〈スペクター・ツインズ〉の調査が佐竹純次に及ぶとは即ち、もう後がないということ。

 彼女たちが憂井道哉へ辿り着くのは時間の問題だと、覚悟は決めていたはずだった。

 だが、榑林邸に辿り着くまでに、道哉はバイクを三度倒しかけ、二度エンストし、一度歩行者を轢きかけた。動揺していた。自分でも意外なほどに。

 バイクを榑林邸の離れの前に停めると、道哉は早足で母屋に入る。在宅だった榑林一花は、「おかえりなさい」とあっけらかんと言った。

「客は」

「応接間でお待ちです」居間のテーブルを布巾で拭きつつ、一花は応じた。「あの、道哉さん」

「何?」

「わたしは、あなたが何者で、何をしていても、あなたの味方ですから」

「そう……ありがとう」とだけ道哉は応じる。

 それ以上、何か話すべきではなかった。一花は、知らないふりをしてくれていた。彼女はもう知ってしまったのだ。憂井道哉が家に帰らない理由を。

 佐竹純次の話はどうやら真実。そのことにまた苛立ちが募っていく。

 深呼吸して、応接間へ向かう。榑林邸では、庭に面した、道場の隣に配置されている。一歩進むたび、内縁の板張りが音を立てる。待ち受けているという少女たちと宿敵に、伝わるように歩く。

 障子も外のガラス戸も開け放たれ、陽光が室内に差し込んでいた。

 少女がふたり。男がひとり。

 少女たちは正座だった。ひとりはフリルの塊のような、黒いゴシック調のドレスを着ていた。もうひとりは全く同じデザインだが、明度反転させたように何もかも白いロリータ調のドレスを着ていた。ふたりとも、背中を覆うほどの黒髪だった。定規で揃えたような毛先と、化学色素に浸したような黒と、着ている服装と、全く同じ顔立ちが並ぶせいで、まるで等身大の人形が二体、並んで座っているかのようだった。

 そして東南アジア系の浅黒い男。全身を覆う筋肉の鎧を持て余すような胡座だった。迷彩柄のズボンにワークシャツ姿。さながら休暇中の軍人のようだった。刀は持っていないようだが、拳銃のひとつくらいは隠していそうだった。その眼光は鋭く、手は狩った獲物の数だけ傷だらけだった。

「お久しぶり……と言うべきかしら?」と黒い方の少女が言った。

「一花のお友達ですか。それとも、入門希望とか」

「下手な演技はやめることだ、ブギーマン。俺の顔には覚えがあるだろう」東南アジア系の男――首狩りゾエルが言った。「それとも、見ていないか」

「ええ、見覚えがありませんね」

「あのっ!」白いドレスの少女が、意を決したように口を挟む。磁気のように白い肌が耳まで真っ赤だった。「嘘つきは、よくないですっ!」

「嘘なんて……」

「私たちがここへ来た意味、わかっているんでしょう」

 黒――入江幻の前で、道哉は畳に腰を下ろした。「どうやって俺を見つけた?」

「この街のブギーマン事件は、遡ればあるひとりの少年に謎の男が制裁を加えたという都市伝説に行き着く。最初は噂でしかなかったものが次第に活動の幅を広げ、マフィアの末端と戦い実行部隊を叩き潰し、組織をひとつ壊滅させ……やがて私たちの敵になる。その浸透と拡散の過程は巧妙に隠蔽されていたわ。多くが、ネット上のプライベート空間である、WIREというSNSで行われていたからよ。でも、この世界は何も忘れない」

「佐竹純次が最初の被害者」

「佐竹の事件と、三星会の新井という男が起こした事件の舞台が、同じ高校だったことも大きかったわ。そして噂を探るにつれ、佐竹とトラブルになり、徒党を組む彼らをひとりで返り討ちにした男子生徒がいるという新たな噂に遭遇した。そこでこのあたりには奇妙な古武術を今に伝える道場があると、〈I文書〉が私に耳打ちしたの」

「連続強姦魔ドバト男の頃の、新聞記事か」

「ご名答。榑林真華流。この道場ね。しかも門弟には高校二年の男の子がいるという。通う高校は佐竹と同じ」

「偶然の重なりだな」

「九九%も累乗すれば〇になるわ」

「数学は苦手なんだ」

 幻は喉を鳴らして笑う。「彼の顔を、〈I文書〉が蓄えていた監視カメラのアーカイブで検索すると、興味深い結果が得られたわ。彼はブギーマンと三星会の衝突の直前に、入江明が理事を務めていた難民保護団体、Dream for allの施設周辺のカメラに写っていた。その以前も以後も、彼は三星会、後に〈ファンタズマ〉の関連施設や関係者の周辺に姿を現した。最近は赤羽のスポーツクラブ。彼は我々の元構成員を訪ねて姿を見せたわ」

「アポロ君島。お前たちが彼をああしたのか」

「とても頑丈で重宝したわ」

 腰を浮かしかける道哉。するとゾエルが姉妹を庇うように同じく腰を浮かす。互いに睨み合い数秒。また、元の胡座に戻る。

 そうなることがわかっていたかのように落ち着き払って、幻は続けて言った。

「私たちはブギーマンの正体を公表する用意がある」

「してみろ。俺はお前たちを地の果てまでも追い詰める」

「あなたが折れるまで周りの人を痛めつけてもいいのよ」

「なら、生きてこの屋敷を出られると思うな」

「自宅に死体が転がっていたらあなたも終わりよ」

「構わん」

「ゾエル相手に……」

 するとそのゾエルが口を挟んだ。「マボロ、この男に君の脅しは通じない」

「あら」

「お前は手を抜いていた」ゾエル――爛々と輝く目が道哉を睨む。「殺す気がなかった。あの時は」

 道哉は数秒黙してから応じる。「ならばこちらも、羽田テクノスや城南大学、塚原清志教授への脅迫、利根達男地方創生担当相とお前たち〈ファンタズマ〉との繋がりについて暴露する用意がある。お前たち〈スペクター・ツインズ〉や佐久間博史についても。お前たちの行動は大幅に制限される。まだ、達成していない目的があるんだろう」

「随分調べているようね」

「非合法だ。公表はできない。俺の身を省みている限りは」

「自分の身の破滅を招いても私たちを追い詰めると?」

「そうだ」

「お姉さまぁ……この人、本気だよぉ」ずっと黙っていた白いドレスの少女――像が姉のドレスの袖を掴む。

 幻は像の手を引き離して言った。「ミスター・ブギーマン。人を殺したことはあるの?」

「初めて殺すのがお前たちなら悔いはない」

「なるほど。私はあなたたちの強さは例のドローン遣いが鍵だと思っていたけれど、鍵はふたつだったのね」

 道哉は幻の言葉を敢えて無視して応じる。「なぜ、ここへ来た。下らない脅しのためか」

 幻はややあってから応じる。「表敬訪問かしらね」

「宣戦布告の間違いじゃないのか」

「私たちの戦いに重大な示唆を与えてくれた人の子孫への、表敬訪問よ」

「示唆?」

「運命を感じるわ。まさかよりにもよって、憂井宗達の孫が私たちの敵だなんて」

「なぜ憂井宗達の名が出る」

「地下通路」幻は嗜虐的な笑みを浮かべる。「あなたたち、使っているんでしょう。〈I文書〉は、東京の街に現れては煙のように消えるあなたたちの逃走手段を、地下道と算出したわ」

「お前たちもな」

「ご存知だったの」

「何が標的だ。お前たちは、次に何を狙っている」

 幻は音もなく立ち上がる。まるで幽霊のようだった。「私たちの方がまだ一枚、上手のようね」

「寝言を言うな。お前たちの文書とやらより、俺のパートナーの方が優れている」

「でもあなたたちは、私たちの全ては知らない」幻は道哉へ顔を寄せ、もがく蝉を見下ろす夏の子供のような目で言った。「私たちは、あなたたちの全てを知っている」

 道哉が動いた。

 入江幻の白い喉を掴み、足をかけて仰向けに倒す。像が短く悲鳴を上げる。ゾエルが背中に隠していた拳銃を抜く。

 細い首に体重をかけて折るか潰すか。道哉が右手に力を込めるのとほぼ同時に、ゾエルの拳銃が道哉の側頭部へ突きつけられる。

 互いに静止。

 不意に強く吹きつけた風が障子を鳴らした。

 道哉――横目でゾエルを睨む。

 ゾエル――銃口は微動だにせず。

「彼女たちは殺させない」

「雇われだろう。給料はいくらだ」

「この仕事で金は受け取っていない」

「ならばなぜ、この娘たちを守る」

「私情だ」

「どいつもこいつも、寝言を……」

「夢の中にいるのは、私たちかしら」畳に組み敷かれたまま幻が言った。「それともあなたの方かしら。ミスター・ブギーマン?」

 沈黙が数秒。

 ゾエルが銃を引き、道哉が手を引いた。

 咳き込む幻を像が助け起こし、もう終わりとばかりにゾエルは銃を収める。

 喉に触れ、やっと立ち上がった幻が言った。「ドローン遣いに伝えなさい。〈I文書〉を渡さなければ、あなたたちはこの国に大きな悲しみをもたらすことになると」

「断る」

「行くぞ、マボロ、スガタ。長居は無用だ」とゾエル。「これ以上はお前たちを守れない」

 像が深々と頭を下げた。幻が鼻を鳴らして顔を背けた。

 道哉とゾエルの無言の駆け引き――道哉はいつでも双子を襲える距離を保ち、ゾエルは銃を抜いて発砲するまで道哉の手が届かない距離を保つ。互いの喉元に刃を突きつけるような均衡は、一秒たりとも途切れることがない。

 自然、玄関まで送るような格好になる。幸か不幸か、一花や一真が姿を見せることはなかった。

 道哉は、ゾエルの一挙手一投足に睨みを利かしたまま言った。

「ゾエル。お前は元々、麻薬の売人や過激派のテロリストを殺していたんだろう。それがなぜ、こんな連中に手を貸す」

「帰る国と家のあるお前にはわかるまい」

「どういうことだ」

 ゾエルは、その問いには答えなかった。

 道哉とゾエルは互いに睨み合う。この次が最後になるという予感とともに。

「叶うなら、命のやり取りなしに手合わせしてみたかった」と道哉は言った。

「次に会う時は、首狩りと顔なしだ」

「次はお前の技を破る」

 ゾエル――親指を首筋に這わす、斬首のジェスチャー。

「次は、その首を狩る」

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