50.愚かな“ヒューマノイド”
《1998年12月20日 4:20PM エルハイト市内 第五街区周辺》
市内は大騒ぎだった。国内で二年ぶりのヒューマノイド狩りとあって、閉鎖区域との境界線にテレビ局が押しかけて報道を行っている。
小回りをきかせるために、車ではなくモーターバイクに乗ってきたのは正解だった――閉鎖区域の外でも、道はひどい渋滞だ。
ごった返す野次馬に、シュルツは舌打ちをした。
混乱を抑えるべく交通整理を行う、警察官の声とサイレンがけたたましい。
細道を抜けて、第五街区の境界線ぎりぎりまで迫る。
テレビ局のアナウンサーが、報道をしていた。
「現在、ロボット危機管理局の
シュルツは歯噛みした。
――MARIAも巻き込まれたはずだ。
外出する前、彼女は第五街区の孤児院に行くと言っていた。
――どうしたらいい。
ごったがえす野次馬に揉まれながら、シュルツは冷たい汗を流して境界線の向こうを睨みつけていた。
“C/Fe検査”。“ヒューマノイド狩り”。……名前などどうでもよい。要するにそれは、人間に紛れ込んで暮らしているヒューマノイドを強制的に見つけ出す、法的手段だ。回収されたヒューマノイドは、ロボット解体施設へ収容され、ガンマ線照射によって殺される。人間で言うところの、安楽死のようなものだ。
あらゆるロボットの頭脳中枢部には、“
“陽電子回路”は、ガンマ線に対して人間以上に脆弱だ。ごく微量な線量でも、ガンマ線はロボットの脳幹を不可逆的に破壊する。
そうして殺されたヒューマノイドは、解体される。
頭脳は、検死官の手により徹底的に記憶を暴かれることになる。
頭脳以外は細部まで分解され、
IV-11-01-MARIAにも、そんな結末が待ち構えている。
「……MARIA」
胃の腑から何かがせり上がってくるような感覚を覚え、シュルツは歯を食いしばっていた。モーターバイクに跨る脚が、異様に冷たい。ハンドルを握る両手の、感覚が失われていた。ちらつく雪が、思考を妨げる。分からない。これからどうするべきなのか、シュルツは思考を失った。
と。そのとき。
「ご覧ください、第五街区が開放されます!」
報道の声を聞き、シュルツは我に返った。
「第五街区のC/Fe検査が完了したようです。当局が第五街区を開放しました!」
当局のロボットPRIMUSたちが、一斉に
禁止線の外側から中をうかがっていた人々も、動き始めた。途絶えていた流れが復旧して、周囲が一層騒がしくなる。
そこかしこで、テレビ局がインタビューを始めていた。
「あなたもC/Fe検査を受けたんですね?」
アナウンサーが、内側にいた男に向かってマイクを向ける。
「そうだよ、嫌でも受けるしかねぇからな。人間ドックでもないのに胸にエックス線を浴びせられるんだぜ? 冗談じゃねぇ、俺がヒューマノイドな訳ないだろってのに」
苛立ちまぎれの男が答える。
「そもそもヒューマノイドなんてもんがいるからこんな目に遭ったんだ! くそっ、ヒューマノイド狩りに巻き込まれるなんて、ホントについてねぇ」
「今回の強制執行は、先月エルハイト市内で起こった“ヒューマノイド大量死事件”と何か関係があるのではという推測の声もありますね。あなたは、どう思いますか?」
「知らねぇよ。けど、あの事件のときに一匹残らず死んでてくれたら、俺は今日こんな目に遭わずに済んだだろうな」
――うるさい、黙れ。
シュルツは、怒鳴りたかった。
うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。
思考の糸が絡まって、何をすべきか分からない。
「……………………くそっ」
シュルツが顔を横に背けたのは、理由があってのことではない。だが。そらした視線の先に、一人の子供を見つけた。
「クリス――?」
あれは。孤児院の子供、クリス・メグレーだ。
人ごみの中で狂ったように駆ける、小さな背中。右の肩には小さなロボットVII-07-27-ROBY《ロビィ》が乗っている。
クリスは他人を押しのけ走る。突き返されて、罵倒されても止まらない。第五街区から外に飛び出て、何かに取り憑かれたように猛然と走っていた。
クリスは雑踏を抜けて、通りの向こうへ消えようとする。
シュルツはモーターバイクのアクセルを開けた。
「おい! 待て――」
人をよけつつ、クリスの背中を追いかける。
「おい!」
クリス・メグレーはシュルツのシュルツの声に気づかない。すばしこい体は、人通りのない路地に走りこんでいった。
シュルツはそれを追いかけて、
「――――止まれ、クリス!!」
怒鳴るように呼びかけた。
びくりと。クリスの体が静止する。
小さな背中に追いつきながら、シュルツは噛みつくように言った。
「マリアはどこだ! お前と一緒にいたはずだ」
クリスがふり向いた。あえぐように小さな肩を上下させ、顔を涙でぐしょぐしょに濡らしている。
「答えろ。マリアは――」
「助けろ!!」
シュルツが言い終わる前に、クリスは飛びかかってきた。
モーターバイクの上のシュルツに飛びかかり、クリスは胸ぐらを掴んでわめく。
「マリアを助けろ、このクズ野郎! ……お前じゃなきゃダメなんだ!」
肩をふるわせながら吠え立てるクリスの声を、突き落とされるような心持ちでシュルツは聞いた。
「ちくしょう! ちくしょう、ちくしょう!」
胸ぐらを掴む両手を大きく上下させながら、クリスはわめき続けていた。
――やはり、マリアはヒューマノイド狩りに巻き込まれたのだ。
回収されたヒューマノイドは、専用の廃棄施設へ速やかに収容される。今回捕まったヒューマノイドたちは、最も近くにあるネルデ市内の施設へ送られていることだろう。関係のない人間が施設に入れる訳がない。検死官ロベルト・シュルツも、今回はただの部外者に過ぎない。
「ちくしょう。もう、だめだ。マリアは、マリアは……」
関係のない人間には、施設に入ることなどできない。
だが。
関係のない“ヒューマノイド”だったら、どうだろう。
「――うるさい」
シュルツは、クリスを遮っていた。
「ぅわっ!」
シュルツは胸ぐらに飛びついていたクリスを払い落として、バイクの上で姿勢を正した。……いや。
尻餅をついたクリスは、いぶかしげな顔でシュルツを見上げた。
「……おい。お前、なにするつもりだよ?」
シュルツは右腕を真横へ伸ばした姿勢で、バイクに跨っていた。ジャケットを脱ぎ右腕をまくり上げて、不自然に真横に突き出しているのだ。
アクセルを、ワイドに開く――
「おい!?」
壁面すれすれ、猛スピードでモーターバイクが走り出す。勢いをそのままに、シュルツは自分の右腕を街路灯に打ち付けた。
響いたのは。まるで骨が砕けるような、鈍い音。
「シュルツ!?」
悲鳴のように、クリスが叫ぶ。
勢いを殺して止まったモーターバイクのもとへと、クリスは駆け寄った。
シュルツは上体を少しふらつかせながらも、しっかりバイクに跨っていた。だが……
「お前……その腕……!」
シュルツの右腕は、ひじから先が砕けて喪失していた。切断部位に流れていたのは、人間の血ではない。赤色透明な“ロボットの血”――疑似血液だ。疑似血液は大気圧にさらされ蒸発し、赤い蒸気となって消えた。
引きちぎれた人工皮膚の内側からは、大小さまざまな金属部品が覗いていた。
「お前……ヒューマノイドだったのか!?」
クリスが声を裏返らせると、シュルツは不愉快そうに睨んだ。
「馬鹿な子供め、これは義手だ」
吐き捨てるように言いながら、シュルツは思った。
――馬鹿なのは私だ。なんて頭の悪い
シュルツの右腕は、精密操作に特化したモノ型ロボット義手である。精緻な動きが可能な代わりに、耐久性は高くない。だがその欠点が、今はむしろ役立った。
シュルツは、前腕を失った右腕をクリスの前に突き出して、自嘲じみた笑みを浮かべた。
「どうだ? “腕の壊れた間抜けなヒューマノイド”に見えるだろう?」
モーターバイクを降りたシュルツは、呆然と立ち尽くすクリスを見下ろし、
「義手の残骸を回収しておけ! 人目を避けて廃棄しろ」
そう言い捨てて走り出していた。
“間抜けなヒューマノイド”ロベルト・シュルツは、人混みの中に躍り出た。
ロボット義手の認知度は、一般人の間ではさほど高くない。だからこそ、
「おい! ……あの男っ」
シュルツの予想通り、愚かな市民が期待通りの反応をしてくれた。
「あの腕、見ろ。ヒューマノイドだ!!」「生き残りがまだいたのか」「捕まえろ!」「当局に突き出せ!」
口々に叫ぶ市民たちのことを、馬鹿な奴らだとシュルツは思った。
そんな馬鹿な市民に取り押さえられて当局の捜査官に引き渡される自分は、彼ら以上の愚か者だとシュルツは思った。
化け物。屑鉄。そう罵倒してくる市民たちに頭を垂れて、彼は従順な下僕を演じてみせた。長く逃亡を続けていたが、ついに諦め投降を決意した惨めな
何もかもが滑稽だった。
――何をしているんだ私は。
自分は、まともではない。
――こんなことまでして、どうしてIV-11-01-MARIAを助けなければならないんだ。
先に捕まっていたヒューマノイドたちと同じように、シュルツは輸送車に放り込まれた。
――決まっているだろう。トマス先生のご恩に報いるためだ。それ以外に何の理由があるというんだ。
輸送車は、ロボット解体処分場へと走り出した。
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