第31話 「ハプニング」


 森に入って四日目の昼前。馬車は魔物に追い立てられながら、木漏れ日の差す街道を駆けていた。


 俺とリルネは激しく揺れる荷台に立ちながら、森に浮かぶ大小さまざまな黒い魔物を睨みつける。


 体長は三十センチから七十センチほどの、人間の子どもにも似た小さな人影。コウモリの翼のような羽ばたかせ、ギギギとくぐもった声で連携を取りながら馬車を追いかけまわしてくるそいつらは、フォレストインプという種族名だ。


 どうやら街道の近くに巣を作っていたようで、そいつらに運悪く発見されてしまったのだ。


 十数匹のインプは、走る馬車めがけて次々と魔法の矢を放ってくる。青白い火が幾重にも尾を引いた。


「属性もついていないような低レベルの魔法しか扱えないくせに! もう!」


 リルネが面倒そうに叫ぶ。彼女は素早く呪文を唱えると、馬車を覆うように丸い結界を創りだした。強化魔法というジャンルの魔法だ。


「狙うんだったらあたしたちを狙いなさいよ! 馬車にばっかり攻撃を仕掛けてきて、なんなのよ! 小狡いのよ!」

「俺の攻撃も届かないしなー……、スターシア、あいつらを引き離すことはできないか?」


 リルネに防戦を任せて俺はスターシアに声をかける。馬車を走らせる彼女は、眉を寄せながら手綱を操る。


「すみません、道もあまり整備されていないので、これ以上スピードを出すのは……。マリーゴールドも怯えているみたいなので……、すみません」

「そうかー……、いや、いやいや、スターシアを責めているわけじゃないんだ!」


 現状、一番の役立たずは俺だしな……。くそ、遠距離攻撃の手段がなにかあればいいんだが……。


 俺は荷台のリュックを漁る。なにかいいものはなかったか。爆竹を発見した。ふむ、大きな音で追い払えるかどうか試してみるか。


「リルネ、火を貸してくれるか?」

「今忙しいの! 勝手に取ってって!」


 リルネの肩に小さなアシードが現れる。眠そうにあくびをするその尻尾の火を借りて、導火線を着火しようとし、止まる。


「これそのままインプに投げつけても大丈夫か? 強化魔法の壁に阻まれたりしないか?」

「大丈夫よ! この防魔壁アンチマジックフィールドは、魔法以外は素通しだから!」

「そうか、だったら遠慮なく」


 俺は火を付けた爆竹を振りかぶり、タイミングを見計らってインプの群れに投げつける。


「おらァ!」


 ――爆音が響き渡った。


 木々に反響するその破裂音はインプの間で弾け飛んだ。一番近くを飛んでいた二匹のインプがその場にぽとりと落ちる。よし、と俺がガッツポーズをしたのもつかの間、他のインプは平然とまだ馬車を追いかけてきている。


「げっ、全然効いてねえな」

「ああもう、やっぱりあたしが全部撃ち落としてやるしか……! ねえジン、ちょっとあたしの代わりに防魔壁アンチマジックフィールド使っていてくれない!? 一瞬で済むから!」

「できたらとっくにやっている! 俺の無力感を煽るんじゃないよお前!」

「銃とか持ってないの!? ほら、リュックから! 早く出しなさいよ、ほら!」

「現代日本で手に入るかよ!」


 俺たちがぎゃあぎゃあ言い合っていると、馬車が揺れる騒音の中に、わずかな苦悶の声が混ざる。


 慌てて振り返る。スターシアが手綱をぎゅっと握り締めながら俯いていた。俺は彼女に駆け寄る。


「スターシア、どうかしたか……って、スターシア!」

「だ、大丈夫、です……。でも、こんな、ときに……」


 つつつ……と眼帯の奥から流れた血が、彼女の白い頬を伝い落ちる。


 まさか。


「――未来視か!?」

「はい……、でも、これは……、嘘……」


 なにかを見たスターシアは、全身を振り絞るようにして叫び声をあげた。


「早くなにかに捕まってください! 馬車が――横転します!」

『っ!』


 スターシアが視たのは、目前の未来だったのだ。俺はスターシアの座席に組みつきながら、前方を見据える。いったいなにが起きるのか――。


 現れたのは、森の入口で出会ったあの、だった。


 その瞬間、マリーゴールドが激しくいなないた。行く手を阻むように道の真ん中に立つ黒い馬を避けて、マリーゴールドは林の中へと突っ込んでゆく。だが馬車は曲がりきれない。がくっと大きく振動したと思えば、荷台は勢いよく傾いてゆく。


「きゃあああああ!」

「くっ」


 手綱を手放したスターシアを守るように抱えて、俺は地面へと跳んだ。道を転がる。三半規管が激しくシェイクされて、瞬く間に天地が入れ替わる。全身が殴打されたように熱い。


 いててて……。


 しばらく転がった後、俺は頭を持ち上げる。くそう、どこも砂まみれだ。


 俺の腕の中のスターシアは、目を回しているようだったがどこも大きな傷はなかった。足を擦りむいたぐらいか。よかった。スターシアが教えてくれなければ、俺たちはこんなもんじゃすまなかっただろうな。


 見やれば、馬車は見事に横倒しだ。マリーゴールドが怯えた目で林の中にうずくまっている。


「黒い馬は……?」


 どこにもその影はなかった。驚かすだけ驚かして、どこかに去っていったようだ。まったく……、なんなんだよ、あいつは……。


 インプの姿もなくなっている。魔物も黒い馬を恐れて去っていったんだろうか。


 あとは、リルネぐらいだけど……。


「まったくもう、なんなのよ……。こんなことだったらケチらずに、エアバッグ完備のハイブリッドなエコ馬車を買えばよかったわ……」

「そんなもんねえよ」


 俺は地面に座ったまま片手を上げて応える。茂みから姿を現したリルネは、頭に木の枝を差していた。彼女も俺たちと同じように、寸でのところで馬車から飛び出したのだろう。


 辺りには静けさが戻る。


 お互い全身砂だらけになって並んで立ちながら、横転した馬車を見下ろす。


「……どうすんのよ、これ……」

「参ったな」


 俺は頭をかく。後輪の車軸が折れ、車輪が欠けて転がっている。これでは馬車は走れない。


 参ったな、こんな森のど真ん中で足を失っちまうとはなー……。




 とりあえず、馬車の車輪を直せるかどうか試したものの、現状では打つ手がなかった。専門の職人がいなければ、どうにもならない事態だ。


 全員が手当を済ませたところで、スターシアが頭を下げる。


「すみません、わたしがもう少し早く未来を視ていたら……」

「いや、まあ、スターシアのおかげで助かったことは確かだからな。むしろお礼を言うのはこっちのほうっていうかさ」


 慰めもしょんぼりスターシアには、あんまり効果ないようだ。


「道を通る馬車を待つっていうのは、あんまり現実的じゃないわね……」

「この森に入って四日経ったが、馬車とすれ違ったことは一度もないしな」

「だったらせめて近くに村でもないか、調べてみましょうか」


 リルネはアシードを空に飛ばす。


 しばらく経ってマリーゴールドは落ち着きを取り戻していたので、最悪、この馬に荷物を載せて、徒歩で森を縦断することになってしまうだろう。


 しかしそれは馬車よりももっと危険な旅だ。できればやりたくない。


「リヤカーでも買ってくるかな……」


 手綱を結んで、マリーゴールドに引いてもらうのだ。絵的にかっこ悪いというのはともかくとして……、速度は出ないだろうし、乗り心地がいいはずはないだろうから、最終手段だな……。


 地図を確認したところ、道程のまだ三分の一ってところだ。ここでペースが落ちるのは厳しい。


 とりあえず馬車から荷物を回収していると、戻ってきたアシードの報告を聞いていたリルネが険しい顔で言った。


「……どうやら、本当に村があるらしいわ」

「え?」

「ここからすぐ近く。一時間歩いた辺りに」


 ふむ……。


 森族エルフの村か。


 俺はすぐに口を開いた。


「行ってみよう」

「……本気で?」

「馬車がこのままじゃ走れないんだ。もしかしたら修理してもらえるかもしれない。リルネは確か森族語が使えるんだよな?」

「……学校では習ったけど、実際にエルフと話したことはないわ」


 リルネは戸惑いながら視線を揺らす。


 人見知り+多種族のダブルパンチだ。通訳もリルネにとっては荷が重い話だろう。


 しかしリルネ以外に森族語を操れるやつはいないんだ。リルネにがんばってもらうしかない。


「よし、じゃあ行ってみよう。どうせ近くにあるんだし」

「ううう、気が進まないわね……」

「ダメかもしれないけどさ、とりあえず頼んでみようぜ。渡る世間に鬼はないって言うだろ? なんだったら今晩はベッドで寝れるかもしれないぜ」

「あたしが馴染み深いのは、鬼ばかりのほうだけどね……。まったく、あんたのその気楽さってどっから来ているものなのかしら。ときどきあんたが羨ましくなるわよ」

「俺から学べるところがあれば、どんどん学んでいっていいぜ、リルネ」

「バカ」


 完全に切って捨てられた。リルネは自分のリュックをもって、さっさと前に行く。


「方向はこっちよ。インプたちが戻ってこないとも限らないから、早く行きましょ」

「おう」


 というわけで、食料などはマリーゴールドに乗せて、俺たちは森の中を進んでゆくことにした。


 時々アシードやコンパスで確認し、迷わないように気をつけながら歩いた先。


 柵で囲まれた森族の村が、そこにはあった――。




 村の回りは軽く切り拓かれており、近づこうとする物は高台からすぐ発見されるようにできているようだ。


 一見すると、村はひっそりと静まり返っているように見える。


「なんだ、人がいないのか?」

「そういうわけじゃないと思うけど……」


 俺たちの後ろに、馬を引いたスターシアが続く。俺とリルネはとりあえずお互いの持っている剣と魔導杖をスターシアに預けた。交渉で無駄に怖がらせたくないしな。


 慎重に進んでいると、門のところに三人の人影が現れた。ふたりは弓をもっていて、もうひとりは身なりのいい格好をしている。


 おお、本物のエルフだ。


 耳がツンと斜め上を向いており、髪は緑色をしている。透き通るような色白で、手も足もすらりとしていて長い。モデルのようだ。見とれちゃうなー。


 しかしその目はどこか冷徹だ。


 人を人とも思わないような。部下を精神が病むまでこき使っていた、前の仕事の上司にも似ているような印象を受けた。


 ずいぶんと警戒されている。一筋縄ではいかなさそうだな……。


「リルネ、俺たちの要求は足の確保だ。もし馬車を直してもらえなければ、馬車に代わる足がほしい。もし無理そうならいつでも代わるからな」

「……わ、わかっているわ」


 リルネは緊張した面持ちだ。


 俺たちは多少の路銀はある。なんだったら俺が日本から持ちだした珍しい品々だってある。相手と取引をする段階に持ち込めたら、分は悪くないはずだ。問題はその取引をさせてもらえないことだ。


 とりあえず、やってみるしかない。


 俺は笑顔を作ってエルフたちに手を振る。リルネも同じようにぎこちなく手をあげた。


「あ、あの」


 リルネが咳払いをする。


「あたしたちは、近くを通りがかった、旅の者です」


 ……ん?


 リルネ、人族語でゆっくり喋っても、あいつらには通じないんじゃないか?


「道中、馬車が壊れてしまいまして、もしよろしければ助けていただきたいのです。もちろん、お金はお支払いします」


 敵意がないことを証明するように手のひらを開くリルネ。エルフのお三方は顔を付き合わせてなにやらぶつぶつと言い合っている。


「どうしますか、長」

「人族はすぐに嘘をつく。目的はこの村そのものかもしれません」

「そうじゃな……」


 いや、そんなことしねえって。


 俺は後頭部に手を当てて、言う。


「なんだったら村にはこれ以上近づかないからさ。馬車だけ直してもらえればいいんだ。もしそれがダメだったら、あんたたちに余っている馬車があるなら言い値で買い取らせてもらいたい。このままじゃ森の真ん中で立ち往生だ。なあ、頼む」


 ということをリルネに通訳してもらおうと思って横を向くと、彼女はぽかんとしてた目で俺を見上げていた。……ん?


「ジン、あんた……、流暢に森族語を話しているわよ……」

「え? マジで?」


 俺は俺自身のステータスを見れないから知らなかった。鑑定とトリガースキルだけじゃなくて、言語能力のチートも持っていたのか……。なにげに大発見だ。


 いやいや、そんな感動を味わっている場合じゃない。


 エルフは俺の言葉を聞いて、なにやら考え込んでいるようだった。そのうちのひとり、先ほど長と呼ばれた若々しい男のエルフが鋭い目で俺たちを見つめ、口を開く。


「旅人よ。我々はお前たちを信用しない」

「ええー? 困ったなあ」


 俺が素直な感想を述べると、長はわずかに眉をひそめた。彼は言葉を続ける。


「……しかし、我々にも困っていることがある。もしお前たちがその頼みを聞いてくれるなら、我々も手を貸そう」

「おっ」


 これは風向きが変わったな。グッと拳を握る俺に、リルネが「あんたわかりやすいわね……」とささやいてくる。なにを言う。俺はポーカーフェイスの達人だぞ。


 いかめしい顔で長は言った。


「しばらく前に、この村から東の水源に魔物が棲みついてしまってな。彼の者を退治してきてもらいたい。それができたそのときは、改めてお前たちの言い分を聞こうではないか」


 なるほど、助け合いだな。


 俺は一も二もなく拳を突き出した。


「オッケー! お前らこそ、嘘つくんじゃないぜ!」


 笑顔で言い切る俺の後頭部を、リルネがバシッと叩いてくる。


「あんたちょっとなんでそういうこと自分ひとりで決めるの!? あたしたちが騙されているかもしれないのよ!?」

「いや、でも『与えよ、さすれば与えられん』って言うじゃん?」

「信じらんない! このお人好しバカ! どういうつもりなの!? バカ! バカ!」

「ええー? 大げさだよ、ちょちょっとやっつけるだけじゃん、な? 心配するなって」

「バカー!」


 こんなところで言い争う俺たちの前、エルフたちは『なんだこいつらは……?』という目をしていたのだった。


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