爆発物と放射性物質を積んだ〈ファンタズマ〉の技術者――彼らを率いる眼鏡の男は佐久間博史。武装した男の護衛が三人。繰り返し現在地を確認し、味方と通信を交わしながら手探りで前進する。前方視界がほぼ〇の狭い地下側道。前進しているのか後退しているのかもわからない。ジャングルに迷い込んだ文明人の気分。

 方々から舞い込むブギーマン発見、接触、交戦の報。だが仕留めたという連絡は一切なし。むしろ四方八方に散ったはずの部隊から次々に報告が上がることの驚き――即ち、ブギーマンは、顔なしにしろ曲芸野郎にしろ、この地下道を自由自在に使いこなしているということ。

 遠くで爆発音。おそらくはブギーマンとその仲間が仕掛けたトラップ。

 恐慌に陥りかける一同。だが護衛のひとりが言った。

「連絡が途絶えたわけじゃない。冷静になれ」

 途絶えていないということは、再起不能ではない。妨害を受けているにしても、健在である。

 分散した各隊に必ず一名は汚染土爆弾を携行したメンバーを配している。つまりいずれか一隊でも目的地へ到達できれば作戦目標を達成できることになる。殺傷能力や散布量ではなく散布したという事実が致命的になりうる放射性物質の性質上、勝利条件は〇/一でシンプルだった。

「大体、ブギーマンといってもひとりなんだろう。こちらは非武装合わせれば四〇人以上だ」

「間違いなく消耗する。曲芸の方だったな。走り回る」

「なら尚更だな」

「張本さんと連絡は?」

「たった今。こちらと合流するそうだ」

 流暢な日本語で言い交わす護衛――対象的に押し黙る技術組。だが一応預けられた拳銃を一応握ってみれば、少しは安心できる気がする。

 護衛が手招きする。進行方向に仄かな明かり。狭苦しいトンネルを抜けると、途端に目の前が開ける。地下の大空間に戻ってきたのだ。

 だが、トンネルではない。薄暗い中に無数の柱のようなものや、放置された資材らしきものが見える。数歩歩け爪先が錆びた鉄板に当たる。まるで資材とコンクリートの森林だ。天井も高い。見渡すと、たった今入ってきた以外にもトンネルの入口らしきものが複数見える。トンネルの結節点のようだった。

 次はどのルートかと護衛に尋ねる。だが、彼らの表情は険しい。煩わしそうに仕草で払われ、交される言葉がハングル語になる。

 技術組のひとりが、佐久間に耳打ちした。

「おかしい、って言ってるな」

 戸田啓介という日本人――〈ファンタズマ〉メンバーの通信環境の整備に協力した男。通信機器メーカーに勤め、趣味でもアマチュア無線の免許を持つ筋金入りだった。日本語、英語、ハングル語を操るトリリンガルで、〈ファンタズマ〉との最初の接触は仕事を通じてだったのだという。新規取引先として開拓したはずの相手が、彼らのダミー企業だったのだ。

 そして知らないうちに公私に渡り〈ファンタズマ〉メンバーと交流を深め、元々体制への不満を持っていた彼は過激派思想に共鳴。自ら〈ファンタズマ〉の一員としてテロ活動に従事するようになった。

「おかしい、とは?」

「トラップにはダミーも多いが、他のチームは少なくとも一度は遭遇している。でも俺たちは一度も引っかかってない」

「運がよかったのでは?」

「確かに、今一番皇居に近いのは俺たちだ」戸田は護衛らの会話に耳を澄ませ、続ける。「逆に言えば、俺たちは孤立してる」

「まさか、僕らは誘導された?」

 見上げる――誰からともなく気づく。

 そもそも照明があることがおかしいのだと。

 その時、戸田の全身が痙攣し、その場で崩折れる。

 佐久間の目の前に現れる、黒ずくめのフードつきマントの男。片手に電磁警棒。護衛が気づき、後退しながら拳銃を構える。するとその背中で火花が上がった。

 照明の影になる位置に設置されていた電気柵――殺傷能力はないが怯ませるには十分。

 他の護衛が足を踏み出すと、隠されていたスイッチを踏む。頭上から包みが落下――頭部を庇って伏せる護衛の男。果たしてそれは爆発物。衝撃と轟音に意識を失いかける。昏倒しつつも立ち上がったところに、黒い影が躍る。ハイキックをまともに受けてその護衛は倒れる。

 銃声が複数度。だが影の主を捉えることはない。

 曲芸野郎――回転する黒い塊と化して護衛へ襲いかかる。発砲するも弾丸が影に吸い込まれていく。蹴りを受けてその護衛は倒れる。

 護衛が落としたポリカーボネートのライオットシールドがマントのブギーマンに奪われる。最後に残った護衛――発砲、発砲、発砲、だが盾が弾くか軌道を逸してしまう。そのまま正面から追突されて意識を失う。

 残された技術屋たち――慌ててもと来たトンネルの方へと走る。だが佐久間ひとり出遅れる。その間にブギーマンに投げ飛ばされ、汚れた地面に倒れた。

 疎らな照明の元、立つのはひとり、ブギーマン・ザ・タンブラーのみ。

 身体を上下させながら息を整えている。消耗の激しさを隠す余裕もなく、足元も覚束なかった。指先からは血が滴り、痛む箇所を片手で代わる代わる庇っていた。

「佐久間博史だな」とブギーマン・ザ・タンブラーが言った。「お前に訊くことがある」

「まさか……全員をやったのか」

「そんな必要はねえよ。消耗させただけだ。でも自分がどこにいるかわからない不安は消耗を三倍にする。それにこっちは、時間稼ぎができればいいんだよ」

「時間稼ぎ?」

「お前ら〈ファンタズマ〉が、東京のあちらこちらで爆弾やら一斉殺人やらやらかしたのは知ってる。時間が経つほど、多くの警官が動員される。お前たちに逃げ場はなくなる。皇居の中だって、同じだろうな」

「ならお前は……たったひとりで〈ファンタズマ〉全隊に消耗戦を挑んだ?」

「そうなるな。お前を孤立させられればそれでいいんだよ、佐久間博史……いや、ハカセ」

 ザ・タンブラー――フードを取り、目から下を覆う布のマスクを引き下ろす。

「禎一郎……?」

「答えてくれ」灰村禎一郎は、口の中に溜まった血を吐いて言った。「なぜこんなことに手を貸した。なあ!」


 速度を上げる貨客船〈黄金の太陽号〉――その外板からワイヤー一本でぶら下がる憂井道哉=ブギーマン・ザ・フェイスレス。

 吹きつける風に、濡れた身体から体温が奪われる。

 羽原紅子の声が断続的になる。「そろそろ通信範囲外だ。すまないな、私はここまでだ」

「十分だ。爆破の信号が届くうちに落とせ」

「賢くなったな。だが心配ご無用だ。ハートビート通信が途絶えたら自動爆破されるプログラムだ」

「要するに時限爆弾ってことか?」

「かなり違うが大目に見てやる」

「上手くやるってことだろう?」

「上手くやるってことだ」紅子はいつも通り自信満々に応じる。「君はどうだ」

「上手くやるさ」

「馬鹿言え。君は無敵かもしれないが、不死身ではない。できることと、できないこととある。君が元より帰還を考えていないことくらい、気づかないと思ったか」

 道哉は数秒黙ってから応じた。「お前にも知れてたか」

「君は気持ちを隠すのは上手だが、決意を隠すのは下手だ。怜奈くんにも知れただろう」

「泣かれた」

「彼女がね。家にお邪魔したときか?」

「誘われたから、何かと思った。全部済んでから、行くなと言われた。そっちが本題だったよ」

「どっちも本題だと思うがな」

「まさか」

「まったく君は他人の感情への共感性に乏しい酷い人格をしているな」

「お前にだけは言われたくねえよ」

 紅子は声を上げて笑う。その声も途切れ途切れになる。何か言われたが聞き取れず、問い返すと彼女は大声で叫んだ。それでも聞き取れなかったが、聞き取れたことにして相槌を打つ。

 沖合に進むにつれ海は穏やかになる。波が船の外板を洗い、雲間から差し込んだ月光が貨客船に貼りついた異物を際立たせる。

 不意に音声がクリアになる。紅子の呟く声が、耳元の囁きのように聴こえた。

「いつか、私は君の扉だと言ったな」

「下手くそな喩え話だったよ」

「君がこれから進むのは、扉のない暗闇のトンネルだ」

「まるで人生のように?」

「君、今適当に言っただろう。人生は複雑だから、どんなものでもまるで人生のようだと喩えることが可能なんだよ。人生とは事物の最小公倍数だ。姑息だぞ」

「姑息って、お前が言うか」

「私に言われるほどだ」紅子は呆れたように応じ、力強く続ける。「だが憂井。君がもし、まだこの世に未練を残しているのなら。この世界は生きるに値すると思えるのなら。合図を送れ。必ず見つける」

「一々大袈裟なんだよ、お前は」

「東京を震撼させるスーパーヒーローが相手だからな。謙虚な私もつい大言壮語をしてしまう。……それと」

「なんだ」

「私はお前なんて名前じゃない。いい加減直せ」

「悪い。今更直すのもさ」

 紅子は何か応じたが、聞き取れなかった。そのまま黙っていると、今度は聞き取れた。

「彼女に伝言はあるか」

 ふと、このまま海に飛び降りてしまおうかと思った。

 体温は奪われるだろうが、泳ぎには自信がある。死にはすまい。

 〈ファンタズマ〉は匿名の通報で海保を動かして止めればいい。それでどんな結果になろうが知ったことではない。そもそもブギーマンなどという存在はいないほうが普通だ。いることで何かいい結果を残したとして、この世にとってその結果は幸運の産物でしかないのだ。

 だが――そうしないために紅子と手を組んだのだ。

 何も見逃さないために目を塞いだのだ。

 今度も、顔のない男でなければならない理由を、道哉は掴んでいた。ともすれば紅子も。電波が安定しているうちに訊けばよかったと、今更ながらに後悔した。

 〈スペクター・ツインズ〉の本当の正体に気づいているか、と。

 道哉は言った。

「恋をすると地に足がついてしまうけど、それ込みであなたが好きだと、伝えてくれ」

 数秒待った。

 返事はなかった。肩先から離れなかったドローンが急に失速し、離れた。ややあってから揚力を失って失墜。海面に落着する寸前に内部から爆発した。

 深呼吸する。

 目を閉じたときはいつも意識の場のようなものを感じる。濃いところ。薄いところ。敵意を向けてくる塊。注意に隙のある塊。そんな場のむらの中を掻き分けて敵の存在や攻撃を感知することを視覚の代わりにし、道哉は戦ってきた。

 目や耳には届かない限りがあるが、意識には限りがない。集中力を高め鍛錬を重ねれば、常人には不可能な知覚を得ることができる。羽原紅子は戯れに「君の第六感」と呼んでいた。道哉が、榑林一真との幼いころからの稽古の末に身に着けた能力だった。

 そしてこの能力は、敵意の濃い存在ほど容易に感知する。

 甲板、船倉、船室、艦橋、機関室、通路、客室、貨物室――そして探り当てる、誰よりも強い敵意の持ち主。

「見つけた」

 首狩りゾエル――月光に映える刃のような敵意。

 そしてこの世から憂井道哉が消え、ブギーマン・ザ・フェイスレスが甲板へと躍り出る。

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