三.宿が回る
「お、お母さんが……生きてた? しかも女帝陛下が関係してるって?」
「しっ! 声が大きい。他の子供に聞かれたら面倒だ」
思わず声を上げた優花の唇に、麗蘭が自分の人差し指を当てて制止する。優花は慌てて口を押さえ出掛けた言葉を飲み下すが、驚愕を隠し切れていない。
孤校での授業を終えて夕餉を取った後。彼女たちは共用の室に二人きりで、膝を突き合わせて正座していた。
「ご、ごめん。やっぱり秘密にしておいた方が良い?」
「変な噂が立つと厄介だからな。私のことはなるべく伏せておきたい。おまえだから言ったんだ」
麗蘭は幼い頃より他の子供たちから奇異の目で見られ、爪弾きされてきた。神巫女の異質な力は、事情を知らぬ子らにとっては嫉妬や敬遠の対象にしか為らなかったのだ。
風友以外の人間と殆ど話をしなかった以前と比べ、近頃は周囲と普通に接することが出来るように為った。だが未だに、麗蘭が自信を持って友人と呼べるのは優花だけだった。
「明日、皆には黙って此処を出る。少し遠くへ妖を退治しに行ったとでも言っておいて欲しい。風友さまにもそうお願いした」
此の数年、麗蘭が妖討伐に加わり各地に赴くのは珍しくなく為っていたので、怪しむ者は居ないだろう。少なくとも、当面の間は。
「分かった。都に……
優花は素直に了承し、身体を強張らせて問う。
「ああ。十六の生辰を迎えたら、皇宮に居られる陛下を訪ねることに為っていたらしい。先程風友さまが通行証代わりの文を書いてくださった」
そう言って、麗蘭は懐から風友から預かった一通の文を取り出す。
「風友さまは元々、禁軍で一番偉い将軍さまだったんだよね? 其れで、陛下と関わりの有る麗蘭を引き取ってくださったのかな?」
「分からぬ。とにかく風友さまは何も話してくださらないからな。やはり私が都に赴き、全てをお聞きしてくるしかなかろう」
腕を組んだ麗蘭が、
「母が生きていたことには驚きだが、恵帝陛下が関わっておられるということの方も……驚嘆した。私の宿に関係しているのではないかと思うのだが」
『光龍』は遙か昔から、神に等しい力を神聖視され、時の権力者間で奪い合いに為ったことも有ったという。ゆえにそうした推測は、
「ともあれ、遂に孤校を出る時が来た。私の宿が動き出すのかもしれぬ」
己が持つ宿命を認識してからというもの、いずれ此の時が来るのは麗蘭にも分かっていた。されど
「そうだね。麗蘭と離れるのはとても寂しいけど、麗蘭は自分のやるべきことをずっと考え続けて来た。都に行って陛下に会えば、
孤校を離れる――優花に言及され、麗蘭は今更ながらも驚きに打たれた。余りに急に自分の状況が変化し始めたために、其れを失念してしまっていた。
戸惑った顔をしている麗蘭に対し、優花は微笑んだまま立ち上がる。自分の鏡台の前まで行くと、しゃがんで引き出しを開けた。
何かを取り出し、再び麗蘭の前に向かい合って座る。手にしていたのは、革製のゆがけだった。
「私からの生辰祝い。今まで使ってたやつはもう古く為ってたでしょ? 前のよりも上手く作れてると思うから」
麗蘭が今使っているのも、暫く前に優花が作ってくれたものだった。手渡され挿してみると、丁寧に作られている上に
「良いゆがけだ。優花は本当に器用だな。ありがとう、とても嬉しい」
此れ以上無い笑顔で礼を言うと、優花が微かに頬を赤らめた。
「ううん、私に出来るのは此れ位だしね」
縫い物などが得意な優花は、麗蘭の着物や武具を縫ってくれる。其の類が得手でない麗蘭は助かっていた。
「麗蘭なら心配無いと思うけど、本当に気を付けてね。また元気に戻って来てね」
突然、優花の声が真剣に為る。親友の目をじっと見て逸らさない。本気で、麗蘭の身を案じているのだ。
「案ずるな。必ずまた会おう」
力強く頷き、心配げな優花を安心させようとする。麗蘭自身、不安は有れど恐怖は無かった。大きな運命に突き動かされている一方で、新しい道へと確かに踏み出そうとしている。何とも言い難い期待感で、恐れよりも先ず心が躍るのだろう。
かくして一六歳に為った其の日、麗蘭の宿は回り始めた。生まれて以来過ごした孤校を後にし、都紫瑤へと独り、向かう。
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