第56話「つまらない賭け」

 状況は以前、イザベラと勝負した時と全く同じになった。

 悪魔族の理屈というか論理は以前、イザベラから聞いた通りなのであろう。

 力こそが正義、いや悪。

 ……悪魔同士が揉めた時に決着をつける為の簡単明瞭なパワーゲーム、それが腕相撲なのだ。


 場所は、とある居酒屋ビストロの軒先を借りた。

 ここは、ジュリアの知り合いの店のようだ。

 娯楽が殆ど無い世界だから、どのような物でも賭け事のネタとなるらしい。

 俺とアモンが腕相撲の勝負をすると分かると、あっという間に10人以上の人が集まって来た。


 アモンはさっさと椅子に座ると、目を閉じてゆっくりと右腕をテーブルに置いている。


 店の主人らしい若い男が、ジュリアに話し掛けていた。

 腕相撲勝負で意外な人だかりが出来て、吃驚したような表情だ。


「ジュリアちゃん、いきなり店の軒先貸せって……あいつら……一体何者なんだよ?」


「こらっ、何言っているの? あたしのお陰で少しは客が入ったじゃないか? 明日の夜の飲み食いはこれでタダだからね」


「ちぇっ! それより前から頼んでいる俺とひと晩デートしてくれるって話はどうなんだい? いつも誤魔化されているけどよ」


 男は今迄、事あるごとにジュリアを口説いて来たらしい。

 しかしジュリアは今回も男の誘いをきっぱりと断った。


「駄目よ!」


「駄目って? 何故だよ?」


 男は、なおも食い下がる。

 ここで、ジュリアが爆弾を投下した。


「何故って……あの黒髪の彼があたしの旦那だもの!」


「ああっ!? あいつがジュリアちゃんの旦那か!? あっちの逞しい戦士の男じゃなくてか?」


 店の主人は旦那が居ると言われて、てっきりアモンの方を相手だと思っていたらしい。

 そして自分が勘違いしていたと分かると、このような捨て台詞を吐いたのである。


「でも弱そうな奴だなぁ……今迄言っていたジュリアちゃんの趣味と全く合わないじゃあないか?」


「ほう、よく言った……賭けるかい? あたしは博打が嫌いだけど勝てる勝負は受けて立つよ」


「お~し、やろう! 勝ったらひと晩デートだぜ。うひひひひ」


 男は下心見え見えの態度で勝負を受けると、ジュリアに答えた。


「その代わり負けたら金貨20枚だよ、良いね?」


 邪神様から貰った聴覚の鋭い、人間離れした俺の耳はそんな会話を一切捉えていた。

 

「おい、てめぇ……何が勝ったらひと晩デートさせろ、だ?」


 俺は指を「ぽきり」と鳴らすと、ジュリアと男の前に立った。


 「何だ! てめぇは!」


 ジュリアと賭けをした居酒屋ビストロの主人がいきり立つ。

 しかし俺は奴をスルーしてジュリアに言い放つ。 


「ジュリア、そんな馬鹿な賭けはやめておけ」


「え?」


 俺から少し離れていたし、小声で話していた居酒屋の主人との会話がまさか聞こえているとは思わなかったらしい。

 ジュリアは呆気に取られている。

 

「聞こえなかったのか? そんな馬鹿な賭けは『無し』だと言ったんだ」


「えええ! だ、だって! あ、あたし!」


「勝負事なんて何が起こるか分からないんだ。俺はそんなくだらない賭けで勝った金貨20枚なんて欲しくはないし、万が一俺が負けたらお前はその男とどこかへ遊びにでも行くのか?」


 ジュリアは、俺がそんなに怒るとは思っていなかったのであろう。

 驚きのあまり口がぱくぱく動いて、まるで酸欠状態の金魚である。


「お前がそんな馬鹿な事をやるのなら、もう、勝手にどこへでも行ってしまえ!」


 俺は自分でも意外だった。

 そこまで言う!? って感じである。


 さっきの「悪魔ぶち殺す」発言といい、前世の弱気な俺ならそんな事は一切言えないから。

 そして極めつけは、容赦ないジュリアへの絶縁宣言!

 初めて出来た彼女への扱いとは思えない対応である。


 俺って実は、思い切り亭主関白?

 確かに、知らない間の『嫁寝取られ事件』などは真っ平御免だが……


 しかし居酒屋ビストロの主人である若い男は、はっきり言って俺を舐め切っていた。

 俺に一方的に言われて、少しは低姿勢になるかと思いきや、ますます粋がって増長している。


「何だと、てめぇ! 約束は約束なんだよ。賭けはもう成立しちゃったんだ。ジュリアちゃんは俺がばっちり美味しく頂くぜ! てめぇこそ、弱そうな癖に粋がるな! 馬鹿はてめぇだよ、ば~か!」


 俺は「ずいっ」と罵倒する男へと詰め寄った。


「な、な、何だよ、てめぇ?」


 びびる男などまるっきり無視。

 俺は黙って左手で奴の胸倉を掴み、右手で平手打ちを連発した。

 

 ぱんぱんぱんぱんぱ~ん!

 

 肉を打つ乾いた音が軽快に鳴り響き、居酒屋の主人の口からは血が噴き出す。


「あが、あごががが……ぼぼ、ぼうりょく……は、んたい……」


 あごが痛いとか、他にも何か訴えているようだが、口は災いの元だ。

 いい気味である。

 手加減したので、居酒屋の主人は意識を手放すまでに到っていない。


「おい! 今、何と言った? 俺には馬鹿とか聞えたが気のせいか? それに人の嫁を亭主の目の前で口説くとは良い度胸だ。次にやったらてめぇの顔の真ん中に風穴、開けてゴミ溜めに放り込んでやるぞ」


 俺は掴んだ男を軽く振り回し、店の入り口から奥へ無造作に投げ込んだ。

 

 テーブルや椅子が倒れる派手な音がした。

 主人の苦痛を訴える呻き声が聞こえていたが、やがて静かになったのであった。 

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