「……馬鹿馬鹿しい!」

 インカム越しに聞こえる紅子の声は、そんなことに脳細胞を働かせることすら惜しいとばかりの調子だった。

「本当なんだよ。葛西は、三年の野々宮ゆかりと、恋愛関係にある」

「証拠はあるのか、証拠は」

「俺の勘」

「当てになるか、そんなもの。現象への態度が科学的でなさすぎる。ありえない」

「付き合ってるってことが?」

「違う、君の思考の話だ。そんなに愚かだとは思わなかったぞ」

「でも、捜査の基本はカネとオンナだろ」

「三〇年前の刑事ドラマか。馬鹿馬鹿しい。――任務に集中しろ」

 夜の住宅街。バス通りから一本入った路地にある安アパートが、山川浩太郎の住居だ。敷地は狭く、駐車場もないため見通しが悪い。建物は二階建てだが、一階の玄関が並ぶ廊下は、真正面を通りがからないと人目に触れることすらない。昼間でも日当たりの悪い部屋。決して良好な住環境とはいえないが、お誂え向きだった。警察のドローンの巡回ルートからも外れている。

 山川浩太郎が退院して自宅に戻ったという情報を得て、道哉と紅子は、カラオケボックスで相談した襲撃計画を実行に移したのだ。

「しかし、ピザ・キャップではなく、ダイス・ピザだ。山川という男、宅配ピザ店の好みにおいては共感するところがある」

 妖怪のくせに食事はするらしい。「本当に大丈夫なんだろうな……」

「なあに、私たちのしていることは常に綱渡りだ。願掛けだと思っておけばいいさ」

「願掛け?」

「今回上手くいったら、次も上手くいく。次も上手くいくなら、ずっと上手くいく。帰納法だよ」

「何だそりゃ」

「すまない、君の数学の成績を忘れていた。……人目が途絶えた。行け!」

 ゴミ収集場になっている物置から忍び足で飛び出し、アパートの敷地内へ。そのまま一階の廊下を進み、一番奥である山川の玄関前に身を屈める。ベルトのポケットからICレコーダを取り出し、ボリュームをセット。扉をノックして、再生ボタンを押す。

 紅子がネットで収集した合成音声が再生された。

「ダイス・ピザです。お届けに参りました」

 インターホンは音声だけの簡単なもの。監視カメラはない。ほどなくして、「はい、はい」という声が室内から聞こえた。

 扉が開く。暗がりの廊下に室内からの光が差す。

「何も注文してな……」

 言い終わるより前に室内へ押し入る。包帯の巻かれた顔面を掴む。山川浩太郎は悲鳴を上げた。

 扉が閉じた。玄関に仰向けに山川を倒し、腕を抑えて馬乗りになる。

「何だよぉ! 顔がこんなに、こんなになって、まだ足りないのかよぉ!」

「騒ぐな」口を掌で塞ぐ。「質問に答えろ、山川浩太郎。お前の顔面を変形させたのは誰だ」

「お前、まさか、ブギーマン。新井さんが言ってた……」

「質問をしているのはこちらだ」鼻を摘んで捻じ曲げる。「ここも折られたくなかったら、答えろ」

「ひっ……答える、答える」

 鼻を摘んでいた手で、今度は喉笛を掴んで圧迫する。頃合いを見計らって離す。咳き込む山川に告げる。「話せ。お前に怪我を負わせたのは、何者だ」

「きっ……君島って男だ。鋼鉄のブラスナックルを着けてて、それで……」

「なぜ殴られた?」

「お、おれは組織に貢献したかった! それなのに……」

 首をまた締め上げ、頃合いで離す。「簡潔に話せ」

 咳き込みながら、山川は応じる。「クスリを作れるやつがいる。おれはそいつと組んで、おれが組織から預かった客に、そいつの作ったクスリを売ってた。自分でも使った。やべぇくらいキレるクスリだ。組織のブツなんか比べ物にならねえ。なのに新井さんは、おれが組織から支給されたクスリをさらに小分けにして、パケ水増しして上前跳ねてるって、勘違いした」

「新井とは?」

「三星会の……この辺りを仕切ってるやつだ。でも最近、目をかけてたガキがやらかした」

「佐竹純次のことだな」

「そ……そうだ。佐竹のことを始末し、汚名返上するために、新井さんは例の高校周りを整理しようとしてる」

「手を引くということか?」

「逆だ、逆だよ。夏休みのうちに一気に稼いで、下っ端を二、三人サツにパクらせて自分はカネを持って組織に凱旋しようとしてる。そのための伝手を探してて、おれは伝手を持ってたけど、新井さんにとっておれは邪魔者で……」

「伝手とは何だ」

「教師だ! 高校の教師。名前は葛西翔平。数日中に、きっと新井さんは葛西に……」

 耳元のインカムから紅子の舌打ちが聞こえた。「十分だ。撤退しろ」

 道哉は山川の鳩尾に拳を叩き込んだ。

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