第55話「悪魔の婚約者」

 近付いて来た男の顔……

 俺は見て思わず苦笑した。

 獰猛な猛禽類のような顔をした戦士の男。

 彼は顔付きだけではなく、実際にとても怒っていたからである。


 こいつ……一体、何者だろう?

 第一声で誰に何をどう言うのか、気になった。

 イザベラの知り合いという事で、俺とジュリアは心当たりが全くないからである。

 彼は予想通り、イザベラに近付くと深く一礼した。

 そして、低く渋い声でこう切り出したのだ。 


「イザベラ様……何故、気高けだかい貴女がこのような薄汚い人間風情にんげんふぜいと行動を共にしておられるか、俺には理解しかねます。ともあれ……お父上もとても心配しておいでです。すぐ国へ戻りましょう」


 これって主従関係? 

 男の口調も態度も、臣下が王族に対するものではある、

 だけど……

 何となく奴の雰囲気には、イザベラに対する気安さが感じられた。

 このようなやりとりをするのは彼も悪魔か、それに準ずる上級魔族なのだろう。

 

 それにしても……

 イザベラが俺達に初めて会った時もそうであったが、悪魔族は人間を見下す傾向がある。

 正直言って、少しムッとした。


 何だよ!

 俺達が薄汚くて……悪かったな。

 悪魔がそんなに偉いのかよ!

 もしもこいつをもし怒らせると、真っ当に話が出来なくなるとは聞いていたが……

 上から目線の、この態度じゃ俺の方が先に頭に来そうだ。

 

 そんな事をつらつらと考える俺。

 帰国を促す戦士の男に対して、イザベラはきっぱりと断りを入れる。


「私は戻りません! 姉上の為にオリハルコンを手に入れるまでは!」


「レイラ様の為? ははは、それは単なる口実でありましょう」


 男はあっさり、イザベラの主張を否定した。

 姉の輿入れの為のオリハルコンの入手というのが表向きで、実は彼女の本意ではないとしたら……


「…………」


 戦士の男の言う事は、全くの出鱈目じゃあないのだろう。

 その証拠にイザベラは黙り込んでしまった。


 だったらイザベラは何故、国を出たのだ?

 一体どういう事だろう?


 しかし俺の疑問も、男が即座に種明かしをしてくれた。


「ははは、俺との婚約の儀を嫌がって先延ばししたいが為に魔界を抜け出たのは一目瞭然。しかしよりによって人間の世界などに来て何をしようと申されるのだ、イザベラ様」


 ええっ!?

 こいつ、イザベラの婚約者か! 

 

 しかも驚きだ。

 相手が自分を嫌っているかもしれないのに、堂々としたこの態度は何?

 俺なら絶対に無理。

 黙って身を引く。


 悪魔って、皆こうなのだろうか?

 ある意味、凄いと言えなくもない。


「さあ、俺と一緒にお父上の下へ帰りましょう!」


 男は焦れたのか、いきなりイザベラの腕を掴むと「ぐいっ」と捻り上げた。

 そして、無理矢理引っ張って行こうとする。


「嫌だ、帰らないよ」


 イザベラも、美しい赤い目をらんらんと光らせて、簡単には連れて行かれまいと耐えている。

 両者は全く動かなくなってしまう。

 驚いた事に、どうやらふたりの力は互角のようだ。


「やめなよ、イザベラが嫌がっているじゃあないか?」


 見るに見かねたジュリアが、男を止めに入る。

 何と、イザベラを掴んだ男の腕に取り縋ったのだ。


「黙れ! 薄汚い人間の小娘ごときが口を出すな、引っ込んでおれ!」


「ああっ!?」


 しかし男が乱暴に手を振ると、ジュリアはあっけなく振り払われた。

 地面に、ごろごろと転がってしまったのである。


 あ、ああっ、俺の大事なジュリアを!

 頭に来たぞ!

 この野郎ぉ!


 俺もジュリア同様、男の空いた手を掴む。

 すると、手を掴まれた男の顔に怒りの色が浮かぶ。


「こ、この薄汚い人間めが! 汚らわしいぞ! この俺に気安く触るな!」


「何だと、この屑が……俺が大人しくしていれば、さっきから良い気になりやがって」


「な!?」


「てめぇ……すぐイザベラを放せ」


「何ぃ!」


「ジュリアにも悪かったと土下座して詫びるんだ」


 以前、ジュリアと風呂屋へ行った際に、彼女がチンピラに絡まれた時がある。

 俺の怒りが爆発して暴走モード突入!

 まるで理性のブレーキが効かない状況になったが、今の状態はそれに近い。


「ははは、ふざけるな……貴様みたいなひ弱な人間など……一発で殺してやる」


 さすがに男は上級悪魔。

 俺の脅しに怯えたりせず、凄んでみせた。


 そうかい、だったら上等だ!

 これ以上、こんな奴との会話は不要だ。

 

 俺は、男を掴んだ手に少し力を入れた。

 途端に「みしりっ」と骨が軋むような音がして男の身体が硬直する。

 骨の軋みは痛さに直結したようだ。


「ぐあああああああ!」


 男は苦痛のあまり、思わずイザベラを掴んでいた手を離してしまった。

 その瞬間、自由の身となったイザベラが鋭く叫んだのである。


「トール、このアモンと勝負してくれ!」


 こいつ……アモンというのか?


 アモンって確か……

 俺は記憶を呼び覚ます。

 ソロモン王の72柱の1柱。

 最も強大にして厳格な魔物と言われる悪魔が居たっけ。

 ゲームにも良く出て来る最強悪魔のひとりだ。


 もしもこいつが……そのアモンだったら……


 だけど俺は「ずいっ」と前に出た。

 不思議な事に怖さを全く感じない。

 相手がラスボス級の大悪魔かもしれないのに。


「分かった……塵も残らないほど容赦なくぶち殺して良いんだな?」


 自然に物騒な台詞セリフが出て来る。

 俺自身、驚く。

 相手は多分凶悪で残虐な最強悪魔なのにだ。


 何か分かる。

 俺の全身から凄まじい魔力波オーラが立ち昇っている。

 

 当のアモンは憎しみから来る殺気はあったが……

 俺の意外な膂力、そして迫力に驚いたのか。

 驚きと怖れの籠った目でこちらを見つめていた。


「ま、待って!」


「何だ、イザベラ」


「塵も残さず容赦なくぶち殺すって!? ち、違うよ、トール。私の時と同じ勝負方法さ」


 イザベラが、俺の凄まじい殺気に怖れをなしたのか。

 殺し合いではなく勝負事を持ち掛けて来た。

 

 ええと、イザベラと同じ?

 ああ、冒険者ギルドの講習の際にやった『腕相撲』と同じって事か……


 イザベラの婚約者らしい、アモンという悪魔。

 成り行きから俺はこいつと、腕相撲の勝負をする事になったのであった。

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