第101話 四章 命の対価

いかに変装しているとはいえ、貧民窟の狭い路地をエマとクララが通るのはかなり人目についた。


家を持たずに路上で眠る人々は、無言でその様子を見つめている。


けれども騒ぎは起こらなかった。


同じように社会の底辺で見捨てられようとしている者にあまり興味はないのかもしれない。


エマの指示通りに阿片の香りが強く漂う通りを突き進んだ。


荒れた扉の呼び鈴を叩く。


青白い顔した男が気怠げに扉を開けた。


男の口臭、部屋から漏れる空気、すべてが酒臭い。


男は頭を掻く。


「なんだこんな時間に」


「診て欲しいんですっ。

 早くっ」


ラファエルの剣幕におされて男はクララの傷を見遣った。


意外にも繊細な手つきで患部を確認する。


「これは重傷だな。

 すぐに手術が必要だ。

 かなり金がかかるが、工面できるのかね?」


「お金なら……」


「これでお願いします!」


口を開きかけたエマを遮って、ラファエルは外套に入れていたシモーヌから受け取った革袋を差し出した。


「……そんな大切な金、ダメだ……」


クララが止めようとするが、ラファエルは引き下がらなかった。


「お願いします。これで手術してください」


「この傷では助かる保証はないが、それでも報酬は頂くよ。

 いいのかね?」


「構いません」


「……おい、ダメだ。エマもなんか言え……」


エマは嫌がるクララを医者の案内で強引に手術台に載せる。


「……ちょっと待て……、考え直さないか……?」


「そのお金はラフィがお母さんのために貯めた、とても大切なお金よ。

 無駄にしたくないなら死なないことね」


エマが冷たく言い放つ。


ラファエルはクララの獣のような毛むくじゃらの手を両手でしっかりと握った。


膝をつき、額をその両手にこすりつけて祈りを捧げる。


クララはその様子を見て不思議と生きたいという気持ちが湧いてくるのを感じた。


クララは懸命に取りすがるラファエルに優しく微笑んだ。


「……大丈夫だよ。

 私はきっと助かる。

 心配するな」


死ぬわけにはいかない。


クララはそう、強く思った。

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