二.勅令を発す

 茗帝国が皇城、利洛城。

 女帝珠玉は自室横の前室に『四神』の一人を呼び寄せ、自ら勅命を下さんとしていた。

 警戒心の強い珠玉は、たとえ前室であっても誰かを立ち入らせることは少ない。其れを許された数少ない臣下が、彼ら四神と呼ばれる武人たちである。

「朱雀、報告せよ」

 椅子の手摺に肘をつき、頬杖をしながら少し離れた位置に跪く女に声を掛ける。

「勅命を受け数日間紫瑤にて諜報を行いましたが、公主と思しき存在は確認出来ておりませぬ。以前より皇宮に潜ませておりました密偵の話でも、特に変わった動きは無かったとのこと」

 淡々とした調子で話すのは、黒く長い髪を高く束ねた赤い瞳の女。背が高く隙の無い身のこなしだが、目元は決してきつめではなく、表情に依っては優しい印象を与える美女である。歳は凡そ、二十代後半の頃だろう。

「おまえですら感じ取れぬとはな。諜者の踏み込めぬ内朝深く隠しているか、或いは未だ城に戻っていないか」

 特段不満げな様子も無く、珠玉が頷く。

「先刻報告に来た青竜に依ると、あちらの市井しせいでは恵帝が大掛かりな策に打って出るとの噂が流れておるそうだ。妾に対抗するための……な」

 笑みながら話す珠玉は、何処か楽しそうにすら見える。どんな時にも状況を楽しむのが彼女の性質なのである。

「恵帝は肝の据わった女なれど、やはり堅実な所が有る。策といえども大体の目星はつく。青竜に命じ、幾つかの先手は打ってある」

 珠玉と恵帝は、以前よりこうして腹を探り合いながら争ってきた。珠玉が一歩前に出ることも有れば、恵帝に軍杯が上がることも有る。

「只、一つ気に為ることが有ってな」

 笑むのを止めた珠玉は、頭を下げたまま聞いていた朱雀の顔を上げさせ、目を合わせる。

「其の策と言うものの中に、真に大胆なものが有るという御告げが有ったのだ」

 主の言葉に、朱雀は直ぐに気付く。其れは青竜の進言ではなく、最近主が側に置いている黒巫女の言であると。

「妾が存在を疑っている『消えた公主』が、将しく今、妹を救うために此方へ向かっておると」

 朱雀が、僅かに片眉を上げる。

「公主が自ら……でございますか?」

 臣下の反応が予想通りだったからか、珠玉は愉快そうに微笑んだ。

「信じられないか? 妾もだ。ゆえに、おまえに探ってもらいたいのだ」

 立ち上がると、珠玉は膝をついている朱雀の側へと近寄って行く。

「巫女殿の託宣は漠然としていてな。手掛かりは余り無い。唯一分かっているのは、公主である娘が既に公主として帰城していること。そして此方に向かっていること」

――巫女の託宣……か。

 数ヶ月前、『巫女』は突然現れた。珠玉は彼女を近くに置き、時折神託を受けていると言うが、朱雀自身未だ其の姿をはっきりと見たことは無い。一度ちらりと見掛けた際には頭から黒衣で覆われており、未だ歳若いということしか分からなかった。

 何年も、神事の類に全く興味を示さなかった主の性格を考えると、突然の変わりようは驚くべきものだ。しかし言動から分かるように、珠玉は啓示を完全に信じ切っている訳ではなく疑いの目で以て判断しようとしている。朱雀は其の点で幾らか安心していた。

「公主として帰城しているということは、自らを公主として認識し恵帝自身も認めた上で、皇宮に戻ったという意味でしょうか」

 珠玉が首肯する。そう解釈しているがゆえに、朱雀を数日燈凰宮に送り込んだのだ。

「妾の目を欺くため、死産したとまで内外に偽って隠した一の姫だ。単身で我が国に送るとは考え難い。そうは思わぬか?」

 朱雀の横を通り、珠玉は部屋の隅に飾られた花瓶の花々に触れる。

「只の『一の姫』ではないぞ。巫女殿の――いや、『彼の君』の御言葉が真実ならば、此の世で唯一の貴重な鳥なのだ」

「光龍、ですね?」

 黄色い花を一本抜き去ると、珠玉が朱雀の方へと振り返る。欲しいものを見付け、手に入れるまでの過程すら楽しむ珠玉に特有の、爛々とした瞳を輝かせながら。

「見方に依っては、一国程の価値が有るやもしれぬ存在。光龍として稀有な神力を備えていると言っても、そんな稀なる存在をたった一人で妾の懐に放り込む訳があるまい」

 朱雀は主の眼を見詰めながら、其の意図を解そうとする。

「此処まで言えば解るだろう。公主が本当に此方へ旅立ったと為れば、供の者を連れているはずだ。其れも、其れなりの者ではないかと妾は踏んでいる。公主の供として相応しい身分と実力を備えたな」

 此の一言で、主の言わんとすることがはっきりと朱雀にも伝わった。

「其れが、手掛かりと言う訳ですね?」

 答えぬまま、珠玉は手にした一輪の花を右手で掴み、ぐしゃりと握る。掌を開くと、潰れた花弁やうてなが床へと落ちて行く。

「行け、朱雀。但し、公主を見付けても必要以上に害してはならぬぞ。極力、美しい姿のまま妾の前に連れて来るのだ。伝承通りならば、神巫女は世にも麗しいと言うからな」

「御意にございます」

 下された命を受け、朱雀は再び頭を下げて静かに返事をする。

「青竜にも同じ命を下した。奴が居れば、先ず失敗は無かろう。白虎には引き続き蘭麗姫の監視を任せてある」

 其処まで言い終えてから、思い出したように付け加える。

「そう、玄武だ。彼奴あやつは如何している? 聖安での任をきちんと果たしておるか?」

 問われて直ぐに返せず、朱雀は少しだけ首を横に傾げる。

「随加付近に駐在中とは聞いておりますが、私も近頃顔を合わせておりませぬ。随加には公主を追う際に赴くことに為るでしょうから、窺って参ります」

「良かろう。聖安との開戦前に、大事を起こさぬよう釘を刺しておくのだぞ。公主のことも知らせ、随加にて様子を探れと伝えよ」

 用向きを全て伝え、朱雀を下がらせる。前室に独り切りと為った珠玉は、満足げに息を吐いた。

 光龍について知っていながら、彼女が誰にも教えていない事柄が一つある。『麗蘭』の名だ。

「名等知らずとも探し出せよう。此の美しい名は妾だけが知っていれば良い」

 意図はある。だが、一興という意味合いの方が大きい。

「しかし麗蘭とはな。『蘭麗』姫は憐れな姫よ。流石に同情するぞ」

――麗蘭を隠し通すため、紛らわしくするために、似通った名を付けたのだろう。

 何気無く花瓶からもう一輪花を取ると、花弁を一枚一枚毟り始める。床へはらはら落としながら、自室へと入って行く。今後の展開に備えて、次なる一手を考えるために。 

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