悪徳の街 第五節
「……」
煙草の残り香がひどい車内で、エレナはじいっと外を見ていた。運転席には、渋い顔でハンドルを握る葛城が収まっていた。いや、出会ってからこちら、渋くない顔をしたこの男を見たことは一度もエレナはなかったが。
「……」
リムジンでは目立つということで、一度葛城宅で葛城の車に乗り換えた。中古車らしきこのフォード・クラウンビクトリアはお世辞にも乗りやすいとはいえず、備え付けの灰皿から漏れ出た煙草の吸い殻が足元にいくつも転がっている。おそらく、掃除する気は一切ないのだろう。正直言って、汚い車だった。
「ここだ」
葛城が車を止めたのは、ズタボロになった家屋の前だった。例のバー、チアンダンだった場所である。
「ここで待ってるから、行って来い」
ツェツィからの連絡によれば、ルロイという男はまだここにいるらしい。聞いたところによると、身長2メートル以上の巨漢の黒人だという。そんな男を早々見間違うことはないだろう。エレナが窓を開けてあちこち見回してみると、確かにそれらしき人物がいる。葛城はついてきてくれないようだったので、仕方なくエレナは頷いて外に出る。現場ではいまだに、血と肉の嫌な臭いが滞留していた。その臭いにエレナは顔をしかめ、息を出来るだけ吸わないようにしながら男に近づく。
「ルロイ・ジェンキンスさんですか?」
「ん? おお、あんたがクライアントの言ってたエレナさんか」
身長差50センチともなれば、見上げるような形になってしまう。逆光の中そびえ立つ角刈りの大男は、その荒々しい姿に見合わず人懐こそうな笑みを浮かべていた。葛城のピリピリとした雰囲気に落着くことが出来なかったエレナは、ほうっとため息をつく。
「そうです、エレナ・イオネスクです」
「良かったよかった、やっと合流できたか。いやあ、待ち合わせがこんなことになってて焦っちまったよ」
「とりあえず車に。こんなところでは落ち着けませんよ」
ちらりと吹き飛んだ店舗に目をやる。既に死体などは片付けられているようだったが、血だまりの跡やあちこちに付着した肉片が惨劇の様子を物語っている。あまり、長居したいとは思えなかった。
「そうだな」
それはルロイも同感だったようで、深く頷く。
「そこのフォードか。ずいぶんとその……骨董品だな」
「ちゃんと動きはするみたいなので、大丈夫ですよ」
たぶん、と危く付け加えかけたのを我慢して、エレナは車に戻り後部座席へと座った。ルロイは助手席へ腰を下ろす。
「よう、協力者ってのはアンタか。俺はルロイ。ジョックと呼んでくれ」
「葛城」
待っている間に新しい煙草に火をつけたらしい葛城は、紫煙を吐き出しながら短く答える。そのまま、返事も聞かずに車を発進させた。調子悪げなエンジンが異音を立てるたびに、車がガタンガタンと揺れた。ラジオからは、ノイズまじりの古いロックが流れていた。
「どこへ向かってるんだ? この車は。状況、俺は全然わかってないんだ。説明してくれるとありがたいんだが」
「ツェツィーリエ・オーデル・バルコヴァーに喧嘩を売った相手を探し出す」
少し開けた窓から路上に灰を落としつつ、葛城が答えた。
「そのために、まず武器商の所へ行って調べることがある」
「調べることだと?」
ふむ、と考え込む様子でジョックが言う。トントンと、右手の親指で膝を叩いていた。
「武器の流通量を調べて、臨戦態勢の組織を見つけ出すとか、そういうのですか?」
「違う」
エレナの言葉を葛城は一刀両断、否定する。
「ヘルミーナ殺害に使われたエモノはアンチマテリアルライフルだ。この街でも、そんなものを扱う武器商は限られてる」
「そっから犯人を捜すってわけかい」
「そうだ。……お前」
ちらりと視線をジョックに向けつつ、葛城は聞く。
「この街に来てどれくらいになる」
「一週間ってところだ。これが初仕事ってわけだ」
「そうか」
それを聞いた葛城は頷くと、ラジオのボリュームを上げた。これ以上話すことはない、と言う意味だろう。ジョックは肩をすくめて後ろを振り返った。
「ハードな仕事になりそうだな、こりゃ。お嬢さんも気を付けといたほうがいいかもしれないぜ」
たしかに、厄介そうな状況ではあった。気難しい男に、いまだしっぽもつかめぬ犯人……。
やがて車を走らせること数分、一軒のボロ屋の前で車は止まった。
「行くぞ」
腰のホルスターの具合を確かめながら葛城は立ち上がった。中にはしっかりと、重い鉄のピストルが収まっている。ジョックもため息をつきながらそれに続いた。ビンテージ風のレザー・ジャケットが風に煽られてはためく。彼の腰にも、大きな黒いリボルバーが吊り下がっていた。
「おいヴェーラ、居るか」
葛城がボロ屋のドアを軽く蹴った。さして力を入れているようには見えないが、それでもミシミシと不安になるような音が響く。見ての通りの老朽家屋のようだった。
「ああもう、うるさいね。誰だい」
心底鬱陶しそうに出てきたのはスラヴ系の老女だった。赤いスカーフを巻いて、しわだらけの顔をしかめている。
「なんだあんたかい。どうした、新しい銃が要り用?」
「違う。聞きたいことがあってきた」
「ほう……?」
葛城が差し出したクシャクシャの紙幣を確かめて、老婆はにやりと笑った。邪悪そうな、欲深そうな、妖怪のような笑みだった。それを見たジョックとエレナは思わず目を見合わせてしまう。
「来な。茶くらいは出してやろう」
そう言ってヴェーラは家の中に引っ込んだ。一行も、それについていく。家の中は、外に負けず劣らずボロボロだった。あちこちにひびが入り、はめ殺しの窓には粘着テープで補修した跡が見える。狭い廊下を通り、足を降ろすたびにぎぃぎぃ音のなる貧弱な木製の階段を通って、四人は二階へ上がった。意外と広い室内には、所狭しと銃が積み上げられていた。古今東西、有名どころからどこの国が作ったのかさっぱり見当のつかないマイナーな銃まで、よりどりみどりだ。緑の色あせた絨毯を踏みながら、一行は歩く。
「座りな」
「あっ、はい。失礼します」
ヴェーラが指差した先には、古びた木製のテーブルと椅子があった。エレナとジョックは勧めに従い椅子に腰を下ろしたが、葛城は立ったままだ。
「……」
ジョックが座った瞬間、ビンテージと言えなくもないボロ椅子が悲鳴染みた音を上げた。幸い折れることはなかったが、葛城とヴェーラから白い目で見られるジョック。いや、葛城はいつもと変わらない様子だったが、出会って間もないジョックには白い目で見られたような気分になった。だいたい、葛城の三白眼が悪い。しかしヴェーラの非難顔は本物だった。
「壊したら実費を請求するよ」
「すまない、婆さん」
「ふん……葛城、群れるなんて珍しいじゃないか。ええ?」
一転して底意地の悪そうな表情になり、老婆は葛城に聞く。葛城は、軍用ブーツの底で絨毯の感触を確かめながら、口を開いた。
「コーヒー」
「茶って言ったはずだよ」
ふんと息を吐き出しながら言い捨てる老婆は、それでもゆっくりと備え付けらしき簡易キッチンに向かった。
「あっ、手伝います」
「必要ないよ。変なものを触られちゃ困るからね」
唯でさえこの部屋は物騒なものが沢山あるんだから、と続けてヴェーラは冷蔵庫を開けた。
「お嬢さん、婆さんの言うことは聞いておいた方がいいぜ。俺がこの部屋の主人でも、下手にうろうろされちゃ困ると思う。それはまあ、理解できるだろ?」
「そうですね、短慮でした……」
「気にすることはないさ。ま、若いうちはね。死なない程度に失敗すりゃあいいのさ」
存外に優しげな声を出しながらヴェーラはグラスに茶色の液体を注ぎ、トレィに乗せて持ってきた。当然、葛城にもそのお茶を渡す。
「……」
葛城は、それを日にかざしてみた後、一気にコップ一杯飲み干す。遠慮など、一切なかった。そんな葛城を慣れた様子で見ていたヴェーラだが、彼がコップをテーブルに置くのを見計らって口を開いた。
「で、なんの用だい」
「ここ最近、アンチマテリアルライフルの商いはあったか? お前だけじゃない、ほかの武器屋でもだ」
ヴェーラはこの街の武器商のなかでもかなりの古株であり、顔役のようなこともやっていた。大きな武器の密輸ルートも握っているため、大抵の武器商は彼女から仕入れて商売をしている。いわば、卸し問屋のようなものだった。
「アンチマテリアルライフル? いや、最近どころか数年以上この街には入ってきてない筈だよ。なにせ、使い道がないからね」
都市部で狙撃するのなら、7.62mmのNATO弾やラシアン弾で十分だ。わざわざ、目立つ上に取り回しの悪い大型の狙撃銃なんて使う奴はいない。ヴェーラはそう言って、コップの中身を口に流し込んだ。
「とすると、もしこの街でアンチマテリアルライフルを見かけたとすれば……」
「個人の持ち込みか、あるいはクソッタレのアメリカ人どもが私らの知らないルートで仕入れたか、だろうね」
「ベネット・ファミリーか」
ますます怪しくなってきたと、エレナは眉を顰めた。
「ああ。連中は新しい密輸ルートを引っさげてこの街にやってきた。新参とはいえ、武器の保有量はソルプエルトでもトップクラスさ。おかげで私らは商売あがったりだ」
肩をすくめてそう言うヴェーラだったが、表情には欠片も困った様子は見えない。むしろ、あまり邪魔になるようならば潰してやるという、物騒な意気込みすら感じた。
「話はそれだけかい?」
「ああ」
ポケットから出した飴玉をほお張りながら葛城は頷いた。心ここに有らず、といった様子で茫洋とした目をしていたが、彼がこんなふうになるのは珍しくないのでヴェーラは無視する。葛城の靴が絨毯をなでる微かな音が、室内を支配していた。エレナもジョックも、何をしゃべっていいのかわからず黙っている。ヴェーラもヴェーラで、なにか考え事をしているようで、半分ほど茶の入ったグラスをクルクルと揺らしている。陽光がグラスにあたって、テーブルクロスに単色のステンドグラスのような幻想的な光が踊っていた。
「おい」
そんななか、葛城がふと声を発した。いつもと変わらぬ声音。
「敵だ」
「は!?」
ジョックが銃を引き抜いた。彼ほどの巨漢にふさわしい、大きく、真っ黒なリボルバーだ。エレナは気づかないうちに、部屋をピリピリした緊張感が覆っていることに気付いた。スカートの中のホルスターから銃を抜き、セイフティを降ろして、ゆっくり深呼吸した。心臓がどきどきと早く鼓動していた。慄くように、期待するかのように。スライドを少し下げて、初弾が装填されていることを確かめた。.32ACPのFMJ弾が、そこには当然のように収まっている。そのことに、ひどく安心感を覚えるエレナ。
「初撃で散らして、車で逃げるぞ。でかいの、運転はできるか」
「ああ、任せろ」
「よし」
葛城が投げてよこした車のキーをジョックはキャッチし頷く。葛城は右手に持ったCz75自動拳銃で窓を開け、煙草に火をつける。
「先に行ってる。さっさと来いよ」
「あっおいお前!」
ジョックが止めるのも聞かずに葛城は窓から飛び降りて言った。そんな彼を見てヴェーラはため息をつく。
「やれやれ、トラブルの多い男だ」
そのまま彼女は、棚に立てかけられていた一挺の銃に手を伸ばした。突撃銃の銃床と銃身を延長して、二脚を付けただけと言う風情の安直な軽機関銃だ。ヴェーラはその銃にばかでかいドラムマガシンを取り付け、ガシャンとコッキングレバーを引いて初弾を装填し、窓から銃口を突き出す。
「援護してやる。弾薬費は後で請求するとあいつに言っておいておくれ」
「とんでもない婆さんだな……わかった、伝えておく」
ジョックの返答にヴェーラは歯の欠けた口を開いてにんまりと笑うと、階段を指さした
「んじゃさっさと出ていきな。店を流れ弾で傷つけられちゃたまらないよ」
同じころ、葛城は奇妙な男たちと対峙していた。銃を持ち、怪しげな格好をしている。もっとも、この街では銃を持ってない怪しくない人間などそうそう居はしないが。
「葛城け……」
怪しげな男が葛城の名前を言おうとした瞬間、葛城のCz75が二度火を噴いた。銃弾は狙いたがわず男の胸に着弾する。少しの距離を置いて命中した二発の銃弾は、見事に心臓を破壊していた。まるで壊れた蛇口のように銃創から血を溢れさせながら倒れる男に、その仲間らしき連中は銃を葛城に向けた。
「くっ!」
葛城は、走る。敵の動揺が薄れないうちに、出来るだけ優位に立っておきたかった。まずさしあたっては、手短な敵に肉薄する。手に持ったサブマシンガンを葛城に向けたその男はしかし、顔面と胸を襲った銃弾に絶命する。力の抜けた足が地面に着く前に、その物言わぬ体を葛城がつかんだ。
「死体を盾にする気か、クソッタレ!」
血をだらだらと流す死体の口を気にすることなく、葛城はその首を押さえて体を男たちに向けたのだ。かつての仲間とはいえ、所詮は物言わぬ屍。彼らは、容赦なく引き金を引いた。しかし
「……」
葛城は、死体を蹴ると極端な前傾姿勢でその場から離れた。死体に注目し、それに向けて発砲した男たちは愕然とする。そう、フェイントだ。葛城は咥えた煙草の灯が赤い線になって見えるような速度でキル・ゾーンから脱すると、ザッと靴底を石畳で擦って直角に曲がる。銃は男たちに向けられていた。二度、数珠つなぎになった銃声が響いた。また一つ死体が増えた。葛城はまた走る。幾何学的かつ有機的なその軌道に、男たちは反撃の糸口がつかめない。路上駐車された車。電柱。あるいは逃げ損ねた通行人。葛城は、ありとあらゆるものを盾に使いながら、まるで最初からそうプログラムされている機械のように、二発ずつ発砲した。火薬の弾ける音が響くたび、死体がひとつ、また一つと増えていく。男たちは流石に冷や汗を浮かべていた。
「呑まれるな、呑まれるなよ……ッ!」
自戒するかのごとく呟いた男の命を、7.62×39mm弾の暴風が刈り取った。独特の腹に響くような発砲音に、男たちの注目がヴェーラの店の二回に集まる。
「葛城ッ!」
「遅い」
ジョックの操るフォードが葛城の前で止まった。エレナが助手席に座っているのを見て、葛城は後部座席に飛び乗る。
「大丈夫ですか?」
「知らん」
エレナの言葉にも葛城は辛辣に返すだけだった。そして、助手席の下から何かをひっぱり出す。
「M4!?」
その武器の名前をエレナは思わず叫んでしまった。軽金属とプラスチックで成形された真っ黒なボディ。銃本体に突き刺さった箱型のマガジン。確かにそれは、米軍でも採用されている自動小銃だった。
「なんてもんを持ち出しやがる……」
呆れた声を出すジョックに構わず葛城は、銃床近くのチャージングレバーを引く。チャンバーに、真鍮と銅メッキの輝きを持つ弾丸が装填された。カチリとセイフティを回してフルオートの位置へ。これでこのライフルは、ただの黒い棒からライフル弾を三十発フルオート発射できる凶器へと変貌した。
「出せ。道は適当で構わない」
「撒くのか?」
見れば、残党の男たちも車に乗って追ってこようとしていた。ジョックはあわててフォードを急発進させる。アクセルを全開にし、アメリカ車特有の無駄に馬力のあるエンジンが甲高い音を響かせた。この男、なかなか車の扱いに慣れているようだ。
「いや」
ジョックの問いに葛城は短く答え、ドアを走行中にもかかわらず解放した。凄まじい強風が車内を蹂躙する。
「殺す」
葛城のおんぼろ中古車より、追跡者の車の方が早いらしい。フォードは全力を出しているにもかかわらず、両者の距離はじりじりとつまって行った。路上をのんびり走っていた車たちが様子がおかしいことに気付き、歩道へ避けてくれるため道が塞がれる、と言うことはない。しかし、追跡者は窓からピストルやサブマシンガンを出して盛んに射撃してくるため、全く落ちつけなかった。今はまだ至近弾だけで済んでいるが、流石にこれ以上接近を許せば直撃弾が出るだろう。葛城はしかし、そんな状況にも焦ることなくライフルを構えていた。銃口。ハンドガードを握る手。ストック。肩。そしてサイトを覗く目。彼の構えは、それらが一直線になっていた。不自然な体勢、風圧や車の振動などの悪条件。それらの中でも、彼の照準が乱れることはない。静かに息を吸い、そして止める。カーブを曲がった瞬間、照星と照門の向こうに、敵の車のボンネットが入ってきた。
「ッ」
優しく引き金を引く。撃針が雷管を叩き、薬莢に詰まった無煙火薬が爆発して、弾頭を飛翔させた。発生した燃焼ガスの圧力でボルトが後退し次弾が装填される。その弾丸も自動で発射され、次々と5.56mm弾の弾幕を形成した。もちろん、その弾丸が向かう先は男たちの車のボンネットだ。いくら車のエンジンブロックが丈夫にできているとはいえ、ライフル弾の雨を防げるような強度は持ち合わせていない。6ミリ弱の無数の穴を開けられたエンジンは火と煙を吹き始めた。
「うわあああああああッ!」
煙に気を取られたドライバーは運転を誤り、電柱に車を突っ込ませる。そして傷ついた燃料パイプから漏れだしたガソリンに引火。大爆発。
「お、おい、大丈夫なのかこれッ!」
真っ黒い顔を一目でわかるほど青ざめさせたジョックが聞く。葛城は落ち着き払って煙草を車外に投げ捨て、ドアを閉めた。そして、撃ち尽くしたマガジンを落として床に置かれた予備マガジンを挿入する。後ろを確認したが、増援は無いようだった。
「大丈夫だ」
何の感慨もなさそうな声で葛城は言う。
「警察に金を渡しておけばただの"不幸な事故"として処理される」
「なんて街だクソッタレ……ッ!」
ジョックは吐き捨てた。治安が悪いとは聞いていたが、これではほとんど紛争地帯ではないか。アップタウンに住むエレナもまた、奇妙な顔をしている。アップタウンとダウンタウンは同じ街とはいえ、かなり離れた場所にある。アップタウンの住人で、このダウンタウンの実態を知っている人間は少なかった。自分の生活圏のすぐそばで頻繁にこれほどの銃撃戦が起こっているというのは、あまり気分の良いものではないだろう。だが、それだけではない。
「……」
葛城がチラリとエレナの顔を見る。彼は、エレナの表情に違和感を覚えていた。不安顔と言うより、これは……。
「とりあえず、少し待て。ベネット・ファミリーの連中に連絡を取ってみる」
妙な思考を振り切って葛城は言った。無意識に、彼の右手がホルスターのCz75をつかんでいる。これ以上考えると、なぜかこの女を撃たなければならないような予感がしていた。流石に、クライアントの連絡役を撃つのは不味い。葛城は思考を止めた。
「ベネット・ファミリーに? 敵じゃないのか、そいつらは」
「現状、あくまで一番クロに近いってだけだ。それに相手はマフィアなんだ、取引の余地はあると思う」
「どういうことですか? 取引って……」
エレナが疑問の声を上げた。敵と取引するだなんてことは、彼女の想像の埒外にあった。
「ツェツィと黒幕、どっち側が転んでも連中に利益が出るようにすればいい。とりあえずお前はツェツィと連絡を取って、どれくらいまでなら譲歩できるか聞いてみてくれ」
「わかりました」
エレナがたすき掛けにしていた小さなカバンから、スマートフォンを取り出すのを見て葛城も携帯電話を取り出した。少し考えて、タッチパネルに浮かんだキーを打つ。二、三度のコールの後、男の声がスピーカから流れた。
「はい、ロックタイム運送です」
「葛城という者だ。ルパード・スウェッソンさんにつないでくれ」
「葛城様ですか。かしこまりました」
形ばかりは丁寧な電話番も、葛城の名前は知っているようだった。ロックタイム運送だなどと体裁を整えても、所詮はマフィアのダミー企業。当然、社員もマフィアの構成員だ。裏社会のことには精通している。数十秒の待機時間の後、目的の人物が電話に出た。
「ルパードです」
訛りのない、きれいなアメリカン・イングリッシュだった。ナイフのように鋭利な声と合わさり、いかにも切れ者と言った風情を声だけで醸し出している。彼がベネット・ファミリーの幹部の一人、ルパード・スウェッソンである。
「葛城さん……葛城圭さん、ですか?」
確かめるような声でルパードは言った。彼にしろ葛城にしろ、お互いのうわさは耳にしていたが実際に話すのはこれが初めてだ。しかし葛城は、彼のことはよく知っていた。この街で生き抜いていくためには、情報が何より大切だ。葛城は、事前にあちこちの組織の幹部について調べ、話の通じそうな相手を何人かピックアップしていたのである。
「ええ」
交渉と言うことでやや口調は丁寧になったが、それでもややぶっきらぼうな声で葛城はつづける。
「取引がしたく、お電話させていただきました」
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