第一章 真実の名

一.為すべきこと

「『為すべきことを、為せ』」

 呟いて、少女は真っ直ぐに矢を射る。勢い良く放たれた矢は、寸分の狂い無くまとの真ん中に的中する。

 森の中、木の幹に釘で打ち付けられた的が幾つも在り、其れら目掛けて矢を放つ。身体の向きを変えては弓矢を構え、射つ。焦らず冷静に、正確に。其の動きは手慣れたもので、姿勢の良さといい技術といい、年若い少女にはそぐわなかった。

 出で立ちも、年頃の娘には何処か不釣り合い。袖の短い着物に袴という少年のような格好に加え、其の不均衡具合を更に増長させているのが、少女の類稀なる美しい容貌だった。

 美少女という一言で片付けてしまうには物足りない。高く結い上げても腰まで届く程の長い髪は太陽色、玉のように輝く瞳は深い紫。透き通る白桃の頬に、形良い紅色の唇。眩い佳容かようの何処に目をやってみても、非の打ち所を見付けられない。

 木漏れ日を受け、少女は薄らと浮かんだ汗を手の甲で拭い溜息を吐く。夏も盛りに差し掛かり、比較的快適に過ごせる朝の時間。彼女は日課通り早朝に起きて朝餉を取り、弓の稽古に勤しんでいた。

「集中出来ないな」

 今日は、何時いつもと何かが違う気がしていた。

「為すべきこと……か」

 弓を片手に握り締め、抜けるような青空を見上げる。澄んでいて雲一つ見当たらない。

「麗蘭!」

 背後からの声に応え、麗蘭が振り返る。視線の先には、走り寄ってくる少女の姿が有る。

「やっぱり此処に居たんだね。あ、ごめん。練習邪魔しちゃった?」

 麗蘭の手に握られた弓に目をやり、少しだけ弾んだ息を落ち着かせながら言う。

「いや、そろそろ切り上げようと思っていたところだ。優花、そんなに急いで来てどうしたのだ?」

 優花、と呼ばれた少女は、紺色の長い髪に金色の双眸を持ち、歳の頃は麗蘭と同じ程。歳の割に大人びた麗蘭と比べ、年相応の少女らしさが有る。

風友ふうゆうさまが呼んでらっしゃるの。急ぎの用みたいだから、早く戻った方が良いよ」

 微笑んで言うと辺りを見回し、的に刺さった矢を一本引き抜く。

「相変わらず凄いねえ、綺麗に真ん中に刺さってる」

 感心しながら他の矢も抜き、後片付けを手伝う。麗蘭も優花から受け取った矢を籠に戻していく。

「今朝は何だか気が散ってな。弓の稽古でもすれば、精神統一出来ると思ったのだが」

 其の言葉に優花は首を傾げた。

「気が散る? あんたにしては珍しいね。此の命中っぷりを見るとそんなの全然感じさせないけど」

 麗蘭は苦笑し、手を止めて空を仰ぐ。

「久し振りに、あの夢を見た。天帝陛下の夢……を」

 優花も片付けの手を止め、驚いて麗蘭の方を見た。

「天帝陛下の夢って、前に話してた、四年前に命を助けてもらったって話?」

 頷いた麗蘭は、千五百年もの昔に自身の魂を創造し、『宿しゅく』を持たせて地上に下したという天君のかんばせを思い浮かべた。

の御方は、私を助けてこう言われた。『為すべきことを為すが良い』――と。今日は何だか、何時も以上に頭から離れなくてな」

 あの時から、此の言葉を忘れたことは一度たりとて無い。常に心の片隅に置き、己の為すべきことを考えてきた。

「『光龍こうりゅう』の役目のこと?」

 孤校ここうに引き取られ、麗蘭と初めて会ってから二年。優花は彼女と親友に為り、何時でも共に過ごしてきた。胸の内を打ち明け合い、互いに支え合ってきた。しかし幾ら心の通い合った親友でも、たった一つだけ――優花がどうしても分かち合うことの出来ない、麗蘭の重過ぎる運命があった。

――其れが、麗蘭の『光龍』としての『宿』。

「天に仇為す邪悪を滅ぼし、非天から人々を救う。其のために、私は剣や弓の腕を磨き、神術を学んできた」

 そう言って、自分の手に在る弓を握る手に力を籠める。

「孤校に在っての私の『為すべきこと』は、強く為ることだと思ってきた。今でもそう信じている。只、時々迷うのだ。あれから陛下はお出でにならないし、自分が本当に正しいのか――と」

 深刻そうな面持ちで聞いていた優花は、麗蘭の言葉にきょとんとして、柔らかく笑んだ。

「何だ、そんなこと当たり前じゃない」

 不思議そうに見詰めてくる麗蘭に、優花は自分の両の腰に手を当て自信有りげに言う。

「だって、幾ら麗蘭が『光龍』で『神巫女』で、物凄く大変な『宿』を持ってるからって、あんたは神さまじゃない。人間なんだよ? 自分のやってることに疑問が浮かぶことなんて、有って当たり前」

 当然のことのように言ってのける親友を前に、麗蘭の硬かった表情は思わず綻んだ。

「そう確かに、其の通りだ」

「麗蘭は何時も真面目過ぎるんだから……ま、其処が良い所なんだけどね」

 優花は足元に在る矢の入った籠を背負うと、踵を返して孤校の在る方を向いた。

「さ、行こう。風友さまが待ってるよ」

 数歩進んで止まり、立ち尽くしている麗蘭を肩越しに見やった。

「そうそう、誕生日おめでとう! 今夜お祝いしようね!」

 満面の笑みで言われ、麗蘭ははっとする。今日は己の、十六度目の生辰だった。

「……ありがとう」

 はにかむようにして嬉しそうに笑むと、麗蘭も優花を追って走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る