65.何のために

《1998年12月21日 4:40PM クレハ市内 バートヴァイス地区》


 列車に六時間乗って、マリアはようやくクレハ市の中央駅にたどり着いた。中央駅から二本の列車を乗り継いで、さらに南へ一時間。生まれ故郷である小さな町バートヴァイス地区に到着した頃には、ずいぶんと日が傾いていた。

「ここは……」

 駅舎から一歩踏み出して、マリアは故郷の地を踏みしめた。


 踏みしめた、はずだった。

 だが。


 呆けたようにつぶやいて、マリアはその場に立ち尽くしていた。


「ここは…………本当に、バートヴァイスなの?」


 現実にいま目の前にある景色は、彼女の記憶の中にある町並みとはまるで異なるものだった。


 悪い夢の中にいるような心持ちで、マリアは歩き出していた。

 彼女が暮らしたこの町は、古めかしくて愛らしい、小さな家々の連なる町であったはずだ。駅舎からまっすぐ伸びる大通りの左右には商店が立ち並び、通りをまっすぐ進めばほどなくして、大きな建物を仰ぎ見ることが出来るはずだ。その大きな建物は、製塩業で成り立っていたこの町にとって重要な施設――全長五百メートルに及ぶ、塩水を蒸発させるための建物だった。

 なのに。


 現実は、まるで違う。駅舎からすぐの大通りには、木造の商店など一つもない。立ち並ぶのは、近代的な造りのホテルや飲食店だ。製塩のための建物はすでに取り壊されて、跡地に博物館が立っている。ここはささやかな製塩の町などではなく、まるで保養地か何かのようだった。彼女が去ってから、この町は急激に変わってしまったのだろうか――たった数ヶ月の間に?


「どういうこと……?」

 建物は様変わりしていたが、道の造りはほとんど記憶通りだった。父と暮らした屋敷の場所に、迷いながらもたどり着く。だが。


 当然のように、屋敷は存在しなかった。


「え……?」

 跡形もなく、消え去っている。

 さら地だ。広い敷地がまっさらに舗装されて、公園になっている。“バートヴァイス保養公園”――そんなプレートが立っていた。


 マリアには、目に映る景色が信じられなかった。

 マリアは公園の“管理室”なる場所を見つけて駆け込んだ。そこで働く者に向かって、叫ぶように問いかける。


「エレット子爵の屋敷は!? 屋敷は、どこにありますか?」


 カウンター越しの中年男性が、ぼんやり顔で首を傾げた。

「エレット子爵? 誰だいそれは。この公園には、屋敷なんかないよ」


 カウンターから身を乗り出して、マリアは男性に取りすがった。


「いつ無くなったんですか! アドルフ・エレットという人が、ほんの数か月前までここに住んでいたでしょう!?」

「うわっ。ちょ、ちょっとあんた……放してくれって」


 男性にふり払われて、マリアはふらりとよろめいた。そのままぺたんと座り込む。呆然とした顔で静止しているマリアを見て、男性は薄気味悪そうな顔をしていた。


「あんた、どこか悪いのかい? 医者を呼んでやろうか?」

 そう言われ、マリアは弾かれたように立ち上がった。

「いえ。結構です、すみませんでした」

 逃げ出すように、管理室を飛び出した。


 ――おかしいわ。こんなの。


 走りながらも、マリアの頭は混乱していた。

 公園を出て、マリアは狂ったようにさ迷い歩く。すでに日は落ちかけていた。

 古そうな家を見つけては、そこの住人に父親アドルフ・エレットを知っているかと尋ね歩いた。


「アドルフ・エレット? 誰だい、そいつは」「屋敷? それって戦前の話だろ? 古い屋敷なんて空襲で焼けちまって、今はひとつも残ってないよ」「何を言ってるんだあんた! 頭がおかしいのか?」


 日は落ち切って、夜の闇が周囲を染める。


「さっさと出てけ、さもないと警察を呼ぶぞ!」


 ある民家では、扉の前で突きとばされて、マリアは尻餅をついた。

 いらだたしげな音とともに扉は閉ざされ、彼女はひとり取り残された。

 頭の中が。真っ白だ。


「わたしの、記憶が……間違ってるの?」


 もしも屋敷が存在しないのなら。もしアドルフ・エレットが実在しなかったなら。


 頭の中で、なにかが音を立てて崩れていく音が聞こえた。

 目に映るすべてが、信じられない。頭の中の記憶もすべて、信じられない。

 うずくまったまま、マリアは立ち上がれなかった。


 ――わたしは父のために造られたロボットでしょう? そうではないと言うのなら……


「わたしは。なんのために造られたの……?」

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