七.燈凰宮

 蘢と共に龍鳴門を抜けた麗蘭は、いよいよ皇宮の敷地内にやって来た。

 燈凰宮は聖安建国以来からの皇城であり、帝国の中で最も荘厳華麗な宮城として知られている。其の名は、天帝聖龍神せいりゅうしんが住まう天界の陽凰宮ようおうきゅうに由来する。

 広大な敷地に建つ黒瓦、朱色の建物は、高い芸術性や技術性で大陸中に名高い。目にした誰もが一度は嘆息する、工夫を凝らした造作は、美的感覚に優れた聖安人のものらしい。

 外朝には女帝が政務を執る三殿が在る。其の奥に位置する清明門を通ると内朝が在り、皇族の居宮と為っている。

 通常、皇族が使者と謁見を行うのは外朝の紅玉殿と決まっている。しかし蘢は、麗蘭を連れて其の横を通り過ぎて行った。

「凱旋軍を迎える準備で忙しいんだよ。今夜は翼真殿で宴が催されるからね」

 蘢の言う通り、女官たちが建物を行ったり来たりする様子が彼方此方あちこちで見られる。

 何時の間にか連れられるままに、麗蘭は内朝の正門である清明門の前まで来てしまっていた。

「上校、此処から内朝ではないのか?」

 女帝の居住区である区域に入るなど、高官や貴族でもないのに許されるはずは無い。そもそも外朝を抜けて来る間にも、自分に向けられる周りの視線が気に為っていた。

 謁見の理由や風友の紹介であること、してや自分が光龍であることなど、蘢には伝えていない。何も持たない普通の少女である麗蘭を、何故此処まで連れて来てくれたのか、彼女には見えなかった。

 麗蘭が不安そうに尋ねても、蘢の軽い足取りは止まらない。

「大丈夫。陛下は未だ内廷に居られるはずだから、直接行ってしまった方が都合が良い。心配せずに、僕に付いて来て」

 清明門の守衛は蘢の顔を見ると恭しく一礼し道を空けた。麗蘭の記憶に依ると、内朝に出入り出来る軍人は将官※以上だったはずだ。

――やはり、蒼稀上校には何か特別な事情が有るのだろうか? 

 内朝に入ると、十もの殿舎の中央に五層から成る陽彩楼ようさいろうそびえており、此処が女帝の住まう正殿と為っている。

 周りの御殿と同じ、黒瓦に朱塗りの壁。図画でしか見たことの無い壮大で巧麗な城は、麗蘭が幼い頃から訪れたいと願い続けた場所だった。風友のような優れた将官と為り皇族に仕え、宮殿に出入り出来るように為るという夢を、彼女は抱いていたのだ。今回は此のような形で、夢が叶ったという訳ではないが、麗蘭は素直に嬉しさを感じていた。

 二人は陽彩楼の真前に立つ。蘢が兵に話し掛けると案の定、すんなりと通されてしまう。鉄扉を開けられ中に入ると、皇族が高官や神官と式典を行う大広間に出た。

 神獣や動植物を象った金細工の装飾が美しく、絢爛な空間は君主の居宮に相応しい。玉座に女帝は居らず、数人の禁軍兵が配置されているだけでひっそりとしていた。

 まさか正殿に立ち入ることに為るとは露にも思わなかった麗蘭は、今度こそ蘢を止めようと彼の背に向かって声を掛ける。雲上人の宮殿内であるがゆえに、感情通りの動揺した張り声ではない。極力声を落とし、小さく抑えた。

「上校! やはり此のような所には居れぬ。私は出直して……」

 案ずるな、と言われたものの、麗蘭の心中は穏やかでなかった。生来の真面目さと皇族への畏敬から、今此の地を踏み息をしていることさえ不敬極まりないという気持ちで一杯なのだ。

 彼女が言い終わらぬ内に、蘢は漸く足を止める。そして麗蘭の方を振り向くこと無く、囁くような小さな声だがはっきりと口にした。

「女帝陛下は『光龍』にお会いしたいと熱望しておられる。其れは君のことでしょう?」

 麗蘭は言葉に詰まり、暫し沈黙が流れる。

――気付いていたのか。

 思い起こしてみれば、此れまでにも麗蘭の特殊な神力を感じ取り、其の異質さに勘付く神人はごく稀だが確かに居た。しかし、神巫女であると言い当てたのは蘢が初めてである。

 彼は見返り、麗蘭に近付くと声を一層潜める。兵は離れた処に居るが、用心し耳打ちして告げる。

「光龍が陛下を訪ねて来ることは陛下からお聞きしていた。君の神気を感じてもしかするとと思ったんだ」

 口振りからして、彼は自分の推測に確信を持てずにいたようだ。だが麗蘭の反応を見て、勘が当たっていたと信じたらしい。

「天帝の神巫女は、人界中の歴代君主たちが敬意を表してきた貴い存在。其れだけで十分、君が此処に居る理由に為る」

 柔和に笑んで言う彼に、麗蘭は頷くしかない。大人しく蘢に付いて行くことが得策だと考え直し、深く頷いた。

「行こうか。陛下は此の上の階に居らっしゃる」

 蘢に続いて、麗蘭は螺旋状に続く階段を上がって行った。



※将官……少将・中将・将軍

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