第32話 「ファフの洞窟」
エルフの村で魔物退治を頼まれた俺たちは、詳しい話を村の中にある長の家で聞くことになった。
木を組んで作られたコテージのような広い家だ。長は俺たちを客間らしき場所に通すと、それぞれに温かいハーブティーを出してくれた。
門前払いされるかと思った俺は、そのおもてなしに意外そうな顔をする。長は仏頂面のまま肩を竦めた。
「若いものどもは血気盛んでいかん。儂も無用な争いは避けたいからな。今夜は我が家に泊まってゆくといい。見れば、その娘はだいぶ参っているようじゃ」
長の視線の先にいるのはスターシアだ。彼女は「いえ、そのようなことは」と恐縮して両手を振る。代わりに俺が頭を下げた。
「すまない、助かります」
「いい。村の近くに人族の死体が転がるのは、我らにとっても不吉の象徴だからな」
リルネが両手で木のコップをもつ。
「あったかい。それに、いい香りもするわ」
「採れたばかりのはちみつを入れてある。体力回復に役立つだろう」
「どうしてここまでしてくれるんだ?」
俺の質問に、長はなにも言わずじっと俺を見つめてきた。
「な、なんですか?」
「儂が魔物討伐の話を出したときに、お前はただちにうなずいたじゃろう? そのときに思ったのじゃ。こいつはおそらく、儂らを騙そうという気は全くないのだな、と」
「えっ、それだけで?」
「こう見えても若木のお前たちとは比べ物にならぬほど長く生きている。悪人の顔はとうに見慣れた。こんな馬鹿正直な人族を見るのは、久しぶりじゃ」
外見年齢二十歳そこらの長は、表情を変えずに言った。
褒められているんだろうか。俺は首を傾げる。
まあ信用してくれたんだったらなんでもいいか。
「ただ、村の者たちはそうはいかん。人族と森族の偏見の根は深い。馬車が壊れたという話、力を貸してやりたいのは山々だが、ただでは皆も納得しまい。危険な任務というのはわかっているが」
「わかっている、大丈夫だ。なんたってこっちには天下無敵の魔法使いさまがついているからな」
「……まあ、魔物相手なら気が楽だけど」
リルネはハチミツ入りのお茶を飲みながら、もごもごとつぶやく。
「やつらに遭遇した戦士の話では、弓も矢も効かぬ相手だったそうじゃ。何人もの同胞が魔物に襲われて呑み込まれた。それ以来、我らは水源に近づくこともできぬ。今はなんとかしのいでいるが、いずれ限界も訪れよう」
長は小さく頭を下げた。
「改めて頼む。東の泉に棲む化け物を退治してくれ。そうすれば馬車は必ず直すと約束しよう」
その話を受けて、今さら首を横に振るものはいなかった。長が出て行ったあと、リルネは「エルフの中にもいい人はいるのかもしれないわね……」と小さくつぶやいた。
この日、俺たちは客間に泊めてもらえることになった。寝袋を敷く。久しぶりに家屋の中で寝ることができて、大満足だ……。
しかし翌日のことだ。
スターシアの朝が遅いなと思って様子を見にいけば、彼女は熱を出していた。長旅の疲れが噴き出たようだ。
「いえ、大丈夫です……、今、起きますから……」
そう言って起き上がろうとするスターシアを、俺とリルネは押しとどめる。体温計で調べてみたら、39度もあったしな。
回復魔法で治療はできないのかと聞いてみたが、今回のような病気を回復魔法でどうにかすることはできないらしい。あれはあくまでも怪我しか治せないのだとか。
本当はスターシアが治るまでそばで看病してやりたかったのだが……。
俺たちが長の家にいることを快く思わない連中は多いらしい。仲間が熱を出ているから待っててくれとは、とても言えないような状況だ。
スターシアを連れて村の外で野宿するか、スターシアをここに置いて魔物を倒しにゆくか。与えられた選択肢はどちらかだ。
「……すみません、わたしのせいで……、でも、あの、わたしは大丈夫ですから! お好きなほうを選んでください!」
無理して元気に微笑んでいるのがわかるスターシアに、俺たちは悩んだ。
「少なくともここにいれば、長が手厚く看病するって約束してくれたんだよな……」
「……風雨にさらされる屋外より、ここにいたほうがいいのは、間違いないわね」
あとはあのエルフの
「……ああ、心配だ。こんなんじゃ魔物退治なんて手がつかない!」
「……本当に、心配だわ……。せっかくスターシアと仲良くなってきたのに、あんたにもしものことがあったら……!」
「いえ、あの、本当にわたしは、平気ですので……」
俺とリルネの悩みっぷりはまるで、初めて熱を出した娘を心配する両親のようだ。
「大丈夫です、本当に……、ジンさまとリルネさまのお手を煩わせるわけにはいきませんから……。放っておいてくださったら、勝手によくなりますから……」
「そういうわけにはいかないだろ! スターシアがこんな風に体調崩すなんて初めてのことなんだから!」
「そうよ! ジンなら42度の熱を出しても気にしないけど、スターシアは絶対安静にしてなきゃダメよ!」
「おいリルネ」
「でも、あの」
スターシアは眉を八の字に寄せながら、困った風に口を開く。
「わたしは、ただの奴隷です……。ですから、もしわたしが足手まといになってしまうのなら、そのときはどうぞ、わたしを置いていってくだされば……」
その言葉を聞いて、思わずリルネが険しい顔をした。
「……シア、あたしたちは絶対そんなことしないわ。そんなこと言わないでちょうだい。不快だわ」
叱られたスターシアは沈鬱な顔でうなだれる。
「すみません。わたしが浅慮でした」
「……ごめん、言いすぎた」
同じように、リルネもうつむいてしまった。
まあまあまあまあ、とふたりの間に割って入る。リルネは本気でスターシアのことを心配しているだけなのに、それをスターシアに拒否されてしまって傷ついたのだろう。それならそう言えばいいのに。相変わらず不器用なやつだ。
というわけで、せめて折衝案として長に頼み込み、一日だけ様子を見させてもらうことにした。
よし、見てろよ。俺が現代医学の知恵を結集させて、お前を絶対に治してやるぜ、スターシア……!
用意したのは栄養ドリンクやスポーツドリンク、ホッカイロ、体を温める毛布、冷えピタ、それに大量の市販薬だ。
「これだけあればなにかは効くはずだ!」
「でかしたわ、ジン」
額に冷えピタを貼ったスターシアは「すみません、ありがとうございます……」とひたすらに恐縮していた。
翌日になって、現代医学の洗礼を浴びたスターシアの熱は38度にまで回復していた。
まだまだ心配の種は尽きないものの、長とその奥さんも手厚く看病してくれたし、俺たちは諦めて魔物がいるという泉へと向かうことにする。
装備を整えて街の外に出たリルネは、決意を新たにぎゅっと魔導杖を握り締める。
「シアが待っているんだから、速攻で魔物を倒して帰りましょう。あの子のことをどんなに大切に思っているか、あの子にしっかりと教えてあげなきゃ」
「ああ、その通りだ。いいことを言うじゃないか、リルネ」
「あたしはいいことしか言わないのよ」
***
弓を背負ったエルフの戦士ふたり――恐らく村の入口で会ったやつらだろう――に案内された道の途中でも、魔物は襲いかかってきた。
最初は俺たちの実力を疑問視していたエルフも、リルネが炎の精霊であるサラマンダーのアシードを呼び出すと、表情を変えた。
「なんと……、人族が精霊を操るのか」
「森を焼く火の精霊か……、忌々しいが、魔物には通用しそうだな……」
リルネは気にもせず、フォレストトレントを一撃で打ち倒す。
「まったく、褒めるんだったら素直に褒めればいいのに」
銀髪をかきあげて得意げに口元を吊り上げるリルネ。その視線を浴びてエルフたちが目を逸らす。先ほどまでバカにしていた
俺は俺で、のんびりと剣を肩に担ぎながら歩く。まったく出番がない。
「なんつーか、俺がスターシアについててもよかったような気がしてくるな」
「は? あたしをあんな人族を敵視しているエルフの群れに置いてくっていうの!? なにそれ、正気の沙汰じゃないわよ! そんなことされたらあたし泣くからね!?」
「ああもうお前たちは手がかかるなあ!」
突然声を荒げるリルネに、俺は大きくため息をついた。
村から水源は、だいたい歩いて二時間ほどの距離だった。村人が踏み固めたと思える道を進んでゆくと、森の木々にひっそりと隠れるようにして、ぽっかりと広がる洞窟が口を開けていた。
「あそこだな」
「そうだ。ファフの洞窟に棲む魔物は、そこから動こうとしない。このままでは村が干上がってしまう。任せたぞ」
「相手は不定形の怪物だ。くれぐれも注意しろ。お前たちの亡骸をもって帰るのは、くたびれるからな」
真顔でそんなことを言うエルフの男たちの胸を、ポンと叩く。
「ま、やれるだけのことはやってくるさ。お前たちは祝宴の用意でもして待っていてくれよ」
「人族のために開く宴などはない」
「早くいってこい」
「……つれねえなあ」
頭をかく俺を横目に、リルネは「さっさといきましょ」と言って歩いてゆく。一秒でも早くエルフの男たちと別れたいようだ。まったく。
鍾乳洞のような洞窟に足を踏み入れると、中はひんやりとしていた。光源がないため、リルネが肩にアシードを喚び出す。揺らめく炎が辺りを照らした。
「不定形の魔物ねえ」
「スライム辺りかね」
「かもしれないわ。水辺だしね。あたしあのぶにょぶにょした姿、あんまり好きじゃないのよね。なんか気持ち悪いじゃない」
「一度ぐらいは見てみたいもんだけどなー」
「死骸でいいならすぐに見せてあげるわよ」
足場が安定しているのは、村の人が水汲みで往復するからだろう。ファフの洞窟の奥へ近づくほど、体が冷えてきた。
「生物の気配はする? アシード」
『いや。……だが奥に、気に食わぬ者がいるようだな』
「えっ?」
俺たちは思わずアシードを見た。常に冷静沈着なその蜥蜴は、まるで親の仇をを目にした殺し屋のように口元を歪めていた。
「なにそれ、ちょっとどういうことなのよ。あんた勝てるんでしょうね?」
『負けるはずがない。あのような凡愚に。分が悪いのは互いに等しいからな』
「分が悪い、って……」
リルネと顔を見合わせる。なんだかすごく不安になってきた。
「今さら帰る……ってわけには、いかないよな」
「……心配しなくたって、どうにかするわよ。どうにかして、馬車を直してもらって、ヴァルハランドの塔までたどり着かなくちゃいけないんだから……、こんなところで足踏みしている暇はないのよ」
「わかった、そうだな」
俺たちは辺りを注意深く観察しながら、少しずつ進んでゆく。
洞窟の中は今のところ、シンと静まり返っているが、今にも暗がりからなにかが飛び出てきそうな、そんな雰囲気でいっぱいだ。
途中は分かれ道もなく、歩くとすぐに行き止まりへ到達した。
足元にはこんこんと湧き出る泉があり、アシードの火に照らされた水面は透き通っている。これが例の水源だろう。
この中に魔物が潜んでいるのか。
「さて、どうするか、リルネ」
「どうするもなにも、先手必勝に決まっているでしょ!」
リルネは大きく杖を振り上げた。先端の紅い珠が輝き出し、それはこの空間を鮮やかに染めてゆく。突如として風が吹き荒れて、リルネの煌めくような銀髪がはためいた。
「アシード! 先に一発ぶちかますわよ! この洞窟が壊れない程度にやっちゃって!」
『よかろう、我が主よ』
やばいなこれ、俺は離れていたほうがいいかもしれない。
そのときだ。水面がぶくぶくと泡立った。リルネも同時に気づいたが、今さら離れられない。まだ詠唱が終わっていないらしく、このままでは先制するのは泉の中の魔物だ。
いつか見た、グロリアスの剣で貫かれるリルネの姿が、フラッシュバックする。
――そうはさせるかよ!
俺はリルネをかばうように跳び出た。そして水面から魔物が姿を現す――。
「ばぁー!」
両手を突き出し、謎の叫び声とともに現れたそれは、人の形をしていた。
……というか、なんというか、ほとんど薄絹をまとっただけの人だ。
しかも女の子だった。
なんだこいつ……。
「あっ、えっ!?」
泉の魔物は俺たちの姿を見て、戸惑っている様子だ。
「に、逃げ出してくれないし……、うう、これじゃあどうすれば、も、もっともっと脅かさないと……、こ、こらー! 食べちゃうぞー! がおー!」
リルネの杖から魔力の輝きが萎んでゆく。
「……なんなのあんた」
「えっ!?」
魔物はぽかんと口を開けてこちらを見つめる。
「あ、あなた、私の言葉がわかるの!? えっ、嘘、ホントに!? 嘘じゃない!? ホントに!?」
「いや、俺もわかるけど……」
「ええええええええ!?」
オーバーなリアクションでのけぞった少女は、そのまま水面に沈んでゆく。しかし途中で止まった。目だけを出して、こちらを上目づかいに見上げてくる。
「あ、あの……、えと……、お、襲わない?」
リルネはどうしようかと俺を見る。
なんか、思っていたのと違うしな……。
「お前が襲ってこないんだったら、とりあえず話ぐらいは聞くが……」
その言葉に、彼女――なのか?――の顔がぱぁっと輝いた。
「あの、私ね、
『……え?』
みずはらるか。それは間違いなく、日本人の名前だ。
まさか……。
俺が鑑定すると、彼女のステータス画面が現れる。
名 前:水原琉花
種 族:ウンディーネ
性 別:女
年 齢:13
職 業:精霊
レベル:16
称 号:泉の魔物、人外転生者
スキル:人族語、水魔法第九位
《エンディングトリガー:4》
《彼女の本当の姿を取り戻せ》
エンディングトリガー……!
こんなところで見ることになるとは、思わなかった。まったく本当に、いつでも唐突だな、このイベントは……。
肌に緊張感がまとわりつき、喉の奥が乾いてゆく。目の前のこのウンディーネの少女に待ち受けている苦難は、いったいどんなものだというのか。
――こうして俺は、四人目の
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