第34話 「ルサールカと」


 村のすぐ隣にある広場で、戦いが始まった。


 中心にいる巨大な化け物を囲むエルフの戦士たち。そして正面に立つ俺とリルネ。数では明らかにこちらのほうが勝っているが、エルフは化け物に効果的なダメージを与えられていないようだ。


 エルフといえば魔法が得意なイメージがあったのだが、鑑定してみた結果では、彼らのほとんどは魔法を習得していないようだ。この村が特殊なのか、この世界のエルフがそうなのかはわからないが──。


 おっと。水を触手のように操る化け物が、それらを叩きつけてきた。強烈な威力だが、俺とリルネはそれぞれ左右に散って避ける。


「ジャッジ!」


 


  個体名:ルサールカ


  種 族:精霊


  レベル:204


  スキル:水魔法第三位、高速詠唱、水属性無効、吸収




 解説の欄はなかった。


 しかし、レベル204だって……? 森に出てくる魔物とは比較にならない。あのグロリアスのオッサンや、リルネに次ぐレベルじゃないか。


 なんでそんな相手が、こんなとこにポップするんだよ!


『鑑定』が効いたということは、黒衣の化け物の仲間ではないんだろうけど……。くそっ。


「リルネ気をつけろ! そいつめちゃくちゃ強いぞ!」

「でしょうね! この辺りの属性が水に支配されているわ! でもなんとかするわよ!」


 魔導杖を掲げ、リルネはその先端から火球を打ち出した。まずは様子見の一発といったところか。炎は振り回した触手と衝突し、空中で炸裂した。怒号とともに火の華が咲く。


 舞った火の粉がエルフの村人たちに降りそそぎ、リルネは顔をしかめた。


「ジン、このままじゃ本気が出せないわ。だから――」

「ああ了解だ」


 リルネの言葉を察した俺は、エルフたちに離れているよう指示を飛ばす。よそ者が好き勝手に命令を下して素直に聞いてくれるとは思えなかったが……。


 どうやらルサールカを取り囲んでいる村人の中には物分りのいいあの村長もいたようで、俺の言葉に従ってくれた。助かる!


 さて、これでリルネも気兼ねなく大魔法をぶち込めるだろう。彼女は降り注ぐ水の槍に炎をぶつけて相殺しながら機を窺っているようだ。


「ったくっ、しつこいわねっ」


 リルネの周りをクルクルと回る赤い輝きはアシードだろう。アシードとふたりがかりで炎の弾幕を張っているが、しかしルサールカの攻撃は激しい。あのままでは大魔法の詠唱には入れないだろう。


「だったら……、トリガーガントレット!」


 俺の両手が光り輝く手甲に包まれた。リルネの魔法で実験済みだが、この光の鎧はそう簡単には貫けない。構えて前に進み出る。


「ほら、こっちだルサールカ! お前の相手は俺だぞ!」


 手甲をガンガンと打ち鳴らして挑発してみれば、ルサールカの触手の一本が鎌首をもたげる大蛇のようにこちらを向いた。


 狙いは成功なんだが、少し早まったかな……、という気がしないでもない。


 何本もある触手のうちのたった一本がこっちを見たというだけの話なんだが、レベル204の相手だからな……。冷や汗が背筋を流れ落ちる。


 まさかとは思うが……、こんなところで死んだりしないよな、俺……。大丈夫だ、走馬灯はまだ流れていない。


 って──ッ。


 ──凄まじい速さで触手が叩きつけられる。呼吸が読めなかった。今のを避けられたのは偶然以外の何者でもない。少しでもかすったら致命傷を受けていただろう。土がえぐれて砂煙が舞い上がった。


 俺は顔をかばいながら後ろに飛び退く。


 そこにもう一本の触手。今度は見えた。横薙ぎだ。ガントレットで胴を守り、歯を食いしばる。


 息が詰まるような衝撃。俺は真横に吹き飛ばされた。ガントレットで受け止められたものの、勢いを完全に殺し切れるわけではなかった。地面を転がる。視界が回る。


 うへ、キッツ……。


 俺は追撃を警戒し、すぐに起き上がる。アバラが軋んでいた。水で作られた触手とは思えないほどの威力だ。


 こちとらリルネと違って、せいぜい子どもの頃から体を鍛えていた程度の一般人なんだから、ちょっとは手加減してくれよな……。ガントレットがなかったら即死だったぜ、マジで……。


 一瞬で青白吐息になった俺が見たものは、こちらに狙いをつけている三本の触手だった。


 あー、これはやばいわ。どう考えても避けられるはずがない。ルサールカの向こうに今度こそ三途の川が見える。


 だが、もう十分時間は稼げたようだ。


「ほっんっとっ、無茶ばっかりして!」


 怒髪天を衝くような叫び声とともに、赤い光が弾けた。それは我らが煌炎師フレアマスターさまから放たれる輝きだ。


 リルネの足元には緋色の魔法陣が浮かび上がっている。触手の相手をラシード一匹に任せていた彼女は、杖を振りかざし偉大なる爆炎を創り出した。


「でもまあ、あんたのおかげで助かったわ!」

「そりゃ命かけたかいがあったってもんだ……」

「ちょっと安すぎるんじゃないのあんたの命! まったくもう……、水分ゼロパーセントにしてやるわ! 凶日顕現マグマヴォルテック!」


 ルサールカの左半身部分に突如として出現した渦巻く炎は、辺りの温度を一瞬にして上昇させた。精霊の体液に包まれながらも、魔力を燃料に燃え上がる火は決して消えたりはしない。ルサールカの体表を削り取ってゆく。


 さすが、とんでもない威力だ。炎の渦に巻き込まれたルサールカは蜘蛛の巣に絡め取られたかのように抜け出せず、ただひたすらに身悶えている。防御に徹する必要のなくなったリルネは油を注ぐように真っ赤な火球と化したアシードを加え、一層の魔力を送り込んだ。小規模な爆発とともにさらに炎が膨れあがった。


 これだけ遠巻きに見ているというのに、汗が吹き出してくる。リルネが本気で魔法を使うところを見るのは、メーソンに襲われた夜以来の二度目だが、陽の下だとその派手さがよくわかるな。


 いよいよルサールカの体の半分が蒸発した。それでもまだ炎は収まらない。リルネが魔力を注ぐ限り、どこまでも燃え続けるのだろうか。もしそうなら魔力十倍の固有能力をもつリルネは、このままルサールカを消し去ることだってできるのかもしれない。


 さすがはリルネ。レベル275の怪物。大したもんだ。


 俺は村の方に避難したエルフの中に亜麻色の髪の頭――スターシアが混じっていることを確認する。無事でよかった。あとはこの魔物を倒すだけだな。


 そこでルサールカが最後の抵抗を見せた。全身を覆う水を辺り一面に放ったのだ。炎は消えない。だが散弾銃のように撃ち出された水の礫は、それこそ銃弾のような威力で四方八方に飛び散る。当然俺の下にも。


 やばい。俺はとっさにガントレットで顔をかばう。だが水礫は俺の眼前で炎に焼かれてかき消えた。目の前には尻尾に点った火を揺らす蜥蜴の姿。アシードが俺を守ってくれたのだ。


「すまん、助かった!」

『礼なら我が主に言え』

「そうだな、リルネ、サンキュー!」


 リルネはそれどころではない顔をしていた。その目は驚愕に染まっている。……なんだ?


 視線の先を追うと、ルサールカはしていた。


 まとっていた水の塊を脱ぎ捨てたその魔物は、炎の範囲を逃れ、人間のようなシルエットをもつ身長二メートルの姿に変わった。


 顔がなくのっぺりとした頭部から青い髪が生え、なにも身につけていない体には緩やかな凹凸がある。まるで女性……、いや、少女だ。


 下半身は足がなく、広がった水の衣はスカートのようだ。その姿がなにに酷似しているのか思い出す暇もなく、ルサールカの反撃が始まった。


 ルサールカはぽっかりと口を開く。するとすぐに大地が鳴動し始めた。リルネはその詠唱を阻止するために、炎の槍を撃ち出す。だがそれは空中でルサールカに迎撃された。何度やっても同じように阻まれる。


『忌々しい水の精霊め!』


 アシードが初めて聞く荒々しい口調で罵った。リルネとアシードの様子から、ルサールカが相当やばいことをしようとしているのがわかる。それがなんであろうと、黙ってみてはいられない。


「――トリガーバレット!」


 俺は左手を引き絞り、突き出す。すると装着していたガントレットが光の拳となって標的に撃ち出された。


 ガントレットを装備しているときのトリガースキルは、ガントレットを消費してスキルを放つ技となる。体力の減りはその分軽減されるので、両手にガントレットを装備していれば二連射だって可能だ。


 トリガーバレットを浴びたルサールカは、その部分がもろく弾け飛ぶ。だがすぐに再生してしまった。水でできているルサールカは、この程度ではまったく痛手にならないようだ。


 やっぱりリルネの炎魔法じゃないとダメなのか……!


 しかし攻撃手がひとりだけでは、どうしても手が足りない。


 俺たちが押し切れず、攻め切れなかった間に、ルサールカの魔法は完成してしまっていた。


 水属性第三位。その実力者が扱える魔法の効果は、リルネから聞いたばかりだ。『それこそ激流を生み出して村を飲み込むぐらいの芸当だって』と。


 まさか――。


 間欠泉のように、地面から水が噴き上がった。合計四つの噴泉はこの空き地に激しい雨を降らせる。たちまち水は地面を流れ、俺たちはそのあまりの勢いに足を取られる。


 こいつこのまま、村を飲み込もうっていうのか!


「やめろ! そんなことをしてなんになるっていうんだよ! くそっ! リルネ、なにか手はないのか!?」

「あたしやあんただけなら守り切れるけど……、村ひとつを守る方法なんて……」


 リルネは無力感をにじませながらつぶやいた。


「しっかりしろ、リルネ! お前が諦めてどうするんだよ!」

「っ、あ、諦めたわけじゃないわよ! なにか手はないかって考えているだけ!」


 俺の叱咤でリルネが口を真一文字に引き締め、必死に考えを巡らせる。


 雨は強く地面を叩き、生み出された流れはすでに濁流と化している。これほどの水量を完全に支配できるのだとしたら、それこそ村などひとたまりもない――。


 すでにエルフの人々は避難を始めている。人の勢いに逆らいながら、溺れるようにもがくスターシアの姿が見えた。俺たちを心配してか、彼女は逃げようとしていない。ここで激流を作られたら、スターシアまで飲み込まれる。


 ダメだ! やはりルサールカをなんとかしないと。


「トリガーバレット!」


 俺は維持していた右手のガントレットを突き出し、ルサールカに打ち込んだ。軌跡を描いた光はルサールカの上半身を吹き飛ばす。詠唱は止まったかに見えた。


 しかし、映像が巻き戻るようにルサールカの上半身はすぐ元通りになった。不定形の精霊であるルサールカは、水がある限り永遠に復元する。これほどの水に囲まれた状況でルサールカをどうにかする術は、もはやない。


 リルネがこわばった表情でうめいた。


「あたしの水魔法では、ルサールカの水魔法に対抗できない。……だったら、土魔法で堤防を築くわ。今のこのぬかるんだ地面でどこまでできるか……、でも、それしかないなら、あたしがやらなきゃ……!」


 彼女の声はあまりにも悲痛だった。


 縁もゆかりもなく、むしろ冷遇さえされたリルネが、エルフたちのためになぜここまでがんばろうとするのか。その気持ちが俺にはとてもよくわかる。


 リルネの頭の中にはテトリニの街の光景が浮かんでいるに違いない。彼女は街の人たちを守れなかったことをいつまでも悔いている。だからこそ、もう二度と同じことを繰り返したくないんだ。


 そして今もまた同じように、エルフの村を守れるかどうかはその小さな身一つにかかっているのだ。


 もし俺が魔法を使えたら彼女の手助けができるのに。なのに俺には力が足りない。悔しい。痛いほどに拳を握り締める。頼む、リルネ、頼む――。


 リルネが文字を描くように杖を動かすと、柵の前の地面がせりあがってくる。大量の水を吸い込んで泥土と化した地面は、すぐに水に流されて崩れる。それでもリルネは堤防を作ろうと魔力を込めた。賽の河原で壊されても壊されても何度でも石を詰む子どものように。


 ミキミキと音を立てて近くの樹木が倒れてゆく。震動はどんどんと強くなっていた。土砂降りに前がほとんど見えなくなり、鉄砲水のような流れが俺たちを襲う。


「リルネ!」


 俺は後ろから抱きつくように肩を持ち、リルネの体を支える。呪文に集中したリルネは動けない。全身がずぶ濡れになりながらも、詠唱を続ける。


 だが、やはりだめだ。堤防は形を為さない。リルネの集中はドンドンと乱れてゆく。焦る彼女の「どうして、どうして……」というつぶやきが俺の耳に入った。


 そしてルサールカがひと際甲高く鳴いた、次の瞬間だ。ついに村の柵がなぎ倒された。濁流は激流と化し、人々を飲み込もうと迫る。リルネの作った堤防は無残に押し流された。


 逃げ切れなかった村人たちは振り返る。陸地の、それも深い森で発生した津波を前に彼らは一様にその表情を絶望に染め――。


「だめ――っ」


 その叫び声とともに、水は


 いったいなにが起きたのかわからない。だが今の叫びが誰のものかはわかった。


 息を切らしながら樹木に手をついてこちらを睨むような顔で見つめているのは、琉花。水原琉花だ。


 水は俺たちを通り過ぎて、琉花の足元に集まってゆく。足元に集まった水はたちまち消えていった。それは、地下より吸い上げられたすべての水を琉花がその体の中にのだ。


 森はすぐに静寂を取り戻す。なぎ倒された木々や柵など、急流に襲われた傷跡だけが痛ましい姿を残していた。


「だめ、だめだよ……、そんなことをしたら、ねえ……。お願いだから、やめてよ……」


 ルサールカと琉花は俺たちを挟んで向き合っていた。彼らが視線でなにを語っているのかはわからない。琉花はとても悲しそうな顔をしていた。


 彼女はずぶ濡れで満身創痍の俺たちを見て、大きく頭を下げた。


「こんなことに巻き込んでしまって、ごめんなさい……。私は、帰ります、から……」「おい、待ってくれ! これはどういうことなんだ!?」


 しかし俺の問いに彼女は答えず。


「少しの間だけど、楽しかった、です……。本当に、ごめんなさい……」


 ルサールカはずずずと地を這うようにして進んでゆく。先ほどまでの戦意が嘘のように静かな去り様だった。


 琉花は潤んだ眼差しで俺たちの姿を目に焼きつけるように眺め、そしてルサールカの後ろをついていった。


 残された俺たちは、助かったという安堵感もないまま、いなくなった琉花の後ろ姿をしばらく見つめていた。


 人外転生の主人公メサイア、水原琉花。


 ……彼女は、いったい何者なんだ?

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