第57話「言い過ぎた、御免」

 アモンとの勝負を見守っていた男達は、「ぽか~ん」としていた。

 俺が怒って、居酒屋の馬鹿主人を店内へ投げ込んだからだ。


 周囲はシーンとしている。

 店の中に居る客から怒号と悲鳴が上がったが、俺は一切無視。

 「すとん」とテーブルに座る。


「さあ、アモン! 勝負をしようか?」


 アモンは、俺の一連の行動を驚いたように見つめていた。

 やがて鼻を鳴らすと、興味深そうに言う。


「ふむ、俺はお前を少し……見直した。あの女はお前の連れ合いだろう?」


「そうだ」


「なら、後で説教するべきだぞ、あのような軽薄な男に口説かれるような尻軽では困ると……お前は人間なのに、やられたら何倍にしてもやり返すという悪魔の論理を理解している男だ」

 

「そいつはどうも……でもあの娘は俺が絶対に勝つと信じていたみたいだけどな」

 

「ふうむ……どうして分かる?」


「そりゃ分かるさ、あいつは俺の愛する嫁だもの」


 嫁として俺の事を絶対的に信じているからこそ、ジュリアはあのような馬鹿な賭けに乗ってしまったのだろう。

 そう言うと、アモンは僅かだが面白く無さそうな顔になる。


「ふん……まあ良い。勝負だ」


 俺は右腕をゆっくりとテーブルに置き、アモンと右手をがっちりと組み合ったのである。


 ―――5分後


「う、うおっ!」


 大きな声をあげて、青筋を立てたアモンの顔は真っ赤である。

 渾身の力を注いでいるのに間違いないだろう。

 しかし先程から組んだ、俺の右手と奴の右手は「ぴくり」とも動かなかった。


 イザベラは先日、自分に勝ったのは両親と姉だけだと言っていた。

 その話が偽りでないのなら、このアモンはイザベラと互角以下という事だ。

 だが俺は、イザベラに対して圧勝している。

 であれば、計算上は腕相撲限定の勝負の場合……アモンは俺の敵では無い。


 正直、今の状態も先だってのイザベラとの勝負のように殆ど力を入れていない。

 アモンの顔に滝のような汗が流れ始める。

 俺には分かる……奴は隠された力を解放しようとしているんだ。


「うおおおっ!」


 アモンの掛け声と共に彼の手へ結構な力が加わった。

 俺をねじ伏せようとするのが分かる。


 おっ!

 これが悪魔の本気の力か!?

  

 しかし!

 

 俺はその力を楽々と受け止めると、少し力を入れて押し返す。


「たあっ!」


 俺が更に気合を入れるとアモンの手は容易く下げられて行く。


「頑張れ! トール!」


 そこでイザベラの声援が耳に届く。


「おっしゃ!」


 俺は一気に力を入れて『決め』に掛かった。

 アモンの右手が呆気なくテーブルについた瞬間!

 凄まじい音がして、テーブルは粉々に破砕された。

 俺が手を離すと、アモンは勢い余って四つんばいになり両手と両膝を突いてしまった。

 

 これで、決着はついた……

 

 確かに分かり易いパワーゲームであり、勝敗もはっきりしている。

 アモンは、と見ると俯いたまま動かない。

 ひ弱な人間と、見下していた俺にあっさりと……そう、無様に完敗したのが余程ショックだったのであろう。


「勝負……あったな」


 俺はそっと呟き、まだ無言を貫いているアモンをその場に残すと勝負の結果を待っていたふたりの少女へ手を振った。

 そのふたりは、とても対照的な雰囲気である。


 とっても明るいのがイザベラだ。

 小躍りして喜んでいる。

 

 この勝負で何を賭けるかを、よくよく考えたら決めてはいなかった。

 だが……

 アモンが無理矢理、イザベラを故国に連れ帰ろうとする可能性は低いだろう。

 何せ力が全ての悪魔族。

 人間の俺に完敗した婚約者など、王女の相手としては不適格であろうから……

 

 イザベラも多分そう認識した。 

 なので、親が決めたらしい、この『うざい婚約者』から解放された感で一杯なのである。


 一方のジュリア……彼女は気の毒なほど落ち込んでいた。

 俯いた可憐な顔は大きく歪み、号泣する寸前という雰囲気だ。 

 

 軽々しく自分のみさおを賭けて、馬鹿な勝負をした事。

 それを俺に叱責されたのが、だいぶこたえたらしい。

 挙句の果てに、どこへでも勝手に行けと言われたら、そのショックは計り知れない。

 傍らで狂喜していたイザベラも、ジュリアの落ち込みように気付くと、一生懸命慰め始めた。


「トール……どうか、ジュリアを許してやってよ。あんたが勝つ事を絶対信じていたんだしさ……」


 俺はイザベラに対して無言で頷くと、「そっと」ジュリアを呼んでみた。

 ジュリアは相変わらず俯いたまま動かない。


「ジュリア!」


 俺が大きな声を出すとジュリアの肩が「びくっ」と大きく震えた。


 そうか……

 俺にきつく言われて反省したと同時に、とても萎縮してしまっているんだ。

 タトラ村で、ジュリアが不安そうに言っていた話を俺は思い出していた。


『あたしさ……本当はとても怖がりで小心者なんだ。だけど仲買人って商売柄こうやって強がっていないと不安なのさ。もしトールが見て不味かったらどんどん言ってね、直すから……』


 ジュリアに厳重注意をしたのは良いが、俺はまた『言い過ぎて』しまったようである。

 

 それに俺は気付いていた。

 こんなに怒ったのって、絶対にジュリアが大好きな事の裏返しだと。


「ジュリア、おいで」


 今度はそっと呼ぶと、ジュリアが上目遣いに俺を見た。

 まるで捨てられた子犬のような、哀れさが籠った眼差しである


「俺も言い過ぎた、御免。もう怒ってなんかいないさ、おいでったら」


 俺が優しく声を掛けたその瞬間、ジュリアは大声で泣きながら俺の胸に飛び込んで来たのであった。

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