第33話 「ウンディーネと」


 水原琉花。


 彼女は下半身を水の中に沈めたまま、両手を握って体を揺らす。


「わあー、きょうはいい日だなぁ、久しぶりに誰かとお喋りできるなんて……、あーもう感動。ていうか声の出し方忘れちゃってなくてよかったー、あはあは」


 独特な笑い方をした彼女を見て、俺とリルネは顔を見合わせる。……この子が、エルフを襲ったっていうんだろうか。


 琉花はふと俺を見ると、「わっ、すごいイケメンっ」と声を弾ませた。いやいや、ただのくたびれたオッサンですよ。


 リルネが「なにデレデレしてんのよ」と冷たくつぶやいた。そういう状況でもないだろ!?


「ねーねえー、すっごくたくさん聞きたいことがあるんだけど、聞いちゃってもいいかなー? ねー、ここってどこなの? なんで私こんなところにいるの? なんでこんな姿になっちゃったんだろ? あとお腹もゼンゼン空かないんだよねー」

「待って待って」


 矢継ぎ早に言う琉花に、リルネは手をあげて。


「あなた、水原琉花って名乗ったわよね。……日本人、なの?」

「え、そうだけど。ていうかふたりも日本人じゃないの? 日本語しゃべっているじゃん? あれ、あなたは外人さんかな? 日本語上手ですねー!」

「いや、あたしたちが話しているのは人族語なんだけど……」


 リルネは困った顔で俺を見た。どうしたもんか。


「……まあ、俺たちを油断させようとして、演技をしているわけではなさそうだ」


 俺たちは琉花の質問にひとつひとつ答えていった。ここは異世界であり、琉花がいる理由はよくわからない。琉花のお腹が空かない理由に関しては――。


「ウンディーネ、ね。清涼な泉に棲む水属性の精霊だわ。それが本当なら、この子は水がある限り永遠に生きることができるわね……」


 そっか、とリルネは小さくつぶやいた。アシードが嫌っていたのは、琉花がサラマンダーの大敵であるウンディーネだったからか。


 そう告げると、琉花は別段ショックを受けたような感じでもなく。


「へー、ウンディーネかあ……、なんかちょっと納得かも。どうりで変なことができるもんだなあ」


 琉花が下から上に向かって指を動かすと、花が咲くようにして泉から水が伸びてゆく。ストップモーションアニメのようだった。彼女は水を操る能力があるのか。


「誰も来ないし、すっごく暇だったから、こうして時間を潰してたんだよ」

「……誰も来なかった? 誰もいなかったっていうの?」

「うんー」


 青い髪を揺らし、こくこくと琉花はうなずく。リルネは怪訝そうな顔をした。


「どういうことかしら。あのね、あたしたちは近くの村の人から、あんたを退治するように言われてきたのよ」

「えっ、……マジですか?」


 琉花はぴくぴくと眉を動かしながら、引きつった表情で身構えた。


「儚く散らされちゃう? 私の人生ここで終わる系?」

「……そのつもりだったんだけど、なんか拍子抜けしちゃったわ。あんた、どう見ても人畜無害っぽいんだもん。村の人はなにか勘違いしていたのかもしれないわね。ウンディーネってそもそも人間に害を為す種族じゃないし。どっちかというと敬われる精霊よ」


 リルネは腕組みをしながら、うーん、と考え込む。


「ねえ、ジン。一度この子を連れて村に戻ってみないかしら? 泉に棲んでいたのがウンディーネだってわかれば、誤解が解けると思うのよね」

「確かにそうだな」


 そこでひとり琉花だけがしょんぼりと肩を落とす。


「いやー、行きたいのはやまやまだけど、私って足がなくってー」


 それは比喩ではなかった。ずずずと浮かんできた琉花の下半身は確かに、水と繋がっている。文字通り足がないのだ。


「あちこち探索しようとか思っていたのに、この水が届く範囲にしかいけないんだよねえ……。だからさー、気持ちは嬉しいんだけどー」

「なんだ、そんなことだったら」


 リルネが軽く腕を振ると、突如として琉花が宙に浮いた。その足元には水球がくっついている。琉花は目を白黒させた。


「えっ、えっ、なにこれ、えっ!?」

「このあたし、リルネ=ヴァルゴニスが運んであげるから、安心するといいわ。感謝しなさいよね?」

「すっごい、君ってもしかして魔法使い? うわー、すっごいすっごい、変なのー。あはあは」

「ウンディーネには言われたくないわね……」


 リルネはふよふよと水を浮かべ、けらけらと笑う琉花を洞窟の入り口へと連れてゆく。


 そのとき、どこかから声が轟いてきた。


『我が主よ、そのような凡愚に力を貸すというのか……。我は哀しいぞ……』

「う、うっさいわね! こっちにも事情があんのよ!」




 洞窟を出ると、そこにはエルフの戦士たちはいなかった。


「なによ、あいつらいないじゃない。勝手に帰れっていうの?」

「あるいはとっくに殺されただろうと思われたのかもなー……」


 ううむ。とりあえず村に戻るとしようか。スターシアも待っているだろうしな。まだまだ日は高い。この分なら、きょう中に帰ることは可能だろう。


 改めてお日様の下で見ると、水原琉花は青髪でショートカットの美少女だった。線が細く、全体的に華奢だ。しかしその体には瑞々しいしなやかさがある。リルネが箱入りのお嬢様なら、彼女は快活な運動部のエースといったところか。


 体に巻いた薄絹はまるでブレザーの制服のような格好に変化している。どうやら水で作られているらしく、琉花の意志で自由に変化することができるようだ。肌といい服といい、本物そっくりの質感だな。


 年齢は十三歳。中学二年生ぐらいか。


「えっと、リルネさんだっけ。私ってひょっとしてこのまま連れていかれる感じ?」

「それはそれでめんどくさいわね。ちょっと待っていなさい、えーっと」


 リルネは試すように両手を動かす。すると琉花の足元にくっついていた泉の水は形を変えてゆく。それはすぐにまるでリュックサックのような形になった。


 背中に水を背負った琉花がすらりと長い脚を伸ばし、「おおー」と感嘆の声をあげる。テンションがあがったように腕を突き出した。


「わー、すっごいなー。これならもう私、ひとりでどこにでも行けるっぽくない? ありがとね、リッちゃん!」

「誰がリッちゃんよ」

「リルたん?」

「リルネ=ヴァルゴニスよ」

「りるるん!」

「リルネ=ヴァルゴニスよ」


 譲らずリルネは仏頂面で先に進む。ただでさえあいつの苦手な年下の女の子だ。きっとやりづらいと感じているのだろう。


「ぎゃふ」


 と、一歩も進まない間に琉花がべちゃりとその場に転んだ。作ったばかりの足は空気が抜けた風船のように萎んでしまっている。ううー、と琉花が起き上がる。


「なんかうまく歩けないなあ……。ひょっとして私、歩き方忘れちゃったのかも……。うう、なんかすごいショック」

「ってあんたどこに行こうとしてんのよ!」

「洞窟に戻ろうかと……」

「なんでよ! そんなところにいたらあんたいつか退治されるわよ!」

「せちがりぃー」


 琉花は今度は少し太めの足を作ってみる。だがダメだ。幾ばくもしないうちに萎んでいった。


「う、本気でどうやって歩いていたのかまったく思い出せぬ……。こんな感じ……? いや、違うな、こんな感じかな……? うーむー」


 何度も足を作っては失敗を繰り返す琉花。首をひねりながら試行錯誤する彼女が最終的に落ち着いたのは、足というよりもバランスボールのような下半身であった。


「うん、こんな感じでいいや。なんか前の私もこんな感じで歩いていたような気がするし」

「歩くっていうか、もはや跳ねているわよね」


 琉花は腰から下の球体をぼよんぼよんと弾ませながら移動する。こんな女子中学生が通学していたらびっくりだよ。まあ琉花がいいならいいか……。


 落ち着いたらしいので、俺も自己紹介をする。


「俺はジンだ。辻道尽。ひょんなことからこの世界に来て、リルネと一緒に旅をしているんだ。よろしくな」

「あっ、そうなんだ。あっ、あの、えっと、ジンくんって呼んでもいい?」

「おう」


 ジンくんジンくん言いながら、琉花は俺の周囲を跳ね回る。よっぽど独りで寂しかったんだろう。


「しかし、人がウンディーネに転生するなんてな。そういうこともあるんだな」

「たぶん私が水の近くで死んだからなんじゃないかなあ」


 琉花はさらっとすごいことを言い出した。


「え? 今、なんて」

「雨降りの日、川にさらわれちゃったんだよねー。そこからのことはよく覚えていないんだけど、気がついたら洞窟の中の泉にいてさ。なんとなくこれは夢なのかなーって思っていたら、どうもそうじゃないみたいだし」


 両手を頭の上で組む琉花。


 そうか、死んでこの異世界にやってきたのか……。リルネと同じだな。


「それってどれくらい前のことだ?」

「んー、ここ一週間? 二週間ぐらい? それぐらいかなあ」


 ふむ。そこはリルネと違って、やってきたばかりなんだな。とりあえず事情はわかった。


 俺は「なあ」とリルネに小声で話しかける。


「琉花のことなんだが」

「一緒に連れてってやりたいって言うんでしょ?」


 ため息混じりに見返された。


 いや、それは半分当たっているけれど、今はそっちの話題じゃない。


「実は、『エンディングトリガー』が見えたんだ」


 リルネは目を見開いた。


「なんて書いてあった?」

「『彼女の本当の姿を取り戻せ』だ。とりあえず近々の危険はなさそうだが……」

「……どういう意味かしら。あの子はウンディーネじゃなくて、本当は人間ってこと? あの子が嘘を付いているとか?」

「わからない。だが、鑑定結果は間違いなくウンディーネだった。それはごまかせないと思う」


 俺の鑑定は本人でも気づいていない情報を見て取れる。スターシアの未来眼がレベルアップしていたのだってそうだ。だから、琉花は間違いなく精霊なんだろう。


「とにかく、俺もそうするからさ、琉花からしばらく目を離さないでいてほしいんだ。せっかくこんなところで出会えたんだから」

「はいはい、わかっているわよ。その代わりあんたがちゃんと面倒見なさいよ? イケメンなお兄さん?」


 なんだか少し棘を感じるような物言いで、リルネが俺の背中を叩く。ああいう年頃の女の子は、大人の男性がカッコよく見える時期なんだよ、きっと……。俺は居心地悪く頭をかく。まいったな。


「じゃあえっと、琉花」

「はーいー」


 ピンと手を上げた彼女に、俺は手を差し出す。


「君がよければなんだが……、エルフの村に連れていったあとは、俺たちと一緒に来ないか? あんな洞窟にいつまでも独りでいるのは、つまらないだろう? 悪いようにはしないつもりだ」

「えっ」


 琉花は両手を胸元に当てて、ぷるぷると体を震わせた。


 急にこんなことを言われても困るだろうから、俺はさらに言葉を続ける。


「もちろん、急に決めなくても大丈夫だ。今はまだ出会ったばかりだからさ。ただ、ついてきてくれるなら、できる限りのことはするつもりだ。ま、今すぐにってわけじゃないからさ。もうちょっと俺たちのことを知ってから、決めてくれるといい」


 琉花の小さな顔が赤く染まってゆく。


「そ、そ、そそそそれって、もしかして……、ぷ、プロポーズ!?」

「違う!」


 なんで干支が一回り違う十三歳の女の子を口説かないといけないんだよ! リルネ、そういう目で俺を見るな!




 というわけで道中、俺たちは自己紹介や、互いの趣味や嗜好などを言い合っていた。なんとか打ち解けようとした俺が空回って、琉花が照れて赤くなったり、リルネに突っ込まれたり……、まあそんなんだ。


 こんなところにひとりで二週間も住んでいたからか、琉花はけっこう肝の据わった少女のようだ。ひょうひょうとした受け答えはしっかりしていて、年の割には大人びた印象を受ける。さすがに見た目十五歳、中身三十路のリルネほどではないが。


「そっかぁ、ここは魔法とかある世界なんだー。りるるんそれで魔法使えるんだねー、すっごいなー」

「誰がりるるんよ。あんたこそ今、水の精霊ウンディーネになっているのよ。そっちのほうがよっぽど変わっているでしょうが」

「ちょっと便利だよね、この姿。座ったまま本棚から本取れたりしそうだし」


 そう言って琉花は人差し指と中指を伸ばしてみせた。水の精霊だけあって、自由に姿を変えられるようだ。


 しかし、相手が年下のくせにリルネもずいぶん物怖じせずに喋っているよな。なんか波長が合ったんだろうか。


「ていうかあんた、なんで水魔法第九位までしか使えないのよ。あんただったらすぐにもっともっと強力な魔法が使えるようになるはずよ」

「え、そうなのー? 強力な魔法ってなんだろー。水を飛ばしたり、雨を降らせたり?」

「そんなの余裕よ。第三位階ぐらいにまでなったら、もっと自在に水を操れるでしょうね。それこそ激流を生み出して村を飲み込むぐらいの芸当だって」

「ふーん……」


 琉花は自らの手のひらを見下ろしながら、あっけらかんとした口調でつぶやいた。


「だったら、あんまり興味ないかなー……。イマイチ、ピンと来ないしー」

「そう? だったら別に無理には勧めないわ。でもあたしたちと一緒に来るんだったら、最低限の手伝いはしてもらうからね」

「はいはーい、わかったってばー、あっ」


 そこで琉花は気づいて、面白そうに顔を綻ばせる。サラサラの青い髪がふんわりと膨らむ。


「ね、イケメンのお兄さんをトリコにする魔法とかないの? それだったらちょっとキョーミあるかなー、って」

「精神支配系の魔法は魔法連盟に禁止されているわよ。それでもやりたいんだったらあたしの見ていないところで、独学で覚えてちょうだい」

「ちぇっ、りるるんマジメ系かー」

「リルネ=ヴァルゴニスよ」


 村までの道はあと少しだ。スターシアも待っているだろうし、自然と足取りが軽くなる。


 見上げた次の瞬間だ。村の方から土砂が噴き上がった。


「え?」


 琉花が呆けた声を出す。土砂の中には明らかに人と思しき影も混じっていた。ぱらぱらと地上に降り注ぐ土と雨。その中、俺は地面を蹴って走り出す。同じようにリルネもまた走り出していた。


「すまん、琉花! 先に行く!」

「ちょ、ちょっとぉー!」


 いったいなにがあったんだ。スターシアは無事だろうか。なにも言わなくても、リルネも同じことを考えていることがわかった。互いに顔がこわばっている。


 走ること間もなく。森を抜けて、開けた場所に出た。


 そこには巨大な3メートルほどの化け物がいた。体の周囲に水をまとうそのモンスターは、人のような形をしていた。一瞬あの黒衣の怪物がやってきたのかと思ったが、違うようだ。


 見上げるほどに巨大な化け物は、エルフの村人たちに取り囲まれている。というよりもそれは、化け物を恐れた村人たちが遠巻きにしていると言ったほうが正しいかもしれない。村の柵の一部が破壊されていて、化け物はそこから侵入しようとしているのだろう。


 近くにはエルフの男が倒れている。俺は彼に駆け寄った。洞窟まで俺たちを送ってくれたエルフの戦士のひとりだ。


「お前たち、帰ってきたのか……」

「おい、大丈夫か!」

「あいつは、お前たちが洞窟に入った後、すぐに現れた……。まさかこんな村の近くまでやってくるなんて……、頼む、あいつを退治してくれ……」

「わかった。だから大人しくしていろ!」


 泉の魔物は琉花のことではなかったのだ。


 俺は立ち上がってリルネの隣に並ぶ。リルネはすでに魔導杖を持ち、意識を集中させていた。


「やるわよ、ジン」

「ああ、当初の目的通りだ」


 魔力の高まりを感じたのか、化け物はこっちを向いた。顔があるはずのところにはなにもなく、つるんとした水でできた頭部が俺たちを見下ろす。腰から下は琉花のように水と一体化しており、そこからは何本もの水の触手が伸びている。


「ここは俺たちに任せて、お前たちは村を頼む!」

「水の一滴も遺さず、燃やし尽くしてやるわ!」


 リルネの杖の先から炎が噴き出す。


 化け物との戦いが始まった。


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