二.師の告白

 聖安帝国、帝都紫瑶しようの南方に位置する阿宋山あそうさん。麓の村から半刻程歩いた中腹に、麗蘭たちが暮らす孤校が在った。

 此の十数年、あやかしが出て人を襲うということがあって、外から山に入る者は殆ど居ない。孤校では主である元将軍風友が、稀なる神力で邪気除けの結界を張り巡らせている。其のお陰で、孤校と周辺の森には妖が近付けず、一応の安全は保たれていた。

 其処までしてなお、風友は孤校の子供たちだけで森に出て行くのを禁じていた。許されていたのは、光龍として稀有な神力を持つ麗蘭と、半妖であり自らを守る術を持つ優花だけだ。

「風友さま、ただ今戻りました」

 師の自室の襖扉前で、麗蘭は正座して声を掛けた。

「入りなさい、麗蘭」

 許可を得て立ち上がり、襖を開けて入室する。一礼した後、十畳程有る室の奥に端座している師の前まで来ると、彼女の正面に腰を下ろした。

「稽古をしていたのだろう? 途中で呼び立てて済まなかったな」

「私の方こそ、お待たせをいたしました」

 首を横に振り、慎んで頭を下げる麗蘭に、風友は静かに頷いた。

「折り入って話したいことが有る。今日はおまえの、十六の生辰だったな?」

「はい、左様でございます」

 態々わざわざ確認する師の声は、普段通り穏やかで落ち着いてはいるが、何時いつもより深みと重みが有る。

「早いものだ。赤子だったおまえが、今では成長し……己が宿のため毎日心身を練磨し、大人に交じって妖を討っている」

 感慨深げに話す師は、やはり何かが違う。元軍人である風友は常時沈着で、家族同然の麗蘭たちの前であっても、心の内を外に出さないというのに。

「先に謝っておく。私は、おまえにずっと隠し事をしていたのだ」

「隠し事、ですか?」

 突然の告白に、麗蘭は我知らず聞き返していた。

 風友は孤児の麗蘭にとって恩人であり師であり、そして母でもある。同じ場所で暮らし、毎日こうして顔を合わせてきた。其れなのに、隠し事をしている素振りなどまるで無かった――麗蘭が『光龍』であることを知っていて、七つに為るまで告げていなかったこと以外は。

 暫時ざんじ、風友は何も言わずに麗蘭の目を見詰めていた。切り出し方を考えていたのだが、其れも彼女らしからぬ態度だった。

「おまえは母を覚えてはいないだろうな?」

 漸く開かれた風友の口からは、またしても意外な言葉が出て来た。

「はい、覚えておりませぬ」

 麗蘭の両親は、彼女が生まれて間も無く亡くなったと聞かされている。此処からそう遠くない山中で賊に襲われ、赤子の麗蘭だけが助かり置き去りにされたところを風友に救われた――と。

「おまえの母親は生きているのだ。私は知っていて、隠していた」

 一瞬たりとも逸らそうとしない風友の眼は、其れが嘘偽りではないことを示している。しかし麗蘭は、ことの重大さからか我が耳を疑い、言葉を失した。

「本当、ですか?」

 反射的に問い掛けたのを飲み込み代わりに出て来たのは、訊くまでもない質問だった。

「何故、今まで隠していたのか? おまえはそう言いたいのだろう。無理もないことだ」

 斯様かように重大な事実を、風友が訳も無く黙っているはずが無い。止むを得ぬ事情が有ってのことだと思ったからこそ、麗蘭は師の心情を慮ったのだ。

「理由有って、おまえの母上は私におまえを託された。そして其の真実をおまえ本人にも黙っておくよう言われた。丁度、十六に為る日までな」

 暫し、二人の間に沈黙が流れる。風友は次の言葉を探し、麗蘭は自分の動揺した気持ちを抑えようとしていた。

――母が、生きている。

 此れまで麗蘭は、己が天涯孤独の身だと信じて疑わなかった。其の認識が、風友の一言で覆されたのだ。

 先を聞かなければと自分に言い聞かせ、麗蘭は居住まいを正す。

「では、私の母は今何処に居るのですか?」

――母が居るのなら、会いたい。何故私を手放したのか、何故風友さまの許で暮らすことに為ったのか、知りたい。

 並々ならぬ期待を籠めてみたものの、師から返って来たのはまたも予想外の反応だった。

「私から言うことは出来ないのだ。私などの口から言うには、余りに畏れ多いことなのだよ」

 師の発言を反芻はんすうすると、聡い麗蘭は容易に想像し始めた。此の件には、かつて聖安随一の女将軍として名を馳せた風友すら凌ぐ程の、位の高い人物が関わっているのではないかと。

「十六年前、おまえが此の世に生を受けた日。おまえを私に預け、人里離れた山奥で武の術と学を授けよと命じられた方がいる――恵帝けいてい陛下だ。あの時は未だ、聖妃さまと名乗っておられた」

「女帝陛下が?」

 幾ら貴人を想定していたとはいえ、大物過ぎる人物の登場に、麗蘭は身を乗り出していた。

「私の出生には、陛下が関わっておられると?」

 驚きに肩を震わせている彼女に、風友は瞑目めいもくして首肯しゅこうした。

「麗蘭、都紫瑤へ行け。陛下がおまえに直接教えてくださるだろう。此処を出る時が来たのだ」

 此れ以上は一切語れぬという、強い口調だった。師の意をんだ麗蘭もまた、更に何か尋ねようとはしなかった。

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