74.君への問いかけ

《1998年12月22日 2:20AM 州都ヴェマラキア 当局本庁舎:26階局長室》


「ブラジウス・ベイカー一等捜査官、入室致します」


 朗々と。ブラジウス・ベイカーは声を響かせた。

 ベイカーの声紋を認証して、正面の壁が縦に割れた。すっと左右に開いた壁の先には一本の廊下があり、真正面には局長室の扉が見える。


「検死官ロベルト・シュルツを連れて参りました」

 ベイカーの声の直後に、扉は自動で開いていた。


「失礼致します」


 扉が開くや最敬礼した、ブラジウス・ベイカー一等捜査官と。

 手錠を掛けられ険しい顔の、ロベルト・シュルツ検死官。

 二人の瞳の先にいたのは、執務机に着く一人の男。当局局長ダリウス・ヴォルフだ。


 局長室は、調度品のない殺風景な部屋だった。左右の壁には十数体ずつのI-05-31-PRIMUS《プライマス》が、まるで要人警護官のように控えている。四面の壁には、さまざまな大きさのモニターが並べられていて、庁舎内部の様子がリアルタイムで映し出されていた。


「やあ。ようやく来たか」


 酷薄そうな、黒い瞳がシュルツを捕えた。当局局長ダリウス・ヴォルフ。浅黒い肌と銀色の髪、そして鋭い黒の瞳――この男の風貌は、まさにヴォルフだ。


「――っ貴様!!」


 叫んでいたのはシュルツだった。我を忘れてヴォルフ局長に飛びかかろうとする。ベイカーは、とっさにシュルツを取り押さえた。

「馬鹿、テメっ」

 口汚くつぶやいたベイカーは、彼を床に押し付け拘束する。


「ダリウス・ヴォルフ……、貴様……殺してやる……!」

 歯を食いしばり呪い殺さんばかりの瞳で、シュルツはヴォルフ局長を睨めつけた。

 一方のヴォルフ局長は、さも愉快そうにシュルツを眺めている。


「シュルツ検死官、今日はずいぶんと勇ましいじゃないか」


 局長は、鋭い瞳を細めてみせた。笑っているわけではない。笑いのような表情を作ってみせただけだ。


「しかし君は、いつからそんな不愉快な目をするようになったんだ? ――人形偏愛主義者の目だ」

 熟成酒のように深い、局長の声。深い声音で、局長はシュルツを蔑むようにそう言った。


 シュルツと局長を交互に見つめ、ベイカーは呆然としていた。

「――さて」

 シュルツを抑えたまま表情を失くしていたベイカー捜査官に、局長は咎めるような視線を送った――『立ち去れ』と、無言のうちに命じているのだ。

 ベイカー捜査官は視線に気づき、

「……失礼致しました」

 シュルツの身柄をI-05-31-PRIMUSに預けて、最敬礼で退室した。




 音もなく扉が閉まる。局長は、抑えつけられたシュルツを眺めていた。


「死の“波及現象”か。随分と奇妙な特性があるものだな、ロボットという物には」


 まるでひとり言のように、局長はそうつぶやいた。

 余裕あふれる歩みで、ひざまずくシュルツのもとへと歩いていく。

 シュルツは唸るように問う。

「……マリアはどこだ」

「トマス・アドラー博士が管理している。安心しろ、あの人形には価値がある。他のヒューマノイドのように、やすやすと破壊したりしない。あれを壊すのは、一番最後だ」


 シュルツの顔が怒りに歪む様を見て、局長はふしぎそうに首を傾げた。

「それにしても、君がそこまであの人形に固執するとは思わなかった。夜伽でもさせたのか? IV-11-01-MARIAは、そんなに君を愉しませてくれたか。……しかし、所詮はロボットだろう?」


 シュルツは、血が沸くような怒りを抑えて思考を巡らせようとしていた。

「……なぜ、私をここへ呼んだ」

「私は、君に興味がある。君に聞きたいことがあるんだ」


 ――聞きたいこと、だと?


 思い出話をするかのように、ヴォルフ局長は口を開いた。


「三年前に私がトマス・アドラー博士を召喚したのは、市中に潜むヒューマノイドを効率的に抹殺するための手段を考えさせるためだった。ずいぶんと葛藤していた様子だったが、最終的にアドラー博士は言った――『三原則逸脱を特殊条件下で起こさせれば、同時多発的な死が起こる。その特性を利用すれば、社会に潜むヒューマノイドを残さず滅ぼすことは可能だ』と。あまりに荒唐無稽な話だ、信じるべきか迷ったが……結果的には私の判断は間違っていなかったようだ。それ以後アドラー博士はIV-11-01-MARIAの製作にあたり、三年を費やして完成させた。そしてIV-11-01-MARIAは、君のもとへと届けられた」


 ヴォルフ局長はネズミをいたぶる狼のような顔をしていた。


「アドラー博士は主張した――『IV-11-01-MARIAをヒューマノイド抹殺のための道具として完成させるには、人間に深く関わらせる必要がある。ロベルト・シュルツ以上の適任者はいない』と。私は君について調べた。君の経歴は確かに魅力的だった。C/Fe事件で手足を欠損し、それがもとで父母から養育放棄されたというではないか。生きながらにして“遺族用ヒューマノイドメメントイド” を作成されたらしいな、同情に値するよ」


 同情とうたいながら、局長の瞳には明らかな好奇が浮かんでいた。


「ロボットにすべてを奪われた君は、ロボットをひどく憎んでいたにも関わらず、ロボット友愛主義者トマス・アドラーに心酔していった――矛盾している。だからこそ聞きたい。どうして君は、アドラー博士に心酔しているんだ?」


 シュルツは、局長を睨みつけたまま答えなかった。


 ――貴様などには、分かるものか。


 手錠をかけられた両手が、わなわなと震えていた。


 あの頃感じた怒りや孤独を、こんな男に打ち明けようとは思わなかった。息さえつけずに空気の中で溺れていくようなあの怒りを。拠り所なく孤独にふるえていた自分に、手を差し伸べてくれたトマス先生の温もりを。こんな男に理解できるはずがない。


 シュルツの形相を見て、ヴォルフ局長はわざとらしく首を傾げてみせた。


「何を憤っているんだ、ロベルト・シュルツ? 君も、ロボットを憎んでいるはずだろう? 君は私と同類だ。自分の肉体をロボットに浸食される不快感を、君も感じたことがあるはずだ。あの奴隷どもに、奴隷以上の価値を与えてはならない――そう思ったからこそ、君は検死官という職を選んだのだろう。なのになぜ君は、ヒューマノイド開発者であるトマス・アドラーを慕うんだ?」


 ――私は、貴様とは違う。

 だが同時に、シュルツは局長の思いを理解していた。ヴォルフ局長はロボットが怖いのだ。怖いから、ロボットを屈服させようとする。奴隷扱いして蔑む。そして、奴隷ごときに依存しなければ生きていけない自分自身を嘆いて、自己嫌悪に陥る。

 シュルツ自身も、この局長と同じように感じたことは何度もあった。


 ――なぜ局長は、私に質問を繰り返すんだ。奴の質問の、意図は何だ?


 シュルツは思考を巡らせて、いつまでも沈黙していた。


 睨んだままのシュルツに向かって、ヴォルフは溜息をついた。


「君は木偶人形か? なぜ黙り込むんだ、信じられないほどの愚鈍さだな。トマス・アドラーがなぜ君のようなつまらん若造を可愛がるのか、理解できん。……ソクラテスでもあるまいし、まさかあの老人には特異な性的嗜好でもあるのだろうか?」

「ふざけるな!」


 最愛の恩師を侮辱され。ロベルト・シュルツの血液が沸騰した。

 憎しみを燃やして暴れ出そうとしたシュルツの背中を、PRIMUS《プライマス》らが一層強く押さえつけた。ロボットの強靭な力に抗おうとして、シュルツは体に力を込める。背中を震わせながら、局長に向かって怒りを吐き出した。


「ダリウス・ヴォルフ、貴様のような男にトマス先生の思いが分かるはずもない! ……貴様の質問の意図が読めたぞ」


「ほう? 当ててみたまえ」

「貴様は私を試しているんだ。私に利用価値があるか否かを、判断するためだろう」


 局長は否定しなかった。愉快そうな目でシュルツを見下ろしている。

「私は手足の欠損をロボット義肢で補いながら生きている。そしてロボットを憎んでいる。だから貴様は、“同類”として私に関心を持ったんだろう!? もしも私がトマス先生よりも役立つ見込みがあるのならば、今後はトマス先生ではなく、この私を駒に使おう……と」


 つまりは、こうだ。


 トマス・アドラーは役に立つが、ロボット友愛主義者だから信用できない。

 ロベルト・シュルツはアドラー博士の弟子であるのに、反ロボット主義的な思想を持っている。もしもシュルツが役立つのならば、今後はシュルツを手駒に使おう。


「正解だ、ロベルト・シュルツ。少しは頭が回るらしいな」


 狼は、シュルツに興味を持ち直した様子だった。そして、こう言った。


「トマス・アドラーという人間が、私には理解しきれんのだ。理解できず、ゆえに不気味だ。……腹の底に何かを隠しているような、不可解な老人だ。そもそも、なぜ奴がヒューマノイドを開発したのか分からない」


 思案に暮れるような顔で、顎に手を添え局長は語りだしていた。


「あの老人は、『人間とロボットとの溝を埋める橋渡しメディエーター役を果たさせるために、ヒューマノイドを開発した』というではないか。だが、分からん。ロボットに人間の皮など被せてどうするんだ? 人間と奴隷ロボットの境界があいまいになって、余計な混乱を生むだけだ。人間は人間らしく、奴隷は奴隷らしく。一線を明確に引いて管理すべきだ。だから私は、ヒューマノイドを許すわけにはいかない。最後の一体を破壊するまで、我が心に安寧は訪れん」


 局長の言葉を。ひどい夢の中にいるかのような気持ちで、シュルツは聞いていた。

 似ているのだ。局長の言葉は、かつて自分が考えていたことと、そっくりそのまま同じであった。


 シュルツ自身も、長いこと疑問であった。なぜ恩師はヒューマノイドを作ったんだ。確かに一見したところ、ヒューマノイドは亜ヒト型より“親しみやすい”。だがその“親しみやすさ”がむしろ危険だ。ロボットに人間性など与えたら、使役するのにためらうではないか。――十四年間、シュルツはずっとそう思ってきた。恩師に問うても、困ったように笑うばかりで何も教えてくれなかった。


「……ふっ」

 シュルツは、乾いた声で笑った。

「何がおかしい? ロベルト・シュルツ」


「愚かさな自分が滑稽だからさ。十四年間もトマス先生の近くにいながら、私は何も理解しようとしなかった。……だが。今なら理解できる」

 先生の気持ちが、今ならば分かる気がした。


「トマス先生は、問題提起をしたかったんだ」


 シュルツは、言った。

「ロボットたちは、すでに“魂”を持っている。彼らには彼らなりの感情がある。だが人間は、いつまでたってもその事実を認めない――だから先生はヒューマノイドを作った」


 意味が分からないと言いたげに、局長は眉間にしわを寄せていた。


「先生はロボットに人間的な外見を与えて、あえて一線を越えさせた。ロボットが笑ったり悲しんだりする姿を実際に見せることで、『ロボットにはロボットなりの感情や思考形態があるのだ』と、人間たちに気づかせようとしていたんだ。先生は、C《人間》とFe《ロボット》との共生の道を探すための問題提起をした。……なのに我々にんげんは、いまだスタート地点にさえ立とうとしない! ロボットたちは、人間が手を差し伸べる日を待っているというのに――ッ」


 シュルツの言葉は遮られた。局長に腹を蹴り上げられたからである。


 肺の空気を吐き出して、声にもならない苦鳴を漏らす。倒れることはできなかった。肩と背中を、亜ヒト型ロボットPRIMUSたちに拘束されているからだ。


「不合格だ、ロベルト・シュルツ。君は私の役には立たない」


 汚らわしい物でも眺めるような冷たい目をして、ヴォルフ局長はシュルツの胸に銃口を突きつけた。

 死が。迫る。

 鉛弾という名の死が、シュルツに突きつけられていた。


「別れの前に、ひとつだけ君に教えてやろう」


 ヴォルフはゆっくり唇を開き、いたぶるような口調で言った。


「君の手足を奪ったのは、ヒューマノイドではない。この私だよ」


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