悪徳の街 第六節

「あなたが、葛城圭さんですか」


 高級そうなソファに腰かけた若い金髪オールバック男が言った。仕立ての良いワイシャツとスラックスが爽やかな風貌によく似合っている。彼がベネット・ファミリーの幹部の一人、ルパード・スウェッソンだ。葛城は彼に会う約束を取り付けることに成功していた。ここは、ロックタイム運送の事務所である。


「はい」


新進気鋭のギャングの幹部が相手でも、葛城の表情は変化がない。口調こそやや丁寧になっているが、内面の荒さがにじみ出ている声だった。場合によっては失礼だと非難されてもおかしくないだろう。


「ほう……なるほど。確かに」


何事かに納得したような表情でルパードは頷く。


「新参のわれわれですが、ブギーマン事件をはじめとした貴方の"活躍"は耳にしております。お会いできて光栄だ」


「ブギーマン事件?」


にこやかに言うルパードの言葉にジョックが反応した。高級そうな革張りのソファの中で窮屈そうにしながら、きちんと髭の剃られた顎を撫でる。


「なんだそりゃ」


「おやご存じない?」


首をかしげるルパードにジョックは頷いた。新参も新参である彼には、全く何のことかわからなかった。もちろん、それはエレナも同じことだ。興味のありそうな表情でルパードを見ている。


「四年前、この街で起こった連続殺人事件ですよ」


「連続殺人事件?」


ジョックは変な顔をしてうなった。滞在日数は少なくても、この街で人死になど珍しくないことはよく理解していた。今更多少死体が増えたところで、ソルプエルトの日常は崩せないだろう。


「まあ、有名になるほど印象的な事件だった、ということですよ。なにせ、このダウンタウンの警察が本腰を入れざるを得ないほどの事態だったと聞いていますし」


「おいおい、何の冗談だ……」


街中で車を爆発させても賄賂だけで済む場所で、何をやらかしたらそんなことになるのか。信じられないようなものを見るような目で葛城を見る。ポケットから出した飴玉を口に放り込んだ葛城はその視線をうっとうしそうに一瞥し、ルパードの方に目をやった。


「無駄な時間を過ごすのは嫌いです」


「おっと失礼。しかし、これだけは聞いておきたい。彼らは、何者ですか?」


ちらりとジョックとエレナを見たルパードのルパードの目は、確かにギャングの幹部らしい鋭さだった。表面上の人当たりの良さなど、あくまで仮面に過ぎない。


「仕事上の同行人」


「なるほど、今回の"お話"に関係あると」


でなければ何だと、葛城は眉根を寄せた。彼と会談するにあたって武器を取り上げられたのが、相当腹に据えかねているらしい。ルパードの背後に佇む黒服の男たちは、これ見よがしにサブマシンガンを下げている。もし彼らが怪しい動きをすれば蜂の巣にする構えだろう。セレクターはフルオートの位置にあることが見て取れた。


「よろしい。では、電話であなたは取引とおっしゃっていましたが、具体的には何をお望みなのです?」


「ある事件の捜査への協力」


飴玉を噛み砕きながら葛城は言う。


「なんの事件か、わかりますか?」


「さあ? わかりかねますが」


牽制気味に放たれた言葉をルパードは涼しげな顔で受け流した。先ほどと変わらない笑顔で葛城に向かって言う。


「OAGの麻薬の売人が埠頭で殺された事件」


その言葉が出た瞬間、ルパードの右眉が微かに動いたのを葛城は見逃さなかった。


「失礼、間違えました」


トントンと応接机の表面を指でたたきながら葛城は言う。ルパードの表情は変わらない。しかし、彼の右手はぎゅっと握られていた。


「ところで、煙草を吸っても?」


「構いませんよ」


「ありがとうございます」


葛城は一息ついてポケットをまさぐる。


「おっと、これじゃない」


モノが大量に入っているらしい膨らんだポケットからボールペンを取り出してそう言った後、彼はそれを膝の上においてラッキーストライクの箱を出し、煙草をひっぱり出した。手の中で一回転させつつライターを取出し、火をつける。口元に両切りのソレを持って行って、大きく息を吸った。ボールペンはしまわない。ライターをしまったその手でペンを握る。ペン先を真上に、手に力を込めて。ペン先は鋭く、力いっぱい突き刺せば簡単に人間の皮膚も貫けるだろう。眼球やのどなどの急所を狙えば相手を殺すことだって出来そうだった。ルパードはそのボールペンをまじまじと眺め、小さくため息を吐いた。


「それで、なんでしたっけ?」


「バルコヴァー家の令嬢を殺害した犯人を捜しているのですよ」


「ほう」


ルパードは視線をペンから逸らすことなくそう言った。ポーカーフェイスは崩さない、しかし、彼の頭脳はなにやら高速で作動しているようだった。


「それで?」


「こころあたりなどありましたら、教えて頂きたいのですが」


「……」


ルパードは答えない。護衛の指が、サブマシンガンのトリガにかかった。エレナは息をのみ、レッグホルスターに手を伸ばす。しかし、そこにあるべきものはない。当然だ、武器はこの事務所に入る前にすべて預けてしまっている。


「実は、あります」


絞り出すようなルパードの声で、部屋の緊張感の波はふっと引いて行った。エレナもジョックも、そして護衛までもがふっと安堵のため息をつく。


「うちの一番下の幹部に、ゴドーという男が居ます。たしかバルコヴァー家の令嬢を殺害した武器は、アンチマテリアルライフルでしょう? 奴は先日、バレットM82ライフルを仕入れていた」


ペラペラとルパードはしゃべり始めた。葛城はそれを、無感動な瞳でじぃっと見ている。


「しかも、組織の人間を使って何やら怪しげなことをしているようでね。少し、灸をすえてやろうと思っていたところです」


「ほう」


「……」


二者の視線が交差する。ルパードは、笑顔をやめて真剣な表情で、葛城の顔を見ていた。


「ところで、葛城さんはハルコヴァー家から依頼を」


「ええ。……彼ら、使い勝手のいい駒を探しているようでした」


「そうですか」


ふっとルパードの表情が緩む。


「きっと、事件解決の暁にはあなた方にも話が来るでしょうね」


「それはよかった……実に、ね」


ため息をついて、テーブルに置かれていた紅茶で口を湿らすルパード。つられてエレナも紅茶に口をつけた。


「い、いい茶葉を使っていますね。これは、キーマンですか?」


「ほう、良くわかりましたね。祁門紅茶場純正の、特貢です」


エレナに向かってほほ笑むルパードは、当初の余裕を取り戻しているようだった。


「特貢! 最高級品じゃないですか」


「この街には紅茶のなんたるかがわかっていない人が多すぎる。あなたのような方に出会えて幸運ですよ」


そう言って彼はジョックと葛城の方を見た。


「お前、紅茶とかわかるか?」


「知らない」


「だろうなあ……」


葛城の反応に、ジョックは肩をすくめて笑う。実は彼も、この紅茶の正体を知っていた。しかし彼女らの会話の邪魔をすまいと、わからないふりをすることにする。


「ところでその服装、もしやバルコヴァー家の?」


「ええまあ」


ルパードののメイド服を見ながらの問いに、彼女は困ったような表情で頷いた。さすがに、この服装は目立ちすぎると自分でも思っていたらしい。


「一応、使用人の職をお嬢様にいただいております」


「ほう、それはそれは。どうかよろしくお伝えください」


「ええ、もちろん」


そう言ってエレナはほほ笑んだ。流石に、このあたりの所作は洗練されている。


「ところで、ひとつ葛城さんに依頼があります」


「……なんだ」


交渉が終わったためか、葛城の口調がぶっきらぼうなものに戻っていた。そんな彼にルパードは、流石に苦笑を浮かべながら言う。


「ゴドーを殺していただきたいのです」


「ほう」


鋭い目つきで葛城がルパードを見た。テーブルの上の灰皿に灰を落とす。


「やつの動きはあまりにも目に余ると思っていたところです。ちょうどタイミングが良かった。あなた方もゴドーに聞きたいことがあるのでしょう? やつが死の間際に何を吐こうが私どもは関知いたしません。どうぞご自由になさってください」


しかし、と彼はつづける。フレームレスの眼鏡の奥の瞳が怪しく輝いた。


「確実に息の根を止めてください」


「……」


葛城はその言葉に表情も変えず、煙草を咥えて息を吸い込み、そして吐いた。煙がゆらゆらと揺れながら、透明な空気に消える。


「殺し方の注文はあるか」


「ありません」


「わかった」


返答は簡潔だった。肯定。彼は特に報酬なども聞くことなく、ひどく簡単に殺しの依頼を受けた。


「報酬はいくらほど出しましょう」


「適当でいい」


「おいおいお前、そんなんでいいのかよ」


ジョックが慌てながら言った。殺し屋を見るのは初めてではないが、いくらなんでも返事が適当すぎる。ふつう、報酬は一番大切なものではないだろうか?


「生活には困ってない」


「おいおい……」


その実、たしかに葛城は生活に困っていなかった。家はボロ屋をただ同然で譲り受けたものだし、食事も軍横流しの賞味期限切れレーションで三食のほとんどを済ませている。彼の主な出費と言えるほどのモノは武器弾薬と煙草、あとは本や折り紙、甘味と言った細かいもの程度だ。武器にしたって高いものを使っているわけではない。そして彼ほどの腕前の人間ならば、報酬を選ばなくても高い仕事が向こうから舞い込んでくるのだった。


「では一人頭二万米ドルだしましょう、そこの……」


「ルロイ・ジェンキンス。ジョックと呼んでくれ、旦那」


「ジョックさん、ね。あなたもこの条件で構いませんか?」


「ま、いい金額だ。是非はないね」


ジョックは肩をすくめながら頷いた。実際、二万ドルといえばなかなかの金額だ。人間の命が安いこの街では尚のこと。人殺しで得た金が一晩の安酒安娼婦に消えていく街であった。


「よろしい、取引成立です」


にっこり笑いながらルパードは紅茶をあおった。赤茶けた液体が彼ののどに消えていく。給仕係らしいごつい白人男が、無言で空になったカップにお代わりを注いだ。


「ゴドーはおそらく、アーロン通りの自宅に居るはずです。明日も休暇を取っていましたし、どうせ丸一日乱交パーティーでも開いている事でしょう」


「うらやましい身分だな」


「乱交パーティーって……」


ジョックはあきれ、エレナは嫌悪感を露わにする。


「あの男は休みのたびに何人もの高級娼婦を自宅に招いていますからね。本当にろくでもない男だ」


演技がかったしぐさでルパードは首を振る。そんな様子が、やたらとサマになっていた。


「明日一日在宅しているのか」


葛城はブラインドで仕切られた窓に目をやった。既に日は沈みかけ、赤い斜光が部屋に差し込んでいた。葛城の目線を追って同じものを見たエレナは、ふと体に疲労感を感じる。葛城のように変な男に会って、銃撃戦に巻き込まれ、そして今はギャングの幹部と会っている。なかなかに濃い一日だった。


「なら、決行は明日にしよう」


「ええ。新しい情報が入り次第連絡します」


「ン」


葛城はちびて短くなった煙草を灰皿に押し付けて立ち上がった。


「武器、返してくれ」


「わかりました。……あなたとは長い付き合いになりそうですね、これからここへ入るときは、武器は預けなくていいように取り計らっておきます」


「助かる」


黒服の男が持ってきた銃やナイフを受け取りながら葛城は頷いた。Cz75は腰のホルスターへ。銀色のリボルバーはショルダーホルスター。細長いもの、銃剣として使えるもの、折りたためるものなどさまざまなナイフは全身のあちこちに配置した。


「しっかし、すごい武器の量だな。お嬢さんを見習おうぜ」


ジョックが指差した先には、黒い小型拳銃をレッグホルスターに収めるエレナの姿があった。丁度ロングスカートをめくってレースのハイソックスを纏った足を露わにしているところだったため、彼女は思わず赤面してしまう。ジョックとルパードは紳士らしく目を逸らしたが、葛城はそもそも見てさえもいなかった。


「おいていくぞ」


スタスタと歩き出す葛城に、二人はあわててついていくのだった。


「……しかし」


 護衛と共に部屋に残されたルパードは思わずつぶやく。


「葛城圭はともかくあの二人の銃、S&WのM27にコルトのM1903か。また、趣味性の強い銃を……」


アメリカ人らしく、銃には一家言あるルパードだった。

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