三.燻る将軍、誘う美女

 一日で最も暑さが厳しく為る、昼過ぎの時刻。雲の無い晴天の下、麗蘭と蘢は街道を早足で歩いている。都から離れたためか人通りは少なく、時折向こうから来る旅人と擦れ違う程度であった。

 街道沿いには建物は疎か木々すらも無く、草原が広がるだけという退屈な道が続いている。晴れているので、遠くに連峰の山々が見えているが、暫くすると二人とも此の景観に飽きてしまっていた。

「暑いね。水は未だ有る?」

 隣の麗蘭に声を掛け、竹筒に入れた水を飲み干す。彼は汗をかきにくい体質なのか、端からは然程暑そうに見えない。

「ああ、大丈夫だ。未だ余裕が有る」

 自分の竹筒を振って水が有ることを確認してから、麗蘭は手拭いで額の汗を拭いた。

 紫瑤を出た麗蘭と蘢は、馬で半日駆けて着いた宿場町で一泊した後、移動手段を徒歩に切り替えて随加に向かっている。

 先日次の宿場町までの道中で、妖が出現して路を破壊し、未だ修復されていないという。宿を取った宿場町にて馬が通れない路が在ると聞いたため、仕方無く歩くことにしたのだ。

「君には不自由を掛けて済まない。疲れたら遠慮なく言ってね」

 馬で旅を続けられるよう、蘢が他の経路も検討したが、如何しても見付けられなかった。そもそも移動手段の主流が徒歩であるため、馬を走らせることの出来る舗装された路が少ないのである。

「いや、私こそ色々気を遣わせて済まないと思っている。足は鍛えているし、大丈夫だ」

 言葉通り、山奥で育ち丈夫な麗蘭だったが、男の蘢に比べると歩幅が違う。先程から彼が自分と歩みを合わせてくれていることに気付き、少しでも速く歩こうと努めていた。

 出立して未だ一日しか経っていないのに、蘢は麗蘭が不自由をしないよう事細かく配意してくれる。馬が乗りにくくないか、宿の部屋は過ごしにくくないか、食事に不自由していないか――など、実に良く気が付く。

「蘢、其の……余り私のことは気に掛けてくれなくていい。私が公主だから気にしてくれているのであろうが、こうも気を遣われてばかりだと、私も申し訳がなくてな」

 並んで歩きながら、思い切って口に出してみる。立場上、こんなことを言うと却って蘢を困らせるかもしれないが、旅は未だ長く、言うなら早めの方が良い。すると蘢は一瞬だけ驚いて、直ぐに笑って首を横に振った。

「違うよ。君が公主だからとかじゃなくて……何て言うか、僕の癖なんだ。気を遣っているというよりも、自然と気に為ってしまうんだよ」

 参ったな、という顔をしている彼の言葉は、屹度きっと心底からのもの。

たまに気を遣い過ぎだって言われるんだけど、元々世話焼きな性格でね。でも正直言うと、確かに未だ君の身分に配慮し過ぎている面もあるし、君が窮屈に感じているのなら、其れこそ気を付けなくてはね」

 皆まで言わぬうちに、今度は麗蘭が首を横に振る。

「いや、いや……気を付けなくて良い。おまえにとって自然なことなら、其のままでいてくれ、頼む」

 蘢の言葉を聞いて、麗蘭は優花のことを思い出した。彼女も麗蘭の傍で何かと世話を焼いてくれたが、其れは彼女の優しい性質から来ている自然なもの。蘢も恐らく、彼女と似たような気質なのだろう。そう考えれば合点が行く。

「本当に、君は律儀な人だね。僕の方こそ、余り気にし過ぎないで欲しい。君と僕の立場上……とかではなくて、一緒に旅をしている仲間としてね。まあ、出会って未だ間もないし、旅を始めたのも昨日だし、難しいと思うけど」

 微笑する蘢を見て、麗蘭は大分心が軽くなった気がする。

「ああ、分かった。ありがとう」

――蘢の言う通り、気にし過ぎていたのは私の方だな。

 思えば、こんなに長い時間を優花以外と過ごしたことは殆ど無い。子供ばかりの孤校で暮らしていたというのに、麗蘭にとって友人が出来るということは滅多に無いこと。経験が少ないゆえに、蘢との接し方が良く分からないのかもしれない。

「ほら、茶屋が見えてきた。お腹も空いたし少し休もう」

 前方を見て蘢が指差す。街道を行く旅人のための、小さな休息所だ。

「そうだな、そうしよう」

 顔を綻ばせて答えると、麗蘭は蘢と共に茶屋へと入って行った。










 茗の四神の一人、『玄武』として知られる男――彼は酷く退屈していた。

 主の命により、聖安の港町に駐留させられ早一年。開戦に備え、敵の軍備を探り貿易を混乱させることを命じられたものの、祖国では最上位の上将軍であり、女帝の鷹と称えられた自分にとっては温過ぎる任務である。

 身分を隠して表に出ず、最小限の部下を連れて密かに動けとの命であり、最初の数ヶ月は大人しく従っていた。だが荒い気性ゆえに長くは保たず、やがて正体を晒す危険を冒してまで、彼は変わった余興を楽しむように為った――海賊の真似事である。

 港町の近海で活動していた茗人の海賊に乗り込み、首領を殺して一団を乗っ取った。其の後、自分が首領として彼らを率い、聖安の商船を襲い始めた。

 確かに、敵国の交易を乱すという任務は遂行出来ている。しかし聖安側も船を襲われて黙ってはおらず、男の海賊を討伐しようと軍隊を度々寄越してくるため、正体がばれる危険性を常に伴う。

 茗の将軍が賊として他国で好き放題しているというのは、公に為ると少々都合が悪い。男は其れを、常に皆殺しにすることで回避してきた。

 幾度も戦場を経験したことで身に付けた優れた戦術により、自分の船を攻撃してくる聖安軍を全滅させる。其れこそが彼の一番興奮する楽しみであり、溜まりに溜まった鬱憤を晴らす手段でもある。

 ところが最近は、随加から商船が滅多に出なく為り、軍隊も掃討作戦を諦めたのか現れなくなった。ゆえに、男は再び鬱屈した日々を送っている。

 男に残された数少ない享楽は、客船を襲い女を手当たり次第犯すこと。自分の欲望を満たすためならば、彼は女子供ですら凌辱し殺すことを厭わない。

『彼女』と出会ったのはそんな折――男と海賊が、一隻の客船を襲った時だった。

 客の中に紛れていた黒髪の若い女。其の女に、男は一瞬にして囚われた。半ば強引に寝所へ連れ込み何時ものように犯したのだが、抱けば抱く程夢中になり、美しい肢体から逃れられなく為ってゆく。数度目合まぐわえば飽きてしまい、終いには殺してしまう彼にとって、斯様な女は初めてだった。

 汚れを知らぬ真白い肌をしていながら、男性に至上の悦びを与える艶めかしく魅惑的な身体。大輪の花の如き華やかな美貌に、強い情熱の意志を秘めた、深紫色に輝く双眸。

 男が珍しく名を尋ねると、彼女は『瑠璃』と名乗った。

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