四.帝都紫瑶

 人間の統治する人界は、一つの大陸で成っている。大陸には六つの大国と、其の他十数カ国が存在する。

 六ツ国の一である聖安は、茗と並んで帝国を称し、幾つかの小国を従えていた。内乱を伴う王朝の交代により、此処数十年来は国力を弱め、十数年前からは茗の侵略を受けている。

 数度の戦で一部の属国を奪われただけでなく、先帝を亡くした上優れた将軍を多く失った聖安は、停戦協定を受け入れ公主蘭麗を人質として差し出した。其れは、実質的な聖安の敗北と茗への隷属を意味していた。

 九年の月日が流れた今、戦火で荒れ果てた聖安の国も漸く復興が進み、人々の暮らしは元に戻りつつある。戦死した夫君に代わり帝位に就いた恵帝けいていは、蘭麗姫を取り戻し、屈辱的な茗の支配から逃れるため機会を窺っているという。

 麗蘭が帝都紫瑤を訪れたのは、其のような折りだった。






「どうぞ、お通りください」 

 怪訝そうに麗蘭を見ていた城門の門守は、彼女が差し出した一通の文を見ると顔色を変えた。文を返し仲間に合図を送ると、丁重に道を空ける。麗蘭の背丈の二倍程の高さが有る大きな黒鉄門が、重々しい音を立てて開かれた。

 再び馬に乗り門を潜り抜けて暫く、麗蘭は背中に門守たちの視線を感じていた。

――流石、風友さまの御名前入りの通行証は効果覿面てきめんだな。

 禁軍の元上将軍である風友の名は、彼女が現役を退いて久しい今も聖安中の軍人に知られている。十数年前の戦役において彼女が立てた功績は、其れ程伝説的なものだった。

――此処が……紫瑤か。

 城門から殺風景な一本道を進み、丘の上で馬を止める。馬の背を撫でながら眼下を見やると、彼女が初めて目にする都の姿が在った。

 黒く瓦光りする建物がそびえ立ち、其の向こうに一際高く大きく、立派な建物が在る。

「あれが燈凰宮ひおうきゅうなのか……?」

 書で読み、話に聞く皇宮は、黒い瓦に鮮やかな朱塗りの荘厳な建物であるという。此の距離からだと朱塗りかどうかは分からないが、屹度きっとそうなのだろう。

――彼処あそこに恵帝陛下が居らっしゃる……私の運命が、待っている。

 未だ夕日も見えていないが、早朝に孤校を出て、ずっと馬で駆けて来たため休息も取っていない。直ぐにでも皇宮に向かいたいと思ってはいたが、夏盛りの炎天下の中汗だくで、こんな身形みなりではとても歩き回れない。

「先ずは、旅籠を探すか」 

 時間は早いものの、今日は泊まる処を探し休もうと決める。再び馬を走らせて、丘を一気に駆け下りて行った。






 大陸六ツ国の民の中でも聖安人は、美しい芸術や装飾品を特に好む。帝都紫瑤には、貴族たちが財を尽くし工夫を凝らした屋敷が立ち並び、庶民の暮らしも華やかなことで有名だった。

 しかし、其れは麗蘭が生まれる前までの話。見栄え良く手入れされていた建物も、白い壁が薄汚れたり瓦が剥がれたりしている。金の有る貴族ならともかく、戦争で多くを失った平民には、街の美観を気に掛ける余裕が無かったのだ。

 其れでも人通りは多く、長年山奥で暮らしてきた麗蘭にとっては正真正銘の大都会である。馬車や輿が行き交い、商人が店先で盛んに客を呼び込み活気が有る。此れまで麗蘭が訪れたことのあるどの町よりも賑やかで、人々の暮らし振りも豊かなものだった。

 馬を引いたまま少し歩くと広い大通りに出た。遠く向こうまで繋がっており、先には丘から見えたあの皇宮らしき城が見える。

 程無くして、手頃そうな旅籠を見付けることが出来た。此の場所からなら皇宮も近そうだ。

 柱に馬を繋ぐと、麗蘭は旅籠の扉を開いた。






「暫くの間宿泊したいのだが」

 中に入り、入口で出迎えた主人に告げる。

「畏まりました。部屋を用意いたしましょう」

 中年の主人は、愛想良く答えて奥に居る女中を呼ぶ。

 主人は麗蘭を見て、内心首を傾げたく為っていた。今まで見たことのない位の美しい少女が弓を背負い、腰に刀を差しゆがけまで付けて、何処か武人風の出で立ちでいるのが珍しかったのだ。

 しかし主人はそんな素振りを一切見せず、慌ててやって来た女中に後を任せて自分は外に出て行く。麗蘭の馬を馬小屋に入れるためだ。

 主人が隠すのが上手いのか当の本人が鈍いのか、麗蘭は自身が不思議がられていることには全く気付いていなかった。


此方こちらへどうぞ。お食事の用意が出来ています」

 女中と言っても、麗蘭よりもやや幼い少女は、恭しく客を食堂に案内した。

 湯浴みをしてさっぱりしたからか、幾分疲れが取れた気がする。借り物である紅色の着物を着た麗蘭は、少女に引いてもらった椅子に腰掛けた。

 食卓に料理を運んでくる少女の手付きは未だ慣れておらず、客を前にして緊張気味なのが見て取れる。麗蘭はそんな彼女を微笑ましいと思いながら、笑顔で礼を言った。

「ありがとう。朝から駆けっ放しだったから、お腹が空いて仕方なかったのだ」

 初めてまともに声を掛けられ、少女は僅かに肩を跳ねさせ嬉しそうに笑む。

「あの、お客さまは軍の方ですか? 其れとも討伐士とか?」

 麗蘭の格好を見て、何となくそう判断したのだろう。

「いや。只、幼い頃から武術を身に付けていてな。此のような装備が私にとっては自然なのだ」

 自分が光龍という特殊な存在であり、妖に狙われ易いため常に武装している……という事情も有ったのだが、ややこしくなるので其の辺りのことは人に明かさないようにしている。

「平和でないご時世ですし、女性の一人旅は危ないですものね」

 少女は麗蘭の答えに納得して何度も頷き、茶壺を手に取ってお茶を注いだ。

「訳有って、初めて都に来たのだ。未だ着いたばかりだが、やはり大きな街だな」

 初めは麗蘭の余りの美しさと隙の無い雰囲気に緊張していた少女だったが、思いのほか気安い相手だと分かり、幾らか安心したようだ。

「はい。此処数年で随分活気を取り戻し、戦前の豊かだった頃に戻って来たという話です。勿論私は、其の豊かだった頃のことを知りませんが」

 時間が早いためか、麗蘭以外に客は居なかった。手が空いていた少女は、麗蘭の勧めで椅子に腰掛け都について話し聞かせることに為った。

「其れにしても、よく城門の検問を抜けて来られましたね。今は紫瑤の民であるか、特別な通行証がなければ通してくれないでしょうに」

「やはり検問が厳しくなっているのだな。通りで不審そうな顔をされた訳だ。昨今の国情のためか?」

 不意を衝かれた麗蘭は、上手く話をり替えようとした。

「はい。此処数年、茗に奪われなかった属国や少数民族が反乱を起こしています。数週間前にも、辰国軍が王に造反し我が国からの独立を迫ったというので……女帝陛下が辰王しんおうを助けるために禁軍を出しました」

 此れ以上、支配下の属国を減らすわけにはいかない。茗に対抗するためにはより団結を強めねばならない。属州の離反を防ぐため、恵帝は骨を折っているという。

「其れだけじゃありません。最近皆が噂していることなのですが」

 周りに誰も居ないのにも拘らず、麗蘭の方へ身を乗り出して警戒するかのように声を潜める。

「女帝陛下が内密に、何か大きな策をお考えのようなのです」

「策? 茗に対抗するための……か?」

「今は未だ、少なくとも形上は、聖安が茗に属していることには為っていません。九年前の停戦協定が有りますから。でも、此処数年で茗の珠帝しゅていが開戦を望んでいると……専らの噂でしょう?」

 女傑珠帝の野望は大陸を統一し、人界を手中に収めることだと言われている。遙か昔神々が人界を創造して以来、誰も為し得なかった大業だ。

「珠帝は公主を人質にしただけでは飽き足らぬようだな」

 先の大戦では聖安側が想定以上に強く抵抗したため、流石の軍事大国茗も一旦停戦を持ち掛けたという。

「人質として九年間、茗に囚えられているという姫は確か……」

「女帝陛下と先帝陛下の唯一の御子にして、第一公主の蘭麗姫です」

 麗蘭自身も、偶然公主と似た名前だったためか良く覚えていた。蘭麗は九年もの間、茗の捕虜として常に命の危険に晒されている。

「私たちと同じような歳頃の姫君だと聞く。九年もの間囚われの身とは、何と不憫な」

 聖安の民で、蘭麗姫に同情しない者は居ない。苦しく辛い戦争が中断し仮初かりそめでも平和が訪れたのは、ひとえに彼女の犠牲が在ってこそなのだ。

「せめて姫を助け出すことが出来れば、状況は良く為るかもしれません」

「しかし、仮に助け出せたとすると開戦に為りかねないであろう? そう為ったら、我らに勝てる見込みは有るのか?」

 麗蘭はそう口に出してみたものの、一聖安人として弱気な発言だっただろうかとは思う。只、至極自然な疑問だとも思う。

「六ツ国の中でも未だ茗に侵略されておらず、聖安と同盟を組もうとする国も有るには有るようです。其れに、以前から親交の深い魔の国からの援軍も望めるかと」

 かつて風友から聞いたことが有る。聖安は人界の国の中でも唯一魔族の国と友好関係にあり、彼らが強力な後ろ盾と為っていることを。先の戦では魔界も内戦の混乱に陥っており、援助を頼めなかったという。

 頼もしい援軍の話を聞いても、麗蘭の不安は拭われなかった。

――国中、あやかし跋扈ばっこし、国の討伐軍の手も回っていない。そんな状態で再び開戦など出来るのだろうか? 

 人間と妖は住処すみかを分け合い、互いに牽制し合いながらも長き時を生きてきた。

 時に妖は糧として、或いは己の悦楽のために人を襲い、傷付け殺す。人間は妖に対抗するために国の軍を作る時、人間同士の争いに備えるのと同時に妖討伐の軍も編成した。武術に長けた者、そして神に近い力を備えた『神人かみひと』によって構成され、国を脅かす異形を滅ぼした。詰まるところ、通常妖と戦うのは国の軍の役割だった。

 国同士の戦争等で国が荒れると、妖討伐軍を動かす余力が無く為る。即ち、妖に対する戦力が激減することに為る。

 言ってしまえば、妖が人々を脅かしているという状況こそが、其のまま国力の低下を意味しているのだ。麗蘭は此の数年妖討伐に何度も駆り出されたため、そうした事情は良く解っていた。


 其の後も、一刻程話していただろうか。

 麗蘭は少女に礼を言い部屋に引き取った。風通しの良い二階の和室で、窓際に腰掛ければ朱に染まる皇宮が見える。何時の間にか、陽が沈み掛けていた。

――明日は、朝から城に向かおう。

 落ち行く日の橙色の光に照らされて、麗蘭は静かに目を閉じた。

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