68.既視感
《1998年12月21日 8:30PM クレハ市内 メヒトバーン地区周辺》
当局捜査官ブラジウス・ベイカーは、
金属の組織。
機械の心臓。
マリアは完全ヒト型ロボット《ヒューマノイド》なのだ。
マリアの胸に突き付けた後方散乱エックス線装置が、小刻みにふるえていた。
ベイカーが彼女の言動に違和感を感じたのは、ほんの数分前のことだ。
『ヒューマノイドを殺したその手で、わたしの体に触れないで』
『その手で。何人殺したんです?』
直感だった。マリアの感情の昂ぶりが、単なるロボット友愛主義者の範疇を越えているように感じたのだ。
半信半疑で、彼女の胸に後方散乱エックス線装置を突きつけた。勘違いであってほしかった。「あぁ、すまねぇな。ちょっと悪ふざけが過ぎたよ」――そんなふうに、あとで謝って済ませられればいいと思った。
なのに。
「マリア。お前も……ヒューマノイドだったのか」
なんなのだ。この現実は。
ベイカーの手は、ふるえていた。一方マリアは、
「えぇ。……わたしはヒューマノイドです」
彼女はすでに、体のふるえが止まっていた。微動だにせず、挑むような瞳でまっすぐにベイカーを睨みつけている。
「わたしを殺しますか? ブラジウス・ベイカー一等捜査官」
悪夢のような、現実だった。
「――畜生」
ベイカーは。マリアを拘束していた腕を解いていた。
「またかよ……」
自由を取り戻したマリアは、よろよろと起き上がってベイカーを睨み続ける。なぜ彼が戒めを解いたのか、理解しかねると言った顔だった。
「“また”って、どういうことですか?」
ためらいを隠せずに背中を向けて黙り込んでしまったベイカーに向かって、マリアが問いかけてきた。彼女にとって、今は逃げる
「昔の女が、あんたみたいにヒューマノイドだった。本当に、女に惚れるとロクなことがねぇ」
――なにをしゃべっているんだ俺は。告白しながらベイカーは、自分の愚かさを呪った。だが、駄目だ。言葉が止まらず、口から溢れ出してくる。
「最高にいい女だった。商売女のクセに、心がまったく汚れてなくて。まさか人間じゃないなんて、思ってもみなかった」
あの女は、逃亡中のセクサロイドだった。
国内に百万体余り存在していたヒューマノイドのうち八割は、廃棄命令が出た直後すみやか回収された。だが残りの二割は逃亡し、人間社会に紛れ込んでいたのだ。
「知ってるだろ? セクサロイドってのは、人間をセックスで愉しませるために造られたヒューマノイドだ。……あいつに会ったのは、ヒューマノイドが禁止になってから半年くらい経った頃だったな。その頃の俺はゴロツキみたいなもんだったし、のちのち当局の捜査官になるなんて、思ってもみなかった」
当局は、逃亡ヒューマノイドの回収に全力を上げていた。彼女もまた、ヒューマノイド狩りで捕まったのだ。
「狩られたのは、今日みたいに冷たい冬の夜。俺と一緒にいたときだった。信じられるか? 一緒に暮らしてた女がヒューマノイドだったんだぜ? 何もかも打ち明け合える間柄だと信じてたのに、あいつは一番大事なことを隠してた。裏切られたと思ったよ」
当局に回収されるとき。彼女は涙すら流さず、淡く笑って『ありがとう』とだけベイカーに告げた。まるで、買い物にでも行くような普段どおりの足取りで。ふり返りもせず、捜査官に連れられて彼のもとを去っていった。
「命乞いしてくれればよかったんだ。ただ一言『助けて』と言ってくれたら、俺はあいつと逃げても良いと思ったんだ。なのに、な」
「……あなたの身の安全を第一に考えたから、その人はそんな行動を取ったんです」
ベイカーの独白を、マリアはそっと遮った。
「もし当局に捕まれば、検死官に記憶を読まれてしまいます。そうしたら……もしあなたが彼女の素性を知っていたら、きっと罪に問われていたはずです。ヒューマノイドをかくまうことは、法律で禁じられているから」
「ンなことは、分かってるよ。……今はな」
ぶっきらぼうな口調で、ベイカーは答えていた。
「若い頃は分からなかった。だから俺はあいつを憎んだし、ヒューマノイドが恐ろしいと思った。……だから。一匹残らず狩り殺してやろうと思って、
おかげで、ずいぶん良い生活ができるようになったんだぜ? 冗談めかして、肩で笑う。
「今なら分かるさ。あいつが命乞いしなかったのも、俺を守るためだ。三原則の第一条だろ? 人間に危害を加えず、また危害を見過ごしてもいけない。……ったく。ロボットってのは
沈黙が。降り立った。
狩るほうも狩られるほうも、自分がどう動くべきなのか分からない。
悪夢のような静寂だった。
――と。
沈黙を引き裂くように鳴り響いたのは、ベイカーが懐に入れていた携帯電話だ。非常呼集に応じるために、非番の際にも持ち歩いている物だった。
沈黙を断ち切って、ベイカーは電話を取り出した。
苛立つような顔で通話を始めたのだが。
その顔が、凍りついた。
受話器の向こうの声が、マリアの耳にも聞こえてきた。
その電話は、クレハ市内に“極めて危険なヒューマノイド”が潜伏していることを告げていた。
局長指示により、二十人の当局捜査官が市内に到着している。
回収対象は、金髪青眼、二十歳前後の女性の形をしたヒューマノイドだ。
そのヒューマノイドは、トマス・アドラー博士に造られた物であり。
製造コードは、IV-11-01-MARIA。
愕然とした顔で、ブラジウス・ベイカーはマリアを見つめた。しかし体が動かない。彼の黒瞳には、葛藤が色濃く浮かんでいた。
一方マリアの体には、稲妻のような恐怖が走った。
――どうするの? 逃げるの? このまま捕まるの? わたしは……どうしたいの!?
唐突に、シュルツの姿が脳裏に浮かぶ。
『君自身、何があっても自らの身を守り抜け』
『私は君が“死ぬ”ことを絶対に許さない』
まるで脳髄を貫くような強さでロベルト・シュルツの声がよみがえり、マリアは立ち上がっていた。後ずさる。一歩、二歩。
「だめ……わたし、死にたくない」
あの人に命令されたからじゃない。わたし自身が、死にたくないの。
――逃げなきゃ。
木偶人形のように静止していたブラジウス・ベイカーをその場に残し、マリアは全力で駆け出していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます