悪徳の街 第二節

中天から照らす太陽光は暑く、そして眩しい。ましてやこの街、ソルプエルトは海沿いの港町だった。潮の臭いを含んだ湿った熱風がさわさわと街中を包んでいる。街外れの廃墟群近くにある葛城の家から歩くこと十分。彼の周囲は喧騒に包まれていた。


「……」


露店で大声で客寄せをする恰幅の良い黒人女性。今日の糧を得ようと通行人にまとわりつく物乞い。そして大通りの真ん中で殴り合う大柄な男たち。葛城がこの街に住みついてから、毎日のように見続けてきた日常だ。喧嘩をしている酔っぱらいらしき男どもに葛城は幾分険のある視線を向けたが、彼らを迷惑に思っている人間はごく少数なようで、少年から老婆、はては警官まで喧嘩の現場を傍目に見ながらにやにやと笑い観戦している。どうも、賭けでもやっているらしかった。警官もチンピラも、この街では来ている服と多少の権力の有無程度の差しかない。中身はどうしようもない悪人ばかりだった。


「……」


 葛城はいつもの仏頂面でその騒ぎのそばを通り過ぎる。歴史だけはある石畳の道路を、軍用ブーツの固い靴底が叩く。しかし、足音はない。葛城は眩しそうに太陽を仰ぎ、やがて立ち止まってあたりを見回した。何百年も前から立っている石造りの重厚な家々と、今にも崩れそうなバラック一歩手前のボロ屋たち。遠くには摩天楼のような高層ビル街が見える。港から迷い込んできたのだろうか、数匹のカモメがのんびりと空を舞っていた。そんな長閑とは言えなくもない混沌とした街中で、葛城はポケットに入れていた手を静かに引き抜き腰のホルスターに当てた。黒い鉄製のグリップをぎゅっと握り、静かに引き抜いたその瞬間、街中に銃声が響き渡った。

 

「ポルティージョの連中か」


ぼそりと呟いた葛城の視線の先には、車道の真ん中に停まった数台の車があった。どれも軍横流しのハンヴィだ。軍時代の塗装そのまま各種マークのみを乱暴に塗りつぶしたその車の窓や天井からは何人ものチンピラたちが銃口を突き出し、目標の酒場に向かって発砲している。短機関銃から自動小銃、はては重機関銃まで持ち出した銃器の大合奏に、木造の酒場はあっというまに竜巻にでも遭遇したのかと思うような有様になってしまう。住人達は銃声が聞こえた時点で蜘蛛の子を散らすように消えていった。警官もいつの間にか居なくなっている。ほとぼりが冷めたころに集団で現れて、証拠品押収と言う名目で火事場泥棒をやらかすことは容易く想像できた。これもまた、日常的に行われている"行事"だからだ。


「よう葛城、居たのか」


銃撃が終わると、先頭のハンヴィから一人の男が降りてきて、葛城に向かって言う。その壮絶に悪そうな人相を見て葛城は一瞬首をかしげ、やがてまたあの渋い表情で返した。


「カルロスか。そういえば黄幇会の経営だったな、ここは」


黄幇会といえば、この街で最大の規模を誇るチャイニーズ・マフィアだ。カルロスはその黄幇会と敵対する地元の麻薬カルテルの幹部の一人だった。


「ああ、この通りは昔から俺たちのシマだったんだ。中国人どもの好きにはやらせねえよ」


そういってカルロスが見た先には、現場の検分を始める下っ端たちの姿があった。店内は弾痕と血煙と化した店員や客の死体ともいえないような残りカスで地獄のような有様になっている。遠目から見ても、生存者はいないだろうということが確信できた。


「へえ」


そんな状況を見ながらも、葛城に顔色の変化はなかった。興味もなさそうだ。ただ、抜いた拳銃はホルスターに戻している。しかし、グリップには手をかけゆっくりと撫でていた。


「近々でかい戦争をおっぱじめるつもりだ。そんときゃ頼むぜ? 金は出すから」


「まあ、気が向いたら」


まるで友人に食事へ誘われたかのような気軽さの返事だった。表情はぴくりとも動かない。常と変らぬ三白眼で、事件の現場をジイと見ている。カルロスなど、眼中にないようだった。そんな彼の様子に、犯罪組織の若き幹部は半笑いを浮かべて肩をすくめる。ここ最近、何度も繰り返されているやりとりだった。だがしかし、黄幇会とカルロスらポルティージョ・カルテルの規模は隔絶したものがある。過去の抗争で葛城の"趣味"を知っているカルロスは、なんだかんだ言ってこの男は味方になるものだと考えていた。


「ま、必要になったらジョニーの方に連絡しておく」


 そう言ってカルロスは酒場跡の方に歩いて行った。葛城は返事もせず、また歩を進め始める。濃い硝煙と血と臓物の臭いを振り払うかのように、早足で。彼の目的地はここからすぐ近くのカフェだった。葛城はポケットから両切りのラッキーストライクをひっぱり出し、手の中で一回転させてから咥え、ジッポで火をつけた。これらの動作はすべて左手で行い、右手はいまだに銃のグリップをゆっくりと撫で続けている。

 歩くこと数分、葛城は一軒の店の前に立っていた。看板など出ていない、小さな小汚いカフェだ。彼は左手で扉を押し、店内に入る。カランとドアに取り付けられた鈴が涼やかな音を奏で、心地のいい涼風がさわりと優しく吹き付ける。


「……」


音を聞きつけた店主と目が合う。五十前後のひげもじゃのカリブ・インディアンの男だ。彼は店員としてのせめてもの義務感がそうさせたのか軽く会釈するが、そのまま手元の新聞を眺める作業に戻り何も言わなかった。葛城は多少失礼なその態度を気にすることもなく店内を見回し、数人の客の中に目的の人物が居ないことを確認して空いた席に座った。歴史を重ねてきたことを感じさせる飴色のテーブルはしかし、尋常ではない量の傷と落書きで汚され、アンティーク家具のもつ厳格さは感じられなかった。椅子のスプリングもすでに限界までへたり、微妙な反発力しか残してない。まさに場末の酒場と言った有様だが、この場所にそんなことを気にする人間はいない。葛城も椅子にドッカと腰かけると短くなった煙草を備え付けの灰皿に捨て、新たな煙草に火をつけた。そのままメニューに目をやり、少し考えて言った。


「コーヒー……それとミートパイ」


「……」


店主は返事をしなかったが、億劫そうに新聞を畳んで立ち上がり、銀色の冷蔵庫を開けた。

葛城はそんな店主を見もせず、ポケットから折り紙を取り出して左手でおり始めた。だが、視線は手元ではなく、窓の外。道を行きかう人々や遠くに見える古びた時計塔。対面の民家の屋根など、絶え間なく目を動かしていく。口元の煙草からあがる紫煙がふわりと空気に広がり、ジャンク寸前のジュークボックスから流れる静かな音楽にとけて消えた。店の中に何かを話している人は一人もいない。音楽と眩しい日光、小さな食事の音と、紙を折る微かな音、それが全てだ。葛城はそとをじいっと見たまま、鶴を折りあげた。そのまま新しい紙を取出し、今度は右手で折りはじめる。左手はポケットの中に消える。

 葛城の右手が亀を完成させた頃になって、店主が無言で葛城のそばにやってきた。葛城はポケットに入っていた右手をぐっと握るのを見て、店主は少し息をのみつつ持っていた金属製のトレィからミートパイと湯気を上げるコーヒーをテーブルに乗せた。口元の煙草を灰皿にねじ込んだ葛城と店主の目があう。


「……」


「……」


視線がミートパイに移ったことを見て取った店主はほっと息をつきつつカウンターに戻る。一緒に店主が持ってきた銀色のナイフとフォークを三白眼に捉えた葛城は、ナイフを無視して左手でミートパイにフォークを突き刺した。白い皿と、冷凍食品を温めただけと一目でわかる安っぽいミートパイ。それを見た葛城は、この間読んだ小説に『ミートパイなどどれもつれたボクサのようなものだ』と書かれていたことをふと思い出した。なるほど確かにつぶれたボクサだと一人納得してミートパイを切り分ける。フォークの峰で切られたパイからは、白い湯気と肉の焼けた良い匂いが噴き出る。白い皿が肉汁で汚れるのを見つつ、ひと切れ口に運んだ。いつの間にか、右手からは力が抜けている。彼はそのまま、湯気の上がるミートパイをひょいひょいと口にねじ込んでいく。冷ましてから口に入れようとする様子はない。もぐもぐと咀嚼する。表情は一切変わらない。仏頂面のままだ。ぱくぱくと食べ続ける。ミートパイはみるみる減っていく。

 やがて最後の一切れを呑み込むと、葛城はふうと息を吐いた。はた目では全くそうは見えなかったが、昼前まで何も口にしていなかったため空腹だったのだ。ミートパイだけでは物足りないと再びメニューに目をやる葛城だったが、そこでカランコロンと扉のベルが鳴った。誰か客が入ってきたのだろう。葛城はホルスターの銃に手を持っていきながら扉の方を見る。入ってきたのは金髪のメイド服の少女に先導された、上品な服を着た若い女性だった。葛城には彼女に見覚えがあった。昨日送られてきたファックスに、彼女の写真が添付されていたのだ。


「ツェツィーリエ・オーデル・バルコヴァー?」


葛城が女性を見ながら聞く。ツェツィーリエと呼ばれた女性は葛城の方を見て片眉を上げた。


「貴方が葛城圭か?」


尊大な声音だった。自信にあふれた、静かな声だ。葛城は頷き、自分の前の席を指差す。ツェツィーリエはふむと手に持った扇をなでながらその席に座った。従者らしき少女もそれに続く。葛城はコーヒーについて来たガムシロップを開封しつつ、胡乱げな目つきでツェツィーリエを見た。襟付きの丈夫そうなシャツと、長いブラウンの髪の毛。肌にしろ髪にしろ、よく手入れされているし、身に着けているものも地味ながらシックで高級なものだ。このあたりでは、めったに見ないタイプだ。その辺で見かけたのなら、アップタウンから迷い込んできた哀れな旅行者か何かだと葛城は思ったことだろう。


「名前は知っているようだが、一応自己紹介しておこう。ツェツィーリエ・オーデル・バルコヴァーだ。ツェツィで構わない」


「ああ」


それに対して、葛城はそう返しただけだった。そして開けたガムシロップを飲み、少し味わった後コーヒーで流し込む。そんな姿を信じられないものでも見るかのように見ていたツェツィだったが、ふうとため息をついてメイド少女の方を見る。


「これはエレナ・イオネスク。雑用兼、護衛だ」


よろしくお願いします、とエレナは頭を下げた。短めのサイドテールが揺れ、彼女の肩をこする。葛城は小さく頷いて、コーヒーを一気にあおった。濃すぎて残りかすがカップの底に沈殿するような、泥水のように苦いコーヒーだった。口に残った甘味が洗い流され、刺激的な苦みが腔内を支配する。


「コーヒーお代わり。それとパフェ」


「……同じものを、私とエレナに」


店主が頷き、ごそごそと冷蔵庫をあさり始める。エレナは一瞬カウンターの方を見て、少し躊躇いながら葛城に向かっていった。


「すみません、銃から手を放していただけませんか」


「……ん」


右手で撫で続けていた拳銃から、葛城は手を放した。どことなく不機嫌そうだったが、抵抗はしない。ただ、手袋を取って膝の上に置いた。


「……」


ツェツィが、その傷跡と縫合跡でつぎはぎになった手をみて目を細める。別の人種の皮膚を移植したのか、指も手の甲も黒や真っ白い皮膚で乱雑なパッチワークが形成されている。

本人はしかし、そんな視線には慣れているのか大した反応もせず、右手の人差し指に嵌まったシンプルな銀色の指輪を撫でてから煙草を取り出して、手の中で一回転させてから火をつけた。そして煙を吸い込み、ほぅっと吐き出す。


「本題に」


煙草を口元に咥え、ポケットから取り出した二枚の折り紙で両手をフルに使って別々のモノを折りはじめた葛城に、エレナは信じられないものでも見たかのような表情になる。だが、流石にツェツィは表情も変えずに口を開いた。


「実は、な。私の妹を殺した相手を見つけ出してほしいんだ」


「警察に任せろ」


葛城はにべもなくそう言った。


「警察は役に立たん」


「お前たち、アップタウンの人間だろう?」


ダウンタウンの腐った警察と違い、アップタウンの警察はしっかりと機能していると葛城は聞いていた。少なくとも、自分のような得体のしれない無法者よりは、よほど役に立つだろう。葛城は、言外にそう言いながら窓の外に視線を移した。


「あからさまに腐ってるか、見えないところで腐ってるか。そういう違いしかないさ。役に立たんときは徹底的に役に立たない」


「まあ、ニンゲンだからな」


嘆かわしい、という口調のツェツィ。何をあたりまえなことを、という口調の葛城。


「そこでまあ、民間の出番と言うことになった。そして選ばれたのが探偵君、キミだ」


「探偵」


確かに葛城の職業は表向き探偵ということになっていた。しかしそれはカタギの支配する世界、ソルプエルトのアップタウンで活動するためのアンダー・カヴァだ。彼の本当の仕事は、このダウンタウンで銃をぶっぱなす物騒なものである。浮気調査だとか、探し人だとか、そういった探偵"らしい"仕事などしたことがない。まして、彼は死体の製造側の人間であって、殺した相手を探した経験などほとんどなかった。既に彼の頭の中はこの仕事をどう断るかということでいっぱいである。とりあえず完成した二つの折り紙を合体させ、木にしがみついたコアラを作り上げ、ぽいっとテーブルの端に投げ捨て、煙草の灰を灰皿に落とした。そのすべての動作からは、やる気のなさが全周囲に放射されている。表情は一切変わらないくせに、妙に感情表現のうまい男だった。


「しかし」


ちらと葛城は窓の外に視線を移した。煙を吸い込み、灰皿に灰を落とす。


「殺人犯の捜索、ね」


窓の外は、常と変らない物騒だが長閑な様子だった。葛城は、三白眼でじいっと遠くの時計塔を眺めている。ツェツィは片眉を上げてその様子を見る。


「ああ……」


「警察が役に立たない。そして、俺みたいなやくざ者を雇おうとする」


葛城は視線をツェツィに向け、じっとそのブラウンの瞳を見据えた。何の感情も浮かんでない葛城の目に、ツェツィはなぜだか寒気を覚え肩を微かに震わせた。


「つまり、相手は大物ってことか」


「おそらくは」


ツェツィはゆっくりと頷く。葛城はそんな様子を、じいっと見つめながら続ける。


「無法には無法を。そういう認識で、問題ないか」


「ない」


「なるほど」


ジュークボックスから流れてくる音楽が変わった。しっとりとした局長のクラシックだ。紫煙は相変わらず、ゆっくりと昇っては消えている。葛城は、その煙を手で払うと右手に持った煙草を灰皿に捨てた。


「来たか」


いつの間にかトレィを持った店主が席の傍らに立っていた。相も変わらずやる気がなさそうに、トン、トンとテーブルに人数分のコーヒーカップとパフェを置く。真っ白い入道雲のようなクリームがうずたかく積み上げられたソレをみて、エレナがごくりと唾を飲み込む。葛城は何も言わず、ついてきたマドラーを入道雲のてっぺんに突き刺して口に流し込み始めた。お世辞にも、上品な食べ方とは言えない。仏頂面で延々と食べ続けているものだから、はたから見ているとなかなかにシュールだ。何とも言えない表情でそれを見ていたツェツィだったが、やがてエレナに向かって言う。


「食べていいぞ」


「ありがとうございます」


ゆっくりと、少しずつ、いつくしむようにエレナはクリームを口に運び始めた。表情は澄ましているものの、どこか嬉しそうである。真っ白い肌を薄く紅に染めて、幸せそうに食べている。それを見たツェツィは対照的な両者を見比べて軽く息を吐き、自分もパフェに取り掛かり始めた。


「とりあえず、おれはどうすればいい」


「ん?」


 一足早く食べ終えた葛城が問う。ツェツィはバニラアイスを口に運ぶのを止め、首をかしげた。


「お前は俺に何をやらせたい」


「そうだな……」


空になったマドラーをグラスに挿し、かみしめるように答えるツェツィ。


「まずは、状況を話そう。これからのことはそのあとで話せばいい」


「ここで話しても構わない内容か」


「ああ、ここでなくては駄目だ」


盗聴される可能性があると暗に示すツェツィ。確かに、この店はもともと盗聴を恐れるマフィアの幹部たちが密談に使うような場所だ。声のトーンにさえ気を使えば、誰かに聞かれる心配はないだろう。ここに盗聴器を仕掛けるような命知らずは、この街にはいない。


「そうか」


 葛城はカップを左手で持ち上げ、口に含む。右手は所在なさげに指が微かに動いていた。


「我々、バルコヴァー家のことはどれだけ知っている?」


「塩山経営で財を成した一族。現在では海運や鉱山の経営にも手を出し、ヨーロッパの経済界とも縁が深い。確か、今の当主はあんたの兄……長兄のユリウスか。典型的な古い金持ち家族……という認識だ」


「驚いた。ずいぶん詳しいな」


「まあ」


言外に葛城はさっさと続けろと頷く。南米でも有数の大金持ちが相手であっても、彼の態度は変わらなかった。知識はあっても、あまり浮世のことには興味がないのかもしれない。

そんな彼に、ツェツィは苦笑を浮かべる。


「妹、ヘルミーナが死んだのは一週間前のことだった」


視線を天井に移しながらツェツィが話し始めた。家族が死んだという割には、彼女の顔には悲しみらしき色は映っていない。


「ここ、ソルプエルトは新興ながら良い港だ。立地的には北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカの各大陸にも近く、世界中から船が集まってくる。ここを押さえれば、南米の海運の三分の一を支配できるといっても過言ではないな。だから、地盤固めの一環として私たち一族はここに移り住むことにした」


指揮官先頭を地でいっているな、と小さく感想を漏らす葛城に、ツェツィは静かに頷いた。


「ヘルミーナの死体が発見されたのは、奴の自宅……ソルプエルト中心街の高級マンションだ」


「アップタウンでも一番警備の厚いところか」


あそこで事を起こすのはなかなか大変だったろうに、と葛城は言う。まるで自分も何かそこで事件を起こした事があるような口ぶりだったが、ツェツィは気にしない。


「遠距離からアンチマテリアルライフルで一発だ。いくら防弾ガラスでも12.7mm弾の直撃には耐えられなかった」


アンチマテリアルライフルは、文字通り車両や装備品などを破壊するために開発された大口径狙撃銃だ。そんなもので撃たれたら、人間は文字通りバラバラになってしまう。現場は相当に凄惨な状況だっただろう。一番マシな死に方だと、葛城は自分にしか聞こえないような声で言い、視線をまた時計塔に移した。


「心当たりはいないのか?」


ちらりと葛城の視線の先を見て眉根を上げたツェツィは、困ったような笑みを浮かべる。


「知り合いにそういった芸当ができる人間はいるけどね。たぶん、それとは別人だよ。まあ、本題に戻ろう」


首をゆっくり縦に振りながらツェツィは続けた。


「当然、中心街でそんな事件が起きれば大騒ぎだ。南米だけでなく、ヨーロッパやアジアのセレブ達もあそこには大勢住んでいる。警察だって血眼になって犯人を捜すだろう、そう思っていた」


「まあ、そうならなかったからここにいるんだろうが」


「違いない」


自嘲気味にツェツィは笑う。


「この街で一番根を張っているのは私たちだ。だから、警察の中にもそれなりの数、私たち……いや、私の影響下にある人物が混ざっている。そういう連中からの報告は芳しいものではなかった」


「積極的に動こうとしてないってことか?」


「そういうこと。なんでも、警察署長直々の辞令が出ているようだ。当然、極秘でな」


「寝返った?」


「いや」


首を振るツェツィ。その顔には静かな怒りが浮かんでいた。


「裏切っていないかもしれない。いや、おそらくは裏切ってはいないだろうな。あの男に、そんな根性があるとは思えない」


「目星はついてるわけか、あんたの中じゃ」


「ああ。犯人はおそらく……」


身内、それも長兄ユリウスか、次兄アルトゥルだろう。ツェツィはコーヒーカップの縁を白魚のような指でなぞりながら言った。


「その証拠を集めろ、と」


なるほど、確かに無法者には似合いの仕事だと葛城は頷く。そして、飲み終えたカップをソーサーに戻し、新しく取り出した煙草を右手で弄び始めた。


「ああ。ここ最近、私の近辺でも怪しげな動きがある。部屋に置いていた物の配置が微妙に変わっていたり、食事に毒が混ぜられていたり、な」


「毒か。よく無事だったな」


「ああ。一応身辺には気を付けていたからな。いくつか有名どころの毒のテストをしてから、食卓に出すことにしていた」


「へえ」


「厨房の人間は信頼できるものしか配置してなかったのだが……私の目も曇ったものだ。いまだに実行犯の目星すらついていない」


「へえ」


まったく同じ返事しかしなくなった葛城。興味が全く持てないのだろうか。右手の人差し指と中指だけで煙草をクルクルと回し、視線は一切動かさない。


「外、怪しげな連中がずいぶんいるだろう。特に危害を加える様子はないからほっといてるが、あまり気分のいいものではないな」


「さてね。物盗りやら誘拐やらが目的の、今回とは多分関係のなさそうな奴も交じってるようだが」


ここはそういう街だと葛城は言う。


「ずいぶんとアップタウンと様相が異なるんだな。正直、ここまでひどいとは思わなかった」


「この辺りはまだましだ。街外れの廃墟群なんて酷いもんだ。警察も軍もあそこには入ってこない。悪人の最後の避難所になってる」


ツェツィの顔をちらと見て葛城はそう言った。そしてそのまま視線をまた窓の外に戻す。


「……それは良いことを聞いた。近づかないようにしよう」


エレナと顔を見合わせながらツェツィは頷く。葛城が珍しく忠告めいたことをの賜ったのが面白かったのか、口角が少し上がっている。


「一応、護衛は連れている。わかりやすいのはまあ、エレナだな」


「ふうん」


葛城がスッとポケットに手を伸ばした。エレナはピクリと肩を震わせ、黒いロングスカートに手を突っ込み中から小型拳銃を引き抜いた。一瞬の早業だ。だが、葛城がポケットから取り出したのがジッポだとみとめると、ひどく情けない表情になる。


「試した、んですか?」


「さあ?」


葛城はそう言いながら右手で煙草を一回転させると、火を灯して汚れた煙を肺いっぱい吸い込んだ。そこでふと、エレナは葛城の右手に力が入っていたことに気付いた。おそらく、エレナがそのまま発砲しようとすれば、右手で銃を払いのけるつもりだったのだろう。銃を抜いた時には全く気付けなかった。怖い相手だ、そう思った。ぴくりと、銃を戻す腕が震えたような気がした。


(怖がっている?)


まず頭にそんな考えが浮かんだが、どうも違うようだった。しかし、いくら考えても何故腕が震えたのかわからない。仕方なく、エレナはますます情けない顔になって銃をスカート内のホルスターに戻す。そんな彼女の様子を、葛城はじっといつもの仏頂面で見ていた。

しかし、なぜかいつにもまして不機嫌そうな、そんな雰囲気だった。


「あまり部下をいじめないでくれ」


「ああ」


短く返事をして、また窓の外を見始める葛城。苦笑するツェツィ。


「これからどうしたらいい?」


「まずはうちの本社に行こう。兄たちに圧力をかけて出方を見る」


「ずいぶんと好戦的だな」


「それだけ切羽詰っている」


相当、身の危険を感じているのだろう。葛城はこの国の裏社会ではまあ、それなりに名の知れた男だ。ゆさぶりをかけるための撒き餌としては十分だろう。ツェツィはコーヒーを飲み干すとソーサーにゆっくりと降ろし、エレナを見た。


「支払いを」


「かしこまりました」


伝票を持ち、立ち上がるエレナ。葛城はそれを見て煙草を灰皿に押し付け、立ち上がる。手袋は拾ってまた嵌めたが、折り紙はそのまま放置だ。彼はこの店に来るたび同じことを繰り返しているため、店主はもう慣れきったのか葛城が置いて行った作品を棚やカウンターに飾るようになっていた。


「外に車を待たせてある。今から直接本社へ向かうが、問題ないか?」


「ない」


そう言って葛城は紫煙の残滓が漂う空気を抜け、扉を開いて外へ出て行く。その背中を見送るように、ベルがカランコロンと鳴っていた。

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