやった。彼は左手でハンドルを握りながら煙草を吸っていた。煙がゆっくりと、半開きになった窓から外へ出ていく。


「どっか安くてうまい店に案内してくれよ。この街、長いんだろ」


「……」


ハンドルを握る力が一瞬強くなったのを、ジョックは見逃さなかった。しかし、疑問がわく前に車が停止する。昼、ツェツィと話したカフェの前だった。店は営業中なようで、窓から光が漏れていた。太陽は刻々と沈んでいく。空は群青に染まり、星がいくつか瞬くようになっていた。


「あっ……」


葛城は何も言わずに車から出ていく。あわててふたりが車外にでると、ドアをロックしてスタスタと店に歩いていく。


「おいおい、協調性のない奴だぜ」


 ジョックがぼやくが葛城は気にしない。昼と変わらぬ涼やかな音色で、ドアベルが三人を迎えた。相変わらず店主は新聞を読んでいる。入店者をちらりと一瞥したが、今度は会釈もしなかった。客はほかには居ないようだった。ジュークボックスからは軽やかなジャズが流れている。音質は悪いが、耳障りという程ではない。葛城はそんなゆったりした空気の流れる店内を歩き、窓際のボックス席に座った。二人も続く。窓の外では、遠くにライトアップされたビル群が佇んでいた。喧騒は遠く、音楽は心地よい音量だ。鮮やかなグラデーションを描く空と相まって、ロマンチックと言えないこともない。


「綺麗ですね……」


感嘆のため息をつくエレナを葛城が見る。


「時計塔」


「えっ」


彼がまさか何か言うとは思わなかったので、エレナは思わず聞き返してしまった。葛城はじぃっとエレナの目を見ながら言った。


「時計塔は、ダウンタウンで一番高い建物だ」


「えっと……それだけ、景色が良いってことですか?」


「ああ、街の端から端まで、全部見渡すことができる」


内容だけならば、観光案内のような長閑な言葉だった。しかし彼の表情は険しい。いや、もともと険しいが、いつもよりも眉間のしわが深いようだった。とても観光案内を目的としてこんなことを言いだしたとは思えない。それはエレナにも理解できたようで、困惑気味の表情だった。葛城はそんなエレナをしばらく見つめた後、ふっと目を逸らして窓に向けた。視線は、ぼんやりと浮かび上がる窓の外の時計塔だ。


「お前……」


何かを察したようにジョックが言う。葛城は振り返って彼を見た。目が合う。真っ黒い瞳だった。濁り固まった血泥のような、そんな色。ジョックはこんな目に見覚えがあった。昔兵士として出向いた中東で……そう、道端にうち捨てられた死体が、こんな目をしていた。生者の目ではない。これは、死人の目だ。


「……ッ!」


理解してしまった瞬間、ジョックは思わず目をそらしてしまった。少なくない数の実戦を潜り抜けてきた彼だったが、こんなにもおぞましいものを見たことはなかった。


「注文は」


ぶっきらぼうな声が聞こえて、ジョックは正気を取り戻した。見れば、店主がトレィに水の入ったグラスを乗せて席の横に立っていた。彼は、結露のついたグラスをテーブルに置いてから再び口を開く。


「注文。決まってないのか?」


「パエリア」


再び目を窓の外に移した葛城が言う。メニューなど見ていなかったが、それでも店主は頷いて手元の伝票に何事かの文字を書く。


「じゃ、じゃあ俺は……ステーキだ。レアで頼むぜ?」


「うちじゃあ焼き加減のサービスはやってないよ」


「そうなのか……じゃっ、とりあえず酒も持ってきてくれ。ジンをジガーで」


「わかった」


カウンターの向こうに酒瓶がいくつも並べられていることを入店時に確認していたジョックはそう注文する。取り繕ったような声で、葛城にも聞いた。


「お前は酒は頼まないのか?」


「……」


葛城は答えない。短くなってしまった煙草を灰皿に押し付けて、折り紙を取り出した。黙々と何かを作り始めた葛城に、ジョックは黙り込むしかない。見かねたのか、代わりに店主が答えた。


「この人は酒は飲まないよ」


「そっ、そうなのか。すまないな」


「ン」


短く答える葛城の視線は、動かない。手元を見てさえもいない。片手で折っているにもかかわらず折り紙は、機械のような速度と正確性で意味ある形になっていった。作っているのは、おそらくカンガルーだ。


「昼も思ってましたけど、凄く器用ですよね。趣味なんですか? 折り紙」


重くなった空気を払しょくするかのようにエレナが言った。葛城は少し考えて簡潔に答える。


「リハビリ」


「……すみません」


葛城の手がどうなっているかを思い出したエレナは思わず謝っていた。葛城の表情は変わらない。茫洋とした目つき、不機嫌そうな表情のままだ。気分を害しているわけではなさそうだった。


「はやく注文を」


店主を指差してそう言う葛城。店主は、伝票を片手に不機嫌そうに佇んでいた。ほかに客が居ないとはいえ、注文を取りに来たのに放置されればいらいらもするだろう。床のタイルを、彼のスニーカーが叩く音がいつの間にか響いていた。


「あー……えっと、ギソ・デ・ポジョってトリ肉の煮込みでしたよね? これをお願いします」


「よし」


店主は頷いてカウンターの方へ歩いて行った。場に、沈黙の帳が降りる。誰も何もしゃべらない。エレナは、グラスを持ち上げて水を飲んだ。酒に入れる用途もものを流用したと思しき大きな氷が揺れ、グラスを叩いて小さな音をだした。冷たい水がのどに染みわたる。コーヒーや紅茶など、いろいろ飲んでいたにもかかわらず、不思議とのどは乾いていたようだ。一気に飲み干して、ふぅと声をあげた。空になったグラスから結露がしたたり落ち、テーブルに小さな水たまりを作る。


「ひとつ、聞いていいか」


「なんだ」


 真剣な表情でジョックが言った。葛城は少し首を傾けて応える。


「明日のことさ。ゴドーの家を襲撃するんだろう?」


「ああ」


完成したカンガルーを机端に押しやりつつ葛城は頷く。


「作戦とか、決めておいた方がいいんじゃないか?」


「そうだな」


以外にも葛城は素直に肯定した。そのことに軽く驚きながらジョックは言う。


「案とか、あるのか? 軍のころとは勝手が違うだろうし、俺の今までの経験は役に立たなさそうだが」


「お前と」


葛城はジョックを指差して言い、指をエレナに向けなおして続けた。


「お前は外でバックアップだ。おれが中を片付ける」


「おいおいおい、おいおいおいおい、流石にそれはないぜ」


ジョックは激しく首を振った。常識はずれにも程がある。戦力外通告をいきなり受けるとは、思ってもみなかったようだ。


「増援に背後を奇襲されると困る」


「む」


確かに正論だ。ゴドーは末席とはいえ幹部、部下もそれなりの数居るだろう。挟み撃ちにされてはたまらない。


「……じゃあ、せめてそこのお嬢さんは連れていけよ。バックアップは俺だけでいい」


「……わかった」


仕方なさそうに葛城が言う。ゴネても面倒なだけだと思ったのだろう。存外に素直だった。


「それじゃあんたとお嬢さんがバンガード、俺がバックアップだ。オーケイ?」


「ン」


どうでもよさげに葛城は頷く。


「仕掛けるのは早朝、朝四時だ」


「なるほど、一番警戒が緩む時間帯だな」


襲撃と言えば夜襲が常とう手段だが、それ故に予想もされやすい。だから、警備の人間は夜にもっとも警戒を強めるのだ。しかし、朝になれば疲労で集中も途切れ、警戒はおざなりになる……といったことを、ジョックは軍に居た頃習っていた。確かにそれが一番効果的だろうと彼は頷く。


「明日の三時半にこの店の前で集合だ。いいな?」


「わかった。お嬢さんも、それでいいかい」


「ええ。……こういったことは専門ではありませんし、お任せします」


エレナが肯定するのを確認した後、ジョックはすっかり乾いてしまった口の中を湿らせるため、水を一口ふくんだ。小さくため息をついてカウンターに目をやる。まだ、料理は来ないようだった。音楽に意識を向ける。大昔のバラードが流れていた。ジョックの好きな曲だ。静かに目を閉じ、両肘をテーブルにおろして頬杖をつく。ゆったりとした音楽と、紙を折る微かな音。くぐもって聞こえる外の喧騒も、なぜだが落ち着いたBGMに聞こえてくる。店主の態度は悪いが、なんとなく落ち着ける、良い店だと彼は思った。


「またせたな」


 どれほど時間がたったのか、いつの間にか店主が料理を持ってきた。湯気を上げるステーキが、鉄板型の食器に乗ってジョックの目の前に置かれる。薄っぺらい成形肉だ。お世辞にもうまそうには見えない。ふと目をエレナの方に向けると、先に来た料理をぱくぱくと美味しそうに食べていた。スパイスの香りのするホロホロのトリ肉は実においしそうだ。あっちにしておけば良かったと微かに後悔しつつステーキをフォークでさして口に入れる。成形肉だけあって、かけらの歯ごたえもなかった。わびしい夕食だと思いながら葛城に目をやる。


「……」


葛城はパエリアの皿を持ち上げ、口の中にかき込んでいた。ほかほかと湯気を上げるパエリアは実に熱そうだが、葛城が気にしている様子はない。ジョックはその食材に対して冒涜的ともいえる食べ方に呆れながら、もう一口ステーキを齧る。三人とも無言だった。みるみるうちに料理は減っていく。


「そういえば」


そんな中、エレナがふと声を上げた。二人の視線が彼女に注がれる。エレナはフォークを皿に置きながら眉根を寄せていた。


「わたし、今日どこで泊まればいいんでしょうか」


「……」


「……」


葛城もジョックも無言だった。こんな街で彼女のような小さな少女が一人で泊まれば、それはもう事件が起こらない方がおかしいだろう。自然に、どちらかが同伴する必要が出てくる。ジョックは筋骨隆々でいかにも強そうな見た目をしているし、葛城にしても長身かつどう見てもカタギの人間とは思えない風貌だ。大抵のトラブルは彼らと一緒に行動していれば避けられるだろう。しかし、ジョックは申し訳なさそうな声でエレナに謝った。


「すまん、俺の所は無理だ」


「ええ……」


彼の泊まっている場所は、小さな宿の一人部屋だ。まさかいたいけな少女をそんなところに連れ込むわけにはいかないと、ジョックは変なところで紳士さを発揮していた。しかたなく、エレナは葛城の方を見る。パエリアを食べ終えた彼は、煙草に火をつけるところだった。


「……」


「ありがとうございます」


凄まじく嫌そうに頷く葛城にエレナはお礼を言う。こんな男に任せて大丈夫かと、ジョックは心の奥底から後悔をし始めていた。

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