63.その“時”が、来たら――

《1998年12月21日 10:30AM エルハイト市内 第六検死研究所》


 ――勝手にしろ。もう、どこへでも行ってしまえ。


 自棄になっていることは、自分でも分かっていた。

 ヒューマノイドの隠匿は違法行為だ。もしも彼女が当局に回収されたら、ロベルト・シュルツ自身も罪に問われるだろう――それでも、もう、何もかも投げ出してしまいたいような気分だった。


 マリアが荷物をまとめてここから出て行ったのは知っている。もう、一時間以上前のことだ。

 彼女の声が、耳に残って離れない。


『どうせ死ぬから、最後に良いように利用した、ってことでしょう!? わたしなんかを……わたしなんかを助けるために、あの人たちの命を利用したんですか』


 ――そうだとも。彼らは所詮、道具じゃないか。だから、道具として使っただけだ。……何が悪いんだ。………………ほかに、どんな手段があったというんだ。


『わたし達は、人間あなたの道具じゃありません!』


 ロベルト・シュルツは、壁に拳を打ち付けていた。波立つ感情に任せて、わなわなと肩をふるわせる。息はいつまでも上がったままで、整え方が分からなかった。


「……くそっ!」

 シュルツの足は、ヒステリックに壁を蹴りつけたあと、勝手に地下倉庫に向かっていた。地下倉庫は、マリアに居室として与えていた場所だ。

 荒々しく、扉を開く。彼女の荷物は、なにひとつ残っていなかった。


 ――行く場所などないというのに。なんて馬鹿な女なんだ!


 シュルツは頭を掻きむしった。

 狭い倉庫は、塵ひとつなく整頓されていた。棚一面に並べてあった工具や本は、彼女が研究所に来る前からそれなりに整理してあったのだが――彼女はそれらを、さらに丁寧に並べ直していたらしい。最適化とでもいうべきだろうか? マリアの背丈に合わせて、使用頻度の高そうな工具が優先的に配列されていた。……愚かなことに、色どりなどにも気を配っていたようだ。実用性の邪魔をしない範囲で、色鮮やかな工具を選んで雑貨のように飾っていた痕跡がある。青白かった蛍光灯は、いつの間にやら優しい色合いの黄色灯へと交換されていた。

 『殺風景でさみしい部屋』と言って嫌がっていたこの倉庫を、マリアは居心地よく改造しようとしていたらしい。


「……馬鹿者が」


 無駄な個性が、腹立たしかった。

 きれいに整頓されきった部屋の片隅に、ひとつだけ乱れた場所があった。一冊の本が、床に打ち捨てられている。

 トマス・アドラー博士が著した、あの『ロボットの魂魄』だった。


 ひざを折り、シュルツはその本を拾おうとした。そして。本の横に、銀色の小さいボタンが置き残されていることに気がついた。

「…………」


 ――こんなもの、まだ持っていたのか。


 初めてマリアを街中に連れて行ったときに付けていた、あのカフスボタンだ。シュルツが何度捨てても、彼女はどこからか拾って大事そうに持ち続けていた。


 トマス・アドラー博士の著書の横で、シュルツのボタンはひっそりと捨てられていた。


 ――もう、無理だ。


 彼女を守りぬくなんて、私には不可能だ。カフスボタンを握りしめながら、シュルツは首をふっていた。


 マリアは生きている限り、何度でも三原則逸脱を起こすだろう。そしてそのたびに、彼女の周囲のヒューマノイドが“心臓死”を起こすはずだ。いつか当局も勘づくに違いない。そうなれば。マリアは捕まり、殺される。


 もう駄目だ……どのみち、マリアの“異常”は取り除けない。


 マリアの精神回路には、なんらかの欠陥がある――だからこそ、彼女は人間のように怒ったり、憎んだりするのだ。


 “正常”なロボットは、絶対にそんな精神状態にはならない。どれほど不条理に扱われても、“正常”なロボットは感情を抑圧コントロールすることができる。死ねと命令されれば、たとえ辛くても我慢して死ぬ。それが“正常”なロボットの精神だ。


「トマス先生でもなければ……マリアを直すことなど、出来ないだろう」


 悔しさをにじませながら、ロベルト・シュルツはつぶやいていた。……だが、


「……直す?」


 自分の口から出た言葉に、ざらりとした違和感を覚えた。

 ――どのように直すというのだ? 


 マリアを直す? マリアの精神回路から“異常”を取り除く? それはつまり、マリアを他の大勢のロボットと同じように、“我慢のできるロボット”に作り替えるということだ。


 『ロボットにも魂がある』と主張するトマス先生が、果たしてそんな修理を望むだろうか?


「……いや」

 シュルツは、トマス・アドラー博士の著書に視線を落とした。


「トマス先生ならば、むしろ『マリアこそがロボットのあるべき姿』と考えるのかもしれない」


 胸騒ぎがした。




『時が来たら、必ずマリアを迎えに行く――』




 IV-11-01-MARIAを託すとき、トマス・アドラー博士はそうシュルツに言った。しかし“時”とはいつだ? 当局の監視下にあっては、そんな日が来るわけがない。

 なにかが。シュルツの胸に引っかかる。

 彼女を託された日のことを、シュルツは思い返そうとした。


 ――先生は、IV-11-01-MARIAを私に預けた時、なんといっていただろうか。


『この社会で、彼女の寿命が訪れる瞬間まで生きていけるよう、育て上げてほしい』


 育てる。そうだ、トマス先生は、IV-11-01-MARIAに検死を教えてやってくれと依頼した。奇妙な依頼だ。ロボットの検死にロボットを立ち会わせてなんになる?

 理由は? 先生はなんと言っていた?


『そうすることが、マリアにとって重要な意義を持つ日が来るはずなのだ』


 たしかにマリアは、検死を知ってから大きく変わっていった。初めて三原則逸脱を起こしたのは、人間によって殺されたヒューマノイドの死体を見た時だったはずだ。


『死を知り、自らの生を知ることで、彼女は完成されていくはずだ』


 ……完成?

「なんの、完成だ?」

 IV-11-01-MARIAを検死官シュルツのもとで暮らさせたのも。IV-11-01-MARIAを、ロボットの死体に積極的に触れさせたのも。トマス・アドラー博士の要望だった。

 そんな環境で暮らしていれば、IV-11-01-MARIAの性格ならば、遅かれ早かれ人間に対して反発心を抱くに決まっている。そこに『絶対に死ぬな』という命令を与えておけば。波及する死――“波及性灼血はきゅうせいしゃっけつ”が起こるはずだ。

 結果的に。トマス・アドラー博士は、IV-11-01-MARIAが波及性灼血を引き起こすような環境を、用意してしまったことになる。波及性灼血によって、ヒューマノイドを無差別に殺してしまうような環境を……


『時が来たら必ず彼女を迎えに行く』


 シュルツの頭に、恩師の言葉が不吉に響いた。

 ――“時”とは、いつだ? なんの”時”だ?

 自分の理解の及ばないことが、起きているように感じた。

 誰よりもロボットを愛して止まないアドラー博士――あの穏やかな恩師の笑顔を、シュルツは思い出そうとした。思い出にすがるように、うつむき目を閉じ、思いをめぐらす。

 そのとき。


 ロベルト・シュルツに、背後から何者かが襲いかかった。


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