悪徳の街 第四節

 狭い部屋に小さな電子音が響いていた。ブラインドから漏れ出てくる強い陽光に、デスクチェアに腰かけた男は目を細めた。電子音の発信源は、男の持つ小さな携帯電話だ。男は品の良い高級そうなダークスーツを身にまとっていたが、その携帯電話は服装に見合わずひどく安っぽそうなものだ。


「はい、こちらJ&J商会」


電話の相手が出た。軽薄そうな男の声だ。


「人手を借りたい」


「ふむ、どのような駒がお入り用で?」


「葛城圭を殺せる人間を」


電話の相手が息をのむ音が聞こえた。スーツ男は、その反応に笑みを浮かべる。


「失礼ですが、貴方は……」


「おそらく、想像通りの者だ」


「それはそれは……」


ため息の音が聞こえてきたような気がする。諦観のため息ではなく、自らに気合を入れるために吐いたような、そんなため息を。その反応に満足そうな表情を浮かべたスーツ男は、静かに足を組んだ。


「ご存じでしょうが、私どもと彼は協力関係にあります」


「知っているさ。私のような裏社会に疎いものでも、葛城圭の武勇は聞こえてくる。その元締めとして、君たちもなかなか儲けているようだな?」


「ええまあ……」


曖昧に肯定しながら電話の向こうの男、ジョニーは続けた。


「そんな金のなる木を、みすみす手放すような仕事を受けるとお思いで?」


「受けるさ、まともな損得勘定ができる人間ならな」


「へえ、それは……」


つばを飲み込む音が聞こえた。予想通り。スーツ男はほくそ笑んだ。このジョニーと言う男は、金次第で仲間を売ることにも躊躇はしないだろう。ある意味、情だなんだと口触りのいいことをのたまう連中よりもよほど信用できる。足を組み替えると、デスクチェアがキィと小さく鳴った。


「率直に聞きますが、いくら出せますか」


「三百万。もちろん、米ドルでだ」


「三百万……ッ!?」


ジョニーは驚愕の声を上げた。尋常な額ではない。こんなチンケな仕事などやめて、一生遊んで暮らせる額だと脳内で無意識に皮算用してしまう。


「……わかりました、丁度いい男が居ます」


「ほう」


満足げに男は頷いた。今のところ、状況は予想の範囲内を行っている。


「ひとつ聞きますが、葛城がこの街に現れる前の過去をご存知ですか?」


「いや、知らないが」


ツェツィが依頼を出す前から、男は彼女が仕事を頼みそうな相手を何人かピックアップしていた。葛城もその中の一人であり、当然調査を行った。しかし、四年前ふらりとソルプエルトに現れた葛城の、それ以前の記録は一切出てこなかった。自分の能力と情報網に自信を持っていた男はその結果に落胆し、わざわざジョニーに連絡したのだった。


「そうでしょうそうでしょう」


下卑た笑いを浮かべていることが容易に想像できる声でジョニーは言う。


「いやあ、私も最近知りましたよ。実に驚いた。事実が明らかになれば、この国の政権はひっくり返ってまた内戦時代に戻りかねません」


「大げさなことを言うのだな」


苦笑いを浮かべる男。確かにこの国は少し前まで内戦状態だった。しかし、現在では安定した統治を実現している。そうでなければ、いくら税金が安くても各国の企業は集まってこない。ソルプエルトのここまでの発展もあり得なかっただろう。


「ま、詳しい話は紹介する男に聞いてください。奴は葛城の過去に因縁のある男でね。今となっては、世界で一番葛城に詳しい人間かもしれない」


「それは頼もしい」


話半分、といった様子の男は、ゆっくりと頷いた。


「よろしい、取引は成立した。とりあえず前金として十万出そう。残りは葛城が死んだ後だ」


「わかりました。では、詳しいことは後程」


そう言って電話は切れた。男は携帯電話をポケットにしまい、立ち上がる。


「今ごろ連中はダウンタウンか。すこし、ジャブでも打ってみることにしよう」

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