第119話「侠気」

 侍従長アガレスが去り、それから30分後――


 とんとんとん!


 ドアがリズミカルにノックされた。

 今度は悪意と憎しみの一切無し、フラットな音程。

 約束の時間きっかりだ。


「どなた?」


「アガレス様の命により、バルバトスが参りました」


「どうぞ!」


「失礼致します!」


 入って来たのが、バルバトス。

 クールで思慮深そうな、一見30代前半の男であった。

 身長は俺と同じくらいで約180cm、体格は筋肉質でがっちりしている。

 髪は茶色で短髪、顔はほどよく日焼けしていた。

 太陽がないのに、何故日焼けしてるのというツッコミは出来そうかな?

 まあ、アモンほど偉丈夫という感じではないけれど。

 

 だが……

 多分、彼も人化……しているのであろう。

 イザベラ以外の、俺達人間へショックを与えないように……


「久し振りですね、バルバトス」


「イザベラ様にはご機嫌麗しゅう! そしてご結婚おめでとうございます!」


「ありがとう! 謁見の際にも見たでしょうけど、彼が夫のトールよ」


「改めまして! トール様、バルバトスでございます!」


 じっと俺を見る鳶色の瞳……

 俺は思わず彼から放出される魔力波オーラを読み取ろうとした。

 この男が俺をどう思っているか、つい見てみようと思ったからだ。

 何と魔力波は暖かなオレンジであった。


 これは!?

 え?

 好意!?

 友情?

 そして忠誠!?


「ふふふ、トール様。私の魔力波オーラはどう見えましたかな? 私は友であるアモンから貴方の話を聞いて、ぜひ伺おうと思ったのですよ」


 あ、ばれてる?

 って、アモンが友?

 あいつから俺の事を聞いてるの?


 そんな俺の反応を分かっているかのように、バルバトスは話を続けて行く。

 

「アモンは王の命により、新たな妻を娶った上、この国に留まり、これまでと違う任務に就く事になります。しかし奴の本意は違う。貴方と……トール様と引き続き、世界中を旅したかったのです」


「え? それって!」


「奴は何も言わないでしょう? でも分かりますよ、私には……昔からそういう奴なのです」


「…………」


 俺はそれを聞いて思わず胸が熱くなった。


 そうだよ!

 俺だって!

 俺だって、このまま……先生のような! 兄貴のような! 

 アモンと……まだまだ旅をしたかった!


「ははは!」


 いきなり、バルバトスが笑った。

 別に俺の事を馬鹿にしてとか、そのような笑いではない。

 嬉しそうな、ホッとしたようなそんな笑いであった。


「いや、失礼。貴方はやはり私の想像通りの方だ……アモンと同じお気持ちでいらっしゃる」


 どうして?

 も、もしかして!


「私も少々、魔力波オーラ読みを使う事が出来ます。とは言っても貴方のような達人に比べると感情の内容を大雑把に知るくらいの児戯のようなものですが……」


 ここでバルバトスは跪いて頭を深く下げた。


「アモンは私の心の友……貴方も奴の心の友だとすれば、我々はお互いに心の友になれる可能性がある。ましてや貴方は神の使徒でありながら、私達悪魔の為に働いてくれるという。これで力を貸さなければ、私は男でなくなります」


 バルバトスは顔を上げると、にいっと笑う。


 日焼けした顔の中で僅かに開いた口から見えた、その白い歯はやけに目立っていたのである。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 バルバトスが来て1時間後――


 俺達はバルバトスの案内で、悪魔王国ディアボルスの王都ソドムの街中を、魔界の馬が引く馬車に揺られていた。

 

 アルフレードルが書いてくれた紹介状によりディアボルス悪魔大学に向かい、学長のオロバスに会う為である。

 この馬車は侍従長のアガレスが統括する悪魔王国内務省所有の馬車で、10人乗りの大型のものだ。

 5人ずつ向かい合って座れる大型のシートを備えていて、近・中距離の旅行にも使えるという。

 バルバトスによれば、この馬車は悪魔王国国産ではない。

 地上にある人間族の某国に依頼して作らせた特注品の馬車であり、購入価格は結構高値であるらしい。

 

 俺は結構感心してしまう。 

 ふ~ん、内緒でそんな取引ってしてるんだと。


 俺の想像通り、悪魔の世界と、地上の人間界の商取引はなかなか難しいらしい。

 例えばこのような馬車製作の取引をしてくれる者はほぼ限られているそうだ。

 確かに、まともな人間はおおやけに悪魔と商取引などしない。

 万が一、そんな事をしたら創世神と一子スパイラルの教義を信じる国や創世神教会関係者は当事者を厳しく断罪するだろう。

 

 創世神の教えとは悪魔を忌み嫌い、全ての悪の根源としているからである。

 当事者は良くて投獄か、追放……下手をすれば容赦なく公開死刑にしてしまうのは間違い無い。


 なので、こういった商売に関して、表向きは商人を生業なりわいとする死霊術師達が務める事が多いようである。

 彼等は悪魔に忠誠を誓い、魂を弄び死者を操る事を生き甲斐としているから。


 だが、彼等死霊術師はそもそも本業? の死霊術に血道をあげている。

 崇拝する悪魔相手といえども、商売をメインにする者は殆ど居ない。

 それ故、彼等によって片手間で行われる取引の規模は極めて小さく、この異界に入って来る地上からの物資は余りにも少ないのだ。

 

 暗い表情のバルバトスは俺達に問う。


「この世界の光景はご覧になりましたか? 我等悪魔王国の貧しい大地を……」


 悪魔王国の貧しい大地……


 俺は、ジェトレ近郊の転移門からこの『魔界』に来た時の事をまたもや思い出していた。

 

 独特の深い紫色をした空に、乾ききった大地。

 地表は岩で出来た切り立った山、岩と砂に塗れた砂漠、ほんの僅かな草地にはサボテンのような独特な植物がまばらに生えるという光景がずっと続いていたのだ。

 川や湖なども見当たらないので、聞くと水は地表には一切無く、魔法で少量か、井戸を深く掘って得ているという。

 太陽の光も無く水も無いこの様子では地上で耕作出来るような麦、米に始まり、野菜等の一般的な作物は殆ど育たないであろう。


 それに加えて瘴気が満ちる大気において地上の家畜である牛、豚、鳥、山羊等の動物が無事に育つ保証も無い。

 この大地に育つ野生動物といえば、地上よりふた回りほど大きい独特な形状の昆虫やワーム、蠍や毒蛇が主であるという。

 そして哺乳類は獰猛な魔狼、馬車を引っ張っている野生馬や岩兎など10種類を超える程度に限られているらしい。


 悪魔は人間同様に基本雑食であり、何でも食べられるのではあるが、岩兎以外、美味という食材には程遠く、俺達が王宮で食べた肉も全て岩兎のものであった。


「アルフレードル陛下及び、レイラ様のご懸念は当然です」


 バルバトスは苦渋に満ちた表情で頷いた。

 確かにこれではジリ貧であろう。

 最終的には地下資源に頼らず、この大地でも展開可能な産業を育成するしかないのは明白である。


 手を貸してやりたいのはやまやまだが、これは規模が大き過ぎて、単なる中二病の元高校生であった俺の手には余る問題だ。

 誰かプロの手と人脈が要る事ははっきりしている。

 俺の役目は直接これらの難問に携わるのではなく、これらの問題に対応出来る仕組構築の手助けをする事にあるのだ。


「大学でオロバス学長にお会いになった帰りにこのディアボルスの主要な商会にお連れ致します。商会の会頭達と一緒に何とか手立てを考えないといけません」


 馬車の窓から見えるソドムの街に活気は無い。

 悪魔達はうつむき加減で歩き、威勢の良い声も聞こえて来ないのだ。

 街中に悪魔達の吐く溜息の声が聞えて来そうである。


「トール様、何卒宜しくお願い致します」


 深く深く頭を下げるバルバトスに、俺も小さく頷いていたのであった。

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