悪徳の街 第三節
高く、堅牢なビルが何本も天に向かって屹立している。どのビルも築五年以内の新しいもので、太陽に照らされてガラスがキラキラと眩しく光っていた。ここはソルプエルトのアップタウン。タックスヘイブンとして急成長し、南米有数の経済都市となりつつある街だ。小汚く混沌としたダウンタウンと違い、街並みも整然としており歩く人々も高そうなスーツやブランド物の服などを身にまとっている。そんな街の道路を走る一台のリムジンがあった。
「いつ見ても、馬鹿でかい街だ」
葛城がぼそりと呟く。
「ここ数年で、一気に大きくなったそうですね」
「むかしはただの港町だったのにな……」
葛城の声には、どこか吐き捨てるような雰囲気があった。そんな彼にエレナは眉を上げ、聞く。
「葛城さんはこの国に来て、長いんですか?」
「……」
葛城は応えない。無言で煙草を取出し、車内が禁煙であることを思い出して舌打ちした。車に乗ってまだ半時間と立っていないのに、これで三回目だった。常と変らぬ仏頂面とはいえ、ひどく不機嫌なのが見て取れた。アップタウンで行動するにあたって、警官にとがめられかねない腰のホルスターの中身とナイフを露店で買った安っぽい手提げかばんの中に隠す羽目になったのが原因かもしれない。流石に、治安のいいアップタウンで目に見える形で武装するのは、問題があった。ダウンタウンなら、ライフルくらい携帯しててもだれも文句を言わないのだが。
「すみません」
重苦しい空気に、エレナが思わず謝った。葛城は何も言わない。動かない。
「ついたぞ」
そんな状況に眉根に深い渓谷を刻んでいたツェツィがそう言った。キチンと折り目の着いたスーツを身にまとった運転手が後席のドアを開ける。車が止まったのは、ビル街でも際立った高さの巨大ビルだった。このビルが、ツェツィらの会社の本社だ。数年前に隣国から移転してきた、らしい。
「ん」
葛城は音もなく立ち上がり、車外に出る。アスファルトとコンクリートによって増幅された熱気が吹き付け、不快さを煽る。湿気の多さも相まって不快度指数はかなり高いだろう。
ガラスやアスファルトからの太陽の照り返しもきつく、ツェツィは目を細めていた。
「……」
ふと、葛城は道路の方を見た。ちょうど、中型の運送用らしきトラックがカーブを曲がってこちらへ来るところだった。葛城は、そのトラックに違和感を覚えてかばんの中に手を突っ込む。エレナも同じものを感じたのか、立ち止まってそのトラックを凝視していた。ああそうだ、と葛城は思い至る。カーブを曲がったにしては、速度が速すぎる。まして、都市部の道路だ。沢山の車が行き交い、とてもスピードを出せる状況ではない。葛城の親指が、銃のサムセイフティを解除した。そのカチリという小さな金属音が、都会の喧騒の中でひどく目立って聞こえた。
「ああ、やっぱり」
エレナが小さく呟き、小型拳銃を構えた。トラックはぐんぐんと加速してこちらへ近づいてくる。他の車と接触してもお構いなしだ。中型とはいえトラック、質量は乗用車の比ではない。ぶつかった他の車を弾き飛ばしつつ接近してくる姿は凄まじい威圧感だ。
「……」
葛城は拳銃を抜き、発砲。Cz75Bと刻印されたスライドが二度往復し、9ミリ・ルガー弾特有の鋭い発砲音を響かせる。弾丸は空気を切り裂いて飛び、トラックのフロントガラスに穴を開ける。しかし、脆弱なホローポイント弾はそれだけで砕け散り、微細な弾片の驟雨となって運転手の顔面を襲った。もちろん、それだけではとても致命傷とは言えない。だが、そのための二発目の弾丸だ。微妙な照準調整のうえで発射された二発目の9ミリ・ホローポイント弾は一発目の開けた弾痕を上手くすり抜け、砕け散ることなく運転席に到達する。運転手の口吻に命中したその弾丸は所定の破壊力を発揮し、歯を砕き脳幹を吹き飛ばした。こうなればもう、人間は即死である。それとほぼ同時にエレナが発砲し、トラックのタイヤに.32口径の穴を開けた。脊髄反射による意図せぬハンドル操作と突然のパンクによりトラックはあらぬ方向に曲がってビルの壁面に衝突、そして沈黙。
「……今回は、やけに大がかりだな」
冷や汗を浮かべながら言うツェツィ。
「圧力をかけるつもりが、先手を打たれたな」
まだ弾丸が残っているにかかわらずポーチから新しい弾倉を取出し、古い弾倉と交換する。使用済み弾倉は素早くポーチに入れた。涼しい顔をしているが、身体はすっかり戦闘態勢だった。
「とりあえずビルに入ろう。狙撃でもされたらかなわん」
ビル風の吹きすさぶこの場所は狙撃に向いているとは言い難かったが、さりとて狙撃ポイントとして使えそうな隠れ場所はいくらでもある。狙撃の可能性は否定できず、出来るだけ早く建物に入った方が良さそうだった。さらに大音響とともに壁面に衝突したトラックの周りには野次馬が集まり、跳ね飛ばされた乗用車が別の車にぶつかり二次被害をひきおこている。控えめに言って、阿鼻叫喚の大事故だ。遠くからはパトカーや救急車のサイレンも聞こえてき始めた。人が集まればそれだけ暗殺もやりやすくなる。この場に居座り続ける理由はなかった。
「おい、警察が来たら状況説明をしておいてくれ」
あっけにとられた表情で現場を見ていたリムジンの運転手にそう伝えると、ツェツィは踵を返してビルのエントランスへ歩いて行った。
「兄上たちはもうすぐ来るそうだ」
机に頬杖をつきながらツェツィが言った。社員に案内された、本社ビルの小会議室での話だ。彼女は淹れられたコーヒーをゆっくりと眺めている。例のカフェで出されたものとは雲泥の差がある、高級なコーヒーであることをツェツィは知っていた。
「薄い……」
しかしそんな高級品も、葛城の舌には合わなかったようだ。ぼそりとそんなことを呟くなり一気飲みし、ポーチから出した先ほど使用した弾倉に弾を込め始めた。しかし、たった二発なのですぐ終わってしまう。仕方がないので煙草を取り出してツェツィに見せる葛城。
「……この部屋は禁煙じゃない。好きにしろ」
「ン」
礼を言うこともなくジッポでラッキーストライクに火を灯す。右手はジャケット内のショルダーホルスターに添えておく。彼はいまだ、戦闘態勢を解除していなかった。ピリピリとした雰囲気にエレナも黙りこくっている。ツェツィにしても、コーヒーを口にする気分にはなれなかった。毒の心配もあることであるし。
「待たせたな、ツェツィ」
「ユリウスか。待ったぞ」
そんな緊迫した空気の漂う小会議室に、二人の男が入ってきた。一人はブランド物の高級スーツを着こなした金髪の優男、もう一人は地味なダークスーツの黒髪白人男だ。ツェツィに話しかけたのは優男の方だった。
「手厳しいな、相変わらず……そちらの方は?」
苦笑しながら優男は言った。その視線は、葛城に釘付けになっている。目つきが悪く、薄汚い格好をした葛城は、小奇麗なこの建物の中ではひどい違和感を放っている。
「私立探偵の葛城圭だ。ヘルミーナの一件から続く一連の事件で、あまりにも警察が役に立たないんでね。個人的に調査を頼むことにしたんだ」
「ほう、探偵か……僕はユリウス・フェルディナンド・バルコヴァー。複合企業UCFの代表だ。後ろの男はドミニク。私の秘書で、ツェツィの恋人だ」
なるほど、確かにドミニクと呼ばれたダークスーツ男は神経質そうな東欧系で、みるからに秘書と言う感じだ。紹介されたドミニクは洗練された動作で葛城に一礼する。
「ドミニク・ヴァンダムと申します。以後、お見知りおきを」
差し出された手を、葛城は倦んだ瞳で見つめる。重苦しい空気が流れ、ドミニクが手を引っ込めようとした寸前に、葛城は左手で握手に応じた。
「どうも」
右手の甲をつかまれたドミニクは微妙な表情でユリウスの後ろに下がる。そんな彼らをツェツィはは苦笑を浮かべながら見ていた。
「粗忽ものだが能力は確かだと聞いている。許してやってくれ、ドミニク」
「ええ、もちろんです。お嬢様」
「いい加減お嬢様はよせと言っている」
ツェツィはさらに苦笑を深めた。二人に椅子を勧めると頷き、豪華な服装に似合わない貧相なパイプ椅子に腰を下ろす。社員が出てきて、コーヒーを机に置く。だが、彼らは手を付けない。
「ところで、アルトゥルはどうしたんだ? 時間が取れなかったか」
「いや」
ユリウスは静かに首を振る。彼の顔に張り付いている微笑が、少し翳ったような気がした。彼は胸ポケットに入っていたペンを取出し、滑らかに回し始めた。カチャカチャという微かな音が、静かな室内の空気を揺らす。
「体調が悪いそうで、今日は休んでいる。奴は今夜、サンダーランド海運のCEOと会食の予定だったんだがね、困ったものだ」
「毒でも盛られたか?」
「さあ?」
だが、可能性はあるとユリウスは何ともないような口調で言う。相変わらず手の中ではペンが回り続けていた。昔から、彼は考え事をしているときにはペンを回す癖があることを、ツェツィは知っている。
「僕にも毒入りの料理が今朝出た。警戒しておいて良かったよ、口にしていたらこの世にはいなかったかもしれない」
自分と同じタイミングか、とツェツィは思った。だが、彼の言葉が本当かどうかはわからない。だが、たとえ嘘でも追及する意味はないだろう。盛られていない毒を盛られたと偽装するくらい、彼にはわけのないことだ。まして、口で勝てるとも思わない。ユリウスの腹芸の上手さは幼少期からよく知っていた。
「表の騒ぎも、おそらくは一連の流れに属するものだろう?」
「おそらくな。警察からは連絡があったのか?」
「一応、な」
ユリウスはため息を吐いた。彼も、あまり警察を信頼していないかのような雰囲気だった。
「麻薬中毒者の暴走、だそうだ。運転手射殺の件については、身を守るためと言うことでお咎めは無しだと」
「ずいぶんと適当な処理だな」
普通に考えて人ひとりが死に、巻き込みで大事故を起こしたのだから、当事者の葛城やツェツィに事情聴取くらいは求めるだろう。それがないというのは、流石に不自然である。
「嫌な気分だ。狩られるものの立場になった気分だよ、僕は」
「事実狩られる対象になっているのが現状だ。頭が痛い話だな、いまだしっぽさえもつかめないというのは」
「違いない」
苦笑するユリウスだったが、その表情には確かな苛立ちが浮かんでいた。そんな彼の肩に、ドミニクが触れた。
「代表、そろそろ」
「視察か。やれやれ、こんな時に外出したくはないんだがね……」
いやだいやだ、という表情のユリウス。回していたペンをぴたりと止め、自らの目の前で揺らした。一瞬、ひどく真剣な表情をしたが、すぐに微笑の仮面をかぶりなおす。
「すまないが失礼させてもらうよ」
「ああ。気を付けてな」
「言われなくとも」
皮肉げな表情を浮かべてユリウスは言う。そのまま彼らは立ち上がり、部屋を出て行った。
結局コーヒーには触れもしなかった。
「さて」
黙って彼らの会話を聞いていたエレナと葛城をみるツェツィ。
「これからのことについて話そうか」
「こんなところでか?」
部屋中を見回しながら葛城が言う。ある意味、敵地の真ん中のようなものだ。盗聴や突然の襲撃など、懸念材料はいくらでもある。
「大丈夫、事前に盗聴機器がないかチェックしてある。襲撃についてもおそらくは大丈夫だろう」
「何故?」
「ここが本社ビルの中だから、さ。流石にこんなところで襲撃事件を発生させたら、社中に犯人がいると大声で叫んでいるようなものだ。もちろん、もし黒幕が他社の人間であっても大丈夫なように、警戒網も敷いてあるしな」
「そうか」
挿して興味もなさそうな葛城。
「とりあえず当初の目的は果たした。多分、これでお前の方にも奴らから何らかのアクションが来るだろう」
むしろ来ないと困る、といった口調のツェツィ。ある意味、彼をオトリとして運用するつもりのようだった。無論、それは葛城も当初から理解していた。
「それで、おれはこれからどう動けばいい? 指定がないのなら、マフィア連中からいろいろ話を聞いて回るつもりだが」
「ほう」
ツェツィは感心したような目で葛城を見た。
「それを最初からやらせるつもりだった。この国で非合法なことをやらかそうと思えば、マフィアに頼むのが一番楽だからな。何か知っているやもしれん」
「わかった」
「連絡役にエレナを連れていけ」
「こいつを?」
エレナを見やる葛城。片眉が少し上がっていた。
「要らない」
「まあそう言うな」
ツェツィは苦笑を浮かべた。確かに、彼のようなタイプからすれば見ず知らずの女を連れて活動するのは嫌だろう。
「アップタウンに来ることがあれば、パスポートとしても使える。私の付き人としてはまあそれなりに長いからな。顔も知れ渡ってる」
「……ン」
仕方ない、といった表情で頷く葛城。すっかり短くなった煙草を、卓上のアルミ製のやすっぽい灰皿に押し付けて消す。紫煙とヤニ臭い空気が、ゆっくりと排気口に消えていいった。
「とりあえず、ベネット・ファミリーに探りを入れてみよう」
「ベネット・ファミリー?」
ツェツィが疑問の声を上げた。葛城にコンタクトを取る前にこの国の裏社会について多少調べた彼女だったが、聞いたことのない名前だった。
「アメリカからきたギャングだ。この街じゃもっとも新参だが、良い駒がそろってると聞く」
「なるほど、確かに古参ならわざわざ金持ち同士の小競り合いに首を突っ込みはしないだろうな」
もし、肩入れしていない方が負ければそれだけ経済界への影響力が弱くなってしまう。しっかりとした基盤があるなら、あくまで商売相手の一つとしてのビジネスライクな取引をした方がよほど安定しているだろう。しかし、基盤の弱い新興グループならばリスクを冒してでも躍進の機会を狙ってもおかしくはない。ツェツィはそう考えた。
「よし、ではそうしてくれ。裏社会のことについては疎いからな、私も。定期的に報告を寄越すなら自由に動いてもらって構わん」
「わかった」
静かに頷く葛城に、ツェツィは笑顔を向ける。
「それともう一つ。二人では数として少々不安だ。なので、手配師にもう一人使えるやつを斡旋してもらえるように頼んでおいた」
「手配師?」
葛城が眉根を上げる。
「ジョニーか」
手配師とは要するに人材派遣業者であり、ジョニーはソルプエルトでも有数の手配師だ。葛城の仕事も、ほとんどこの男が持ってくる。カフェに行く前、電話をかけてきたのもこの男である。ただ、葛城自身はジョニーをあまり信用できる相手だとは思っていなかった。
「いや、別の手配師に任せた。流石に、同じところに頼り切りというのはあまりほめられた状態ではないからな」
「へえ」
その言葉で興味を無くしたのか、葛城は視線をからのコーヒーカップに向ける。
「ルロイ・ジェンキンス。元米国海兵隊の精鋭だと」
「で、どこにいるんだ」
「チアンダンとかいうバーで待ち合わせる予定だ」
「チアンダン」
ふと引っかかるものを感じて葛城はツェツィを見た。聞き覚えのある名前だ。そう、チアンダンといえば……。
「あそこなら、吹っ飛んだ」
「吹っ飛んだ!?」
流石のツェツィもこれには言葉を失った。そう、先ほどポルティージョ・カルテルの手によってスクラップにされた建物が、チアンダンだった。
「ああ」
「それは困ったな……とりあえず、チアンダンのあった場所へ早くいってくれ。向こうから連絡があったら、そっちへ伝えるから」
「わかった」
そう言って立ち上がろうとする葛城を、ツェツィはふと止めた。
「一応、連絡先は交換しておこう」
「……ああ」
凄まじく嫌そうに、ポケットから安物のスマートホンを取り出す葛城だった。
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